ホシクモ3

 普段通りにホシクモ達が増殖する中で、彼女は生まれた。

 彼女をヒミコと名付けよう。ヒミコの誕生に、特別なドラマは存在しない。恒星にある彗星が接近し、そこから放出された物質を取り込んで成長した個体が分裂する事で生まれた。

 しかし彼女の身体は、分裂元である親と少し異なる性質を持っていた。

 変化の原因は地球生命でもよく見られた、突然変異によるものだ。放射線に対し高い防御能力を持つホシクモ(より正確に言うならビギニング星系の生物全般に言える)は、放射線などの外的影響を受けてもあまり遺伝子が傷付かず、滅多な事では突然変異を起こさない。遺伝子の修復能力にも優れており、これ自体は個体の生存という観点では極めて優秀なのだが……地球では多細胞生物動物が誕生するのに十分な、三十億年という時間を経ても、極めて原始的な単細胞生物しかいないほど『進化』が遅いという欠点も生んでいた。

 だがどれだけ優秀な放射線防御能力でも、完璧に防げる訳ではない。また恒星は時折フレアと呼ばれる爆発的現象を起こし、普段よりも強力な放射線を撒き散らす。偶然にもこのタイミングで分裂などを行っていると、遺伝子の修復が間に合わず、変異した遺伝子を持った個体が生まれてしまう可能性が高い。

 一般的に突然変異はあまり好ましい形質を生まない。『良い感じ』のバランスを保っている状態に、が生じるため、生きていくのに必要な能力を失う事が多いからだ。運よく生きる事が出来ても、新たな形質が環境に適したものでなければ生き残っていく事は出来ない。

 だが、ごく稀に好ましい変異が生じる事がある。

 ヒミコに生じた好ましい変異は、たった一つだ。それは細胞表面を形成する膜の一部に、大きな穴が開いているという性質。ある遺伝子の欠損により、この膜を形作る部分の情報が失われていた。

 細胞に大穴が開いているなど、一見して致死的な形質に思えるだろう。しかし大きな穴と言っても、その穴は細胞膜中にある無数の穴よりも数倍大きい程度。また穴の底部分は偶然にもとある細胞小器官と結合しており、細胞質の流失もない。

 そして結合している細胞小器官は、老廃物を溜め込むための場所だった。

 ホシクモ達も生きていく中で、様々な老廃物が生まれる。通常この老廃物(例えば糖を合成する過程で生じた酸素など)は細胞小器官に溜め込まれ、十分なエネルギーや物質を得られた際に再利用されているものだ。

 また平時であれば、ヒミコはこの細胞小器官に空いた穴は何も問題を起こさない。近くに小惑星などが通っていない時は、じっとしてエネルギーを使わないようにするのがホシクモの基本的な行動。待機状態の細胞は僅かに収縮しており、穴も小さくなるため老廃物が漏れ出る事はない。

 しかし彗星などが撒き散らした分子を受けると、細胞の緊張が解ける。

 細胞膜が広がれば、穴もまた広がる。穴の奥には老廃物入りの細胞小器官があるが、長く生きた個体はこの器官はパンパンに膨らんでいた。『勿体ない』から全部溜め込んでいるためだ。いくら再利用しても使い切れないというのに。

 その膨大な老廃物……酸素などが、開いた穴から放出された。

 ホシクモ達に宇宙空間を移動する術はない。泳ぐための突起などがなく、また宇宙空間は真空中故に掻き分けて進む事が出来ない。だが気体を放出すれば、この際生じる反作用で進む事が可能だ。さながらヒトが開発したロケットエンジンのように。

 ヒミコが得た突然変異により、ホシクモはついに移動能力を得たのだ。しかも老廃物を使用するため、余計なエネルギーも消費しない。穴の開閉すら、餌を求める時の生理反応の応用という、極めて効率的な移動方法でもある。新たに獲得した穴は『噴射口』という新しい器官になったのだ。

 ……尤もこの噴射口、ただ噴出するだけであって、何処かを目指す訳ではないのだが。

 ホシクモには脳どころか神経系すらない。一定数の分子を受けた時、細胞膜を緩める程度の『反射』しか出来ない単細胞生物だ。当然穴の位置を何処かに向けるなんて真似は出来ず、そもそも自分が空気の力で飛んでいる事すら認識していない。飛び方は全くの適当、餌の放出源である彗星に向かう訳でもない。

 一見してなんの意味もない形質に思えるだろう。実際、手に入れた移動力自体はなんら有利に働いていない。ランダムに飛ぶので彗星に近付く事もあれば遠ざかる事もあり、より分子が多くある場所に向かう事もあれば少ない場所に行ってしまう事もある。何度もやれば結果は平均化され、やってもやらなくても良い行動となっていた。

 だが、別側面では得な事がある。

 それは老廃物の放出だ。ホシクモの細胞小器官には酸素など、代謝により生じた老廃物が大量に蓄積されている。これらは本来、分子がたくさん得られた時再利用されるのだが……しかし再利用される分よりも、蓄積する老廃物酸素の方がずっと多かった。このため長く生きた個体ほど老廃物が大量に溜まり、最終的に細胞小器官が破裂・死に至る。老廃物の量がホシクモの寿命に直結していたのだ。闇雲に全てを排出する個体よりは適応的だったため栄えたが、決して『完璧』な形質ではなかった。

 対してヒミコは違う。酸素を放出する事で、蓄積した老廃物を外に出す事が出来る。これにより長い寿命を取り戻す事が出来た。またこの放出はあくまでも細胞膜が緩んだタイミングで行われる。そのため餌がない時は、老廃物が蓄積されて再利用が出来る仕組みとなっていた。まだ完璧なものではないが、『いらないもの』だけを放出する仕組みが手に入ったのは大きな利点だ。

