スターイーター4

 ナバゥ星系に限った話ではないが、大抵の恒星系に星間航行を行う生物はいない。

 それはスターイーターにとってライバルが存在しない事を意味する。餌を奪い合う生物はおらず、ましてや卵や幼体が食べられる事もない。小惑星を片っ端から食べていき、彗星を遠慮なく貪り……

 グリーとその子孫は僅か十万年で、個体数を五百兆体にまで増やしていた。

 ナバゥ星系の中心で輝く恒星の周りに、無数のスターイーターが泳いでいる。まるで巨大な魚影であるかのように纏まり、恒星をぐるぐると周回していた。

 群れるスターイーターは大きさが疎らだ。一メートルちょっとしかない小さな個体もいれば、二百メートルを優に超える巨大な個体もいる。大きさが全く違う彼女達であるが、喧嘩どころか威嚇すらせず、仲良く一緒に行動している。群れから離れる個体、また群れに加わる個体もいたが、どの個体もそれを邪魔もしなければ気にもしない。全てが自由であり、群れでありながら無秩序な集団となっている。

 そしてこの巨大かつ自由な群れの始祖であるグリーは、未だ生きていた。

 体長は二百二十メートルを超えるまで成長している。身体は大きく逞しくなり、全長に対する身体の比率も増した。それでも身体を一とした場合、尾の長さは二に匹敵するのだが。

 十万年と生きてきた身体であるが、未だ屈強な筋肉で覆われている。表皮は岩のようにゴツゴツとしているが、小皺など『老い』を感じさせる特徴は見られない。レンズ質の瞳にも殆ど傷はない。その外観は彼女のすぐ隣を泳ぐ二百二十メートル級の個体――――グリーの孫やひ孫に該当する個体と全くと言えるほど同じだった。

 誰よりも長い時間を生きた『最長老』でありながら、その肉体に老いは見られない。しかしこれはスターイーターとしては当然の事である。何故ならスターイーター達には寿命がない。所謂不老不死なのである。

 不老不死自体は、地球生命からしても珍しいものではない。例えばベニクラゲという刺胞動物クラゲの一種は、定期的に若返りを行う事で実質不老不死を成し遂げた生物として有名だ。また多くの単細胞生物にも寿命はない。分裂により増えていく単細胞生物には親と子の違いはなく、寿命があったら何処かの段階で死滅してしまう。

 そもそも寿命がある理由は、個体製造と維持コストの問題が大きい。ある程度大型かつ複雑な生物では、日々劣化していく身体を修復して長期間維持するよりも、新しい個体を生み出すコストの方が安くなる。そのため古い個体を捨て、新しい個体に更新していく方が得なのだ。

 他には世代を更新していく事で環境に適応する、そもそも寿命があっても生存上大きな問題はない(卵や精子を全て出した個体がその後どうなっても遺伝子の存続としてはどうでもいい)ので一度獲得したら失う淘汰が働かない、などの理由が挙げられる。

 しかしスターイーターは寿命を持つ事のメリットがあまりない。宇宙空間で起きる変化など恒星活動に伴う光の強弱ぐらいであり、自分達だけで構成された生態系にも変化は殆ど起きない。活動に必要なエネルギーは恒星から無尽蔵に得られるため、飢えや維持コストとは基本的には無縁。進化するにしても、世代を更新するよりも数を増やして突然変異の確率を上げた方が合理的だ。永遠の命に大きなメリットがある。

 結果として、スターイーターは老いないように進化した。多くの知的生命体が求めて止まない不老不死であるが、生物進化にとっては形質の一つに過ぎない。


【キュゥルゥゥー。キュウルゥゥー】


 『老体』ではないグリーは、他個体と同じ力強さで恒星の周りを泳ぐように飛ぶ。

 誰よりも長く生き、誰よりも老いていない彼女は、一見してどの個体よりも『群れ』のリーダーに相応しいだろう。

 ……ところがグリーは群れるスターイーターの中を、率いる訳でもなく一緒に泳ぐだけ。周りの個体も彼女を意識する素振りすら見せない。それも当然で、スターイーターにはそもそも『群れる』という性質はない。リーダーなどの社会的な階級は存在せず、だからといって仲間の行動に合わせて後を追うような習性もないのである。

