ホシクモ2

 ホシクモが生息する星系に名はない。星系内に知的生命体もいないため、誰からも命名されなかったからだ。

 仮に、『ビギニング星系』と呼ぶ事にしよう。星系の中心で輝く星も、より明るい方である主星をビギニングA、伴星をビギニングBと命名する。

 ビギニング星系に生息する生物は、恒星から一億九百万~一億一千三百万キロ地点を周回している。この位置は恒星の重力と、公転運動によって生じる遠心力が釣り合うため、生物達が何もせずとも恒星に落ちたり離れたりする事がない場所だ。生息するのはいずれも単細胞生物であるが、多様性は決して低くない。今回観察するホシクモの近縁種だけでも十種以上、全体で見れば一千種を超えるほど様々な生物種がいた。

 これらの単細胞生物が何処で生まれたのかと言えば、それは宇宙空間である。

 ビギニング星系誕生の初期において、恒星から一億一千万キロ地点に多量の氷と小惑星が浮遊していた。氷は恒星から放たれた熱を受けて蒸発したが、その多くが小惑星内の穴に入り込み浸透。小惑星中心部には僅かだが酸素や二酸化炭素、窒素化合物が含まれており、これが大気圧として働く事で蒸発した水が液体へと変化した。

 液体の水には様々な物質が溶け込み、そして水を触媒にして化学反応を起こした。摩擦などによる電気の発生、強力な恒星の放射線もまた化学反応の一助となっている。やがて単純な分子が結合してアミノ酸や糖が生まれ、これらが複雑に絡み合い……有機生命の材料が出来上がったのである。

 本来このような『生命の元』が出来ても、それがすぐに生命となる事はない。何故なら有機物が生命的な働きを可能とするまで『成長』する可能性は低く、長い時間を必要とするからだ。これは百兆面あるサイコロが1を出すまで、延々と振り続けるようなもの。1が出るまでには普通何億年も掛かる。

 惑星上であればあまり問題はない。巨大な惑星はちょっとやそっとの事では公転軌道が変わらず、気候の変化が小さい。このため何億年、何十億年も掛けて生命誕生の段階を一つずつ踏んでいける。ところが小惑星は小さくて軽いため、ちょっとした衝突や、近くを通った大型小惑星の重力などで恒星までの距離が大きく変わってしまう。短時間で環境は劇的に変化し、生命誕生に適した環境が長続きしない。よって普通ならば小惑星にどれだけ生命の元があろうと、生命体が誕生する事はない。

 しかしビギニング星系では、この不安定な小惑星の中で生命が誕生出来た。

 小惑星が大きく動いてしまうまでの僅か数万年で、自己増殖を行う程度の原始的な生命体が生まれたのだ。本来何億年も必要となる工程が、何故数万年で済んだのか? 答えはただの偶然。先の例えで生命誕生を百兆面あるサイコロで1を出すようなものと表現したが、これは確率なのだから最初の数回の振りで1が出る事もあり得る。ビギニング星系の生命誕生は、偶々『運が良かった』事で起きた。君達ヒトからすると驚くべき事柄かも知れないが、無数の宇宙と無数の惑星の中を観測していれば、こういった偶然など吐いて捨てるほどあり触れている。

 かくして誕生した生命は、小惑星の中で繁殖と進化を続けた。やがて故郷である小惑星は他小惑星との衝突で粉砕し、安住の地を失った生物達は新天地を求めるように宇宙空間に進出。今度は十分な時間と世代を費やしながら進化していった。

 そして生命誕生から三十億年が経った今、様々な種が恒星の周りを飛び交うようになったのである。

 今回観察するホシクモ達は、そうした生き物の一種である。ホシクモという名前は ― 勿論この星系に知的生命体はいないため名付け親はいない。私が命名した ― 、彼女達が高密度の群れを作り、遠くから観察すると雲のような霧状コロニーを形成する事に由来する。コロニー形成を行う生物は、ホシクモ達が栄えた時代ではほんの数種程度しかいない。発見・観察する上ではとても都合がいい特徴だ。

 ホシクモの身体である単一の細胞は、分厚い細胞膜に覆われている。この細胞膜は炭水化物で出来たものであり、主成分はセルロースに似た構造をしていた。セルロースは地球の植物の細胞壁に多く含まれている物質で、非常に安定しているのが特徴。ホシクモの細胞膜に含まれるセルロース状の物質もセルロースと似た物理特性を発揮し、非常に安定している。また放射線をよく吸収する性質を持っていた。

