ツイノアクマ4

 恒星を食べた後のマユは、長い旅を行った。

 最も近い位置にある恒星は、マユの目に見える範囲でも五万光年も離れている。体長七百メートルまで育った今のマユの全速力でも、到着するのは三十万年以上先の事だ。取り込んだエネルギーは大量にあるので餓死する心配こそ無用であるが、しかしマユは激しい空腹感に苛まれ、焦りを覚えている。

 星を目指し、マユは力を振り絞ってジェットの出力を少しでも上げようとしていた。ヒトで例えると、『根性』を出している状態だ。勿論根性等というものは存在せず、過剰な運動により傷付いている体組織を、強引に動かしているというのが正しい。

 癒やされない空腹感が消えない以上、マユはどうしたって餓死の可能性が脳裏を過る。高度に発達した脳は恐怖を覚え、恐怖は肉体が自壊するよりも飢餓の解消を優先する。

 そうしてどうにか餓死から逃れようとしているのだが、しかしこの宇宙には努力や根性が報われるという『物理法則』は存在しない。誰が最初に目的地へと辿り着くかは、対象との距離と速度だけが決定する。

 今回は、マユよりも先に件の恒星に辿り着くものがいた。マユが辿り着く前に恒星は消えてしまう。


【ギ、ギュギギギギ……】


 目的地が消えてしまい、マユは一旦その場で止まる。先を越された事は極めて不愉快であり、更なる焦りも生むが、それに気持ちが飲まれている場合ではない。

 空腹を癒すため、次の標的を探さねばならない。

 しかしマユが周りを見渡しても、手頃な恒星は全く見当たらない。光自体は見付かるのだが、三角測量で距離を測定すると、どうにもその光はいずれも十万〜百万光年ほど離れた位置にある。極めて遠い星だ。

 遠い星ほど、誰かに先を越されている可能性が高い。光が届くのに十万年以上も掛かるため、マユが見ているのは遥か以前の光景だからだ。そのため、出来ればもっと近い星を狙いたい。

 されどマユの願いに叶う、近い星は何処にもない。

 当然だ。もうこの銀河はホシグライとツイノアクマによって食い荒らされ、殆ど星が残っていないのだから。

 誕生ペースよりも捕食量が上回っている以上、いずれ資源は枯渇する。ツイノアクマがどれだけ強大な力を持とうとも、数学的帰結は覆せない。

 そして近くにない以上、遥か彼方にある星を目指すしかない。


【――――ッ】


 一瞬だけ、マユは躊躇いを見せた。本能だけで動いていれば迷いなどなく行動を起こしたが、高度な知能を持つ彼女は、予測される時間に少なくない不安を覚える。彼女自身の感覚では、何時餓死してもおかしくないのだから。

 しかし他の選択肢がないのだから、やるしかない。それをすぐに理解し、迷っている時間さえ勿体ないと判断出来る程度には、賢さも持ち合わせていた。


【ギリリリリュリュリューッ!】


 マユは最大出力の亜光速粒子ジェットを噴射。見える範囲にある中では最寄りの、十八万光年彼方にある星を目指す。

 誰よりも早く辿り着き、貪り食うために。

 ……ただ、マユは一つ勘違いをしていた。彼女が目指した輝きは、星ではないと。いや、星ではあるのだが、一つの恒星ではない。

 マユが恒星だと思ったものは、隣の銀河が放つ光だった。

 まだホシグライ達が到達していない、無傷の銀河だ。何千億もの恒星を抱え、激しく活動を続けている。豊富な餌場であり、此処に辿り着ければしばらくは食事に困らないだろう。

 とはいえ、銀河を狙うのはマユだけではなかったが。

 ……マユが銀河を目指して飛び始め、十万年は経った頃。彼女の周りから強力な電磁波や荷電粒子が届くようになる。マユは電磁波に気付き、その正体も理解していた。

 ホシグライだ。それも一体だけではない。何百、何千、何万……無数のホシグライがマユの周りを飛んでいる。数は時間が経つほど増え続け、今ではマユから半径一光年の範囲に五千体はいるようだ。

