31.

 明くる朝、わたしの心臓はこれまでになく強く脈打ち、これを身体の中に押し込めて待ち続けるのは大変苦労しました。

「済まない、遅かったようだ」

 ウォーレンさんは午前中にも作業があったものの、正午少し前に到着いたしました。わたしが早く来すぎただけですので大丈夫です!

「そうか。……その髪はハーツか?」

 落ち着かず、ずっと右手でいじっていただけにウォーレンはすぐ気付いてくださいました。時々ハーツさんに梳いてもらうくらいでさして気にかけてこなかった私の白い髪は、今日は三つ編みで右肩に流しています。提案された渾身の簡単オシャレというのがこれで、昨日にお試しをしてもらい、今朝また結ってもらいました。昨日の時点ではとても気に入っていたのです。でも、わたしが気に入るかどうかとウォーレンさんに気に入ってもらえるかは別問題です。

「そうか、アルカにしてもらったのか」

 あんまり弄りすぎると解けてしまうそうなのですが、不安で仕方ないです。どう、でしょうか……?

「とてもよく似合っている。素敵だ」

 もちろん、ウォーレンさんが否定的なことを仰るとも思えませんが、しかしそれでも、この一言がないことにはわたしの心の安寧は保てなかったことでしょう。そして今度はいじらしくむず痒く打ち回るわたしの心臓を抑えこむために、引き続き自分の今日だけの特別をついつい触ってしまいます。

「ところで、そのアルカやハーツは?」

 ウォーレンさんは周囲を見回します。二人きりの特別な時間ですから、お二人がいないことを確認しているのでしょうか。

「二人きり?いや私は……」

 そこまで言いかけたところでウォーレンさんは視線を固定します。何かあるのかとわたしもそちらを振り返りましたが、家屋の並びと背の低い植え込みが見えるだけの、少し歩いても見つかるベリルマリンの風景でした。カモメがたまり場を為してとりとめもない話をしているくらいです。何かいたのでしょうか。ひとまず探しの魔法であたりを調べようかと構えようとしたとき、

「……了解した」

 ウォーレンさんは途端に何かを了解する事があります。

「では行こう」

 ウォーレンさんが黒手袋の手を差し出します。初めて会ったときからずっと、この手を取るとわたしはお姫様になったような気分になれます。迷う必要は全くありません。



 さぁ、おひとくちどーぞ!

「私は結構だ。君が食べなさい」

 そうはいきません。今日はデートなのですから、ウォーレンさんも楽しまなければ。

「それは……そうだな。君の言う通りだ」

 ウォーレンさんは自分のマスクを引っ張って口元に空間を作ります。意を汲んでわたしは、その隙間に先程買ってもらった甘いタレのたっぷりかかった熱々の肉串を差し出します。先端を噛み切り終える感覚が腕に伝わってから戻し、感想をお聞きします。

「……うん、美味しい」

 でしょうとも!自分で作ったわけでもないのに、さも自分が褒められたように胸を張りました。わたしもわたしでこの幸せを口の中に頬張ります。街に来たときにいただいたこの味がわたしを飽きさせることはありません。そして何より、この味を二人で共有できること。二人で食べると、何倍でも美味しく感じられます!

「あぁ、とても好いものだ」


 程よくお腹が満足してから、お洋服を見てみたいと提案したのはわたしでした。漫ろ歩きもこの瞬間においては格別ですが、街並みを楽しむついでにもなります。通りは相も変わらず人がたくさんいました。活気と呼ばれる力が存在するならばここではそれこそ、魔法のように大きなことを為せそうです。

「この近辺もそうだが、世界には未開地域とされた場所が多く存在する。山岳地帯や日も差さない深い森など、ちょっとやそっとじゃ人が住めた場所ではないが、鉱石資源や貴重な植物は高い値が付きやすい。街をゆく彼らの中には……ほら、例えばあの集団だ。彼らなどは、そんな場所へ機動性の高い装備と日持ちする携帯食だけで数日以上かけてそういった貴重資源を採取し、商会に売り捌いて生計を立てている」

 ウォーレンさんが示した方々は、手に持ったカップいっぱいのお酒を数日ぶりに仰いだかのように楽しみ、お互いを称賛し合って談笑しています。

「ハーツも恐らく元は彼らに近いことをしていたのだろう。鳥のような自由さを好む彼女の性格にもよく合っている」

 ここ数日などはわたし達に付き添って一緒にお仕事をしていましたが、ハーツさんには厨房よりももっと広々とした場所が似合っている気がします。しかしそれで言えば、わたしはウォーレンさんの話が気になりました。

「私か?」

 はい!不都合なければゆっくりできる時間にでもお話を聞きたいと思っていました。

「……君が楽しめるような話ではないだろう。話しても仕方ないと私は思う」

 そんなことはありません。わたしのお名前の由来のこともあります。気になって、むしろ当然とは言えませんか?わたしはウォーレンさんとつないでいた手を両手で握りなおします。

「気付いていたのか、姉の名前について」

 むしろ、今の今まで隠し通せていたと思っていたウォーレンさんに驚きなくらいです。本当は暗に伝えてもらえていたものだとすら考えていました。

「……たしかにそうだな。その点は君に少し話すべきだ」

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