ツイノアクマ3

ツイノアクマ3

 マユが親を殺し、独り立ちしてから五十年の月日が流れた。

 マユはこの五十年間、ずっと何も食べていない。恒星が近くになく、また付近に獲物共食い対象となるホシグライが見付からなかったからだ。とはいえ彼女が覚える空腹感は酵素異常に伴うホルモン不足が原因である。共食いの甲斐もあって栄養状態は極めて良好。身体はしっかり成長していた。

 今やマユの体長は六百メートルに達し、誕生時の倍になっている。筋肉も発達し、極めて屈強な身体付きへと変貌していた。コラーゲン不足から皮膚は更に大きく捲れ上がり、鱗が棘のように反り立つ。

 五十年で六百メートルにもなれたのは、十分なエネルギーと物質を持っていたため。しかしそれを差し引いても、普通のホシグライはここまで速く成長する事はない。同じ条件でも、精々四百メートルが限度だろう。

 何故マユは一般的なホシグライの幼体よりも成長著しいのか。これにも遺伝子異常による、モウティアーゼ遺伝子の変性が原因だ。

 反応が遅いβモウティアーゼを使っているため、ツイノアクマはコラーゲンやアルコールをあまり生成出来ない。これらの物質が生理上どれだけ重要であるかは先の観察通りであるが、見方を変えてみると、事が分かるだろう。むしろ合成や分解で多くのエネルギーや物質を使うため、成長に関して言えば、むしろ抑制要因である。

 またアルコールに至っては、ホルモンとして使用された後は速やかに分解される。作っては分解、作っては分解の繰り返しだ。勿論空腹感のコントロールという、極めて重要な役割があるため決して無駄ではない。しかし身体の成長という一点から見れば、大きな労力を割かれるだけの反応なのは違いない。

 コラーゲンや酢酸を作らない分、その労力を身体の成長に費やせる。これは量としては微々たるものだが、五十年も積み重ねれば、二百メートル分の体格差を生むのだ。

 大きな身体は、それだけでツイノアクマが生きる上で得だ。身体が小さければ、飢えた他のホシグライに襲われる可能性が高くなる。またツイノアクマは絶え間ない空腹感によるストレスで、母殺しのような無謀な狩りをついついやってしまう。出産直後の母親のように疲弊しているなら兎も角、そこらを飛んでいる個体は基本無傷のため非常に手強い。身体が大きければ、その無謀な戦いにも勝ち目が出てくる。

 ……勿論、大きな相手とは出会わないに越した事はないが。マユがここまで生きてこられたのも、自分より大きなホシグライに遭遇しなかったのが一番の要因だ。


【キュプリュリュウゥウウウウウ……!】


 幸運なマユであるが、しかし今の彼女は極めて不機嫌だ。理由は、絶え間ない空腹感にある。五十年間も飢え死に寸前のような空腹をずっと感じているのだ。機嫌が悪くなるのは当然と言えよう。

 なんでも良いから食べたい。そう考えているマユは、一つの恒星系に狙いを定めて進んでいた。

 ツイノアクマは空腹感により共食いも躊躇わない状態であるが、決して積極的にホシグライを殺したい訳ではない。あくまで空腹が癒えない所為で、というだけだ。近くに恒星があるなら、ホシグライと同じように恒星を喰う。というより体質的にホシグライと同じく恒星を喰うのに特化した身体であるため、本来の『主食』はあくまでも恒星だ。

 ……ただ、恒星を優先しようとも思っていない。

 要は大きな、ツイノアクマの代謝を補える程度のエネルギーがあれば良い。エネルギーがあるのなら、それがホシグライだろうが恒星だろうが、でも構わないのだ。


【クキュリュ?】


 マユの目は、恒星とは別に存在する『光』を感知する。

 それは恒星ほど強い輝きではない。百メートル級の小惑星ぐらいの明るさだ。また発する電磁波の種類も恒星とは違う。けれども距離がほんの六億五千万キロ程度と、最寄りの恒星と比べかなり近い。

