ツイノアクマ5

 時は流れ、マユが新たな銀河に辿り着いてから一億年の歳月が過ぎた。

 マユはまだ生きていた。新しい銀河でも恒星を破壊し、文明を滅ぼし、ホシグライを喰っている。かつて暮らしていた銀河と同じ生活であり、空腹は相変わらず癒えていないが、『獲物』のお陰でエネルギーが尽きる事はなかった。

 尤も一億年も食い荒らせば、銀河も段々衰退していく。かつて全方位に数千億と煌めいていた星々は、今や疎らにしか輝いていない。銀河内に生息している数多のホシグライやツイノアクマを養うには到底足りない。結果、共食い行動があちこちで起きている。

 マユもこの銀河で幾度となくホシグライを喰らってきた。しかしその旺盛な食欲により……勿論マユだけの仕業ではなくツイノアクマ全体の行動が原因だが……この銀河におけるホシグライの個体数は急激に減っている。今や共食いの対象を探すのも一苦労だ。


【キュ、キュルルルルル……!】


 マユもここ五百万年ほど、食べ物にあり付けていない。まだまだ体内のエネルギー、資源共に余裕はあるが……マユの身体はその状態を正しく判断出来ない。抑えきれない飢餓感、それに伴うストレスが攻撃性を高めている。何より死が迫っているという『誤解』に起因する焦りが、身体を突き動かす。

 本当に飢えているのなら、この反応は適応的だ。攻撃性の促進により共食いを動かし、焦りにより活発な行動を呼び起こす。

 しかしマユ達ツイノアクマにとっては、必ずしもそうとは言えない。彼女達の食欲は決して満たされない以上、必要以上に餌を食べてしまう。別段事自体はなんら問題ないが……恒星にしてもホシグライにしても、過度に食べれば生産性を上回り、数は減少していく。食べ物の数が減少すれば更に飢え、その活発な食事行動が更なる餌の減少を引き起こす。過剰な食事は、結局は自分の首を絞めてしまう。

 だからといって、マユが空腹感に苛まれている事には変わりない。食欲がある以上餌を探すのは、生命としてごく一般的な反応である。そして周りに食べ物がないのであれば、新たな場所で探すしかない。

 このままあと数百万年何も食べられなかったら、マユはまた別の銀河を目指して飛び立ったであろう。


【キゥ? キュルルルルルルルルルッ!】


 今回は、運良く新たな餌を見付けられた。

 微かに明滅する光……亜光速で放出されたジェットの輝きだ。三角測量が出来ていないため距離は不明。ただし光の波長が赤方偏移(波長が長くなる。このように遠ざかる・近付く物体から発せられる音や光の波長変化をドップラー効果と呼ぶ)しているため、マユから遠ざかるように動いているようだ。この赤方偏移の度合いから速度を計算すると、秒速約三万四千キロで飛行していると分かる。

 この速さを出せるホシグライは成体に成り立てか、間もなく成体になる幼体だろう。体長は九百メートル以上。決して楽な相手ではないが、かといって今のマユにとっては危険な相手でもない。何より成体に準じる個体であれば、体内に溜め込まれたエネルギーは恒星に匹敵するほど豊富な筈。

 すぐに身を翻し、マユはホシグライの下に飛んでいく。

 ホシグライの方もマユが発する亜光速粒子ジェットを感知したのか。数万年ほどマユが追い駆けていると、光の波形が青みを帯び始めた。青方偏移であり、ドップラー効果により近付いてきていると分かる。向こうもマユを喰う気満々らしい。

 マユにとっては好都合。互いに接近すれば、移動に費やす時間は圧倒的に短くなる。本来なら何万年も掛けて移動する必要があったが、たったの一千六百年で互いの顔を見る事が出来た。


【キュリュゥウ……!】


 遥か数千万キロまで迫れば、相手の姿もよく見えるようになる。そこまで来たところで、マユは闘争心を引き上げた。

 優れた知能を持つ彼女は、今回の相手が中々厄介な存在だと理解する。

 何故なら現れたホシグライはいたのだから。


【キャリュリュリュ!】


【グギャリリリリリリリィ!】


 五体のホシグライ達は激しく鳴き、闘争心の激しさを露わにしている。極めて攻撃的で、空腹感に喘いでいるのは間違いない。そしていずれも体長一千メートルを超える成体であり、世話を受けるような子ではない。

