災厄の誕生②
「くるぞ! 走れ!」
俺の声に反応して、さっきの指示通りに三人が走り出す。
俺はその殿だ。
この中で一番防御力が高い俺が気を引いて逃走を補助する役目。
走り出した三人に遅れて俺も続きつつ、右手の剣の先を向ける。
選ぶ魔法は闇。
一拍遅れてどこからともなく黒い霧が溢れだし、辺りを覆った。
これで目くらましになれば、それで手間が省ける。
後ろを振り返って黒龍の動きに注意しつつ走る。
もう少し魔法が続くという俺の予想とは裏腹に、黒龍を覆っていた霧がどんどん晴れていく。
くそっ、やっぱり龍に対して魔法じゃ相性が悪いか。
だが、時間稼ぎなら他にもやりようはある。
霧の晴れる速度に合わせて別の魔法の構築を組む。
そして霧が晴れ、黒龍がその姿を現すのに合わせてそれを放った。
俺の魔法がふわふわと淡い光を放ちながら飛ぶ。
それが黒龍の眼前に辿り着いた瞬間、太陽と見紛う程眩い光が夜闇を切り裂いた。
「ギィヤァァァァア!!!!???」
無防備に閃光を目に入れた黒龍が悲鳴を上げながら仰け反った。
視界にチラつくものを振り払おうとしてるのか、腕のような翼で顔を擦りつつ頭を振って暴れている。
これで多少は時間が稼げるだろう。
その間に、加速して先の方を走る三人に追いつく。
「あとどのくらいだ?」
「もう、少し……!」
「分かった」
走りながら答えるレーナにそう返して、また少し距離を置く。
そろそろ来る頃だろう。
振り返っても夜闇に紛れて黒龍の姿は見えない。
だが、地面に伝わる振動が確実に黒龍が接近していることを告げていた。
「ほら来い! 俺が相手だ!」
足を止め、構えて油断なく辺りを見渡す。
足音が消えた。
どこから来るのか分からない。
全神経を集中させ、どんな気配も見逃さまいと鋭く視線を送る。
殺気!
右!
気配に反応して盾を構えた瞬間、その方向から黒龍が翼爪を突き出して襲い掛かってきた。
ギリギリで反応しきり、爪を盾で受ける。
「ぐっ、ああああッ!」
雄叫びを上げ、突き立てられた爪を全力で後ろに逸らす。
ビキッ、と嫌な音がして左腕に激痛が走り、それでもその重量と勢いまでは殺しきれずに弾き飛ばされる。
「こっちです!」
だが、それは今は幸運だったようだ。
思いっきり弾き飛ばされて木が密集してる辺りまで飛ばされたらしい。
「っつぅ!」
「おい、大丈夫か?」
「……多分脱臼した。頼む」
俺の言葉に頷き、ギークが俺の左腕を掴んだ。
鋭い痛みが走って呻き声が漏れる。
「やるぞ」
そう前置きして、ギークが骨を勢いよくはめ直した。
頭が真っ白になる程の激痛の後、途端に痛みがマシになる。
「助かった」
まだ鈍く痛むけど、動かないって程じゃない。
これだけ動けば十分だ。
「黒龍はどうなった?」
「ちょっと待って」
聞くとレーナが目を閉じて意識を集中する。
それと同時に、何かに探られるような感覚。
それもすぐに過ぎ去り、少ししてレーナが目を開いた。
「分かんない……結構遠くにいるみたい」
「動いたら見つかるかな?」
「多分。龍の探知範囲がどのくらいか知らないけど、間違いなくあたしより広いよ」
それもそうか……相手はあの龍だもんな。
ミリアも他の冒険者と比べてもかなり長い方だけど、流石に龍とは比べ物にならないだろう。
「で、黒龍がどっか行くまで足止めか。食料持ってきてるのか?」
「ほんとに携帯食料くらいしかないなー。全部置いてきちゃったし」
「虫でも食うか。 水は出せるだろ?」
「しょうがないねー」
……貧民街出身は逞しいな……。
が、それを聞いて青くなってるのはミリアだった。
魔物ならなんとか対応できても、普通の虫は嫌いだもんな。
「ミリア、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……です。いざとなったら……」
ミリアがぶるっと身震いした。
けど、それも考えてた方がいいだろうな。
森の外の観測所にどうにか知らせても、そこから捜索隊が編成されるまで早くても一週間はかかるだろうし。
「なあレーナ。空に魔法で──────」
「伏せて!」
合図を上げてくれ、と伝えようとしたらそれを遮るようにミリアが叫んだ。
何故? とも思ったが、その前に体が勝手に動き地面に伏せる。
その直後。
「なんだぁ!?」
「きゃあ!」
何かが俺たちの頭の上を通り過ぎて行った。
あれは……闇魔法?