 巨大な身体を持つマユは飛行能力にも優れる。最大巡航速度は秒速二万キロを超えており、発見した光までほんの三万二千五百秒……九時間ちょっとあれば辿り着く。狙っていた恒星への道中というのも都合が良い。

 何か、珍しい性質の惑星や恒星だろうか。なんにせよ腹の足しぐらいにはなるかも知れない。そう考えたマユは、光のある先へと進路を調整。一直線に向かう。何もない宇宙空間を進むのに支障はなく、予定通りの時間で距離を詰める。

 ――――マユが向かった先にあったのは、巨大な建造物だった。

 全長七万五千メートルと、マユよりも遥かに巨大だ。球形をしており、金属の装甲で覆われている。無数のライトのようなものが点滅しており、今も『稼働中』である事が窺い知れた。

 球体の周りには無数の小さな機械(これも球形をしている)が浮遊し、球体周辺を等速で巡回している。護衛用の機械のようだ。小さいといっても機械の大きさは百メートル近くあり、砲台状の突起が備え付けられている。ここから放たれる攻撃が非常に強力である事は、言うまでもない。

 極めて高度なテクノロジーで生み出された機械であり、文明の産物だ。

 マユには知る由もないが、これはとある文明が生み出した『人工惑星』である。勿論作ったのはヒトではないので、正確には『人工』ではないが、知的生命体が作ったものという意味でそう表現しよう。

 これは惑星とは別の生活拠点であり、星系外へ進出する上での中継地点として使われていた。そしてこれほど巨大で高度なテクノロジーであれば、中では莫大なエネルギーが生み出され、使われている。具体的には恒星と同様の……そして恒星よりも遥かに効率的な方式を採用した……核融合炉だ。小惑星や彗星、または宇宙空間を漂う僅かな水素を回収し、これを燃料として使用する事で長期間稼働を可能としている。

 人工惑星は電磁波を遮断する装甲で出来ており、非常に弱いエネルギーしか発していない。故に単純なエネルギーの強弱で餌かどうかを判断する、本能で動く生命体相手なら自らの存在を誤魔化せただろう。

 しかしマユには知能がある。僅かだが放たれている電磁波は赤外線……熱の割合が非常に大きい。これは大きなエネルギーを消費し、その変換過程で熱が生じた証だと見抜く事が出来た。何より直径七万五千メートルもあるのに、。自らの存在を隠す事に注力し過ぎて、肉眼で見える位置まで近付いた時の不自然さが増していた。

 中にはどれほどのエネルギーがあるのか。抑えられない食欲が、癒える事のない空腹が、どんどん湧いてくる。


【キャュウゥイイイイイイイイイ!】


 襲い掛かる事を決意するのに、二秒も掛からない。自分よりも遥かに巨大な文明の産物に、マユは一切躊躇わずに突撃する。

 マユが突撃すると、これを攻撃行動と受け取ったのだろう。人工惑星周辺を飛んでいた小さな機械こと『攻撃衛星』が動き出す。人工惑星と比べれば小さなものだが、優に百メートルはある代物だ。巨大な戦闘艦であり、先端から撃ち出されるレーザーは数百メートル級の小惑星も容易く破壊する威力を持つ。

 だがツイノアクマには通じない。

 ホシグライと同様の性質を持つ表皮細胞の鏡面膜が、電磁波の集まりであるレーザーを反射・無効化する。人工惑星を運用する高度文明にとってもレーザーの無効化は想定内なのか、即座に実弾とミサイルを発射。これらの攻撃は物理攻撃であるため鏡面膜も破壊出来るが、そのすぐ下にある電磁シールドによって奥まで届く事は防ぐ。

 直径七万メートルを超える巨大な機械でも、ツイノアクマは止められない。このままマユは人工惑星に肉薄し、装甲を破壊して何もかも奪い尽くす……マユ自身もそうなる事を疑いもしていなかった。事実力の差は歴然としており、マユの敗北はあり得ない。