 ところがこのホシグライ達は、すぐ隣にいる相手に襲い掛かる事はしない。腹が減っているのに、一番近くの『餌』には見向きもしないのだ。

 知力だけで言えばヒト以上であるマユは、この光景を異様に感じた。ホシグライは群れを作らない。知能は高いが、基本的には一個体だけで行動する。一体が恒星一個丸ごと食べてしまう彼女達には、群れを維持するだけのエネルギーを安定的に得る事が出来ないのだから。

 ならばこの五体はなんなのか。

 それは、やはり群れである。ただし親子関係に基づくものであり、また習性ではなく知能によって形成されたものだ。

 この五体のホシグライ達は、祖母が一体、母親が二体、子が二体の三世代によって構成されている。本来ならば子供がある程度育つと、ホシグライは途端に子への興味を失い、育児放棄の形で子育ては終了する。このホシグライ達もその習性はなんら変わっていない。

 だが祖母の時代に、子と協力する事で強大な相手の共食いに成功した。

 学習能力と知能に優れる彼女達は知った。「群れれば一体の時よりも強い相手に勝てるじゃないか」と。勿論群れを作ればその分多くの餌が必要であるが、そんなのは。重要なのはどうやってエネルギーを調達するのかであり、過程や方法は些末な事なのだ。

 このような群れの形成は、現在のホシグライでは幾つか見られる。激しい共食いが横行した結果、効果的な共食いの出来る個体が生き延びた結果だ。ホシグライという種から見ればより激しい共食いが進むためマイナスなのだが、個体として見れば生き残りやすいためプラス。そのため種の衰退と共に、群れを作るホシグライは個体数を増やしている。

 普通のホシグライならば、この群れに勝つ事は出来ない。大慌てで逃げ出すだろう。

 ところがマユは一切退かず、それどころかより力強く接近を試みる。空腹感があまりに酷く戦力差など気にしていないという事もあるが、一番の理由は、彼女は五対一でも負けるとは露ほども思っていないからだ。

 その自信の根拠は、自分の身体の大きさだ。マユは一億年の間に数多のホシグライを食い殺し、恒星を貪り、途方もないエネルギーと資源を得ている。これを糧にしてマユの身体は大きく成長し――――今ではにまで巨大化している。

 これは一般的なホシグライの三倍近い大きさだ。身体が大きければ力も強く、自分より小さな相手ならば一方的に蹂躙出来る。またダメージを受けた時の被害も相対的に小さい。直径一センチが抉れる傷を負った時、ヒトなら軽症で済むが、アリなら跡形も残らないようなものだ。大きいという事は、それだけで強いのである。

 この身体の大きさは、ホシグライとしては異常だ。ホシグライは本来全長九百メートルを超えた段階で成長が著しく鈍化し、全長一千四百~一千八百メートルのところで完全に止まる。

 生物種にもよるが、身体の大きさが定まっている生物というのは少なくない。どうして定まっているのかは種によって様々だが、その方が子孫を残す上で好都合だからというのが一番の理由だろう。大きな身体は天敵やライバルと戦う上では有利だが、維持するのに多量の食物が必要となる。それに成長にエネルギーを消費していては、次世代に費やすエネルギーは減ってしまう。これは子孫を残す上では問題だ。また巨体を支える仕組みが身体に備わっていなければ、大きくなっても自重で潰れてしまう。

 このためある段階で成長を止め、繁殖に専念するという戦略の方が多くの場合で合理的なのだ。ホシグライは消費するエネルギーが非常に多いため、身体が際限なく巨大化するのは好ましくない。しかもただでさえ少産のため、身体にエネルギーの大半を費やすと繁殖自体が困難となる。成長は途中で止めた方が合理的だ。

 この成長をコントロールするのが、臓器から分泌される成長促進ホルモンだ。全身にある臓器は一定の大きさになるまで成長促進ホルモンを分泌。これが出ている限り、体細胞は積極的な分裂を行い、身体を大きくしようとする。言い換えれば、臓器がある程度の大きさまで育つとホルモンが止まり、体細胞は最低限の、身体の大きさを維持する程度の分裂だけを行う。