 この群れは偶々出来ているだけ。グリーにとっても偶々仲間が隣にいるだけなので、率いる訳がなかった。

 勿論、偶々というのは「仲間を呼び集めた訳ではない」という意味だ。群れる『切っ掛け』自体はある。そしてそれは、間もなくグリーたちの下を訪れる。

 巨大な彗星だ。


【キュウウルルルルルー】


【キャルゥゥー】


 スターイーター達が騒ぐように鳴き始める。液体燃料の生成、それに伴う大量の熱を電磁波として放出するためだ。グリーも力強く鳴き、体内で液体燃料を溜め込む。

 そして頭上で輝く彗星に狙いを定めた。

 今回恒星に接近してきた彗星は、直径五十一キロもある極めて巨大なもの。惑星に落ちれば大量絶滅クラスの気候変動を引き起こす、破滅的な小惑星であるが……スターイーター達から見れば巨大な氷の塊であり、貴重な資源でしかない。

 彗星が恒星の近くまで迫ったところで、スターイーター達は一斉に動き出す。何百兆もの大群が彗星へ向けて飛んでいく様は、例え遠く離れた惑星、知的生命体が生息するナバゥ第三惑星からも確認出来た。尤も、スターイーター達は自分達の大移動が誰かに見られているかどうかなど、気にもしないが。

 重要なのはその彗星の資源を、如何に多く独占するか。

 群れの中で先頭を切っていくのは、グリー達成熟した成体達。巨大なジェット推進器官が青白い火を噴き、二百メートル以上ある個体を軽々と前に推し進めていく。その速度たるや、秒速百五十キロを優に超えていた。

 また屈強な肉体は防御力にも優れており、高々秒速一~二キロ程度の速度差ならば問題なく受け止められる。彗星との相対速度をゼロ付近まで落とす必要はなく、さながら墜落するような勢いで衝突しても問題はない。次々と成体達は隕石に張り付いていく。

 一旦密着すれば、後は表皮から吸収するだけ。

 だが、数が極めて多い。グリー達成体だけでも何十兆体もいて、たった五十キロちょっとしかない彗星などあっという間に覆い尽くす。包み込まれた彗星は瞬く間に吸収されていき、みるみるその姿を(勿論スターイーターに包み込まれているため見えないが)縮めていく。小さくなれば張り付ける個体の数も減るため、仲間同士の押し合いに負けした個体からぼろぼろと剥がれていった。

 この時、スターイーター同士の争いは殆ど起きない。

 スターイーターは群れる習性を持たないが、それと同時に仲間と争う習性もないのだ。理由は、基本的に同じ恒星系で生きる個体は家族であるから。ただし家族愛などという感情は持っていない。スターイーターは突然変異による変化を除けば、生まれてくる子は基本的に自分のコピー。勿論その子供が生んだ個体も、自分の姉妹に当たる個体も、その姉妹が生んだ子供も、自分と同じ遺伝子を持っている可能性が高い。つまり隣にいる個体は、九割以上の確率で『自分』と同じ遺伝子だ。これと喧嘩したところで、遺伝子的に見れば自分と喧嘩しているのと変わらない。「自分の遺伝子を少しでも多く残す」という観点に立った場合、『自分相手』を傷付けるのは決して適応的な行動ではないのだ。

