ホシクモ4
穴が二つ空いたホシクモが繁栄するようになってから、五千万年の歳月が流れた。
有利ではない形質故に爆発的に栄える事はない。しかし不利でもない。偶々彗星のよく通る場所で発生したという『幸運』もあって、じわじわとその数を増やしていた。今ではホシクモ全体の約一割が、二つ穴の空いたホシクモとなっている。この形質を二穴型、そして二つ目の穴を第二穴と呼ぼう。
二穴型の個体が増えれば、突然変異を起こす二穴型も多くなる。五千万年が経った頃、新たな形質が生まれた。
穴と繋がっている、なんの役にも立たなかった細胞小器官。此処に粘液が生じたのだ。
粘液の分泌量は僅か。しかし絶え間なく染み出し、常に湿っている状態となった。穴が小さく、穴内部には毛による『蓋』があるため蒸発も抑える事が出来ている。
これもまた、単体では無意味な変異である。粘液に満ちた事で、無意味な袋は入り込んだ物質を取り込む機能を得たが……そんなものは元々細胞膜全体にある穴で出来ていた。今更、新しい機能を得てもメリットにはならない。だがこれも不利なものではなく、少しだけ、ホシクモ達の中で広まる事となった。
次の四千万年後に、この穴を大きく広げる性質を得た。
より正確には、細胞膜にある無数の穴に物質が入り込んだ時、第二穴周りの細胞膜が特に緩むという性質だ。これにより穴は一際大きく広げられ、周囲にある物質を『吸い込む』事が出来る。
吸い込まれた水や二酸化炭素などの物質は、細胞小器官に蓄積されていく。役に立たない袋は、粘液を分泌した事で物質の吸収を行えるようになった。
外から物質を取り込むための穴と、取り込んだものを吸収する袋。地球生命でもよく見られる形質だろう。
そう、口と胃袋だ。ここで第二穴は口として使われ、無意味な細胞小器官は消化器官としての機能を得た。
しかしまだ、得たのは機能だけ。
口を得てからまた三千万年は、これまた大して役に立たない。一応大きく
――――ヒミコが誕生してから、四億年近い年月が過ぎた。
この四億年でヒミコの血縁は様々な器官を手に入れたが、どれもこれもいまいち役に立たない。全く利点がない訳ではなく、故に少しは勢力を広げたものの、その程度のものでしかなかった。
だが、次の変化で状況は大きく変わる。
口が出来てから一千万年後、ヒミコの血縁の一個体にある突然変異が生じた。
細胞膜で分子を受け際の刺激に反応して、噴射口を動かすという形質だ。これはホシクモになんらかの自我が芽生えたのではなく、あくまでも生理的反応の結果。細胞膜にある無数の穴から分子を取り込んだ際、その場所に細胞質が集まってくる。中身である細胞質が集まると周りの細胞膜が引っ張られ、これにより噴射口周りの細胞膜も少し動く事で向きが変わる、というのが詳細なメカニズムである。
この細胞質が寄るという性質自体は、元々ホシクモが持ち合わせていたものだ。取り込んだ分子を加工するのに、多くの体組織が必要だからである。具体的には細胞質内に漂う酵素(招集酵素と呼ぶ)が水や水素など小さな化合物や単分子を検知すると、あるアミノ酸を分離。このアミノ酸を刺激として細胞質が集まってくる反応を起こす。
突然変異を起こした個体は、この集まり方が少し過剰だった。酵素を合成する遺伝子に変異が生じており、招集酵素の構造が変化。本来一つしか出さないアミノ酸を、三つも放出するようになっていた。三倍のアミノ酸を受ける事で、三倍多くの細胞質が集まるのだ。通常であれば体組織は分子を取り込んだごく狭い範囲だけで動き、細胞膜への影響は極めて小さいが……この変異では大量の細胞質が移動するため、離れた位置の細胞膜も動く。
この酵素変化の突然変異もあり触れたもので、それでいて基本的には不利なものである。酵素を作るためにより多くのアミノ酸が必要となり、またアミノ酸分離後の酵素をリサイクル、つまりまたアミノ酸をくっつけるのに多くの結合エネルギーを消費してしまう。しかも通常でも十分な量の細胞質が集まるのに、三倍も寄ってきたところで何も効率化しない。軽度なものとはいえ明確に不利な形質であり、過去にこの変異を得た個体は数多くいたが、いずれも子孫を残せずに絶えていた。
しかしホシクモ達が数多の変異を積み重ねた事で、この形質がついに役立つ。
細胞膜の穴から分子を取り込む時……これは近くを彗星などが通った時に起きる状況だ。ではここで体組織の動きにより、噴射口が一定の方角に向きを変えるとどうなるか? 勿論、何処を向くかによって大きな影響がある。
招集酵素に起きた突然変異、そこから生じた動きは、分子を受けた方角に向けて進むもの。分子を受けた方角とは、言い換えれば彗星が跳んできた方である。そちらに向けて進めば……僅かだが飛んでくる物質の発生源へと近付く。