 こういった仕組みによりホシグライの成長はコントロールされているのだが、ツイノアクマではこれが上手く働いていない。一部臓器が延々と成長促進ホルモンを分泌し続け、結果身体の成長が止まらないのだ。ホルモン分泌を止めない臓器は一部だけなので、体長九百メートルを超えたところで成長速度は鈍化するが、完全には止まらない。栄養が得られる限り、どこまでも巨大化していく。

 そしてツイノアクマには満腹感が存在しない。ひたすら餌を食べ続け、何処までもエネルギーと資源を得ていく。積極的な共食いも、彼女達にとっては成長を促進する要素でしかない。

 マユの圧倒的巨体も、一億年間食べ続けた結果だ。ホシグライとしてはあり得ない体格差に、五体のホシグライは面食らったように一瞬怯む。


【キキャギャアアアアアアアアアアア!】


【キョキュリュリュリュリュゥゥ!】


【ギャリリリリリャリャアァ!】


 しかし彼女達はすぐに闘志を取り戻し、マユに敵意を向けた。

 どうやらマユの巨体相手でも勝てると踏んでいるらしい。

 ホシグライ達の判断は、決して自惚れや過信ではない。数というのは極めて大きな戦闘力を生む。一対一ではどうやっても勝てない相手でも、一体が囮を演じ、他個体がその隙に相手を抑え付ければ一方的に攻撃出来る。優れた知能を持つホシグライ達は己の強みを十分に理解していた。

 普通ならば、確かにマユに勝ち目はないだろう

 ――――されど相対するマユも優れた知能を持つ身だ。数の暴力を理解出来ない訳もない。

 理解した上で、勝ち目があると考えている。何より空腹は『限界』だ。一億年もの間、和らぐ事はあれども満たされる事のない衝動が、数の差程度で止まるほど生温い訳もない。


【グキキャキャアアアアアアアアアアアアアアアア!】


 マユは怯みもしない。餌としか見ていない相手に、逃げるなどあり得ない選択だ。

 恐れもなく向かってくるマユに、ホシグライ達は少しの驚きから身体を強張らせた。普通ならば、勝ち目のない戦いに一切迷いなく挑む事はしない。身体を震わせる、逃げようとするなど、なんらかの動きをしてから戦うものだ。ホシグライにとって共食いは、基本的にはやりたくない行動なのだから。

 しかしマユは迷わない。絶え間ない空腹に苦しむツイノアクマにとって、餌を逃がすなどあってはならない……後には退けないのだ。

 尤もこの行動の差が勝負を分ける事はない。未だマユとホシグライ達は百万キロ以上離れている。戦いを行うにはまずこの距離を詰めなければならない。

 マユもホシグライ達も最大速度で飛び、互いの距離を縮めていく。二十秒と経たずに両者は至近距離まで迫った。


【ギギリャリャアァアアッ!】


 咆哮と共に攻撃を仕掛けてきたのは、ホシグライ達の中の一体。

 攻撃方法は赤外線レーザー。大きく開いた口、そこに存在する核熱結晶から、惑星をも破壊する閃光を放つ。

 赤外線レーザーが直撃したところで、電磁波をほぼ反射する表皮細胞があるツイノアクマホシグライには通じない。しかし体勢を崩す事は出来る。腕に赤外線レーザーを受け、マユの身体は大きく横に振れた。

 体勢を立て直す事は難しくない。尾の付け根にある噴射口の向きを調整し、ジェットを噴射すれば良い。しかし微調整なら兎も角、大きく傾いた身体を戻すには時間が掛かる。

 それよりも早く、ホシグライ達はマユに肉薄した。


【ギャリャアアッ!】


 一体のホシグライがマユの腕に噛み付く。更に長い尻尾を巻き付けてきた。体重と尾の拘束により、腕の動きを阻もうという作戦だ。

 いくら体格差があっても、身動きが取れなければ意味がない。ホシグライ達はそれを理解している。他二体もマユの腕を狙うようにやってきて、拘束しようとしてきた。

 このまま何もしなければ、マユは身動きが取れなくなるだろう。マユもそれは理解している。故にホシグライ達の思惑通りになる気はない。

 大きく腕を振るい、しがみ付いているホシグライごとぶん回す。


【ギギャギリリ!?】


【ゴギャ!?】


 振り回されて、しがみ付いていたホシグライと別のホシグライが激突。二体は絡まりながら、マユから離れるように飛んでいく。

 しがみ付く筈の仲間が二体離れてしまい、ホシグライ三体の動きが鈍る。この隙をマユは見逃さない。


【ギャリアアアアアアアアアアアアアア!】


【ギョギャ!?】


 すかさず口から赤外線レーザーを発射。一体のホシグライの頭を直撃し、そのホシグライは遠くに吹き飛ばされた。巨体であるマユの赤外線レーザーは、一般的なホシグライのものとは比較にならないほど強力だ。致命傷ではないものの、直撃を受けたホシグライは頭の一部が欠損する。