 加えて食べ物にありつけなくても、殆ど問題はない。

 まず、彼女達のエネルギー源は有機物ではなく、離れた位置で輝く恒星である。恒星の輝きを身体で浴びる限り生命活動に必要なエネルギーは確保出来ていた。

 勿論エネルギーだけでは身体を維持出来ない。ジェットを使えば液体燃料を消費し、そのジェットで推進器官が傷付くので修復のための有機物も必要だ。これらが得られなければ、そのうち身体はボロボロになり、やはり生命活動は停止する。

 しかしこの点については、今や大した課題ではない。

 何故ならスターイーターは今やこの恒星系で大繁殖を遂げたのだから。彼女達が消費する液体燃料も、剥がれた推進器官の皮膚も、決してこの宇宙から消えた訳ではない。あくまでも体外に排出されただけ。つまり周辺の宙域を、微細な粒子状ではあるが漂っている。

 この粒子の雲に突っ込めば、それだけで有機物と水を得られる。何百兆もの個体が一斉に排泄する水と有機物だ。わざわざ彗星を死に物狂いで確保せずとも、生きていくだけなら十分。いや、むしろ彗星を求めて喧嘩した場合、身体が傷付くため不適応だろう。

 そして不老不死。老いない身体なのだから、繁殖のための資源を急いで掻き集める必要はない。ゆっくりじっくり、何万年でも費やして準備していけば良い。強いてリミットがあるとすればエネルギー源である恒星の寿命が尽きる時だが、それは遥か数十億年……非常に軽い恒星なら一千兆年も先の話である。慌てる必要など何処にもない。むしろ慌てて無茶をすれば、身体に強い負担が掛かり、生命活動を脅かす可能性が高い。

 宇宙的時間感覚、不老不死、大群、多様性の乏しさ。これら四つの要素の絡み合いが、スターイーターから争いの概念を退化させたのだ。


【キュ。キュルゥゥー】


 グリーも、自分が産み落とした子孫に押し出される形で彗星から剥がれたが、それをどうこう思う事はない。発達した神経系は多少感情も抱くが、ヒトの思考に翻訳すれば「まぁ、いいか」ぐらいの考えしか持たなかった。

 また、身体が未成熟故に速度が出せず、彗星に辿り着けなかった幼体達も大人しく引き下がる。本能的な衝動により彗星を追ったものの、消費した燃料などは成体達が排泄した分を吸収して賄った。有機物の量に至っては消費した分より多く得られている。

 成体が小惑星を食べ、幼体は成体の排泄物を食べる。ヒトなどの知的生命体からすると虐待の様相に見えるかも知れないが、成体から幼体まで満遍なく物資が行き渡る構造だ。弱い者でも必要最低限の食べ物は得られる、野生の世界からすれば極めて例外的な生活方式と言えよう。

 このようにスターイーターは平和的な暮らしをしている。実際、争いも何もない平和で穏健な日々(宇宙に日付の概念はないが)を過ごしていた。

 しかしあまりにも大群となった事で、子孫を残す速度は鈍化した。

 物資が平等に行き渡るという事は、個々が得られる有機物は微々たるものという事でもあるのだ。群れが大きくなれば、その分割量も膨大。例えば今回の彗星は、質量凡そ八百✕十の十五乗キロもの重さがある巨大なもの。しかしこれをスターイーター達の群れで割れば、一体当たり一トン程度しか得られない。実際には成体が殆ど喰ってしまうが、体長二百二十メートル超えのスターイーターは体重八万トン近くにまで達する。成体からしても満腹まで食べられるのはごく一部。成体も幼体も、死なない程度に腹を満たすだけで終わってしまう。これでは次世代に資源を割く余裕は中々出てこない。それでも新たな個体が生まれれば、更に一個体当たりの資源量は少なくなる。

 更に、ここまで群れが大きくなったという事は、それだけ多くの小惑星を食べてきた証でもある。いくら星系内にある小惑星の数が膨大とはいえ、無限にある訳ではない。グリー達は恒星付近を漂うものだけでなく、今や公転周期が十万年以下の小惑星も粗方食べ尽くした。新たな小惑星が次に飛んでくるのは、果たして何時になるのか……

