37.

 おそらくかなりの形相をしているであろうテトラと呼ばれたその女性に、わたしは羽交い締めの状態で持ち上げられていました。二冊の本が腕から滑り落ちて身長分の不利がわたしの全身を床板から遠ざけます。抵抗のため足と手を小動物になって懸命にバタつかせてみますが、腕力への敗北が簡単には取り消せません。

「ダッハッハァ!奇妙な偶然ってのもあるもんだなァ!」

 親玉の方は大ウケです。たまったものじゃありません。大きすぎた上着をブカブカと振り回して抗議します。一瞬でも味方だと思っていたのにこんな裏切り、あんまりです!仁義に篤く誠実な方だと信じていたのに!

「いやいや、すまん!知らなかったもんでさァ!ほらテトラ、離してやれッて」

「いけません主様!この子は体を透明にする奇っ怪な術を持ってるんです!離したらまた逃げられます!絶対逃しません!」

 彼女の声色はもはや素敵な宝物を誰にも盗まれたくない子供になっていました。だとしたらもっと丁重に扱ってください!このままじゃ体が縦に伸びそうです。実はもう既に少し伸びてるかもしれません。

「お、透明といやァ俺も最初見たなァ!ビックリしたッてもんよ。霧か霞か、突然クローゼットん中にでてくるんだからなァ!なァ嬢ちゃん、あれッて俺も透明になッたりできるんかい?」

 彼はわたしに大笑いの顔のまま問うてきます。してあげたら解放してもらえるんでしょうか。お生憎にもわたし自身すらやり方を教えて欲しいくらいなものです。現状の危機も上手くやれば脱せそうですし。

「へぇ〜ッ!ッてこたァそこまで込みで偶然かい!アンタますます面白ェなァ!ダッハッハ!」

 ツボに入る前にいい加減下ろしてください!足裏が付かないのって、想像よりも結構身体に負担がかかるんですよ!一回経験してみることです。他の人にやろうなんて二度と思わなくなります!次点は抱っこかおんぶです。腰に抱え込まれるのは胃がひっくり返りそうになるので却下します。

「ほら、だってよテトラ。いい加減地に足つけてやってくれ」

「だめです絶対!」

「なァに、なんなら嬢ちゃんも賢いからな、すぐ逃げ出せないことくらい分かってるだろうさ。聞いた感じ帰り道も知らねぇようだし、それにこんな月明かりでも、ここらの路地は慣れてないとランプもなしにはまず歩けねぇ」

 わたしはこの弁護にかこつけて追撃の言葉を試みます。実は後者は必ずしも正しくはないのですが、わざわざ魔法のことを明かす必要もないでしょう。テトラさんは不服そうな声でわたしに威嚇しながらしかし主様のご命令とあらばとゆっくりと獲物を惜しむように手放しました。大地よ、しばらくぶりです。靴でカタカタと木板を鳴らして再会の挨拶し、落とした二冊を回収します。……よかった、汚れてはいないみたいです。

 テトラさんからの警戒は続いているようで貫くような視線を背後から感じます。

「悪いなテトラ。明日辺りにでも、例の店のメシ奢るからそれで埋め合わせさせてくれ」

「私もそこまで子どもじゃありません」

「まあまあ。……ッと、それと頼んだあれも持ってるか?」

「はっ、こちらに」

 テトラさんはよく見れば背中に細長い筒を背負っています。今の今まで気が付かなかったのは主にそれを視界に収められる時間が極端に短かったからでしょう。背後も取られていましたし。手渡されてその内容がよくわかります。筒は正確には銃身と呼ばれるパーツです。ウォーレンさんの持っているものとは違い、明らかに両手で持って狙いを定めることが想定されている長さでした。

「だがしかし困ったなァ……かたや俺ァ嬢ちゃんとの約束を破れねェ。あれか、確か4256-依頼だったか?」

「はい」

 大人は状況を落ち着けてしまえばすぐお仕事の話です。ただこの間隙を使ってこそ子供です。バレない程度にできることといえば何でしょうか。

「となるとあれか……下請けのやつか。嬢ちゃんがどうされるか分かんねえんだよなァ……」

 まずは探しの魔法です。動作がバレないようにゆっくりやる必要がありますが直近までの経験からもはや手慣れたものです。

「ひょっとしてお返しするのですか?」

「約束したからな。だが、タダで返しちゃせっかくのテトラの頑張りを無下にしちまうだろ」

 ゆっくりと捜索範囲を広げて……広げて……。あっ!三人、人影。黒いコート、ショートパンツ、そして金属装飾のロッド。間違いようがあるでしょうか。かなり離れていますが、皆さんも必死に探して、カンテラの明かりを頼りにこの辺りまで探しに来てくださっていたようです。偶然か、ある程度目星がついてなのか、今はそのどちらでも構いません。さとられないように、できる限り顔に出さないようにしなければ……。

「テトラにとっては主様の御心が第一です」

「つッても、だ。うーん……どうしたもんか……」

 しかし問題はここです。どうやってわたしの存在を皆さんに伝えるか。大声を上げれ済むことですが、この二人に気付かれてそこからどうなるかは未知です。親分の方はまだしも、子分の方はあくまで警戒を続けています。一応、今の一連の作業に気付いている様子はないです。

「この子の親はどんな感じだったか分かるか?」

「保護者と考えられる二名を確認しています。うち一名と接敵、敗走しました」

 魔法なら突破口がある、それがひとつわたしにひらめきを与えました。わたしができることは何も人探しだけではありません。場所を感じ取る魔法、そしてつい先日アルカさんに教えてもらった炎を手元に作る魔法、そして……

―――ᛋᚣᚾᛏᚻᛖᛋᛁᛋ

「何だと?テトラがか」

「獲物の扱いが別格に鋭く、回避が精一杯でした。隙を狙って煙幕を仕掛けるのがやっとで……不覚を取りました」

 思った通り、炎の魔法はわたしの立っているこの場所からずっと遠くに離れた、ウォーレンさんたちの場所にポツンと現れます。その様子は探しの魔法越しに確認できます。これを、経路を教えるように等間隔に並べて……。

「ふむ……テトラでそのレベルなやつがいるのか」

「失礼を承知の上で進言しますと、主様でも正対からの戦闘はかなり困難な相手と思います」

 はじめ、少し警戒していた様子ですが、アルカさんが何かを伝えて確信を持ってくださったようで……ウォーレンさんがいち早く駆け出します。とんでもない速さです。距離がどんどん、どんどん縮まって……。

「かなり大きく出たな……だがそう言われると中々面白ェなァ……だがそうなると、ひとまずテトラに探させるわけにはいかんな。あちらさんも――」

「主様」

 子分は急に窓の外に近寄ります。わたしもそちらを見ると……もしかしたら、わたしの顔は青ざめたかもしれません。闇夜の宙に最後の小さな炎がゆらゆらと燃えています。

「空中になにか見えます。あれは……炎?人魂か何かでしょうか」

「何だ?今日は随分面白ェもんに恵まれ……」

 バレました……まずいかもしれません!一応、わたしの意図に気づくことはないかもしれませんが、今不審な動きをすればまた身体が宙に浮くことに……。

「……音……近い……。……ッ!テトラッ、窓から離れろッ!!」

 親玉の指令が届くかどうか、どちらにせよ、ガラスもハマっていない木枠だけの窓は、さらに形を失って、木板の破片が飛び散りました。わたしのヒーローはいつだって、そうやって助けに入ってくるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る