スターイーター3

 約九百年後、グリーは無事ナバゥ星系中心部付近まで辿り着いた。

 中心部付近といっても、まだ恒星から三億キロは離れた状態である。しかしこれだけ近付けば、スターイーターにとっては十分な近距離だ。

 目覚めたグリーは、いよいよ卵から孵化する。

 とはいえこれに大した苦労はない。卵の殻は丈夫なものだが、屈強な肉体まで育つスターイーターの幼体からすれば柔らかなものに過ぎない。


【ピキャアァアッ!】


 激しくヒレを動かし、殻を粉砕するようにして荒々しく外に出るグリー。ここから、いよいよスターイーターとして本格的に活動を行う。

 そして彼女のすぐ近くに、惑星が一つある。

 ナバゥ第四惑星だ。恒星から離れ過ぎているため、地表面は氷点下五十度以下となっており液体の水は存在出来ない。生物の姿はなく、荒れ果てた大地が広がるばかり。

 それでも直径九千キロの大きさを有する立派な惑星には違いない。

 その惑星は、グリーの目にも写っている。スターイーターの四つある目は非常に発達しており、数千万キロ離れた惑星を視認する事など造作もない。更に高度に発達した神経系を用いれば、この『至近距離』にある惑星の運行軌道を予測するにもなんら苦労しない。そして秒速五百キロで飛んでいる彼女にとって、高々三十キロ程度しかない惑星の動きなど簡単に追跡出来る。

 ナバゥ第四惑星を追う事は、グリーにとっては実に簡単な行いだ。


【ピャーッ!】


 ……簡単だが、グリーは見向きもしない。

 当然である。スターイーターという種名であるが、彼女達は星を直接食べるような真似はしない。

 というより、やろうにも出来ない。ヒレナガウチュウサカナから進化した彼女達は、祖先と同じく『口』を必要としなかった。このため口や消化器官はどんどん退化し、今ではすっかり失われている。もう口から食べ物を得る事はない。

 惑星にどれだけ資源があろうとも、スターイーターからすれば利用不可能なもの。そんなものに興味はない。勿論道中にあったもう一つの、知的生命体が繁殖している第三惑星も無視する。知能を持った生物がいようがいまいが、そんなのは彼女達にはどうでも良い事なのだから。

 スターイーターにとって重要なのは、主に二つ。

 一つは恒星から放たれる光だ。


【キュピュゥゥゥ……】


 恒星ナバゥに接近したグリーは、まずは減速を行う。秒速五百キロの速さは、卵時代の慣性によるもの。『日常生活』を始める前に自分に適したスピードまで落とさねばならない。

 それでも秒速五十キロ程度が所謂巡航速度だ。この速さで恒星の周りを飛び回り、その光を全身で浴びる。

 強力な電磁波を一身に受けると、グリーの身体に活力が漲ってきた。

 光エネルギーは表皮である黒い細胞が吸収し、活動のためのエネルギーとして使用する。また一部のエネルギーは体内にある水の分解に利用され、得られた水素(及び自由電子)は二酸化炭素と合成。炭水化物を生み出し、体組織の材料として用いる。アミノ酸やタンパク質などの合成も、この光エネルギーに頼る。

 祖先種であるヒレナガウチュウサカナと同じように、スターイーターも恒星の光を主要なエネルギー源としているのだ。細胞の代謝能力がより効率的に進化した事で、今では太陽に近い大きさの惑星ならば三千万〜四千万キロほどの距離まで近付いても生活出来る。莫大なエネルギーは四メートルもある巨躯を養い、飢えに苦しむ心配はない。膨大なエネルギーを利用出来る事で、液体燃料の大量生産と高圧縮も可能となり、これがヒレナガウチュウサカナよりも格段に速い飛行速度を生み出していた。

 しかし光だけでは身体を育てる栄養が得られない事は、祖先種と変わらない。

 二つ目に必要なのは、水などの物質である。しかしこれの入手は、ビギニング星系の時と違いかなり困難である。何しろ普通の星系はビギニング星系と違い、恒星周辺に生息する生物などいない。生物遺骸も排泄物もなく、身体の材料となる水や二酸化炭素、アンモニアは全く存在していない環境だ。精々、一立方メートル内に水素原子が一個か二個漂っているだけ。

 ただ生きるだけなら光エネルギーで十分、と言いたいところだが、恒星が放つ放射線の影響で身体を形成する物質自体がどんどん崩壊していく。また強力な重力で引き寄せてくる恒星に落ちないよう、絶え間なくジェットを噴射しなければならないが、液体燃料の生成には水が必要である。付け加えるとジェットにより傷付いた噴射口の再生にも物資は必要だ。

 この環境で生き抜くためには、積極的に餌を探さなければならない。グリーの本能もそれを理解している。では何を食べるのか?