 恒星が輝く限り、小惑星の飛来頻度が落ちても生存上の問題はない。けれども繁殖効率は大きく落ちた。これは遺伝子を多く残すという観点からすると、あまり適応的な状態とは言えない。

 このような環境になると、スターイーター達は普段の繁殖(以前グリーが見せた小さな卵の放出)とは異なる方法で仲間を増やす。そしてこの繁殖方法を行うのは、身体の成長が止まった成体だけ。

 例えばグリーもその一体である。


【……キュル、キュゥゥゥー】


 身体の中で起きた『異変』を感じ取り、グリーは唸るように鳴く。

 第二の繁殖方法を行う切っ掛けは二つ。一つは成体、つまり身体の成長が止まっている事。そしてもう一つは、大きなストレスが掛かる環境である事だ。

 ストレスといっても単純な不快感ではない。群れが大きくなると、視覚的に多くの情報……つまり仲間の姿や動きなど……が入ってくる。これにより情報処理を担う神経系の働きが活性化し、負荷の掛かった状態となる。短期間の負荷ならストレスはすぐ解消されるが、群れがあまりに巨大になると絶え間なく刺激され、強いストレスを感じる事となる。

 このストレスにより、神経系は急速に摩耗していく。神経系の細胞は自身の修復に必要な栄養を要求するため、ある種のホルモンを放出する。このホルモンは血管の細胞に働き掛け、血流を増やす働きを持つ。栄養自体は摩耗した神経細胞や古い体細胞などを再利用して得るため、どれだけ大量に要求しても飢餓などに見舞われる心配はいらない。

 しかしあまりに神経の摩耗が激しいと、ホルモンが過剰に放出。ホルモンの血中濃度が一定水準を超えると、周辺の血管だけではホルモンを消費しきれず、全身を巡るようになる。

 血管の細胞は、周りの細胞の栄養状態など加味しない。受け取ったホルモンに応じて、適切な反応を起こすだけ。このため周囲の細胞には、本来必要としていない栄養が大量に流れてくる。もしもその個体が幼体であれば、過剰な栄養分でも活発的に利用し、身体を成長させようとするだろう。その栄養は古い細胞を分解して得るため、増えた分だけ減っているので身体は大きくならないが。

 しかし成体の場合、身体はこれ以上大きくならず、また体脂肪や血糖の形で多くの栄養が溜め込まれている。このため細胞は減らず、増えようともしないため、個々の細胞に必要以上の栄養が送り込まれてしまう。過剰な栄養分は細胞にダメージを与えるため、すぐに排泄される。結果として血中の栄養分濃度は急激に上昇。

 この高栄養濃度血液は、最終的に卵巣へと辿り着く。卵巣は他の細胞と違い、繁殖のため常に多量の栄養を求めている。しかしそれでも全身から集められた過剰な栄養分をすぐには消化出来ず、一時的に高濃度の栄養に浸されてしまう。

 すると、卵の発育形態が変化する。

 小さな卵ではなく、大きな卵を作るようになるのだ。ただし『方針転換』はするが、卵の発育は進まない。身体を巡る栄養素は古い細胞などから捻出したもので、余力のある状態ではないからだ。

 卵の発育が進むのは、表皮から十分な量の有機物を摂取した時。つまり先程グリーが行ったような、小惑星に張り付いた状態での食事をしてからである。グリーの体内にある卵も今回取り込んだ栄養で急速に成長しており、その結果卵巣を圧迫。この刺激が彼女に呻きを上げさせた。

 そして卵が産卵可能な大きさまで育つのに必要な時間は、僅か五十六時間である。


【キュ、キュゥゥ……】


 無尽蔵の寿命を持つスターイーター達にとって、五十六時間などあっという間だ。小惑星が訪れるといった『イベント』が起こる事もなく、グリーは産卵の準備が整った。卵巣内には大きく育った卵がある。