 これほどのダメージを受けたのは、このホシグライにとって初めての事だった。そのため傷口から伝わる痛みで混乱し、動きが止まってしまう。

 瞬間、マユはこのホシグライに接近。大きな口を開きながら迫り、巨大な牙を突き立てた。

 ホシグライが纏う電磁シールドは全て口内の核熱結晶で吸収。無防備になった表皮を牙で貫く。

 そして間髪入れずに頭を大きく振り回す。

 巨体であるマユの力は圧倒的だ。更に身体が大きい分、口の中にある歯(状の硬質突起)も大きい。噛み付いたホシグライの表皮はズタズタに切り裂かれ、体組織も一部が切断されている。身体を支える構造が損傷しているという事は、つまり強度が大きく低下しているという事。

 振り回されたホシグライの身体は、真っ二つに千切れてしまった。


【ギャギャギギギ……!】


 断面から大量の体液が流れ出す『家族』の姿を見て、ホシグライ達が大きく怯む。抑え込むどころか被害を受けてしまった。マユの戦闘能力がホシグライ達の想定よりも上だったのだ。

 しかしホシグライ達は判断を誤ったのではない。身体能力を数値化して比較すれば、ホシグライ五体分の方がマユよりも強いのは間違いないのだ。コンピューターでシミュレーションを行っても、入力したデータが数値的なものだけならホシグライ達の勝利を予測するだろう。

 だが現実には、マユが一方的にホシグライ達を圧倒していた。

 この力の差は何から生まれているのか? それは『経験』だ。マユはこれまで幾度となくホシグライを共食いしてきている。言い換えれば、何万回もの戦いを繰り広げてきたという事。危うく死に掛けた事も一度や二度ではなく、自分より強い相手からおめおめと逃げ出した事もある。ホシグライだけではなく文明を相手に戦った事もあり、その数は十や百では到底足りない。

 無謀な戦いを幾度となく繰り返した。それは命を危険に晒す行いであり、決して適応的な行動ではない。だが辛うじて生き延びれば……『安全』な生き方をしているホシグライでは、どう足掻いても届かないほどの経験が得られる。

 この戦闘経験の差が重要だ。どう動けば隙が生じるか、隙を見せると敵はどう動くのか。それを理解しているのとしていないのとでは、動きが全く違う。経験が未熟なホシグライは一々考えて動かなければならないが、身体に経験が叩き込まれているマユは無意識のように動けるのだ。

 いくら数が多かろうと、一手以上遅い相手を流すのは難しくない。だからこそデータ的には圧倒されている相手を、マユは一方的に蹂躙する事が出来ている。


【ギギャギリリリリリリィィ!】


【ギャギュッ!?】


 更にもう一体のホシグライを、マユは四本の腕で掴む。暴れるホシグライであるが、体格で勝るマユを振り解く事は出来ず。

 マユは素早く持つ位置を変え、ホシグライの身体を一気に

 さながらヒトが雑巾を絞る時のように、ホシグライの身体を捻じ曲げたのだ。もしも此処に空気があれば、ホシグライの身体を支える骨格血管の粉砕される音がボキボキと聞こえてきただろう。砕けた血管の欠片が体組織と臓器を傷付け、体内をズタズタに引き裂く。

 生命力の強いホシグライは、このぐらいの傷では死なない。いずれ傷は再生する。だが高等化した身体は即座に直せるほど単純ではなく、機能を取り戻すには少々時間が必要だ。

 一定時間とはいえ、戦闘不能の個体を出した。これで二体目。五対一の状況が今では三対一まで改善している。未だ数的不利ではあるものの、ここまで数が減れば纏めて潰す事は可能だ。