通り過ぎたそれは大木に直撃すると、それで止まらず幹を削り取って貫通していった。
「黒龍か!?」
「それ以外にねえだろ!」
「まだ来るよ! 気ぃ抜くな!」
レーナの言葉を裏付けるようにバキバキと、木々を削る凄まじい音を立てながら闇魔法が次々と放たれた。
あり得ない物量、速度、威力。
人智を越えた弾幕が形成され、とてつもない速度で木々を削り取っていく。
「倒れるぞ!」
「こんなの無しでしょー!」
「できるだけ低く! 防ぎます!」
「手伝う!」
ギークの警告、レーナの悲鳴、それらを掻き消すようにミリアが声を張り上げた。
俺もそれに続き、ミリアと目で合図を交わす。
そしてミリアが組み上げた構築に、更に俺の魔力も流して補強する。
その魔法が発動すると、地面に伏せた俺たちの上を光の壁が覆った。
その直後、俺たちの上に幹を削られた大木が倒れこんできた。
出来る限りの魔力を流し続け、なんとか魔法を維持する。
それからどのくらい経ったのか。
無限と思える時間が過ぎてようやく弾幕が止んだ。
それを確認して、レーナが魔法で倒れこんできた木を吹き飛ばして外に出る。
周りを見渡すと、辺りの景色が変貌していた。
そこに森があったことが信じられないほど開けていたのだ。
唯一それを証明するのは、今の魔法で伐り倒された木々。
そして。
その上を翼の内側を不気味な紫色に発光させた黒龍が、腕のような翼を地面に付き悠然と歩く。
一瞬で森を更地にしたことになんの感慨もなく、ただ変わらずに深い狂気に呑まれた目で俺たちを睨みつけていた。
「やるしか、ないか……」
逃げられない。
そう判断してそれぞれ武器を抜く。
さっき俺に手間取らされたことを学習したのだろう。
黒龍は慎重に距離を取ったまま様子を伺っている。
勝てるのか?
この龍相手に?
緊張に知らず知らずのうちに手に汗が滲む。
拭き取りたいが剣から手を離すなど考えられない。
その一瞬の隙を黒龍は逃しはしないだろう。
いや、俺たちなら勝てる。
あの光龍すら討伐したんだ。
今さらただの龍に遅れを取るはずがない。
ギークと視線を交わし頷き合う。
その瞬間、黒龍が動いた。
「来るぞ!」
狙いは……俺だ!
ありがたい!
黒龍の突進に合わせて光魔法で障壁を張り、さらに盾を構えてその突進を受け止めようとする。
さっきは防ぎきれなかったがこれなら受けられる。
そう判断して構えた俺を、しかし黒龍は軽々と飛び越えた。
「な!?」
驚愕する俺をよそに黒龍は後衛のミリアとレーナに襲い掛かった。
「ミリア!」
「はい!」
並みの魔物ならそれだけで屠れそうなほど強力な突進。
まともに喰らえば普通の人間なら押し潰されて命を落とすだろう。
だが彼女達もまた、光龍討伐を任せられるほどの猛者なのだ。
「レーナさん! 後ろに!」
そう声を張り上げたミリアが己の身の丈よりも長い杖を地面に突き立て、構築を組む。
それが形となった時、黒龍は二人の手前5mほどの位置で見えない壁に激突したかのように急に動きを止めた。
俺の物よりも強力なミリアの障壁がその勢いを完全に殺したのだ。
しかしそれも勢いを殺しただけで、それを察知した黒龍が煩わしいものを払うように翼を振ると、呆気なく砕けて消えてしまう。
ミリアの顔が驚きに歪む。
次の魔法を組んでる時間はない。
何もしなければ二人は蹂躙される。
当然、そんなことをさせるわけがなかった。
倒れて斜めになった木を蹴ったギークが、上から黒龍の背に長剣を突き立てたのだ。
辺りに金属同士がかち合ったような甲高い音が響いた。
落下の勢いも利用した一撃も、その鱗を貫くことは叶わずギリギリと嫌な音を立てて防がれてしまった。
流石に背に乗られては無視できないのか、黒龍は見た目よりも柔軟に動く尻尾を振ってギークを叩き落そうとする。
だが、その頃にはギークは背から飛び退いていて尻尾は虚しく空を切るのみ。
「離れて! 巻き込まれないでよ!」
そこで、構築を組み終えたレーナが魔法を放った。
四方から吹きつける風の刃が、黒龍を中心として渦を巻いて荒れ狂う。
それはまさに風の暴力だった。
常人が巻き込まれればそれだけで細切れになりそうなほど鋭利な風。
流石に黒龍もまともに喰らえば無事では済まず、その不気味に光る翼膜に傷が入り血が飛び散る。
が、それも徐々に勢いを無くしていく。
黒龍の鱗に構築を分解されているのだ。
レーナもそれに耐えようと必死に魔力を操ってはいるが、明らかに分解速度に追いついていない。
「ギィヤァァア!!!」
次の瞬間、黒龍は短く吠えると魔法として形になっていない純粋な魔力が噴き出し、弱まった風魔法をを無理矢理散らした。
「ちょっと!? 意味わかんない!」
構築として形にならない魔力を操る。
それは魔法を操るものなら誰もが行える魔法の基本だ。
だが、それもあれほど濃密なものとなると話は違ってくる。
改めて龍の規格外さを思い知らされた瞬間だった。
っと、呆けてる場合じゃない!