 後は卵を外に出すだけ。しかしその出し方は、体長十メートルの時に行った『通常』の産卵とは異なる。

 まず、卵の大きさが違う。グリーが小さな時から行っていた通常産卵は直径一メートルの小さな卵を産んでいたが、今のグリーの卵巣にある卵は非常に大きな、直径四メートルはある代物だ。中には多量の栄養分が含まれており、また殻も分厚くて頑丈なものとなっている。

 大きな卵は、単純に個体数を増やす上ではあまり適応的ではない。一個の卵の生成に時間が掛かり、更には大量の栄養とエネルギーを注ぎ込む必要があるため多く作れないからだ。確実に幼体が育つ環境であれば、小さな卵をたくさん産んだ方が遥かにたくさんの子孫を残せるだろう。

 しかし幼体の生存率が低い環境であれば、一概に不利だとは言えない。特に天敵に食べられるからではなく、環境の厳しさに由来する生存率の低下であれば、大きな……丈夫で体力のある幼体の方が適応的だ。それこそ果てしない距離を行かねばならない、宇宙の果てへの旅路に向かうのなら尚更というもの。

 グリーの卵巣内に作られた卵は、かつての彼女と同じく遥か彼方で輝く恒星に向けて放つためのものだった。

 これはスターイーターの基本的な生存戦略である。仲間の数が少ないうちは、恒星の周りで小惑星を食べながら数をどんどん増やす。自身の遺伝子を増やしつつ、突然変異により少しでも多くの多様性を生み出すのが合理的だからだ。しかし仲間の数が増え、星系内の資源が乏しくなった段階になると、星系の外に子孫を向かわせる。これ以上数を増やすのが難しい星系内よりも、危険を承知で新天地に向かわせる方が、より多くの子孫を残せる可能性が高いためだ。

 では、どうやって星系の外に大きな卵 ― 普通の卵と区別するため今後は耐久卵と呼ぼう ― を送り込むのか?


【キュ、キュキュゥゥゥ……】


 グリーがそれを実演する。

 身体に力を込め、卵巣にある耐久卵を体表面まで移動。半分ほど体外に出た状態にする。普段の産卵であれば、このまま軽く押し出し宇宙空間を漂わせるところだが……今回グリーはまだ生み出さない。むしろ耐久卵の周りにある表皮が締まり、簡単には抜け出さないよう固定しておく。

 そしてその卵の下に、新たな器官が形成される。

 その器官の名は『電磁力放出器官』というもの。大きさ五十メートルにも達する巨大器官であり、これを耐久卵が体表面に出来た後に形成する。後から形成する理由は単純に、卵のすぐ下、つまり表皮と卵巣の間にあると卵が出る時に邪魔だから。とはいえこれだけ大きな器官を新しく作るとなれば、当然時間は掛かる。卵が表皮から出た状態から、電磁力放出器官が完成するまで凡そ三千三百時間が必要だ。

 ヒトからすれば百三十日以上の長期間であるが、数百年数千年単位で周回する小惑星を待つスターイーターからすれば、この程度の時間を『じれったい』と思う事はない。また卵の大きさが体長の五十分の一と小さく、動き回っても大した負担にはならない。何をするでもなく泳ぎ、小惑星が飛んでくれば向かう、普段通りの生活で器官が形成するまで待つ。

 行動が変化するのは電磁力放出器官が完成し、産卵促進ホルモンが分泌されるようになってから。


【……………】


 電磁力放出器官が完成し、ホルモンが全身を駆け巡ると、グリーは泳ぐ動きを止めた。群れを作る仲間達が先に進んでしまうが、単身その場に留まり続ける。元より群れは餌を追う過程で集まっただけのもの。逸れたところで危険はない。