 人工惑星が起こした、一つの行動がなければ。

 人工惑星まであと五十万キロ。そこまでマユが肉薄した途端、人工惑星の装甲が次々と反転、裏側を見せ始めたのだ。突然の奇妙な行動であるが、空腹に苛まれているマユは気にも留めない。そのまま一気に接近を続けると、反転した人工惑星の装甲から電磁波が放たれる。レーザーと呼べるほど集束はしていないが出力自体は極めて強力な、金属程度なら瞬く間に溶かしてしまうほどのものだ。

 そして放たれた電磁波は、マユの口の中に飛び込んできた。


【キャキュ?】


 突然口の中にエネルギーが入り込んで、流石のマユも驚きを覚える。

 口内に電磁波を照射されたからといって、致命傷にはならない。口内の細胞も起源は表皮と同じであり、鏡面膜に覆われている。何より口の奥にはエネルギー吸収器官である核熱結晶がある。飛び込んできた電磁波は全て吸い尽くされ、マユの糧となった。

 更に人工惑星は装甲の一部が開き、中から

 一個二個ではなく、極めて大量の水素だ。これもまたホシグライツイノアクマにとって身体を作る材料となる、いわば食料のようなもの。これも核熱結晶の横にある穴から吸い込む。

 マユが距離を詰めた途端、人工惑星からエネルギーや物質が渡された。まるで降伏するかのような行動は、事実この人工惑星からの命乞いだった。

 そしてこの行動は、ホシグライ相手には有効である。

 この時代になると、高度に発展した知的文明の幾つかはホシグライとの『共存』を行っていた。共存といっても、実質的には貢物による隷属と言う方が正しいだろう。莫大なエネルギーを手渡す代わりに、文明の破壊を止めてもらうというものなのだから。とはいえ戦いを避け、結果的に滅亡を防いでいるのだから、一概に愚かな選択とは言えない。

 ホシグライは獰猛な生物ではあるが、同時に優れた知能も持っている。戦わずにエネルギーと資源を得られるのなら、そちらの方が得だと分かる程度には賢いのだ。相応の見返りがあるのであれば、文明を破壊しない事はなんら損ではない。むしろ恒星と違い、一回で食べ尽くしてしまう事がない相手は餌として魅力的だ。食事が用意出来なくなるまで守る事も一つの手だと考える。

 勿論ホシグライが満足するほどのエネルギーや資源を渡すには、相応に文明が発展していなければならない。単なる核融合技術だけでは足りず、恒星に匹敵する出力を生み出す巨大なものを建造する技術が必要だ。そこまでいって、尚且つホシグライの意図を理解する生物学、交渉の時間を稼ぐだけの軍事力も必要である。ハードルは極めて高いと言わざるを得ない。しかしテクノロジーさえあれば、ホシグライとの『付き合い』は可能なのだ。

 この人工惑星も、ホシグライという種をやり過ごす術を知っていた。大量のエネルギーと水素で追い返す事を、過去に何度かやっている。最初マユに対し攻撃してきたのは、電磁波と水素放出を行うための時間稼ぎ、それとあわよくば撃退しようという魂胆の下で行われた。普通のホシグライが相手であれば、この電磁波と水素によって見逃してくれただろう。

 だが、ツイノアクマには通じない。


【ギャキャリュリュリュリュリュリュウウウウウウウ!】


 雄叫びを上げながら、マユは人工惑星に再度突っ込む。

 ツイノアクマはどれだけ大量のエネルギーや水素を受け取ろうと、決して満腹にはならない。そこにある全てのものを食い尽くし、なおも全てを喰らうほど飢えている。生かしておけば次もある、等という合理的な考えは抱けない。今を生き残らなければ死んでしまうと思うほどの空腹なのに、未来を考えて食べ物を残すなんて