 そんなホシグライ達が目指しているのは、マユが求めているのと同じ銀河だった。

 銀河から恒星が消えた事で、ホシグライ達も食べ物を失った。新たな星を求め、最寄りの銀河を狙うのは当然の行動である。そして銀河間の距離というのは、十万光年以上離れているのが普通だ。最寄りと次点の銀河の間に、数万光年の開きがある事も珍しくない。対して銀河の大きさも十万光年程度。銀河の端と端でもない限り、自身から見て最寄りの銀河が異なるという事は早々ない。

 マユが生まれた銀河にいた、総数五百万体にもなるホシグライ。そのうちの約三割に当たる百五十万ものホシグライが、マユが目指す新たな銀河に向けて飛んでいた。

 無数のライバルが、自分と同じ場所を目指している。

 普通ならば、焦りを覚える光景だ。競争が激しくなればその分恒星を先に取られてしまいやすい。しかしマユにとっては、ホシグライの大群はただのライバルではない。

 恒星に匹敵する、莫大なエネルギーを有した獲物でもあるのだ。更に連中との距離は十六万光年彼方にある銀河よりも遥かに近い、精々数十光年ほどしかない。

 今にも飢え死にしそうなほどの空腹を覚えているマユが、どちらを優先するかは言うまでもないだろう。


【ギリュリュリリリリリリリィィィッ!】


 恒星銀河の前に、マユはホシグライ達を襲う事にした。

 本来であれば、ホシグライ達もマユの動きには即座に気付いただろう。同種間での共食いが珍しくなくなった今、接近してくる同種を素早く感じ取れる個体が生き延びた結果である。すぐに逃げられてしまうと、マユとしても中々捕まえ難い。

 しかし今、マユ達は銀河を目指して進んでいる。

 このシチュエーションをマユは利用する。進路は銀河に固定しつつ、少しずつホシグライ達に寄っていくのだ。しかも数百年、数千年もの年月を掛けて。銀河を目指す動きは、辺りにいるホシグライ達も変わらない。共食いの危険があるのなら逃げるのが得策だが、襲われる心配のない相手から逃げ出せば、その分恒星に到着するのは遅れてしまう。先に恒星を奪われれば当然食事にはあり付けず、飢えてしまう。恒星が枯渇したからこそ別銀河を目指しているホシグライ達に、次を狙うための余裕はあまりない。

 このためあくまで銀河を目指しながら寄ってくるマユの行動を『怪しい』とは思っても、警戒して離れるという安全策は取り辛い。マユが距離を詰めてもホシグライ達はすぐには逃げなかった。

 距離を詰めれば、相手を逃がす前に捕まえられる可能性が高くなる。共食いの成功率が上がるだろう。とはいえあまりにも接近すれば、ホシグライ達もマユの思惑には気付く。そうなれば一旦恒星を諦め、ホシグライ達は身を翻して逃げ出す筈だ。いくら余裕があまりないとはいえ、食べられて死んでしまったらそこで終わり。それならまだ、次を期待する方が生存率は高い。

 しかもいくら近いとはいえ、マユとホシグライまでの距離は数十光年も離れている。近付く事を不審がられて逃げられたとして、その光景がマユの目に届くのは数十年後。逃げられた、と分かった時には、もうホシグライ達は数十年前に動き出している。近付いてもすぐには気付かれない。

 では具体的にどの程度まで近付くべきか。これはもう経験がものを言う。生誕してから日が浅いマユは、こういった狩りの経験があまりない。そのため必要以上に近付き、ホシグライ達が逃げ出すという結果になってしまう。


【キャピュリャリャアアアアアアア!】


 逃げられたと分かったなら、もうこっそりと近寄る必要はない。恒星へと向けていた進路を変更、一直線にホシグライに向けて突き進む。

 一般的に肉食獣が草食動物を襲う時、草食獣が先に逃げ出した場合の狩りはほぼ確実に失敗する。

 原因は二つ。一つは草食獣の速力は、肉食獣に劣るものではないという事。足の遅い個体が喰われて死んでいき、より足の速い個体が生き延びた結果である。そしてもう一つの原因は、どんな生物にもスタミナがある事。例え相手より足が速くとも、その最高速度を維持出来なければ意味がない。地球生命であるチーターがゆっくり獲物との距離を詰めるのは、最高速度で走れる距離がほんの数百メートルしかなく、その数百メートル以内に獲物を捕まえないといけないからだ。