 それは、である。


【……キュピャァーッ】


 恒星の光を浴び、十分なエネルギーを得たところでグリーは身を翻す。

 続いて、四つある瞳を用い周囲を探り始めた。

 スターイーターの目は頭の四方向を向いており、また地球生命である昆虫の複眼のように外に盛り上がった構造だ。目が飛び出している構造は防御面では欠点(攻撃が当たりやすい)になるが、代わりに死角なく全方位を見渡せるという利点もある。視力の優秀さもあって、近くで何かが横切れば見落とす事はない。

 それが直径数センチの流星であっても、だ。

 遥か数千キロ彼方を飛んでいるそれを、グリーは見逃さない。身体の向きを調整するため僅かにジェットを吹き、そして慣性を利用して飛んでいく。慣性を利用した飛行であれば、物資は殆ど消費しない。更に優秀な計算能力を用いれば、余計なジェットを使わない最短距離を導き出す事も簡単だ。

 数センチの塵の下に辿り着いたら、身体を塵に押し付ける。すると表皮の細胞が蠢き、触れた塵を飲み込んでいく。

 このまま塵を体内に取り込み、中に含まれる成分を吸収。得られた元素を肝臓へと運び、分解・加工して生体内で必要な物質へと作り変える。塵の中には不要な物質(例えばケイ酸塩に含まれる珪素)も含まれているが、これらは肝臓で分別された後体液により表皮まで運ばれ、細胞内に蓄積。細胞はいずれ垢として剥がれ落ち、これを以て体外に排出する。

 これがスターイーターの食事・排泄方法である。

 塵の成分は主に水、または珪酸。ごく少量だがアンモニアや二酸化炭素も含まれている。これらの塵を食べれば多少なりと物資を補給出来るのだ。

 勿論こんな数センチの塵を一個二個食べたところで、誕生したばかりとはいえ体長四メートル近いグリーの腹(の中に消化器官はないが)を満たす事は出来ない。この塵を得るために僅かとはいえ液体燃料を消費した事を思えば、殆ど収穫はないと言えるだろう。

 しかしこの塵は大量に得られる。

 例えば地球の場合、重力に捕まり落ちてくる流星の数は一日に数兆個。これら一個一個は非常に小さいが、数が膨大だ。一日に落ちてくる流星の質量は一トンに迫る。

 ましてやスターイーターが住み着くのは、惑星よりも遥かに強い重力を持つ恒星。付近には重力に捕まった塵が無数に浮かんでいた。

 とはいえこれらの塵は、効率的な餌ではない。生まれたばかりの個体であるグリーでさえ体長四メートルもあり、対して塵は大きくても数センチ程度しかない。

 いくら慣性を利用するといっても、方向転換にはジェットを使う。数センチの塵程度では消費分を賄うのが精々。アンモニアから得られる窒素分など、全く『利益』がない訳ではないが微々たるものだ。身体が大きくなれば消費分の方が多くなるだろう。

 実際塵はおやつのようなもので、『主食』ではない。本当の餌が見付かるまでの時間稼ぎに食べているだけ。

 スターイーターが本当に求めているものは、塵よりも遥かに大きなもの。

 具体的には、彗星などの小惑星だ。

 これらもまた星系内では非常に豊富な資源である。ヒトからするとこうしたものは稀な存在に思えるかも知れないが、それは比較的ハッキリと見える彗星、或いは接近してくる小惑星しか知らないため。実際には彗星に限っても、年間数十個程度が太陽周辺までやってきている。小惑星全体で見れば総数は数百万個も存在しているのだ。

 ナバゥ星系でも同程度の数の小惑星が存在している。大きさは疎らであるが、数キロ程度の『大型』小惑星でも数十万は漂っていた。直径一キロ未満のものを含めれば数百万個はある。そのうちの幾つかは、今正に恒星に近付こうとしていた。

 これを見付けたスターイーターは、活発な行動を起こす。


【キャキャピィィィヤァーッ!】


 塵を食べながら待ち続けていたグリーも、その目で小惑星を発見するや身を翻し、小惑星がある方へと飛んでいく。

 発見した小惑星は直径十五メートルの小さなもの。小惑星の成分はものによって大きく異なるが、七割以上を占めるC型小惑星には有機物や水が多く含まれている。グリーが見付けた小惑星もC型小惑星に分類され、それらの物質は豊富に含まれていた。

 早速、グリーはこの小惑星を食べようとする。

 スターイーターが食べる星とは、星系内を飛び交う小惑星の事である。彼女達にとってこれら小惑星に接近する事は難しくない。スターイーターの幼体が本気でジェットを噴射すれば、秒速百キロ近い速さを出せるのだ。高々秒速二十キロで動く小惑星を追うなどなんら苦労はない。そしてこれだけの速さがあれば、小惑星と衝突する心配もない。物体の運動エネルギーの大きさは相対的な、つまり相手との『速度差』により変化するからだ。秒速二十キロで接近する小惑星に対し、秒速十九・九九九キロで遠ざかれば、相対的な速度差は秒速一メートルとなる。これならヒト程度の丈夫さでも怪我など負わない。

