スターイーター2

 スターイーターの生涯は、卵から始まる。

 広大な虚無が広がる宇宙空間に、一個の卵があった。

 卵は直径三メートルもある。楕円形をしており、視線の基準となる地面がない宇宙でこう言うのも妙だが、横倒しの状態で宇宙空間を進んでいた。表面は金属的な光沢を放つ黒色で、色のむらや凹凸は殆ど見られない。極めて整った形や色をしており、一見すると自然物・生物体ではなく人工物のような印象を受けるだろう。

 ましてやこの卵が秒速五百キロもの猛スピードで飛んでいると知れば、生物由来の代物だとは到底思えまい。

 秒速で動き回るのが当たり前な宇宙空間でも、これほどの速さで動くものは殆どない。小惑星や彗星の移動速度でさえ秒速二十キロ程度、太陽系などの星系も秒速二百キロ程度しかないのだ。銀河系が秒速六百キロ、一部特殊な(強力な重力源であるブラックホールに捕まっているなど)星系が秒速数千キロで移動しているが……三メートルもあるとはいえ、ブラックホールも何もない中、星と比べれば途轍もなく小さな物体がこれほどの速さを出すなどあまりにも『不自然』だ。

 尤も、自然かそうでないかの線引きなど知的生命体が勝手に引いているものだ。宇宙の法則の中で生まれた以上、例え文明が作り出したものでも『自然』の範疇である。

 ましてやこれはスターイーターの卵。天然の生命が生み出した存在であり、不自然なものではない。

 この卵を観察し、スターイーターの暮らしを見てみよう。

 彼女達は、宇宙を旅する事に特化した形質を持つ。それは卵であっても同じだ。例えば今正に観察しているこの卵――――実は産み落とされてから、既に三百万年が経過していた。

 これだけ長い間宇宙空間を漂っていると、普通の物質であれば劣化が進む。宇宙空間には恒星から放たれた放射線が飛び交っているからだ。これらの放射線は発生源である恒星から離れるほど薄まっていく ― 距離の二乗に反比例して弱まる ― ため、周りに星が何もない空間であれば量としては微々たるものだが……ゼロにはならないため、少しずつは浴びる事になる。放射線の高いエネルギーは分子を破壊し、少しずつ物性を変えていく。

 それは卵の殻だけでなく、中身である生物体も例外ではない。卵の殻を通り抜けた放射線は、中にいる生物の身体も破壊してしまう。生物というのは自己修復の仕組みがあり、また丈夫さも兼ね備えているが……何事にも限度はある。三百万年も浴び続ければ、普通の生命なら限界を数度は超えているだろう。

 しかしスターイーターの卵にとって、宇宙を飛び交う放射線は然程怖くない。

 何故なら殻に含まれている物質が、積極的に放射線を吸収するからだ。この物質……正確には多糖類の一種……は絡まった紐のような構造をしており、この絡まり部分に大量の水を保持している。水は恒星から放たれる強力な中性子線を遮蔽するのに、最も効果的な物質だ。またこの特殊な糖自体もX線などのエネルギー放射線を吸収し、熱として蓄積する性質を持っている。中身である生物体が劣化しないよう、殻は厳重な守りとして働いているのだ。

 更に卵の中にいる生物体にも、特別な守りが備わっている。

 それは組織中に糖が高濃度で含まれ、尚且つ水分量が極めて少ない事だ。卵の中は未だ生物の形が出来ていない、いわば卵黄の状態。この卵黄に多量の糖が含まれている。地球生命における卵黄は有機的な粘りはあるものの、簡単に崩れる程度には滑らかだ。しかしスターイーターの卵は糖があまりに多く、更に水がないため、高いところから落とせば積み上がるほど粘り気を持つ。溢れた黄身を舐めれば、まるで砂糖菓子のような甘さを感じるだろう。

 勿論この糖は、食べた生き物に幸せな甘さを伝えるためのものではない。ある種の糖分には分子運動を大きく制限し(ガラス化と呼ぶ)、変性を抑える働きがある。また水は化学反応を促すため、少ない方が物質の変化を抑えられる。地球生命でもこれらの働きを応用した生物がおり、例えばクリプトビオシスという長期間休眠を行う生物は、水分を抜くのと同時に糖の一種であるトレハロースで身体を満たす。脱水とガラス化により変化を防ぐ事で、劣悪な環境にも耐えられる。