 人工惑星に乗る知的生命体達は驚いただろう。助かる筈の行動なのに、どうして襲われるのか。原因が分からず、故にマニュアルもない。いや、例え想定していたとしても、元より勝ち目のない相手である。逃げる以外にやれる事などある訳もない。


【ギャキャュィイイイイィィ!】


 マユは人工惑星に肉薄すると、大きく口を開き噛み付く。人工惑星は強固な電磁シールドと特殊合金装甲で守られ、隕石の衝突にも耐えるが……電磁シールド電磁波はツイノアクマにとって餌でしかない。頑強な装甲は表皮が傷付くぐらいの強さで噛み、溢れ出した電磁シールドで焼き切る。

 人工惑星内部の大気が溢れ出し、知的生命体達も宇宙に吸い出される。しかしマユにとって、体長二メートル近い有機物の塊など小惑星以下の『ゴミ』だ。彼等が持つ携行用銃器程度のエネルギーなど、気に留める価値すらない。

 装甲を突き破り、中心部で輝く核融合炉に到達。装甲によって隠されていた強力な電磁波、それと中性子線がマユの身体に降り注ぐ。恒星を髣髴とするエネルギーにマユはもう我慢が出来ない。


【カジュッ!】


 勢いよく核融合炉に噛み付き、核熱結晶を押し込む。

 核融合炉が持つ一億度もの熱が、核熱結晶を通じて一気にマユの体内に流れ込む。

 燃料である水素も吸い込む。急激な温度と圧力の低下により、核融合炉は稼働を停止してしまう。再稼働するには莫大な、高熱と圧力を生むだけのエネルギーが必要だが……そのエネルギーは核融合炉によって賄われていた。炉心が停止した以上、もう核融合は起こせない。

 一つの文明圏を維持するだけのエネルギーが消滅した事で、この人工惑星は『滅亡』する事となった。


【キャプププー】


 恒星に頼らない、数少ない文明の滅亡。しかしマユにとってそんな事は重要ではない。ほんの一時、食べている間だけでも空腹感を紛らわせる事が出来た。それだけが彼女にとっては考慮すべき事柄である。

 当然、この食事であっても彼女の空腹は癒えない。食事の『質』も『量』も彼女の満腹感には一切関わらないのだから。


【キュリュリューッ】


 人工惑星からエネルギーが得られなくなったところで、マユはこの場を離れる。

 後に残るのは、金属の残骸と化した文明の残渣だけだった。

 ……今し方マユが破壊したのは、文明の産物だけではない。

 ホシグライとの共存という、一つの関係性を破壊したのだ。これはホシグライという種族にとって大きな損である。何故なら生物進化の中で、共生というのは生き残り戦略の一つなのだから。

 もしも文明と共生する能力の高いホシグライが誕生し、その能力と相性の良い文明と出会えたなら、恒星に頼らない、長い目で見ればより繁栄に適した生き方をする個体群も存在出来ただろう。恒星を食べて生きる個体群が滅びても、ホシグライという種は文明と共に存続し続ける事も夢ではなかった。

 しかしマユ達ツイノアクマによって、共生しようとする文明も跡形もなく破壊されるとなれば、この生き方は成立しない。むしろ死に物狂いで戦い、少しでも勝利する確率を上げた方がマシだ。それどころか戦闘で文明内のエネルギーが枯渇していれば、それ以上ホシグライ達の破壊を受けない(餌としての魅力を失う)分、得ですらある。

 ホシグライに直接危害を加える事はしていない。だがそれでもツイノアクマの衝動的行動は、ホシグライという種が生きていくための『道』を、一つずつ塞いでいくようなものだ。

 しかし多くの生物は種のために生きているのではない。『自分』の生存、自分の遺伝子を増やすために生きている。そういった個体の方がより多くの子孫を残し、生き残りやすいがために。


【キャプアアアアアアー♪】


 種族の未来を閉ざしている事など知りもせず、マユは改めて恒星に向けて飛ぶのだった。

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