 だがツイノアクマの場合、この原因とは無縁である。

 まずホシグライとツイノアクマでは、ツイノアクマの方が圧倒的に速い。具体的には一般的なホシグライの最高速度が秒速三万六千キロなのに対し、今のマユが出せる速さは秒速五万キロもある。このため十分な時間を掛ければ、必ず追い付けるのだ。

 では何故マユはこれほどまでに速いのか?

 その理由は、亜光速粒子ジェットの噴射口の大きさに対し身体が軽いからである。遺伝子の欠陥により、ツイノアクマではモウティアーゼが合成出来ず、性能の劣るβモウティアーゼしか作れない。このモウティアーゼが合成するホルモンの中には内臓器官の成熟をコントロールするもの(成熟ホルモンと呼ぼう)があるのだが……その合成優先度は最下位。このため成熟ホルモンは全くといって良いほど分泌されない。

 成熟ホルモンが成長に関与する臓器は、生存上は必要としないものだ。ツイノアクマではこの臓器が発達しない分、体重が軽くなるため速度が上がりやすい。

 また頻繁な戦闘行為を行うツイノアクマは、視神経や脳神経が発達しやすい。これは所謂『鍛錬』の類であり、生理的・生態的な特徴ではない。あくまでも傾向だが、しかし鍛えたものが鍛えていないものより優れた肉体になっている事は、ヒトにも理解しやすい話だろう。この発達した神経のお陰で、高速で動き回っても情報処理が行える。つまり高速移動しても、目が回るような事はない。ジェットを噴射する力も強く、同じサイズのホシグライよりも高速で飛翔出来る。

 一度でも狙われたホシグライがツイノアクマから逃げ切る事は、ほぼ不可能と言っても良い。


【キャッピャアアアアアアアアアアア!】


【ギャギリュリュリィィィィィ!】


 マユが追っていたホシグライも、距離が一光年と縮まったところで覚悟を決めた。くるりと振り返り、マユと向き合う。マユを倒し、安全を確保した上で再度銀河に向かう算段だ。

 しかし残念ながらこの戦いは、他に活路がなかったがために行った無謀なもの。

 マユが狙ったホシグライは体長五百メートルしかない。対してマユの体長は七百メートルもあり、圧倒的に上回っている。また一部臓器が未発達な分見た目よりも体重は軽いが、数多の戦闘経験により全身の筋肉はしっかりと発達している。戦闘能力の差は歴然としていた。


【キャ、キャプ……】


 マユとの距離が迫るほどに、ホシグライから気迫が抜けていく。そして身体を強張らせ、おどおどと腕を構える。

 もうホシグライに積極的な闘志はない。どうやら守りに徹するつもりのようだ。

 悪い作戦ではない。普通に戦っても勝ち目がない事は間違いなく、守りに徹して逃げるチャンスを窺う方が戦うよりも合理的だろう。しかしあくまでもそれはより可能性の高い方法というだけであり、生存を約束するものではない。

 そしてマユの大きな口と力強い腕の前に、か弱いホシグライがチャンスを掴む隙など訪れなかった。

 ……………

 ………

 …

 体長五百メートルのホシグライを仕留めるのに、マユは五分も掛けなかった。

 襲ったホシグライはまだまだ若く、共食いの経験がなかったらしい。噛まれたら電磁シールドを吸い尽くされるという事も知らなかった。マユが初撃として噛み付き、シールドを吸収してしまえば、もう無防備な肉塊でしかない。


【ギャグギギギギィー……!】


 ホシグライの表皮を切り裂き、中身である蓄熱器官を咥えて引っ張り出すマユ。牙を深く突き刺し、溢れ出した熱エネルギーを吸い上げる。肝臓にある水素も根こそぎ奪い取れば、恒星に匹敵する程度の糧は得られた。