 スターイーターの卵に含まれる糖分は、トレハロースよりも更に強力なガラス化を起こす。粘性こそあるが、周囲の分子はがっちりと固定され、殆ど変性を起こさない。これにより卵の中にある物質が勝手に反応して変化するような『事故』を防ぎ、長期間の休眠を可能とするのだ。どの程度持つかは環境次第なので一概には言えないが、一般的に六百万年程度は安全に休眠出来る。死亡率は極めて高くなるが、九百万〜一千万年後に無事目覚めたケースもゼロではない。

 この長期休眠能力は、宇宙を渡る上では必要不可欠。何しろ宇宙は途方もなく広い。最寄りの星系でも十〜数十光年離れているのは普通で、仮に十光年だとしても約九十五兆キロも離れているのだ。秒速三百キロで飛んでいっても横断には一万年掛かる。百光年、一千光年と移動すれば、百万年単位の時間が掛かるのだ。そして星々の間隔は、数十から数百光年程度開いている事は珍しくない。

 言い換えれば、六百万年も眠れるなら六千光年程度は移動出来るのだ。遠く離れた星々まで版図を広げるには、十分な能力と言えよう。

 ――――さて。卵について語ったところで、少し時間を早送りしよう。休眠耐性の強さは特筆すべき点であるが、生物としての動きは全くない。観察するには、少々退屈な時間だ。

 彼女達が活動を始めるのは、恒星に近付いてからの事。

 飛んでいった先の恒星系……ナバゥ星系に、スターイーターの卵は辿り着く。

 ナバゥ星系は六つの惑星を持ち、中心では一つの恒星が輝いている。恒星は太陽の一・一倍の質量を持ち、液体の水が存在出来る領域に浮かぶ惑星が一つあった。その液体の水がある惑星は表面の八割が海に埋め尽くされ、そこで自然発生した海洋生物が無数に見られる。

 そしてこの星系の呼び名は、この星系で生まれた生物、即ち知的生命体によって名付けられた。知的といってもまだ誕生したばかりで、石器も発明していない段階である。それでも脳の大きさや機能は、ヒトに匹敵するほど優れていた。いずれは高度な、宇宙に進出するほどの文明を手にするだろう。

 視点を卵に戻そう。

 星系内(より正しくは恒星の重力がある程度強く感じられる範囲。恒星の重さ次第だが、太陽ぐらいの恒星ならば約一・五光年以内)に侵入すると、卵の中で変化が生じる。今まで組織の保護をしてきた糖の分解が始まり、内部に水が滲み出すのだ。

 これは卵の中にあった、酵素の働きによる。覚醒酵素と呼ばれるものだ。この酵素は無重力環境では働かないが、一定よりも強い重力化では分子の一部が稼働し、特定の糖類への結合・分解を行う。

 糖の分解には酸素が用いられ、『燃えカス』として二酸化炭素と水が発生する。糖は卵黄に粘り気が生じるほど含まれるため、燃えカスである水も豊富だ。この大量の水が卵黄中に行き渡り……最終的に、卵黄内に一個だけある細胞に浸透。水分を取り戻した細胞は活動を再開する。

 細胞は卵黄の栄養を消費しながら分裂。倍々に細胞数を増やす。三回目の分裂を行い、八個まで細胞が増えるまでは同じ大きさ・形の細胞を生み出し、またその集まりの形は球体だ。しかし四回目の分裂で大きさの異なる細胞が生じ、形も球から崩れる。

 五回目以降から細胞分裂の速度が上がり、急速に細分化。細胞数が一万を超えるとくびれが生じ、尾ビレの長い魚のような姿へと変わる。ヒトなど地球生命の一部の発育で生じる、胚の一部が細胞内に陥入する現象はない。一塊の大きな集まりが、さながら粘土を捏ね回すように外観だけを整えていく。

 胴体に生えるヒレはまだ小さく未熟であるが、尾ビレの発達は著しい。卵の中で出来上がった個体……幼体は体長四メートル近くあるが、うち三メートルは尾が占めている。太く大きな作りからも、重要な働きをすると窺えるだろう。勿論一メートルもある大きな身体が貧弱という事はない。卵黄に含まれていた豊富なアミノ酸を用い、体躯は非常に筋肉質なものとなっている。身体の大きさと相まって、未だ孵化すらしてない幼体でありながら並の猛獣よりも屈強なのが察せられる筈だ。