「はっ!」
短く息を吐いて俺も黒龍に攻撃を加える。
さっきのギークの攻撃を見る限り黒龍の鱗をまともに貫くのはかなり難しい。
だが、腹なら?
首なら?
関節なら?
柔軟性の為に防御を犠牲にしている部分を狙えばその限りじゃないはずだ。
そう目論んで後ろから、尻尾の付け根辺りを狙って切り上げる。
その予想は的中した。
決して深くはなく、なんとか肉まで到達したというくらいだが、確かに鱗を切り裂いて血が流れたのだ。
行ける!
確信した。
小さい傷だが、積み重ねれば無視できない。
あとはそれまで魔力と気力が持つか。
思考に一瞬気を取られた、その直後。
目の前に、黒龍の尻尾が迫っていた。
間に合わない……っ!
防御が間に合わず、俺は横から丸太のように太い尻尾にまともに打ち据えられた。
骨の折れる音が聞こえて、息が詰まる。
「ガッ……!!」
冗談みたいに跳ね飛ばされて地面を転がった。
痛い。
満足に息が吸えない。
咄嗟に跳んで勢いを殺すことには成功したけど、直撃した右腕は完全に骨が砕けたようだ。
もっとも、それが分かったところで体が動かないのは変わらないんだけど。
あークソッ。
寝てる場合じゃないだろ。
まずは傷の確認だ。
どの程度の傷を負ったのか把握しないと治すものも治せない。
「げほっ! がはッ! はぁ……はぁ……」
……どうやら内臓までやられてたみたいだ。
これじゃ完全に治すことはできないな。
ミリアでも一か月はかかりきりになるくらいだろう。
痛みに霞む頭でどうにか回復魔法の構築を組み、傷を癒す。
それでも完全に傷が癒えた訳では無い。
重い痛みを残しながら、それを無視すれば何とか動けるといった具合だ。
「クルス!」
そう、ギークが叫ぶ声が聞こえた。
その声にただならぬものを感じ、ばっと顔を上げると────目の前に、湾曲した黒い爪が迫っていた。
「させない!!」
眼前に迫った爪はしかし先ほどミリアに襲い掛かった時同様、見えない壁に阻まれた。
今度も黒龍が力を込めて翼で叩き割るが、すぐさま次の壁は張られ、その狂爪が俺まで到達することはない。
「絶対にやらせない……!」
この距離、この強度、この速度で魔法を組み続ける今のミリアには相当な負荷が掛かってるはずだ。
事実、それを示すようにミリアの白い肌に亀裂が入り、そこから血が噴き出している。
黒龍もいくら突き破ろうとも張り直される障壁の厄介さに気付いたようだ。
俺に向けていた顔をぐるりと巡らせミリアに向ける。
まずい!
「ミリ……ア……げほっ! 逃げろ……!」
届かないと分かっていても思わずそう叫んでいた。
だが、ミリアはふっと力が抜けたようにその場に倒れてしまった。
起き上がろうともせず動かなくなる。
それを見て血の気が引くのを感じた。
魔力が尽きたんだ……!