 しかしマユの空腹は消えない。全く衰えない食欲に突き動かされ、マユは次の獲物を探す。

 獲物を発見するのに、苦労は全くなかった。

 何故なら次から次へと、ホシグライ達はマユを目指すかのように飛んできているからだ。とはいえホシグライ達はマユと接触しようとは一切考えていない。マユが今し方一体のホシグライを殺し、喰った事はこのホシグライ達も見ている。極めて危険なこの個体マユに近付くなど自殺行為でしかない。

 だが、マユがいる方には銀河がある。

 このホシグライ達は、喰い尽くした銀河から隣の銀河に向かって進む集団の中で、少し出遅れた個体達なのだ。マユよりも後から来ているから、マユに向かっていく形で進まねば銀河に辿り着けない。大きく迂回するのも一つの手だが、それでは恒星を狙う他のホシグライとの競争に勝てない。

 事を期待し、最短距離で突っ込むのが一番良い。それに共食いを終えた後なら、満腹で積極的には襲ってこない筈。

 マユは勿論、ホシグライ達のそんな思惑など知った事ではない。


【キャアアアプゥアアアアアアアアアアアアアアアアッ!】


 猛々しい雄叫びの電磁波を放出し、癒えない空腹に突き動かされてマユは次の獲物を求める。今度の狩りは先程よりもずっと楽だ。向かってくる獲物を迎えるだけ。それだけでいくらでも捕まえられる。

 マユからすればいくらでも獲物を食べる事が出来て、癒える事のない飢えがほんのひと時でも満たされる。生まれてから一番『幸福』な時間を、存分に堪能した。

 それはマユ以外のツイノアクマも同じ。

 ツイノアクマはマユ一体だけではない。マユが生まれた銀河には、三千体ものツイノアクマが存在していた。これらもそれぞれ最寄りの銀河を目指し、移動している。全てがマユのいる近くに集まっていた訳ではないが、それでも一千体以上が、マユと同じ銀河を目指していた。

 一千体のツイノアクマが、やってくるホシグライ達を次々と襲い、殺していく。ホシグライ達は抵抗しようとするものの、凶暴で退く事を知らず、何より体質故に強さでは上のツイノアクマ達には敵わず殺されてしまう。

 通常の捕食であれば、この一方的な殺戮はやがて終わる。捕食者が満腹になるからだ。捕食者はあくまで腹を満たすために獲物を捕まえているのであり、虐殺や殺戮を目的としていない。獲物からの反撃で怪我する可能性もあるのだから、『無駄』な戦いは避けるのが合理的だ。

 しかしツイノアクマにその合理性は通じない。彼女達は常に空腹だ。どれだけ食べても足りず、故に延々と襲い、殺し続ける。一千体のツイノアクマが、何万何十万という数のホシグライを食べ続ける。

 ――――この行為は、今やホシグライにとって無視出来ない被害を与えている。

 ツイノアクマの襲撃を受け、他の銀河への『渡り』の最中だけで全体の一割は喰い殺されてしまう。繁殖力が弱いホシグライにとって、これほどの数が死ぬのは大きな打撃だ。おまけにツイノアクマの方が速いため、目指していた恒星も先に奪われてしまう有り様。このため捕食により大きく減った個体数が、新天地の資源を利用しても回復しきる事が出来ない。

 このような結果は、マユがいた銀河だけで起きた事ではない。この宇宙のあちこちで起きており、故にホシグライは急速に個体数を減らしていた。このままでは遠からぬうちに絶滅するであろう。

 とはいえ、これだけなら一般的な自然淘汰でしかない。より環境に適応した個体群……ツイノアクマが種の主流になるだけ。共食いの性質を獲得したホシグライが繁栄し、ホシグライという種の『基本』になったのと同じである。ホシグライという種がツイノアクマに置き換わり、個体数は減ったとしても、繁栄を続けていくのが普通の流れだ。

 だが、そうはならない。

 何故ならツイノアクマには致命的な欠点があった。そして問題なのは、その欠点が

 マユも生まれ持っている欠点が『力』を発揮するのは、更に長い時が経ってからの事である……

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