 身体は左右だけでなく上下も対象で、どちらが背中なのか、どちらが腹か見た目では分からない。背中がどちらか分からないので左右も不明だ。分かるのは前後だけ。事実、スターイーターには腹も背も左右もない。惑星上と違い宇宙空間には『上下』がないため、上下がない身体の方が活動しやすいのだ。必要なのは、目的地に向けて進む側とその反対である前後だけ。

 この新たなスターイーターを、グリーと呼ぼう。グリーは卵黄を全て使い果たし、立派な肉体を手に入れた。ここまで身体が出来れば、孵化する事自体は可能である。

 しかしスターイーターの幼体は、身体が出来上がってもすぐには生まれない。まずは周囲の様子を探る。


【……ビャキャ】


 小さな鳴き声電磁波を発しつつ、グリーは卵に小さな穴を開けた。次いでその穴を覗き込むように、頭に備わっているレンズ状の目の一つを近付ける。

 そうすれば、遥か彼方で輝く恒星の姿が見えるだろう。

 しかしまだ遠い。何しろ星系の重力が及ぶ範囲はかなり広く、太陽程度の大きさの星でも一〜二光年に達するのだ。スターイーターの卵は強靭な肉体を形成するため、五年ほど掛けて成長するが、これでもまだまだ恒星は遥か彼方。グリーがナバゥ星系の恒星に到着するには、あと九百年は掛かる計算だ。

 あまりにも休眠の打破、それに伴う発育が早いように思えるかも知れない。だが、このタイミングで目覚めておかなければならない理由もある。

 確かにスターイーターの卵は星系に向けて飛んでいる。しかしこの狙いは、かなり正確ではあるものの、完璧なものではない。宇宙は極めて広く、最寄りの恒星でも数光年……何十兆キロと離れているため、僅かな角度の差が致命的なズレを生むのだ。例えば百光年先の星系に向けて卵を飛ばしたとしても、この狙いが一度ズレればそれだけで一光年近く横に逸れてしまう。また星系自体が凄まじい高速で動いており、秒速百キロ以上の速さで動いている。狙いがどれだけ正確でも、到着が一分遅れれば何千キロも離れた位置を通ってしてしまう。

 このためスターイーターの幼体は重力を感じ取った段階で発育を始め、動ける程度の身体を手にした段階で現在位置を確かめておく。そのまま恒星に向けて真っ直ぐ進んでいるのなら、特別行動を起こす必要はない。だが目標(であるかどうか幼体には分からない。もしかすると狙いがズレ過ぎて、通り過ぎた先にあった星系という可能性もある)からズレていて、このままだと辿り着けそうにないなら、進路を修正する必要がある。

 これを可能とするための器官が二つある。

 一つは勿論、移動するための推進器官だ。


【キャピピピャー】


 グリーは身体に力を込め、次いで屈強な尾を振る。

 強靭な尻尾が放った一撃は、黒い卵の殻を容易く粉砕した。この殻には金属元素も豊富にあり、ヒト文明の武器でも小さな銃弾ぐらいなら弾くほど頑強である。それを難なく破壊した力は、生物としては凄まじいの一言に尽きるだろう。

 そうして開いた穴から尻尾を、更に付け根にある管も出す。

 管は長さ一センチ、太さ二センチというずんぐりした形のもの。この太い穴は、かつて祖先が持っていたものと同じ役割を有する。

 つまり液体燃料の燃焼により推力を生み出す、ジェット噴射だ。この強力な推進器官を用いれば、宇宙空間でも自由に動き回れる。

 ただし今回、激しく青い炎を噴き出すような事はしない。ちょっと進路を変えるためのものであり、また ― かなり近付いたとはいえ ― 一光年以上離れた位置に恒星はある。ほんの少し角度を調整すれば十分。ましてや此処は宇宙空間だ。空気抵抗はなく、小さくとも力が入れば確実に動きは変わる。