もともと光龍戦で限界ギリギリまで使っていたのに加え、さっきの短時間での光魔法の連発で短時間で使える魔力の限界を超えたのだ。
血相を変えたギークとレーナがミリアに向かって駆け出すのと、標的を変えた黒龍が走り出すのは同時だった。
それでも初めからミリアの傍にいたレーナの方が先に辿り着いた。
「ミリア!? 大丈夫!?」
レーナが安否を問う声が聞こえてきたが、それに対する返答は聞こえない。
当然だ。
ミリアは意識を失っているのだから。
「馬鹿がっ! さっさと逃げろ!」
ギークの叫びにレーナは慌てて意識のないミリアを背負い、迫りくる黒龍から距離を取る。
それを追いかける黒龍をギークが駆け寄りながら長剣を振り足止めしようとする。
だが、黒龍は剣の届かない高さまで跳んでレーナに飛び掛かった。
その最後の瞬間、レーナは覚悟を決めた表情で背負ったミリアだけを放り投げた。
やけに時が流れるのが遅く見える。
そして、血飛沫を上げてレーナが黒龍と地面の間に擦り潰された。
「レーナァァァァ!!」
ギークの絶叫が響く。
死んだ。
レーナが?
黒龍は茫然とする俺たちに目もくれずに意識を失ったままのミリアに近付く。
そして、動くことの無いミリアに対して後ろ足で立ち上がるように大きく翼を振りかぶると、勢いよく両翼をミリアに叩きつけた。
地面に鮮血が飛び散る。
「ミリ……ア……!」
死んだ。
ミリアも、レーナも。
何故だ?
光龍を下し、あとは帝都で華やかな凱旋式を終えて穏やかに余生を過ごすはずだったのに?
信じられない。
信じたくない。
だって、こんなあっさり……。
「呆けてんじゃねえ! 逃げるぞ!」
いつの間にか走り寄ってきていたギークに肩を貸された。
その衝撃が怪我に響いて呻き声が漏れる。
「二人を……置いていけるか……!」
「もう死んでんだよ! 生きる気があるなら少しでも生きられそうな方を選べ!」
ぐっ……。
ギークは正しい。
こういう時、冷静な判断を下してくれるのはありがたい。
……俺は大人しくギークに引かれるまま離脱する事を選んだ。
ごめん、ミリア、レーナ。
もし生き残れたら、ちゃんと弔ってやるから。
それまで我慢しててくれ。
「とはいえ、生き残れる気はしないな……」
「うるせえ! 黙って走れ!」
怒鳴られ、肩を竦めて走る。
俺の怪我のせいでのろのろとしか進めないのだが。
不意に、ギークに突き飛ばされた。
受け身を取ることもできずに地面を転がる。
「がっ……」
痛みに顔を歪めギークに目を向けると、怪しく蠢く黒い槍がその胸を貫いていた。
ギークの口元が皮肉気に歪む。
そして、ギークはふっと目から光を無くして地面に倒れ伏した。
ギークを殺した魔法はまるで幻だったかのように消え、その傷口から流れた血が俺のすぐ足元まで広がる。
「ギー……ク……」
死んだ。
ギークも。
残ったのは瀕死の俺だけ。
皆が誰かを助けようとして、けどそれも叶わず無残にも殺された。
一人残された俺を、先ほどまでの狂気が嘘みたいに落ち着いた黒龍が見据える。
かの龍は無様に地面に横たわる俺の胸に足を乗せ、動きを封じた。
そんな事しなくても、動きたくても動けないんだけどな。
『何故お母さんを殺した』
「は……? げほっ!」
突然、頭の中に透き通るような女の声が響いた。
『答えろ。私もお母さんも森の奥で静かに過ごしていた。なのに何故殺した』
「黒龍……か?」
思わず聞き返して、乗せられた足にぐっと力をかけられて呻く。
『もう一度聞く。何故なにもせず静かに暮らしていたお母さんを、無残に殺した?』
何故?
ああ、何故か。
そんなの簡単だ。
「そんなの……けほっ。依頼が、あったからだ……」
『それだけでか?』
「それだけ? それがあれば……十分だろ。光龍は……人に恨まれる何かをした。金を払ってでも、殺したいと願った人がいた。それがあれば……冒険者にとっては十分だ」
俺の返答に黒龍は煩わし気に首を振った。
『龍が人を殺して何が悪い。人が家畜を殺すのと何が違う』
「知ったことか……けほ」
そんなことを考える意識なんかもうない。
何も考えられない。
段々と意識が遠のいていく。
『依頼した奴はどこだ』
「知るか……手配した人……支部マスター、聞け……俺は……」
もう意識が保てない。
視界が暗くなる。
何も感じない。
けど、意識を失う直前、俺は確かに自分の体が熟れた果物みたいに潰されるのだけは感じた。
走馬灯なんでものもなく、俺は死んだ。
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