【ギギャリリリリリリリリリ!】


 勝利を確信し、マユは猛々しい雄叫びを上げる。悶え苦しむほどの食欲があるため油断などしないが、勝てる戦いなのだから面倒な策など不要。食欲の赴くまま、ホシグライ達を喰おうとした。

 実際、これまでの『経験』通りであればそれで問題はなかった。この状況からホシグライが勝つ方法はない。

 だが此度の相手は群れ。マユは群れとの戦いなど、文明以外にした事がなかった。全く未経験という訳ではないが、本来単独行動をするホシグライと文明の戦い方はまるで違う。故に文明が使ってきた手口を思い出し、目の前のホシグライが使ってくるとは、すぐには思い付かない。

 尤も、仮に思い付いたところで、咄嗟に動けなければ意味がない。


【ギャギュウゥウウイィイイイ!】


【ギャギャギギギギィ!】


 自分が食い千切り、握り潰した二体のホシグライが背後から跳び付いてきた時、即座に避けるという行動に移るのはマユであっても困難だった。


【ギャギュギ?】


 そもそもマユにはこの行動の意味が分からない。確かに二体のホシグライが動き、襲い掛かってきた事は驚きである。だがそれでどうなるのか? ちょっと腕を振り回せば、この二体を今度こそ粉々に出来る。この行動に、狩りをする上での戦略的な意味を見出せない。

 それでも「何をするか分からない」ため、マユはすぐさま二体を殴り飛ばそうとする。混乱した時間は一秒にも満たない短いもの。マユの判断速度は決して遅くない。

 だがくっついてきた二体にとってはこれで十分。

 ホシグライ二体は体内の蓄熱器官から熱を取り出す。これ自体は普段の、生命活動を行う上で日頃からしている生理作用に過ぎず、また意図的に入出力量をコントロール出来るものではない。しかしこのホシグライの群れは、特殊な『技』を持っていた。筋繊維を意図的に凝縮させ、熱を一ヶ所に集める事で身体が『熱量不足』に陥っていると錯覚させる。これにより蓄熱器官から大量の熱を放出させ、一定量の熱が溜まったところで筋繊維を開放。すると大量の熱により体組織が加熱。大量の熱は身体の水分を気化させ、その圧力で身体は膨張していき――――

 ついに爆発する。

 即ち、自爆である。紅蓮に輝く熱波と肉片が、至近距離でマユに襲い掛かった。

 ただの爆発程度であれば、ホシグライが持つ電磁シールドや鏡面膜の働きにより殆ど通じない。だが今回炸裂したのはホシグライの体内に秘められた、恒星に匹敵する巨大エネルギー。これを至近距離、しかもホシグライの身体という小さな範囲で凝縮した状態で放った。例えツイノアクマ相手でも十分通じる。


【ギャギュィイ!?】


 これにはマユも大いに驚く。ダメージの大きさもだが、自爆という行為自体に驚愕してしまう。

 今まで何万ものホシグライを喰ってきたが、自爆する個体など出会った事もない。当然だ。自爆なんて真似をすれば、相手にダメージは与えられても、自分も大きな怪我を負ってしまう。むしろ自分の方が損傷は大きい。一対一でやっても意味がない。

 しかしこのホシグライ達は群れである。一対一ではなく一対多。そのため『自分』が戦闘不能の大怪我を負っても、仲間が戦いを続けてくれる。自爆が有効な戦術となるのだ。

 無論、だからといって自爆は簡単に選択出来るものではない。自爆すれば自分の身体が大きく傷付き、場合によっては死んでしまう。死ななくとも行動不能になれば、敵が攻撃した時に防御不能なため簡単に殺されてしまう。そして自分が死んだら、自分の子孫を残せない。普通「自身の命を大事にする」方がより多くの子孫を残せるのだから、自爆というのは進化的に本末転倒な方法だ。

 されどホシグライの群れであれば、少し事情が異なる。

 ホシグライは基本的に単為生殖であり、子供と親の遺伝子は全く同じだ。言い換えれば。勿論姉妹や孫も同じ遺伝子なので、遺伝子で見れば『自分』である。つまり自爆により自身が死んだとしても、その結果親や子、姉妹が生き残れば、自分の遺伝子を増やす事が出来る。極論だが、一体の死によって獲物が得られ、二体の子が産めるのなら、子孫繁栄という意味ではお得である。