 この細胞膜は彼女達が宇宙空間で生存するため、何億年も掛けて手に入れたものだ。宇宙空間では、恒星から放たれる強力な放射線が飛び交っている。惑星上であれば大気や海などが大部分を吸収してくれるが宇宙空間にそんなものはない。純度百パーセントの強烈な放射線を浴びる事になる。そして放射線は分子の結合を破壊し、違う物質に変えてしまう。

 生命活動には正しい化学反応の流れが必要だが、放射線により物質が変化しては化学反応も違うものになる。化学反応が止まり、生命維持に必要な流れも終わってしまうのだ。勿論損傷の程度が激しければ、『物理的』に壊れた状態となり細胞は死ぬ。また細胞の奥にある遺伝子が傷付けば、繁殖時に次世代へと引き継がれる情報が誤ったものとなり、『正しい生物』にならずこれもまた死ぬ。

 細胞膜で放射線を吸収する事は、宇宙で生きるホシクモ達にとっては極めて重要な働きなのだ。

 このような細胞膜に守られている内側には、ゲル状の細胞質が満たされている。細胞質内には五つの細胞内小器官があり、一つはタンパク質合成や酵素のためのもの、もう一つは化学物質合成のためのもの、分子を分解してエネルギーを取り出すためのもの、老廃物を溜め込むためのもの……そして細胞中心にある核。この五つの器官がホシクモを形成する。

 どの細胞小器官も生存に欠かせないが、特に重要なのが中心部にある核だ。この核の内部にはホシクモの遺伝子が格納されている。

 ホシクモ達ビギニング星系の生物が持つ遺伝子は、地球生命が持つ遺伝情報……デオキシリボ核酸DNAとは異なる物質で出来ている。遺伝情報を示すのは核酸が持つ塩基ではなく、炭素を含む糖質。この糖質にある炭素同士が結合し、遺伝子を形作る。四重螺旋構造をしていて、結びついている炭素の数は一~四個。この炭素結合数がDNAで言うところの塩基の種類(グアニン・アデニン・チミン・シトシン)に該当し、三つでアミノ酸の情報となる。タンパク質合成を行う細胞小器官は炭素数を読み込み、それに合ったアミノ酸を取り込んで、タンパク質を合成する。

 糖で出来たこの物質を、CGI(炭素遺伝情報)と呼ぼう。

 彼女達の遺伝情報が炭素結合や四重螺旋構造をしているのは、これも恒星周辺という環境に適応した結果である。恒星で放たれる強力な放射線は遺伝子を容赦なく破壊する。このため簡単には壊れない丈夫な遺伝子の方が適応的だった。もっと正確に言うなら、地球生命のようなDNAやRNAでは放射線に耐えきれず死滅し、糖質遺伝子を持った生物だけが生き延びたのだ。他にも炭素よりも重い窒素や酸素はこの星系内では貴重な『資源』であり、それらを大量に使うリン酸などを用いるのは不適応という面もある。

 また彼女達の細胞は水分量が非常に多い。例えば地球生命の場合、細胞に含まれる水分量は分類群や種によって多少異なるが、凡そ七十~八十パーセントである。対してビギニング星系の生命は、どの種も水分量が九十パーセントを超えている。種によっては九十五パーセントが水分という状態だ。

 これほど水分が多い理由は二つある。一つはこれもまた放射線対策。放射線の一種である中性子線は高いエネルギーを持ち、更に軽い原子との衝突以外では殆ど減衰しない。このため大量の(正しくは分厚い)水素原子を間に挟むのが最も効果的な遮断方法である。ヒト文明における対策ではコンクリートや大量の水を用意する方法が用いられた。ビギニング星系の生物も水を大量に含む事で、核まで到達する中性子線の量を少しでも減らすよう工夫している。

 もう一つは『嵩上げ』だ。前述した通り、ビギニング星系には窒素や鉄など重たい元素が少ない。ある程度大きな身体を作ろうとすれば材料も多くいるが、重元素は貴重な資源であるため量を確保するのが難しい。対して水は宇宙でも比較的豊富な物質であるため、量を集めるのが(あくまで他の物質と比べてだが)容易だ。身体を大きくする材料としては最適だった。