【キュ、キュウゥルルルゥウウルルルウウウゥ……!】


 止まった後、グリーは全身の筋肉を激しく収縮。さながら痙攣するように震える。この動きの目的は筋肉の活動により、多量の熱を生み出す事だ。

 生成された熱は血液により運ばれ、電磁力放出器官へと送り込まれる。この器官は血液中の熱量を回収し、電磁波に変換するためのもの。これ自体は液体燃料生成器官も、酸素や水素を冷却する過程で行っているが……電磁力放出器官では変換した電磁波を大量に蓄積する性質もある。

 そうして電磁波を溜め込みながら、グリーは視力も働かせる。辺りを忙しなく見渡し、周囲の星空を確認。無数に煌めく一個一個の星、即ち恒星を観測していた。

 この観測により確認するのは、恒星までの距離、それと移動速度だ。

 計測には三角測量を用いる。具体的にはある目標までの距離を測ろうとする時、異なる二点から測定し、その時の角度から二等辺三角形、その二等辺三角形を分割した直角三角形を描く。直角三角形は底辺(この場合星の観測を行った二点を結んだ直線)と角度が分かっていれば、高さ(星までの直線距離)が算出可能だ。更に同じ座標で数回観測を行い、距離の変化を算出すれば星の平均速度も導き出せる。

 これはヒトが用いていた、比較的簡単な星の距離算出と同じやり方だ。地球は太陽の周りを公転しているため、季節毎に位置が異なる。公転軌道という大きな距離を用いる事で、巨大な二等辺三角形を描き、星までの距離を計算する事が出来るのだ。ただしこの方法は恒星までの距離が遠ければ遠いほど測量で得られる角度が小さくなり、観測技術が低いと誤差が非常に大きくなる事が欠点。つまり比較的近い距離の恒星にしか使えない。

 とはいえスターイーターの卵は精々六百万年の寿命しか持たず、このため六千光年程度の距離しか渡れない。遥か彼方で光る星よりも、計算可能な近くの星を狙うのが合理的だ。彼女達はあくまで繁殖のため星を計測するのであり、天文学を極めたい訳ではないのである。

 仮に観測結果が誤りで、狙いを外したとしても……それならそれで別の星系に辿り着くかも知れないので、

 目的地を定めたら、次の問題は、恒星に送り込むために十分な速度を与える事だ。六百万年も持つスターイーターの卵だが、言い換えれば六百万年以内に何処かの恒星に到着しなければ劣化により死んでしまう。恒星間の距離は短くとも数光年。十分な速度を得なければ、道半ばにすら達する事は出来ない。

 その速度を生み出すのが、電磁力放出器官だ。

 観測に費やした時間は凡そ六千時間。この間、グリーはずっと電磁波を溜め込んでいた。身体に疲労はない。筋肉を動かすエネルギーは全て、元を辿れば恒星が放つ光エネルギーを用いているのだから。言い換えれば、今の電磁力放出器官には六千時間分の恒星のエネルギーが詰め込まれているといっても過言ではない。

 この莫大なエネルギーが一定水準に達し、『新天地』の候補が見付かった時、いよいよ産卵を行う。


【キュ……】


 グリーはゆっくりと身体を傾けていく。

 今の彼女が狙いを付けたのは、三百六十六光年先で輝いている恒星の輝き。数多ある星の中で何故この恒星を選んだのかといえば、そこに大した理由はない。他にも産卵に適した、六千光年以内の星系は幾つもあるので、なんとなくランダムで選ばれた。

 あまりにも適当に思えるかも知れないが、しかし明白な選考基準があると他個体も同じ星に向けて卵を放つ可能性が高い。一個の星系に何個も卵を送り込むより、一つの星系に一個だけ卵を送り込む方が、利用出来る資源の量が多い(一気に複数星系を手中に収めるようなものだ)ためより多くの子孫を残せる。全てが無事辿り着く訳ではないとはいえ、ある程度は拡散していた方が適応的だ。