 マユもホシグライ二体の自爆を受け、大きなダメージを受けた。腕が一本千切れ、胴体には穴が開く。穴からは大量の体液が溢れ出している。尾もボロボロで、噴射口も片側の二つが欠けてしまった。

 何より致命的なのが、脳の損傷だ。マユの頭は欠けた状態となり、脳が二割近く損壊している。


【ギ、ギギ、ギ……】


 唸るような鳴き声は本能的に出したもの。しかし脳が欠損しては、身体は上手く動かせない。目から入る情報を処理していたのも脳なのだから、自分の見ている光景の『意味』も分からなくなる。そして知識も経験も脳に詰まっている以上、この状況への適切な判断など出来っこない。


【リュリュリリリリリリ……!】


【ギャリュィイィイィィィ……!】


 痙攣するばかりとなったマユに、三体のホシグライが近付いてくる。仲間の死を悲しむ様子もなければ、怒りに震えるでもない。ただ、獲物を仕留められる嬉しさを滲ませる。

 何分自爆したのは『自分』だ。それを悲しむ必要などない。それにマユを喰えば、莫大な熱エネルギーと水素を得られる。これらを糧にすれば、新世代を二体産み落とす事は難しくない。

 脳を欠損したホシグライは最早死に体だ。恐れる必要はないと、ホシグライ達は一気に近付く。

 彼女達の判断は正しい。事実ホシグライは脳を失えば、もう殆ど動けない。肉塊を前にしてびくびくしている個体より、それを無警戒にさっと奪い取る個体の方が適応的だ。過度の警戒心は、生きる上で都合が良いとは言えないのである。

 そう、本来ならば。

 されど此度の相手はホシグライではなくツイノアクマ。ホシグライの亜種である彼女達に、ホシグライの常識が必ずしも通じるとは限らない。

 例えば、本来ならば再生しない脳が一気に修復し、最低限の思考力を取り戻すなど、ホシグライではあり得ない事だ。


【ギュ? ギュギョガ!?】


 剥き出しの脳が治っている。その事に気付いたホシグライがいたが、逃げ出す前にマユの腕が動く。

 隙だらけの顔面を正面から握り、そのまま圧迫。自爆のダメージがありボロボロとはいえ、圧倒的な巨体はホシグライを上回るパワーを持つ。掴んだホシグライの顔面を、マユはいとも容易く握り潰す。顔面だけでなく脳も一緒に潰され、そのホシグライはぴくぴくと痙攣するだけとなった。

 もう動けない筈の獲物に、仲間がまた一体殺された。予想だにしていない事態に残り二体のホシグライは硬直してしまう。また知能があるがために、逃げるべきか戦うべきか、『迷い』が生じてしまった。

 一切の躊躇いなく逃げ出せば、一体は逃げ果せる事も出来ただろう。しかし迷ってしまった事で、そのチャンスさえもふいにしてしまう。


【ギャギュリリリリリリリリリ!】


 再生途中の身体を、マユは一切躊躇なく振るう。

 治りつつあるとはいえ、未だ自爆を受けた際のダメージは残っている。体組織はボロボロの状態で、力強く振るうと繊維が千切れてしまう。しかしマユの身体は損傷する傍から再生。完全に千切れる事だけは防ぎ、ホシグライの喉を掴む。

 後はそのまま握り潰せば、ホシグライの頭と胴体は離れ離れだ。

 最後の一体となったところで、残るホシグライは逃げるために身を翻す。だが既に手遅れ。マユは大きく口を開け、逃げるホシグライの尾に噛み付く。ホシグライは最大出力の亜光速粒子ジェットを噴射し、これはマユの身体を直撃。傷跡を焼いていくが、致命的なダメージには至らない。

 一旦動きを止めた後、三本の腕でマユはホシグライを引き寄せる。


【ギギギ、ギャアアアアアアアア!】


 捕まり、寄せられたホシグライは口から赤外線レーザーをマユに放つ。顔面に当たったそれは、まだ治りかけの脳を再び破壊。

 本来ならば致命的な傷だ。だがマユの傷口はぶくぶくと泡立つように蠢き、再生していく。もう一度赤外線レーザーをとホシグライは口を開けたが、今度はその開いた口にマユの手が突っ込まれた。そして赤外線レーザーを放つ、核熱結晶を掴む。