 このようにホシクモの身体は恒星近くの宇宙空間という、多くの生命体にとって極めて過酷な環境によく適応したものとなっている。そして適応すれば、過酷さそのものが恩恵へと変わる。

 例えば活動に必要なエネルギー源。恒星から放たれる放射線や電磁波は、物質を破壊するほど強烈なエネルギーとも言える。強力だという事は、それだけエネルギー量が多いという事。

 ホシクモはこのエネルギーを上手く利用している。細胞膜で吸収した放射線などは体色の原因である青系色素で水分解に使われ、水素イオンと自由電子を抽出。この水素イオンと電子を用いて二酸化炭素を還元し、糖を合成するのだ。

 これは地球生命でも見られる酸素発生型光合成と極めて似たプロセスである。違いがあるとすれば、合成時の余りものである酸素を外に放出せず、体内に蓄積しておく事が挙げられるだろう。これは宇宙空間において、貴重な分子を捨てるという無駄遣いが適応的でないためだ。また合成した糖がエネルギー源として使われる事はほぼなく、基本的には身体の材料として使われる。恒星活動は多少の変化はあれども絶え間なく続き、宇宙空間故に夜のような時間帯も存在しない。このためエネルギー供給が途絶える事はなく、糖などの形で備蓄する必要がないからだ。

 ホシクモ達だけでなく、他の種類の生物も、生きるためにせっせと活動する事はしない。ただそこを漂うだけで生きるのに必要なエネルギーが確保出来るのだから、動いたところで『無駄』でしかない。おまけに一千種もいるとはいえ、恒星の周りを飛んでいる生命体の総数は決して多くない。ホシクモのように巨大なコロニーを作る種でさえ、ぽつぽつと数百~数千キロキロ程度の間隔で点在している程度だ。コロニー内部の個体密度も、隣り合うほど互いの距離は近くない。大抵数ミリ~数センチ程度の、体長三マイクロメートルの彼女達からすれば自身の大きさの数千~数万倍の距離がある。離れた位置から見れば雲や霧のように映るものの、中身は極めてスカスカなのだ。これだけ隙間があるため星から放たれる光の奪い合いはほぼ生じておらず、光を求めて争うような事は起きていない。

 しかも数センチという距離すら、単細胞生物である彼女達ではあまりにも遠い。ヒトで例えれば、最寄りの生物ですら数十キロ彼方にいるような有り様だ。加えて宇宙は真空であるため物質を掻き分けて進む運動、つまりヒレの力で泳いだり羽ばたいて飛んだりする事は出来ない。そもそもホシクモ達は単細胞生物。運動能力などろくに持ち合わせていない。

 このため「獲物を探して動き回る」――――つまり捕食をしようとしても、獲物を捕まえるどころか発見自体が極めて困難。あまり進化していない未熟な肉食生物が生きていく事は出来ず、地球などで見られる所謂『弱肉強食』の関係が存在しない。

 莫大かつ無尽蔵のエネルギーに満ち、喰うか喰われるかの関係すらない世界。人間から見ると、ある種の楽園に思えてくるかも知れない。

 しかし残念ながら、恒星の周りには決定的に不足しているものがある。

 それは『物質』だ。星系内に存在する質量の九十九・九パーセントは二つの恒星が占めている。残り〇・一パーセントの大部分も、二つの惑星や小惑星を形成していた。宇宙空間に漂う物質は、ごく僅かなものでしかない。

 このため身体の材料となる分子は周囲に殆ど見られない。エネルギーだけがあっても成長する事は不可能。しかもいくら耐性があるとはいえ、放射線の影響で少しずつ身体は劣化していく。新しい原子を定期的に取り込まなければ、いずれ身体は崩壊してしまう。そして成長出来なければ繁殖も行えず、個体数は徐々に減り、最後には絶滅に至る。

 ではどうやって身体の材料を手に入れるのか?

