ヒレナガウチュウサカナ4

 時は流れ、ヒトの暦に換算して三年が経った。

 ビギニング星系に季節は存在しない。星系中心に浮かぶ二つの恒星が放つ光により、一年中エネルギーが供給されていく。食物連鎖の過程で生物種ごとの個体数変化はあるが、全体で見れば生物の総数に大きな変化はない。勿論、それら生物が出す排泄物の量も安定している。

 これを餌とするイヴ達ヒレナガウチュウサカナの成長は、極めて安定的だ。一定の増加率を維持し、大きく体重が減る事もなく増え続ける。老廃物を再利用する仕組みもあって、飢える事もなく成長出来る仕組みが備わっていた。

 ただし、誕生から三年経った今でもイヴの体長は五十センチ程度しかないが。


【キュピピピピー】


 栄養不足でない事は、元気なイヴの鳴き声からも明らか。大量のエネルギーを生産し、余剰分を放出している。全ての細胞が極めて健康的な状態だ。勿論今も積極的に体表面から周囲を漂う物質を吸収し、自分の身体の材料としている。

 しかし何故成長が遅いのか? 老廃物の再利用もしているのに、どうして三年で体長が倍になる程度にしか育たないのか。

 理由は三つある。一つは、老廃物として出される物質に偏りがあるため。もっと言うなら老廃物の源……周囲に暮らす生物達が餌としている物質に含まれるものは、殆どが水なのだ。

 水自体は勿論必要な物質なのだが、宇宙空間には多量の水が漂っている。例えば氷彗星などは、物にもよるが八十パーセントが水で出来ている。対して二酸化炭素やアンモニアなど、アミノ酸やタンパク質の材料となる元素は極めて少ない。生物達もこれらの元素は貴重なため、排泄量は出来るだけ少なくなるよう生理的な進化を遂げている。大量の排泄物を摂取しても、僅かな栄養しか得られないのだ。無論これは大量に摂食すれば賄える事であり、その戦略が可能なほど排泄物は溢れている。だが量を摂取するにはどうしても時間が掛かる。

 もう一つの理由は、高い機動力を生むジェット推進は身体への負担が大きいため。

 ジェットの推進剤である液体酸素・液体水素の合成自体は、大した問題ではない。原料である水は、先程話したように余るほど手に入るからだ。エネルギーも恒星から無尽蔵に供給されている。

 しかしどんな『部品』であっても、燃料が得られればそれで終わりとはならない。ものを使うには、何時だってメンテナンスが必要だ。生物の器官であっても例外ではない。

 ヒレナガウチュウサカナの推進器官は生まれたばかりでも秒速七キロ、成長した今のイヴなら秒速八キロは出せる優秀な代物。だがその優れた推進力に比例して、噴射するジェットの勢いも凄まじい。もしもヒトの指をこのジェットの前に出したなら、一瞬で吹き飛ぶだろう……熱量で蒸発しなければの話だが。推力噴射口周りの表皮は極めて丈夫に出来ているが、それでも完全には耐えられない。ジェットにより少しずつ削れ、摩耗していく。

 痛覚はないためそれ自体は苦痛でないが、しかしどんどん劣化していく事は間違いない。使わなければ当然劣化せず、空気がない宇宙空間なら基本減速はない、と言いたいところだが、幼体の生息範囲には大量の排泄物が浮遊している。餌であるこれらと接触すればその分減速は免れない。また一定範囲を周回する(そうしなければ敵が多い領域に侵入する、或いは餌のない領域に出てしまう)、他生物とぶっつかりそうになれば避けるなど、方向転換でもジェットは頻繁に使う。

 このため推力噴射口は活発に細胞分裂を行い、短期間で更新しなければ機能が維持出来ない。おまけに他体組織の老廃物や細胞と違い、噴射口の細胞はジェットの勢いで剥がれるため使い捨てだ。ただでさえ少ないアミノ酸の大半がここに費やされるため、どうしても成長に物資を回せない。

 そして三つ目の理由は、血骨格獣門の身体が極めて高コストな作りをしているため。

 ここについて説明するには、血骨格獣門のボディプランについて話さねばならない。イヴ達ヒレナガウチュウサカナのように、血骨格獣門の生物は大きくて動物的かつ活動的な身体を保持している。これを為すには肉体の強度が高くなければならず、実際ヒレナガウチュウサカナは秒速七キロ以上で飛んでも平然としているほど丈夫な身体の持ち主だ。地球生命の軟体生物や環形動物のような、柔らかな身体だとこれほどの身体機能には耐えられない。

 地球生命であれば、節足動物のように硬い殻を持つ、植物のように細胞自体を頑丈にする、そして脊椎動物のように丈夫な骨を持つといった方法で『巨体』を支えている。しかし血骨格獣門の生物は甲殻を持たず、細胞はむしろ柔らかで柔軟。更に骨は一切持っていない。ではどうやって身体を支えているのか?