【クキャキャキャキャ!】


 マユは笑いながら、その結晶を引っこ抜く。

 結晶に付着した肉が剥がれ、ホシグライは口から血を吐いた。致命傷ではないが、大量出血を伴う大きな傷。ホシグライにも痛覚はあり、痛みから頭を激しく振り回すが、マユはこれをじっと見つめ……

 正確に狙いを付けて、再び腕を伸ばす。ホシグライが冷静なら回避も出来ただろうが、パニック状態故に何も出来ない。マユの腕は核熱結晶が引き抜かれた事で出来た傷跡に突っ込まれ、体内奥深くへと侵入する。

 そのまま指を広げ、拳をぐるんと半回転させれば、それだけでホシグライの体内は切り裂かれる。しかも一回だけではない。反対に回したり奥に進んでまた回したり、十回以上腕を回して切り裂いていく。

 執拗に体内を損傷させれば、大量の傷跡から体液が溢れ出す。大量出血はホシグライにとっても致命傷だ。ホシグライの体内では細胞が活発に分裂し、失った体液を補充しようとするが、マユが与えた傷から漏れ出す量はそれを遥かに上回る。


【ギ……キ……ィ……………ィ……】


 じたばたと腕を振り回していられたのは、一分に満たない時間。やがてホシグライの身体から力は抜けて動かなくなる。

 『死』の定義は一概に言えるものではないが、最早再起する事は出来ない状態という意味では、ホシグライはもう死んでいた。


【ギュウウゥウウウウギギギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!】


 一対五という戦力差を覆し、マユは勝利した。勝利の咆哮が電磁波の形となり、周囲数万光年に広がっていく。

 正に圧倒的な強さであったが、疑問の残る勝利でもある。

 どうして彼女は脳が損傷しても平気だったのか? 脳の損傷はホシグライにとっても致命的なもの。ツイノアクマは遺伝的変異から生理機能がホシグライとは多少違うが、身体の基本的な部分は同じだ。マユの身体も、ホシグライと大きく異なる訳ではない。

 ならばどうして彼女は脳を再生出来たのか。それは、ツイノアクマの細胞には僅かながら全能性が備わっているからだ。

 全能性とは、細胞が他の細胞に変化する能力の事を言う。高等な生物は細胞をある機能に特化させる事で優れた能力を発揮しているが、こういった細胞からは全能性が失われやすい(ヒトで例えれば心臓の細胞は心臓にしかなれず、骨の細胞は骨にしかならない)。エネルギーコストの問題やガンの抑制など、その方が生存上得だからである。

 ホシグライも幼少期までは多少の全能性を持つが、成体になるとこれは失われる。繁殖にエネルギーを費やすため、一個一個の細胞の能力コストを下げるためだ。しかしツイノアクマではこの全能性の喪失が起こらず、どの部位からも身体が再生する。その性能はホシグライであれば致命傷となる、脳や神経系への損傷も回復可能なほど。

 このため多少無茶な攻撃や防御、そしてカウンターが行える。出来る事が多ければ、身体能力が互角の相手でも優位な立ち振る舞いが可能だ。戦闘を行う上で極めて有利な形質であり、これがツイノアクマの圧倒的な生存能力に結び付いている。


【キャリュリュリュリリリリリリリリリリリリリッ!】


 身体の再生を完了させると、マユは躯となったホシグライ達を喰う。再生と戦闘で消費したエネルギーを回復させるため、何より満たされない空腹を僅かでも和らげるために。邪魔するものはもう何処にもいない。恒星数個分が数十時間放つ量に匹敵する、莫大なエネルギーを腹に溜め込む。

 けれども五体全てを喰ったところで、彼女は満たされない。


【キュアアアアアアアアアアアアアア!】


 猛々しい雄叫びを上げながら、マユはすぐに次の獲物を探し始めるのだった。

 ……このように、ツイノアクマは非常に強力な生命体だ。生存能力に長けていると言っても良い。事実ホシグライ達を次々に駆逐し、その個体数は着実に増えている。通常の生物進化であれば、エネルギー消費の多さから個体の総数は減ったとしても、ホシグライの新たな形質として定着するだろう。