 グリーは小惑星との距離を詰めると、ヒレにある合計八つのジェットを進行方向とは逆向きに噴射。徐々に減速していき、小惑星と速度を合わせる。ぶつかっても問題ない速度差まで落としたら、グリーは大きくヒレを広げて小惑星を包み込むようにして肉薄。長い尻尾も巻き付け、可能な限り広い範囲が小惑星と密着するようにする。これは皮膚から食物を取り込む性質上、より広い範囲が接していた方が短時間に大量の成分を吸収出来るからだ。

 食事方法は塵の時と変わらない。表皮に触れた部分を取り込み、皮膚組織で成分を吸収していく。しかし塵と違い小惑星はとても大きい。今グリーが食べようとしている小惑星も十五メートルと、グリー以上の大きさだ。これだけ大きければ身体を成長させるのに十分な量がある。

 取り込んだ成分を元に、タンパク質や炭水化物を合成。細胞分裂が起こり、身体はぐんぐんと成長していく。成長に必要な物質の合成には多量のエネルギーが必要で、しかも短時間で合成するには更に多量のエネルギーが必要だが……そうしたエネルギーは全て、恒星が放つ光が賄ってくれる。消費エネルギーの多さを気にする必要はない。

 十五メートルもある小惑星を三十時間掛けて貪り、グリーは体長九メートルまで成長する。自分の何倍も大きな小惑星を食べたのにたった五メートルしか成長しなかった、と思える結果だが……小惑星は種類にもよるが、大量の珪素が含まれている場合も多い。今回の小惑星も四十パーセントがケイ素で出来ていた。スターイーターは有機系生物であるため、珪素は生物体内で殆ど使われていない。七割や九割がケイ素という小惑星もあるので、むしろこの小惑星は当たりの部類である。

 ともあれ成長したグリーであるが、その身体には一つの変化が起きていた。

 それは身体の上側(背も腹もないので厳密には上下もないが)に大きな瘤のようなものが出来た事。

 瘤は少しずつ膨らみ、やがてぱっくりと裂ける。中から出てきたのは、直径一メートル程度しかない、けれども外観は間違いなくグリーの時と同じ――――卵だった。

 グリーは早くも産卵を行ったのだ。しかし生み出した卵は、グリーが生まれた卵よりもずっと小さい。

 この差はスターイーターの戦略である。スターイーターは恒星間を移動する卵と、普段産む卵の二種類を生み分ける。今回グリーが生んだのは普段産む卵。大きさは小さく、その分必要な資源が少ないので多くの子孫を生み出せる。小さいので恒星間移動が出来るほどの体力はないが、エネルギーが豊富な恒星周辺で生まれるならばあまりデメリットはないという訳だ。また身体が小さいうちは恒星からの放射線の影響が大きい ― 放射線が身体の奥にある卵巣まで届く ― ため、突然変異を起こしやすい。そのため多様性を確保しやすいという利点がある。

 多様性の確保なら他個体と交配すれば良いのではないか? そういう考えもあるだろう。実際スターイーターの祖先であるヒレナガウチュウサカナは、可能ならば有性生殖を行おうとする性質があった。有性生殖であれば突然変異よりも確実に、尚且つ安全に多様性を増やせる。

 しかしスターイーターはその手を使えない。

 グリーが此処ナバゥ星系を訪れた時のように、新たな星系にはたった一体でやって来るのがスターイーターの基本だ。無限に思えるほど広い宇宙の中で、いくら星々を渡るスターイーターといえども仲間と出会える可能性は殆どない。有性生殖を行うため相手を待っていたら、何百万年どころか何億年も待つかも知れないのだ。

 だからといって自分の子と有性生殖はしない。近親相姦になるから……等という曖昧なヒトの倫理観とは関係ない事だ。繁殖相手を見付けたのなら、生物は近親交配をなんら躊躇わない。子供の遺伝病のリスクが高まる云々など、

 スターイーターが近親交配を行わない理由は、単純に意味がないため。染色体内に二本で一対の遺伝情報を持つ地球生命と違い、スターイーターの起源であるビギニング星系の生物は遺伝情報であるCGIを一本しか持っていない。これでは天然の遺伝子組み換えである交叉も出来ず、単為生殖で生み出した子は親と全く同じ遺伝子にならざるを得ないのである。このような相手と交配しても多様性は得られない。むしろ繁殖行為にエネルギーや資源を使うので、勿体ないぐらいである。

 このため多様性は突然変異に頼るしかないのだ。幸いと言うべきか、ビギニング星系と異なり普通の星系では宇宙空間に生物などいない。生息環境や生態系が急激に変化する事は滅多になく、急いで多様性を確保しておく必要はない。どんどん単為生殖を行い、突然変異を期待する方が合理的である。


【キャキャピピピー】


 一個の卵を体外へと生み出したグリーは、世話もする事なくこの場を後にする。親が卵の世話をしたり、恒星から一定距離に辿り着くよう投げたりする事もしない。ビギニング星系と違い、天敵となる生物はいないのだ。餌だって小惑星がそこらにあるのだから、大事にする必要などない。

 それよりも次の小惑星を探し、新たな子孫を生み出す方が合理的だ。

 進化の中で洗練された本能の赴くままに、グリーは次の餌を求めて慣性飛行を続けるのだった。

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