 答えは、頑丈な血管を全身に張り巡らせる事。

 血骨格獣門には『骨格血管』と呼ばれる特別な血管があるのだ。この血管は心臓と繋がっており、鼓動により運ばれた体液が通る事で膨張。例えるなら水の詰まったホースのようになり、骨格の代わりとして働く。原始的な種であれば血管が薄く、身体を支える補助的な役割程度の代物だが、ミズクイウオ目のように進化・発展したグループでは身体を支える事に特化した進化を遂げた。進化したグループの骨格血管は非常に分厚く丈夫なため、栄養分が浸透する事は出来ない。ほぼ骨のようなものである。

 しかしこの骨代わりの血管は、あまり効率が良くない。

 何しろ身体を維持するため、大量の血液を常に流す必要がある。血液が流れる際の摩擦で血管は常に劣化し、この修復に大量のエネルギーが必要だ。また身体が大きくなるほど血管を丈夫にするため、血圧を上げなければならない。即ち、大量の血を精製する必要がある。生成・維持に莫大なエネルギーと資源を使うのである。

 勿論利点はある。地球生命が持つ骨はカルシウムなど、大量の金属元素が必要だ。対して骨格血管は血液により支えられているため、ほぼ水分と有機物で維持されている。金属など殆どない宇宙空間においては、骨格血管の方が生成自体は簡単なのだ。とはいえ莫大なコストが掛かるという問題自体は消えない。

 餌に含まれる有機物の少なさ、ジェット推進を維持するためのコスト、骨格血管の生成・修復のコスト……実入りが少ないのに出費が多ければ、『利益』が少なくなるのは当然と言えよう。

 そしてこの問題は、ヒレナガウチュウサカナにとっても無視は出来ない。彼女達自身はこのような科学的理由など知る由もなく、また進化もその方向を目指す事はないが……ただ問題がある以上、これを解決する形質を持っている個体がより多くの子孫を残せる。

 ヒレナガウチュウサカナにはこの問題を解決するための習性が備わっていた。


【……ピピピキュキュー】


 これまで通りに飛行していたイヴであるが、一瞬身体をぶるりと震わせた。次いで、今まで一定範囲内の留まろうとする動きを止め、恒星から離れるように飛ぶ。

 より餌が豊富な場所を目指すための移動だ。身体が大きくなると、得られる排泄物の量が足りなくなる(体積は大きさの三乗に比例するのに対し、表面積は二乗に比例する。つまり身体の大きさが二倍になると、体重は八倍になるのに皮膚面積は四倍にしかならない。体表から吸収する分よりも全細胞体重の需要の増加量が大きいのである)。これを一種の『飢餓感』として、細胞がストレスを感じるのをきっかけにホルモンが分泌。ホルモン量が一定水準に達したのをきっかけに、移動の衝動を覚える。

 どのタイミングでより恒星から離れた、最も排泄物が豊富な一億五千万キロ地点に近付こうとするかは個体差が大きい。イヴの場合は、体長五十センチに育った時がその時だった。

 今回の移動では休眠は行わない。周りには餌となる老廃物がたくさんあり、また浴びる光は既に十分弱いので守りを固める必要もないからだ。また目指す位置も具体的には決まっていない。身体で吸収出来た排泄物の量が、全身の細胞が『満足』する場所まで移動し続ける。周囲に浮かぶ排泄物由来物質の濃度が偶々薄ければ何処までも前進し、濃ければほんのちょっとの移動で終わってしまう。

 ある意味適当に移動しているように見えるが、言い換えればこれは柔軟な対応だ。今の自分の大きさと周囲の環境に合わせて、適した位置に移動している。

 そのような柔軟な対応が必要なのは、排泄物が豊富な場所ほど危険な生物も多いからだ。


【――――キャピ!】


 四つあるイヴの瞳の一つが、自身に迫る陰を見付けた。

 それは体長三メートル以上ある、巨大な生物だった。身体は地球生命で例えるとヘビに似た細長い体躯を持ち、身体の側面から八対十六枚の丸くて小さなヒレが並んでいる。胴体中心部分には上下左右に向けて伸びる太い管があり、管から青白い炎が引き出す。そして発達した頭部を持ち、頭の上下にある四つの大きな目がイヴを見つめていた。ぱくりと開いた顎には無数の歯が並んでいるが、どれも長く鋭い。捕食者として日頃から使っている事が窺い知れるだろう。

 この生物の名はホソミリュウザカナ。ミズクイウオ目リュウザカナ科に属する種の一つであり、排泄物食のヒレナガウチュウサカナと違い、生きた生物だけを襲う生粋の捕食者だ。しかも動きが鈍い代わりに高耐久の生物より、素早くても防御力の低い獲物を狙うスピード型の狩りを得意とする。

 動きの俊敏さで天敵を翻弄する、ヒレナガウチュウサカナにとっては極めて相性の悪い天敵だ。

 尤も、イヴはホソミリュウザカナとは初めて遭遇するため、相性が悪い相手かどうかなど分からない。仮に分かったところで、やるべき事は変わらない。


【キャピャアァーッ!】


 イヴは大量の電磁波を放出。急速に冷却する事で大量に作り上げた液体燃料を着火し、急激な加速を得て此処から逃げ出す。

 最高速度の秒速八キロまで到達するのに一秒と掛からない。超音速と呼ぶのも生温い高速移動だが、ヒレナガウチュウサカナの動体視力を以てすれば周囲の動きを認識する事は造作もない。小刻みに四枚のヒレを動かし、道中にいる生物や塵を軽やかに躱しながら逃げていく。

