38.

 横壁が音を立てて崩れて階下の屋根と通じ、空間として広くなります。家々を伝い、遠くからとんでもない速さで突っ込んできた黒色のコートのヒーローは、侵入とまず目についたであろう女性に手持ちのナイフでかかります。状況変化によろける彼女ですが、受け止め、流して、距離を置きます。銃声が二発。弾いて急接近。回転で足蹴りを……。

「なっ!」

 止めた。反応しています。崩れた態勢を正すこともできないテトラさんの胴に肘、顔を鷲掴み、床へ叩きつけました。軋み、揺れ。

 部屋奥から連続して乾いた音、さっきより重い。見越したようにウォーレンさんは低姿勢に転がり躱します。動きを縫う弾丸、射手は……。

「……なるほど、こいつが言ってたとんでもねぇやつか」

 次、ウォーレンさんの二発の弾丸。一撃が抜けないながらも距離を取り、尚も立ち上がろうとしていたテトラさんが狙いです。

「がぁ……っ!……ぐっ、うっ……」

 左脚と右腕に当たったのが見えて、痛みに悶えるように彼女は膝を付きます。弾丸を再装填しつつ親分が前に立ちます。

「悪い、テトラ。俺のハナもちょっと鈍ってたらしい。こんなヤバイ奴、もっと早く気付くべきだった」

「ある、じ……さま……」

「俺が受け持つ。カエシは最優先だ」

 口に加えた弾を、折り曲げ露見した銃身の中に詰め終えた彼は、

「あんたんトコの嬢ちゃんか。拐ったんは俺だ。こいつはただ命令通り動いただけでな」

「御託は不要だ。マリーを返してもらう」

 怒気が言葉に混ざっています。あの時みたいに。

「ああ、嬢ちゃんマリーって名前だったんかい。まあでも、怒りに反して随分脇が甘かったようじゃねぇの」

「何が言いたい」

「大事なもんはしっかり手を握っとかなきゃ、なぁ。簡単に引き剥がされちまうくらいの力じゃ、いつこうなってもおかしくねぇだろ」

「……お前たちの好きにはさせない、私が護る」

「俺もかわいい子分やられて黙ってるつもりは無い」

 ピリピリと空気が乾き、また一発の音が号令として鳴り渡ります。金属がぶつかる音。接近、振り回せば両手銃は鈍器となって叩き込まれ、ウォーレンさんはそれをナイフで受け、腕で受け、素手で掴むと攻勢が切り替わります。斬りかかりが右、左、蹴りが二つ。至近距離にもかかわらず親玉はすべて往なして、大振りの動きに対して親玉が大きく身を翻します。同時に蹴り。銃を掴んだ腕は衝撃に耐えられません。自由を得た火器は、距離を取ったところで再び火を吹きます。狙いよく飛んだ二発の弾丸は、しかしウォーレンさんのコートを掠め、回避の姿勢から射線を逆転。三発、親玉もこれがよく見えています。



 戦闘が長引くことは明白で、わたしは部屋の隅に立ち尽くす以外の行動を思案します。我に返った、というやつです。今、この部屋と途中から部屋の一部になった屋根上で攻防を繰り広げる大きな大人二人は、鬼気迫りとても怖いです。挙措がただ重く、相手を叩き潰そうと、圧し潰そうとするかのようで。ウォーレンさんなんて普段から一線を超えたような違いを得ます。圧倒されている場合ではないです。事故か戦闘の結果にたどり着く前にすべきことを探すのです。

 一通りの頭の中での思索の後、わたしは暴れる二人に気を向けながら移動します。銃弾がこちらを打ち抜かないよう計算しながら戦っているのか、不思議とこっちに危険は飛んできませんが、それでも気を配りたくもなります。移動先は……。

「……うっ……、ぐっ……」

 テトラさんです。左腕は問題ないようですが、右腕はあの一発で機能を失ったようです。脚からの出血はまさに手が足りず、血がどくどくと痛ましく流れています。

「……な、なに?」

 これ持っててください。両手使いたいので。

「え、……?な、何して……」

 わたしは自分の手を埋め合わせていた二冊の本を一度目の前の怪我人の腕の中にねじ込んで、ぶかぶかの上着を脱ぎます。貸してもらってそのまま何も言われないということはどんな用途で使ってもよいということでしょう。医学や治療に知識は当然ありません。ですが、流血を止めることが一番であることくらいは簡単に推測できます。

「……ぐっ、……いっ、たたた……」

 我慢してください。わたしも素人なので。

「な、なんで……?」

 その疑問も一見しては当然です。誘拐犯の手当てを進んでする人はあまりいないはずです。ただこれはわたしのひとつの判断です。ウォーレンさんの狙撃能力は群を抜いて秀でています。けれど一方で、手足を狙うのはもっと狙いやすい人間の急所を狙うより格段に難しいはずです。つまり、あの人はあくまで止めを刺さなかった。殺すまでをするつもりがなかった。これ以上動けなくすることだけが目的ならば、安静状態での痛みはあくまで不要です。

 ビリビリにして作った非常用の黒包帯でぐるぐる巻きにした腕と脚は、赤黒い液体がじんわりと染み込みつつも、流れは止まりました。上着は後で買い直してください。でもお金出しません。

「……主様に言っておく」

 テトラさんはそっぽを向いて言いました。

 次ですが、目の前のこれを止めることです。お互い弾みから始まった戦闘なだけに、不毛なのは明らかなはずです。最後、いい感じに私がぴょんぴょんっとウォーレンさんに引っ付けば、結局親玉も諦めてくれて、わたしの安全が担保されたウォーレンさんも鉾を収めてくれる気がします。楽観的でしょうか。

 ただ互いに殺気立っており、近寄るのは当然わたしの声を聞いてくれる様子もありません。何か案はありませんか?あなたも親玉がやられては嫌でしょう。

「主様が負けるとは思えない」

 そういう話じゃないです。ちょっとは考えてくださいよ。とはいえ、刃を向け合った場を収める方法とすると、どっちかが疲れるか消耗して倒れるか、あるいは……。



 風を切る音がぐるぐると巻いて飛んできたと思えば一本の短剣です。わたしの立ち位置から五歩あたりのところに突き刺さり、この場を通り抜けたということは当然、その場で戦っていた二者が、その短剣に注意を払ったということです。崩れ落ちた壁の先からもう一人の侵入者です。ショートパンツの短剣使いは、両者の間に一瞬で入り込み、まずは……。

「なっ!危ねっ、……」

 まずは親玉の方に牽制をひとつ与えて、そこから、

「……っ!!うぐっ……、ぐぉおお……」

 後退はすなわちひとつ態勢を崩したのと同じです。銃器を身体の芯から逸らし、膝蹴り。不意打ちに加え、腕も連れてゆかれお腹は無防備に受け止めました。少なくとも悶絶して膝をつくのも無理ないでしょう。

 新たな侵入者は振り返ってウォーレンさんに近付きます。

「ハーツ、ここは私が……」

 そこから先を言う前に、彼女はストンッとウォーレンさんの頭に手刀を打ちます。

「いいから止まんなさいバカ共」

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