即ち、ついにヒミコの子孫達は『餌』に向けて進む能力を身に付けたのだ。餌が飛んでくる方に向かう事が出来れば、より多くの餌を得る事が出来る。
これだけでも多少有利だが、口と消化器官を得た事もプラスに働いた。餌のある方に前進しつつ、大きく口を広げて物質を取り込むのだ。これならばただ直進して細胞膜の穴から摂取するよりも、もっとたくさんの物質を体内に取り込める。口のお陰でアミノ酸を三倍多く使うだの、結合エネルギーを多く消費するだのといったデメリットを打ち消して余りある利点を得られた。
明確に有利な形質を獲得した新たなヒミコの子孫であるホシクモ達は、大いに繁栄した。爆発的に個体数を増やしていき、移動能力を持たない古い形質を瞬く間に駆逐していく。また自発的に餌へと集まる事で群れの密度が増し、ホシクモが形作るコロニーは今まで以上に色濃いものとなる。
それどころかホシクモの『総数』自体が、大きく増加に転じた。それも二倍三倍なんて数ではない。今までの五千倍近い数まで大繁殖したのである。
以前説明したように、餌などの資源が有限であるため生物の総数には限界がある。ホシクモの場合活動に必要な電磁波などのエネルギーは十分あったが、身体を作る物質は彗星や小惑星が運んでくるものしかなく、これが個体数に制限を掛けていた。
ただそこを漂うだけでも飛んできた物質を浴びる事で成長出来たが、これは非効率なやり方だった。受け止められるのは身体に当たった物質だけ。大半の物質は隙間を通り抜け、無限に広がる宇宙空間に霧散している。本来ならば今の何百万倍もの数を養えるだけの物資があるのに、その大半が誰にも取り込まれる事がなかったのである。
しかし餌の方に集まる形質を得た事で、新たなホシクモは高い密度を有するようになった。皆が同じ方へと集まる事で、これまでの何千倍もの密度になったのである。これはつまり、今まで逃していた物質を手中に収め、新たに数千倍も獲得出来るようになった事を意味していた。資源の『総量』が増えた形となり、ホシクモの限界もまた増えたのだ。
そして増殖したホシクモがもたらす影響は、同種間競争だけでは留まらない。
恒星の周りに生息している生物はホシクモだけではない。ホシクモのように単純な単細胞生物が、一千種近く生息している。それらも主なエネルギー源は二つある恒星が放つ強力な放射線や電磁波であり、主要な物資は彗星から供給される水分子などだ。この生き物達もただ飛んでくる物質を受け止めるだけの存在であり、基本的には隣の個体と数メートルも隙間がある状態。勿論餌は有限のため、ある程度は生存競争があったものの、さして厳しいものではなかった。
だがホシクモは数千倍もの数に増え、群れて餌に向かう性質を得た。決して移動速度は速くないが、率先して彗星に近付いていく。動けない他種は今いる場所に留まるため、ホシクモが彗星との間に割り込んでくる形となる。しかもホシクモは高密度の群れを作るため、ホシクモ達をすり抜けて飛んでくる物質はごく僅か。今まで得られていた資源が、大幅に減少する事となったのだ。
餌を失い、多くの生物が死んでいった。勿論これらの生物にも様々な形質のものがいて、より生き残りやすい個体もいたが……ホシクモが得た形質はあまりにも強力で、もたらした結果はあまりにも悲惨。食料が圧倒的に足りず、ホシクモ以外の生物種は次々と数を減らす。数が減れば繁殖する個体数も減り、繁殖が少なくなればその時生じる突然変異の頻度も減るため進化が起き難い。頑丈で変異が生じ難いという遺伝子の性質も、突発的に生じた危機に対してはむしろ不利な要素となってしまう。
一種、また一種と絶滅し、その勢いは留まる事を知らない。
『ホシクモ大量絶滅』――――観測する知的生命体はいないが、名付けるならばこのような名称が相応しいであろう大量絶滅が起きた。生命がいる領域において、生物種の何割かが短期間でいなくなる大量絶滅が起きる事自体は、そう珍しいものではない。地球でも大規模なものだけで五回起き、小規模なものであればもっと多く起きている。しかしこのビギニング星系で生じた大量絶滅は、ホシクモ以外の生物種が全て滅びたという点で特異だろう。進化速度が遅く、たった一千種しかいないビギニング星系の生物に、この絶滅を乗り越えられる形質を持っているものはホシクモ以外にいなかったのだ。
かくしてヒミコ誕生から四億年の歳月を経て、ホシクモはビギニング星系の支配者となった。
だが、ホシクモに起きた変化はこれだけに留まらない。
最後の変化、ホシクモという『種』を乗り越える変異が、この後に起きるのだ。
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