 そして老廃物を原因とする死がなくなり、ヒミコは不死を手に入れた。単細胞生物であるホシクモは、生理的な意味での寿命を持たない。エネルギーが枯渇するか、放射線で細胞が壊れるか、老廃物が溜まって器官が破裂するかの三つが死を招く。しかしエネルギーは恒星が活動している限り尽きず、放射線による欠損は餌が手に入ればいくらでも修復出来る。老廃物だけがホシクモに確実な死を与えていたのに、ヒミコはその枷から放たれた。

 不死となってもヒミコの生殖ペースは変わらない。餌があれば成長し、分裂する。ヒミコと同じ遺伝子を引き継いだ子供もまた、ヒミコと同じように老廃物を外に出す能力があるため実質不死。繁殖可能な個体が減らず、彗星が通る度にヒミコとその血縁は倍々に数を増やしていく。

 そして数が増えると生じるものが、生存競争だ。

 生存競争というのは、単なる喰うか喰われるかという関係だけの話ではない。例えば餌を奪い合うのも生存競争の一つだ。

 ビギニング星系の生物の個体数が少ないのは、餌となる分子・原子が極めて乏しい宇宙空間だからである。個体数は定期的にやってくる彗星が養える分が上限。もしもその上限を超えた個体数になると、十分な餌が得られない個体が現れる。餌が足りないと放射線による細胞の劣化を修復するため、身体に蓄えてあるタンパク質や脂肪を使わねばならない。それが長期間続けばやがて細胞機能を維持するだけの物質が枯渇し……所謂『餓死』に至る個体が続出。個体数は減り、彗星が養える水準まで戻る。

 生息している生物に大きな有利不利がなければ、それはただの個体数増減で終わりだ。だが遺伝子に差があり、より多くの子孫を生み出せる個体群がいればどうなるか? 環境に対する有利不利がないのであれば、より多く生き残るのはたくさんの子孫を生み出す形質である。総個体数に上限がある以上、一方の形質が多く生き残れば、他の形質は数を減らすしかない。例え直接的な攻撃や妨害、捕食などがなくても、だ。

 ヒミコとその血縁は、決して同族を攻撃しない。餌を横取りするような真似もしない。ただ寿命が延び、今までの個体より多くの子供を作るようになっただけ。それだけで、古い形質を持った個体群は急速に数を減らす。

 ヒミコの誕生から二億年も経つ頃には、古い形質は殆どが駆逐されてしまった。今やホシクモの大部分の個体は、細胞膜に穴が開いている。ホシクモという種は寿命を持たず、エネルギーが尽きない限りいくらでも増える事の出来る生命体となっていた。

 そうして数が増えた頃に、またヒミコ(の血縁の中の一体。しかし繁殖した個体はどれも遺伝子が同じであり、また分裂で増える以上どちらがヒミコなのかは判別出来ない。よって増えた個体は全てヒミコとして扱うのが妥当だろう)の中で突然変異を起こす個体が現れた。数が増えればその分遺伝子が損傷する数も増え、数多の突然変異が起きれば生存可能な変異も生じる。

 例えば、中身のない細胞小器官が形成される事。

 本当に、この細胞小器官には中身がない。ただの空っぽの袋であり、生きていく上で役立つような働きは何もしていない。これは老廃物を蓄積させるための細胞小器官を形作る部分の遺伝子が、『重複』する事で作られたものだ。遺伝子になんらかの問題が生じた際に修復が行われるが、この修復をミスした時に遺伝子の『重複』がよく起きる。中身のない器官が出来上がる事は、ホシクモに生じる数多の突然変異の中ではそう珍しくない。

 なんの働きもない器官の形成は、少し多めに資源を消費するという意味では不利な形質だ。しかし生存を脅かすほどの不利益ではなく、よくある突然変異なので、少数ながら一定数存在する形質でもあった。また空の器官がある分体積が膨らみ、ほんの少し飛んでくる物質を受け止めやすくなるという利点もあって、デメリットとメリットが相殺されている……要するにこれといって形質だった。

 そしてこの無意味な細胞小器官形成から更に一千万年後、また新たな変異が生じた。

 細胞膜にもう一つ、穴が出来る事だった。

 この穴が開くという変異自体は、ヒミコの血縁が支配的となった今のホシクモにとっては珍しくもない『障害』である。中身がない細胞小器官を作ったのと同じく、遺伝子の重複により噴射口がもう一つ出来る事で生じる形質だからだ。ただし余分な細胞小器官を作るのと違い、大抵の場合この突然変異は致死的である。噴射口は偶々老廃物が溜まった細胞小器官と連結した事で、細胞質が外に漏れ出す事がなかった。しかし他の場所に穴が開けば、当然細胞質が漏れ出す。細胞質は生命活動に欠かせないため、失えば命が失われる。

 されど今回ヒミコの血縁に空いた穴は、一千万年前に出来た無意味な細胞小器官……空っぽの袋と繋がった。細胞質が流れ込まない位置だったため、死には至らなかったのだ。

 とはいえただ穴が空いただけ。命を脅かす可能性のある変異だったが、死を回避したところでこれといってメリットもない。ただし不利な性質でもないため、運良く近くを彗星が通り、十分な物質を得られれば多少は数を増やせる。

 有利ではないが不利でもない。そんな形質が少しずつ、ヒミコ達に蓄積していく。

 一見して、全くの無駄な変化に思えるかも知れない。或いは無駄が増えた分、生物として退化しているという考えもあるだろう。

 だが、これは大きな進化の下準備。

 更に幾千万年の月日が経った時、ホシクモ達の生態に大転換が起きるのだ。

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