 無論、選び方は適当でも、発射までは適当にはしない。三角測量に得られた距離と星系の運動速度から、到達までの時間を予測。必要な速度から星系に辿り着く角度を算出し、身体の傾きで発射方向を調整する。三百六十六光年も離れた星への狙いだ。たった一度のズレでも、八光年は横に逸れてしまう。ある程度の一~二光年程度のズレであれば卵は感知し、孵化して微調整を行えるが、狙いが正確であればあるほど到着しやすいのは間違いない。

 正確に、繊細に、狙いを定めたら――――いよいよ電磁力放出器官が動き出す。


【キュルルルルルル!】


 グリーの大きな掛け声に合わせ、電磁力放出器官から膨大な電磁波が放たれた。しかも拡散するような放ち方ではない。膨大な電磁波をごく狭い範囲に集束させ、一定の方向性を以て放射する。そして電磁波とは本質的には光だ。

 つまり電磁波を束ねたものとは、レーザーである。

 スターイーターの祖先であるヒレナガウチュウサカナは、冷却目的であるが熱を電磁波に変換する機能を持っていた。この変換機能が進化・発展した事で、スターイーターは電磁力レーザー放出器官を獲得。大出力レーザーを撃ち出す事が出来るようになったのである。

 そしてこのレーザーを撃ち込む対象は、自分の卵。

 大切な卵をレーザーで撃つなど、異常な自滅行動に思えるかも知れない。だがスターイーターの耐久卵は殻が非常に分厚く、また光沢を帯びている事から分かるように光を反射する性質がある。このためレーザーで撃たれても焼ける心配はない。

 それどころかレーザーから受けた放射圧に押し出され、耐久卵はどんどん加速していく。

 強力な電磁波を推進力として進む。これはレーザー推進と呼ばれる方法だ。大出力レーザーという高度な『武装』が必要であり、また多量のエネルギーが必要というデメリットはあるものの、撃ち出される側……通常はロケット本体、スターイーターの場合は耐久卵を指す……自体に推力がいらないのは大きな利点だ。エネルギー消費の大きさというデメリットも、恒星から無尽蔵の光エネルギーを得ているスターイーターからすれば実質ないようなものだ。

 またレーザーを照射し続ける限り推進力を与えられるため、投擲よりも遥かに長い時間加速し続ける事が出来る。仮に祖先であるヒレナガウチュウサカナと同じく、全速力で飛んで投げた場合、スターイーターの成体でも秒速百五十キロ前後で飛ばすのが精いっぱい。しかしレーザーで延々と加速度を与える事で、秒速三百キロもの速さで耐久卵を撃ち出せる。これならより遠くの星にも辿り着ける。

 グリーが撃ち出した卵も、彼女が浴びせたレーザーにより秒速三百キロまで加速した。このまま星系の重力を易々と振り切り、新天地に向けて長い旅を行う。

 星系に向けて耐久卵を撃ったのはグリーだけではない。彼女が生み出した幾つもの子孫達が、次々とレーザーを放ち、卵を星系外に送り出す。誰もいない新天地へ、新たな世代が幾つも向かっていった。

 別星系に旅立った我が子達と、グリー達が出会う事はない。スターイーターは一度辿り着いた恒星から離れようとは考えず、離れるための能力もない。一生を生まれ育ったこの星で過ごす。

 そして星が燃料の全てを燃やし尽くして終わる時まで、命を繋ぎ続けるのだ。

 ……というのが、本来彼女達が想定している『生涯』である。想定といってもヒトのような人生設計などせず、あくまで種としてのライフサイクルがそうなっているだけ。恒星環境や宇宙の構造など何億年経っても殆ど変化もしないので、本来ならばこの生き方でなんの問題もなかった。

 だが実際には、この時期の宇宙には大きな変化があった。

 それが彼女達を『宇宙の悪魔』へと変えるのだと、この時は誰にも、彼女達自身にも知りようなどないのだが――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る