34.

 今後見ることもないような地下通路も使い、複雑に入り組んだ街の中をあれよあれよと駆け抜けていきました。こうなると完全に撒いてしまったものと思われます。郊外の一角、空き家の一つが目的地のようで周囲を警戒しながら彼女は裏戸から入ります。仮拠点として潜伏するにはうってつけの立地でしょう。室内で歩みを止めた彼女は、小脇に抱えていたわたしをようやく地に足付けました。

「しばらく待って」

 それだけ言って、彼女は壁の傍に立って黙りました。とりつくしまのある雰囲気ではありません。まずは簡単にでも周辺の観察から。

 室内、中央にはテーブルが一つ、椅子は二つ。紙の束と黒インクの乾いた羽ペンが乱雑に置かれています。拠点の扱いとしては無難なところでしょう。錆や木板の朽ち方から長く使用されていないことが伺えるその他の調度品たちは表面に薄く埃を被っています。無断で利用している線が濃いでしょうか。元の持ち主の存在も感じられませんのでとやかく言う人もいないのでしょう。あとは上り階段と表への出口が見えます。活路は一先ずそこでしょうか。

 次にわたしの現状について。以前の誘拐と異なり今回は、昏睡状態にされる、手足を縛られる、などがありません。監禁も見た目の上では緩く人数もたった一人。組織性が薄れたあたり、隙を探せばどこかにはあるかもしれません。しかし、先ほどの「待つ」というのが何を待つかと思索すれば、待ち人の相手は依頼主とか親玉とか、とにかくわたし目当ての悪いやつのどれかに該当するはずです。

 以上を綜合しての判断ですが、やはり一刻でも早くこの場から抜け出さなければ。夕闇が世界を溶かしてしまったらなお手遅れです。幸いはやはり人の目が一つだけという事実です。誘拐彼女の顔を伺います。改めてみると丈は思いの外低く、アルカさんよりは少し高いかどうかというくらいです。目を瞑り、腕を組み、じっと立って微動だにしない様は、ひょっとすると意識すら手放しているのではないかと思えるくらいです。一方先程までの身の熟し、あらゆるものに敏感に反応できる態勢を既に取れているのかもしれません。これが隙だらけなのか隙がないのか、高度な心理戦を駆け引きしたわたしの頭脳は、最終的には敗北し、騙し討ちな取り掛かりは効かないと結論付けました。ウォーレンさんやハーツさんはこの場所を見つけてくださるでしょうか。もしかすると、今頃アルカさんとも連携して探してもらえているかもしれません。でも、わたしですら分からないこの場所を見つけるなんて……。

 目を盗んで逃げる、という選択肢が潰れてもなお何かのアプローチは取るべきです。このまま人が二人三人と増えれば、逃亡の成功確率がただただ下がるだけです。先程わたしは自分の身の危険を案じはしましたが、思えば誘拐の目的は少なくとも死体ではなく息のある身体です。ならば、私のこの身は今、ある種完全に守られているとも言えるでしょう。強引な手を打てるという視点もあります。少なくとも刺激しないように、会話から入って損はないはずです。

「……?何」

 誘拐彼女は目を開けて、呼びかけたわたしに応じました。完全に壁と同化したわけではないようで助かります。言葉少なですが態度は柔和です。

「……目的?」

 直近で、拉致された時にすべき質問の模範を確認できていました。しかし彼女はまた目を閉じて、

「主様が来れば分かる」

 来てからだとわたしにとって遅いことは見て頂けないようです。親玉の線が正しいことが分かっただけ、アムシースの彼らとご対面するまでにタイムラグはあるでしょうか。彼らと接点はないもののわたしを目的としているような第三の勢力図を描くことも可能ですが、わたしには同じようなものです。

 様子を見る限り、この人は魔法の如何を持っているようには見えません。ハーツさんと相対した際も結局物理的な仕掛け方にすべてを頼っていました。なら、無闇に使った魔法を簡単に気付かれるようなこともないでしょうか。ならば……


―――――――ᛢᚢᚨᛖᚱᛖ――


 なるべくバレないよう、所作や息遣いに現れないようにゆっくりと探しの魔法を起動します。正面からの経路は開けた先は見晴らしが良すぎて、左の路地、右前の家屋辺りが候補です。いずれも少し距離があり、先程の彼女の機敏さを見るにこの時点で振り切れるかどうかは少し怪しいでしょうか。路地は直線的ですので現実的ではありません。家屋内に入ってすぐ右斜め前のクローゼットが使えるかもしれません。

 上の階へは行き止まり……ではありません。寝室として使用されていた跡が基本ですが、隣の家の窓枠へ板が渡されています。明らか不安定ですが重力は使いようで罠にもなります。

 当然ですが背後にある一番近い裏口は、彼女が傍に立っているため事実上壁と同じです。

 選択肢が見えて来ると、計画も練りやすいというものです。机を挟んで先へ行き、扉を開ける。簡単に視界を塞ぐ事ができるため、できれば後ろ手に閉め、進路も妨害します。ここまででもし時間がかかったようなら、扉の後ろに隠れて入れ違いを狙って二階の橋渡しの方を狙いましょう。いいタイミングで木板を引き抜けられたら大きな時間稼ぎもできるはずです。遠くに逃げることを意識すると結局わたしの脚力では追いつかれるに決まっていますので隠れてやり過ごすことを狙いたいです。遮蔽物が多い分家の中は有利ですから、開けた路地は狙わないほうが良いです。探しの魔法でずっと周囲を監視し続ければ、やり過ごしやすくもなるでしょう。

 ……完璧ですね。先の先を読めば、厳しい状況でも活路が見いだせるのです。諦めそうになったときにはこれを教訓として行きましょう。実証開始です。まずはドアのところまで走り抜けて……

「どこ行くの」

 首元が引っ張られたかと思うと、足だけが前に投げ出されました。四歩目が宙を舞い、そのまま後ろに傾いた重心を矯正します。テーブル横を通り過ぎることができない、現場の全てです。

「勝手なことしちゃだめ」

 掴む場所は服の襟から肩に変わり、元の位置に巻き戻るよう促されます。教訓を、時には諦めも肝心というものに切り替えるべきかもしれません。


「……えっ?」

 目を閉じて反省点を上から順に黙読していた最中、わたしの肩から彼女の手が滑り落ちました。

「嘘……ついさっきまで、たしかに、ここに……」

 彼女は急に周囲を見回します。わたしのことなど、全く気にかけていないかのように。いや、むしろ最大限気を回して、なおこの有り様なのでしょうか。彼女が手をフラフラを動かすと、わたしの腰元にぶつかり、それに彼女は手を引っ込めました。

「ま、まだいる……?いるなら返事して!」

 間違いありません。わたしが見えないのです。

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