 方法は一つではないが、ホシクモ達が採用しているのは偶々近くを通ったものから得るというものだ。

 恒星の周りを飛び交うのは惑星だけではない。星と呼べるほどの大きさにまで成長出来なかった小惑星や彗星などが、数百年や数万年の周期で恒星に接近してくる。

 とあるホシクモ達の近くにも彗星が一つ飛んできた。直径十メートルほどの、彗星としてはやや小ぶりなものだ。

 彗星には豊富な分子が含まれている。主成分であるはホシクモ達ビギニング星系の生物にとっては大量に必要なものであるし、二酸化炭素やメタンは遺伝子の材料にもなる貴重な炭素源だ。またアンモニアは窒素を含んでおり、これはタンパク質合成には必要不可欠。ごく少量ではあるが、アミノ酸が含まれているのも重要だろう。

 正に栄養満点の塊だが、この彗星に向けてホシクモ達が向かうような事はない。というよりも出来ない。彼女達の単細胞な身体では、真空の宇宙空間を一センチと進むような能力はないのだ。また小惑星や彗星は遅くとも秒速十数キロもの猛スピードで動いており、生半可な速さで追い駆けたところで接近出来るようなものではない。万が一にも接触した場合、その圧倒的運動エネルギーによりホシクモ達の柔らかな細胞は粉微塵に粉砕されるだろう。

 よって小惑星に直接触れる事は出来ないしするべきではない。そして触れる必要はない。

 恒星に接近した小惑星や彗星は、恒星が放つ電磁波の圧力を受ける。この圧力により表面の物質が剥がれ落ち、ヒトが『尾』と呼ぶ物質の放出が起きる。ホシクモ達が食べるのは、この放出された物質の方だ。

 尾として放出される物質の密度は高く、範囲内に入れば自然とホシクモ達はこれを浴びる。

 勿論ただ浴びるだけでは、折角飛んできた分子は細胞膜によって跳ね返されてしまい、吸収する事は出来ない。一番効率が良いのは水を含んだ粘液で細胞を覆う事 ― 水は様々な物質を溶かす事が出来るため、粘液を通じて細胞内に吸収出来る。また粘液質なら接触した物質を吸着もしてくれるだろう ― なのだが、宇宙空間には気圧がないため、水は即座に蒸発してしまう。このため粘液は宇宙空間では機能しない。

 そこでホシクモは、細胞膜に無数の穴を開ける方式を採用した。この穴に偶然飛び込んできた分子を取り込む。ちなみに穴の中には極めて細かな『毛』が生えており、細胞内から外へ出ようとする水分子はここでキャッチし再吸収する事で漏洩を防ぐ。運頼りの方法であるため効率が悪く、また穴が多くなると細胞の強度が落ちるため、あまり好ましい方法ではない。しかし宇宙空間においては、水を無駄に消費する事なく栄養分を得られる優れた方法だ。

 普段ホシクモは細胞を縮めた、待機状態を維持している。活動を抑え、エネルギー消費を少なくするための工夫だ。だが一定量の分子の衝突を検出すると細胞の緊張を緩める。これは身体の面積を広げ、より多くの分子を受け取るために役立つ。餌の有無により、彼女達は環境に応じて自らの姿を、僅かなものであるが変化させる。

 取り込まれた物質は細胞質を満たす水に溶かされ、蓄積される。アンモニアなど毒性の高い物質に関しては、体内に蓄積してある酸素を用いてアミノ酸に変換しておく。

 細胞内で十分なアミノ酸が得られたら、身体の成長に使用。同じく大量に得られた水と二酸化炭素を糖へと合成し、これらを材料にして細胞を大きく育てる。そしてある程度細胞が大きくなったところで、ホシクモは分裂を行う。細胞は分裂する前に中に細胞膜で出来た『仕切り』を作り、しっかり細胞が分かれたところで分離する。

 ホシクモの特徴として、この分離が極めて大人しく静かに行われる点が挙げられる。静かに分離する事に生存上の理由はない。祖先種が『無意味な突然変異』により獲得した形質が、生きる上で不利ではなかったので残った結果だ。また分離が大人しいため勢いも弱く、あまり親子間で距離が開かない。ホシクモがコロニー集団を作る理由も、この性質に由来していた。彼女達は、意図して群れている訳ではないのだ。

 繁殖を終えたら、また宇宙空間をただ漂うだけの日々に戻る。動く事はほぼない。次に何時また小惑星が通るか分からないのだ。無駄なエネルギー消費は抑えなければならない。ただただ時が経つのを待ち、餌が十分得られたら増える。

 これが彼女達の基本的な生涯だ。

 ……単細胞生物としては、極端に不活性である事を除けば取り立てて珍しい生き方ではない。実際、この時のホシクモ達はあくまでも恒星周辺に生息する一微生物に過ぎない存在だった。

 しかしこの後、彼女達は大きな転換点を迎える。

 それこそが、この宇宙にとっての恐怖の始まりと言うべきかも知れない――――

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