 そしてそれを理解し、どれだけの力が必要かを知るには『計算』能力が必要だ。

 得られた情報を解析し、必要な出力・時間を算出しなければならない。しかもこれは単純な速さの問題ではなく、惑星が持つ重力や、その重力による空間の湾曲、恒星からの放射圧なども計算要素に含めなければ現実との差……誤差が生じてしまう。学校の試験や研究なら多少の誤差など問題にならないが、現実に星へと向かうスターイーターにとっては死活問題。しかも多数の要素が絡むため小さな誤差が大きな違いを生み、また場所や距離によってその数値は常時変動する。正確に、緻密に計算しなければならない。

 ここで役立つのが、進路修正に必要な二つ目の器官……神経系である。

 脳という言葉は、あまり適切ではない。スターイーターの神経系は、頭部から尻尾の先まで、薄く広く分布しているからだ。目という感覚器があるため頭部が一番大きいものの、得られた情報は全神経を用いて計算する。情報の統合を担う『脳』はないのである。

 この発達した神経を総動員し、あらゆる情報を計算。正確な軌道と必要出力を導き出す。スターイーターに数学的な知識はないが、これらの計算はヒト文明が用いるコンピューターと同じく二進数で行われる。神経系にあるシナプスが0と1の情報を保持(水素イオンの結合・離脱で表現する)し、これが何千億と連結する事で優れた計算力を発揮する。

 算出に掛かる時間はほんの数分。得られた結果を元に、グリーは噴射口を制御し……

 一瞬、シュポッと小さな炎を吹く。

 適当な吹き方に思えて、噴射量と時間は厳密に制御されている。何より此処は無大気無重力の宇宙空間。これだけでも卵の進む向きは変化し、恒星がある方へと進路変更。秒速五百キロの速さは保ったまま突き進む。更に進めばまたズレが発覚するかも知れないが、その時はまた少し軌道を直せば良い。

 後は九百年後まで、どうやって時間を潰すかが重要だ。時間を潰すと言っても、この間食べ物も何もない。考えなしにだらだらと過ごせば、待っているのは飢えと乾きによる死である。

 一番簡単な対処は、やはり休眠してしまう事だろう。餌がない時期をやり過ごす際の基本だ。


【……キュピュゥゥ……】


 軌道修正を終えたところで、グリーは身体を丸める。続いて全身の水分を、身体の中央に集めていく。

 身体の水分を抜いて、体組織の変性を防ぐ。それでいて今回長期休眠のための糖は作らない。次の覚醒は百年程度の、スターイーターにとってはごく短いものを想定しているからだ。定期的に目覚め、恒星までの航路にズレが生じていないか確かめねばならない。

 この短期休眠には酵素など用いず、ある特殊な元素を使用する。それは体細胞の一部で生み出した、三重水素だ。

 三重水素は半減期が十二年程度の放射性物質である。半減期というのは、ある原子の集団のうち半分が放射性崩壊を起こす時期の事。放射性崩壊が起きる時期というのは確率的なもののため『絶対』ではないが、原子というのは数グラム単位でも六✕十の二十三乗個もある。これだけ試行回数があれば、確率通り半分にならない事はそれこそ奇跡的な出来事だ。

 話を三重水素に戻す。半減期が十二年という事は、次の十二年後、つまり観測を始めてから二十四年後には四分の一となる。三十六年後には八分の一、四十八年後には十六分の一だ。これを繰り返すと、九十六年後の三重水素の数は二百五十六分の一になる。

 よって三重水素の数を測定すれば、ある程度時間の経過を測定出来るのだ。スターイーターの臓器の一つ『放射性元素測定器』にはこの機能が備わっていて、正確に原子の数を測定する。凡そ百年後、グリーは確実に目覚めるだろう。それだけでなく恒星が近付いてきたので百年の休眠では長過ぎるとなれば、十二年程度まで短縮する事だって可能だ。半減期という正確な指標があるお陰である。

 ……厳密に言うなら、正確な時間に目覚めなかった個体は宇宙の藻屑になるだけだ。スターイーターが宇宙生物として進化する中で、不適応な個体は淘汰されてきた。グリーは生き延びたモノの末裔であり、星々を渡るための力を身に着けている。二度目の眠りに入った彼女の行く末を心配する必要はない。

 それではまた時間を少し飛ばそう。

 次の舞台は凡そ九百年後、彼女がいよいよ恒星の傍に辿り着いた時だ。

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