 しかしツイノアクマが『繁栄』する事は決してない。

 その理由は、彼女達にはからだ。厳密には理論上繁殖可能な状態にはなれるが、現実的には不可能なのである。

 何故繁殖能力がないのか。原因は、彼女がこれまで見せてきた強さの根源である変異……モウティアーゼ合成能力の欠陥にある。モウティアーゼが様々な物質合成に関わる事はこれまで幾度と説明したが、最も合成優先順位が低い物質についてはまだ語っていない。

 その物質は、性成熟ホルモンだ。

 モウティアーゼが何故性成熟ホルモンの合成を優先しないのか。理由は身体の成長を優先するため。性成熟ホルモンが十分に分泌されて卵巣が発達すると、幼体の保育に多くのエネルギーと資源を使う事となる。小さな身体では大きな幼体を育てる事は困難であるし、エネルギーの消費量によっては自分の命を危険に晒す。また共食いの成功率も、身体が大きい方が高い。まずはしっかり成長し、それから生殖器を成長させるのが合理的だ。

 成長のコントロール方法は、まず生殖器官卵巣含めた全ての臓器から成長ホルモンが分泌される。これにより体細胞が積極的に分裂し、身体は徐々に巨大化。身体が大きくなるとその分表皮も肥大化するので、コラーゲン合成が優先される。このため性成熟ホルモンは分泌されない。

 性成熟ホルモンがないと卵巣は成熟を始めないため、大きくなる事はない。成長ホルモンも分泌し続ける。しかし他の臓器は性成熟と関係なく肥大化し、十分な大きさになるのと同時に成長ホルモンの分泌を止める。体長九百メートル以上になると卵巣以外の臓器は成長を終えるためホルモン分泌が停止。卵巣からは成長ホルモンが出続けるため成長自体はするものの、その速さは著しく低下する。

 成長が鈍化するという事は、表皮の増加も緩やかになる。コラーゲン合成量は少量で良くなり、次に優先度の高いアルコール合成を率先して行う。このアルコール合成は十分な餌が取れている事、それにより血中酢酸濃度が増加している必要がある。

 そしてこのアルコールの多くは食欲の抑制ホルモンとして使われるが、一部が性成熟ホルモンの材料となる。

 アルコールを材料とする合成プロセスには、栄養条件が良い時だけ性成熟が進むという利点がある。他の成分を使っている場合、栄養が足りなくても卵巣だけが育ち、身体が十分な大きさではないのに妊娠してしまう可能性があるからだ。身体の成長に合わせて卵巣を大きくするためにも、『満腹』が卵巣成熟の合図である事が好ましい。

 そして卵巣が十分に発達すると、今度は性成熟ホルモンが繁殖ホルモンへと変化。栄養条件が十分な状態で多量に分泌され、卵巣に排卵と妊娠を促す……こういった流れを辿り、ホシグライの性成熟と妊娠は完了する。

 しかしツイノアクマはこの仕組みが上手く働かない。

 βモウティアーゼはコラーゲンすら満足に作れないほど非効率な酵素だ。コラーゲンが足りないため満腹感をコントロールするアルコールが作られず、アルコールがないため性成熟ホルモンが作られない。性成熟ホルモンがないため卵巣が育たず、繁殖能力が持てないのだ。そして卵巣が育たないために成長ホルモンの分泌が止まらず、身体は延々と大きくなる。身体の成長が止まらないためコラーゲンを大量に作らなければならないが、やはりコラーゲンは十分な量を用意出来ない。だから満腹感が得られず、アルコールがないので性成熟が進まず……負の連鎖が何時までも続く。

 理論上は、性成熟ホルモンを身体に注射すればツイノアクも繁殖能力は持てる。卵巣自体は問題なく機能しているからだ。しかしそのような文明的治療を彼女達は会得していない。これからも会得する事はない。知能がどれほど高くとも、ツイノアクマもホシグライも、社会を形成せず、文明を持たないのだから。

 繁殖する事もなく、ただただ種族と環境を破壊する『真の悪魔』。それでいて形質があまりにも戦闘に特化しているがために、誰にも倒せない。変異個体が生まれる度に数を増やし、ホシグライという種を追い込む。マユも死ぬまでホシグライを襲い、殺し、自らを生んだ種を絶滅に向かわせる。

 されどこんな事は彼女達には関係ない。種の衰退も、自身の繁殖能力の有無も、ツイノアクマの行動を変える力とはなり得ない。

 彼女達は身体から湧き上がる衝動に従い、一個の命として、ありのまま生きているのだから……

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