 普通の捕食者であれば、この方法で逃げ切れる。だが今回の相手は同じミズクイウオ目の生物だ。

 ホソミリュウザカナも液体燃料を用いたジェット噴射で加速。こちらは秒速九キロと、イヴより僅かに上回る速さで飛翔している。更にヘビの如く細長い身体を繊細にくねらせ、十六枚もあるヒレを動かし姿勢を制御。イヴよりも遥かに巨大でありながら、イヴよりも細かく鋭敏に動く。

 ホソミリュウザカナは捕食者として進化してきた。十六枚のヒレを動かすため発達した神経系を持ち、高速を生み出すため液体燃料の生成器官は極めて大きい。細長い身体はヒレでは足りない姿勢制御を柔軟に行うための適応であり、大きく発達した目は獲物の動きを見逃さないためのセンサーである。

 捕まる直前で大きく進路を変えたとしても、ホソミリュウザカナの目はそれを易々と捉え、十六枚のヒレと身体をフル活用して秒速九キロのまま追ってくる。このまま闇雲に逃げても、イヴがこの恐るべき捕食者から逃げ果せる可能性はゼロだ。

 では、ここでイヴの命は終わりか?

 そうなる可能性は十分にある。しかしヒレナガウチュウサカナにはもう一つ、天敵を翻弄するための秘策があった。

 その秘策の名は目眩まし。


【キュキュキュ……キャピャアァァァァァ!】


 逃げながら全身に力を込めたイヴは、その後鳴き声――――強力な電磁波を放出した。

 この電磁波が、本来は液体燃料生成のための冷却で生じた『熱』である事は以前話した通り。だが実のところ電磁波を放つためであれば、熱源は液体燃料の生成器官でなくとも構わない。

 イヴは全身の熱量を掻き集め、それを電磁波に変換した。ただしこの時放出する電磁波は、四百~七百ナノメートルの周波数帯に揃えておく。

 この周波数帯の電磁波を、ヒトは可視光線と呼ぶ。

 つまり強力な閃光だ。可視光線というのはあくまでもヒトを基準にした言葉であり、ビギニング星系の生物(厳密には一つ一つの種ごと)の『可視光見える光』はヒトとは異なるが……大半の生物種が三百~一万ナノメートルと、ヒトよりも広い範囲の光を目視出来る。恒星の周辺という環境で適応したため、広い範囲の光を見る事が出来るのだ。ホソミリュウザカナもこの範囲の光を視認出来る。

 ただの光であれば、ちょっと脅かす程度の効果しかないだろう。しかしイヴが放った光は、閃光と言えるほど強烈なもの。これにはホソミリュウザカナも目に強い刺激を受けてしまう。


【ギャッ!?】


 ホソミリュウザカナは大きく仰け反り、イヴの追跡を止めた。たかが光と思うかも知れないが、素早い獲物を追い駆け回すホソミリュウザカナにとって、視覚は極めて重要な能力。万が一にも大きなダメージを受ければ、今後の狩りが困難になるかも知れない。捕食者にとって怪我は致命的なのだ。無理して追うよりも、安全を取った方が合理的。

 ホソミリュウザカナが諦めた事で、イヴは無事逃げる事が出来た。

 これはかなり運の良い結果ではある。まず発光するためには熱が必要だが、この熱は筋肉や臓器の働きで生み出した。しかし目眩ましになるほど強力な発光をするには、かなり大量の熱エネルギーが必要だ。普段からそんな熱を身体に溜め込んではいない ― もしも溜め込んでいたら『熱中症』で死んでしまう ― ため、逃げ始めてから熱を作らねばならない。

 このため発光するにはある程度時間が掛かる。その前に捕まったら、当然何も出来ず食べられてしまう。またホソミリュウザカナが怯み諦めたのは、目が傷付く事を避けたため。もしも相手が酷く飢えた状態で、閃光を浴びたぐらいでは怯みも諦めもしなかったなら、やはり逃げ切る事は出来なかっただろう。

 されど幸運を掴めたのは、イヴが環境に適応した優秀な個体だからだ。発光能力を持っていなかったら、ホソミリュウザカナの接近に素早く気付けなければ、時間を稼ぐだけの速力がなければ……どれか一つでも欠けていれば間違いなく喰われていた。

 適者だから生き残れるとは限らない。しかし適者でなければ生き残れない。生物の世界はかくも厳しい。

 更にこの厳しさは、ここで終わりではない。

 成長し、より多くの餌を求めるほど、生物密度が高い場所に向かうほど危険は増えていく。いくら逃げる事を得意とするヒレナガウチュウサカナでも、危険が多くなれば死ぬ個体も増えていく。このため成体となるまでの間に大部分の幼体は命を落とす。

 イヴの身にも、幾度となく危険が襲い掛かる。

 そしてその全てを切り抜けた時、彼女の『繁栄』が始まるのだ……

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