28.
こういう場所はもう二度目です。前回と違うのは明らかにこれが夢ではないということ。朦朧として溶け落ちる様子はなく、地面も歩ける水から硬質な白床に変わっています。一周をぐるりと見渡してもやはりめぼしいものは一つとして視界に映り込みませんが、荷馬車が映らない分殺風景さに磨きがかかっていると言えるでしょう。
「ごきげんよう」
この場においてわたしに話しかける声は、もっとも関心を向けるに値する代物です。
「漸くまた貴方に会えた」
黄帯の掛かった白いローブ、濃紺の宝石装飾、そして、黒い仮面。
丈はウォーレンさんと同じくらい。正対した彼をわたしは見上げます。
「……私の目的は何か、と」
わたしの開口一番の質問はそれでした。
「成程鋭い。此の場に連れて来られて場や名の如何より先ず其を問う」
彼はローブを翻し、ゆっくりと歩みを始めました。わたしもそれに続きます。
「アムシースは私の知る限り汎ゆる叡智の集成した街だった。彼等は其の知の繁栄と存続の為、時には手段を選ばず寧ろ其の行いを正当化し続けた」
彼は歩きながら左手の指を靭やかに動かし、右手に少し分厚い本を取り出します。
「君の知人も其の一例に過ぎない。長い年月を掛け、才覚有る子女を拉致、軟禁、教育し、其れ等も定礎の一部として今の……失礼、嘗て存在したアムシースは均衡を保ち続けていた」
彼が最後、パチンと左手の指を鳴らすと、白い空間は瞬きをした様に一瞬で様変わりしました。底抜けに明るい青い空、その空の底に溜まった白い灰砂。強光の太陽は、先の一面の白よりも寧ろ明るく感じます。この光景を忘れたことはありません。
「私を含めアムシースの魔法使い達が課せられていた責は、街の維持と存続であった。然し自己保身的な老兵達からの押し付けな指示を鵜呑みにして仕舞える程、私の心根は
彼が右手の本を横に振ると時軸は夜に移り、白砂の荒野は暗闇に包まれます。星が天頂を散り、泰然と揺れ、大地を震わす音が聞こえてくるかのよう。
「質問に応えよう。私は貴方に時間を工面している」
私の前にカラカラと乾いた音を鳴らして低い木組みが組まれ、共なく火が灯り、焚き火の火としてチリチリと音を立てました。香辛料とお肉の香りが直ぐ側にでも感じられそう。火を挟んで彼は立ち、
「斯く死後ですら、小さな絡繰を組み上げて少しは君を愉しませられる舞台程度ならば簡単に用意できる。然し収束を捻じ曲げる事は如何しても能わない。故に私が貴方に成し得る事が時を稼ぐ、其れだけだからだ」
パチパチと木が爆ぜて、わたしは目を閉じて心を集中させる時間を得ました。相手の言葉をゆっくり噛み砕けば、紛らわしく要点を避けるような話し方は明らかで、質問はいくらでも喉奥から浮かび、口元から飛び出します。
「……其等の点に就いて私は詳述しない。何れ君は知る。其の事は既定されている。待って居て欲しい」
彼はわたしに目線を合わせる意味で焚火の前に座り込みました。やっぱり本筋には触れてもらえないようです。何故話すことができないのか、隠す理由は何か、ならば何ならお話しできるのか、いろいろを追加に聞きまわしても、応えは芳しいものではなく、それらの反応はわたしがこの場にたどり着いた時の興奮を冷めさせるようなものでした。そもそもわたしをここに呼び出したのは彼のはずで、その上でふんわりとしたお話しかなさらないのは、実は余程に計画性が無いということではないでしょうか。普段からお仕事や人間関係も散々にたらい回しにしているお方なのかもしれません。
「まさか」
彼は一息笑い、
「其を言われるとは。確かに人間関係に就いては再考する余地が有ったと思う。だが仕事は完璧に熟していた自負がある」
自分で言いますか。
「私の仕事が完璧だから、今貴方が此処に居る、と云うのは流石に言葉が過ぎるが、それでも、貴方からは感謝状の一つも貰って善い頃だ」
笑み交じりに喋る彼の冗談はわたしには幾分も刺さりません。助けてもらえた実感の一つもありませんし、こんなところでハーツさんとお勉強中の文字書きを発揮するつもりもありません。
「では、
開いた本を閉じると、彼が見せていたという大舞台は霧と立ち消えます。また、最初のあのただ白く何も無い空間に。
何かが頭の奥底から蘇ろうとして、そして沈んでゆきました。彼は立ち上がり、わたしの側に寄りました。
「海を渡った先にカンランと云う小さな村が有る。其の村の大屋敷を訪ねなさい。貴方の知りたい事は其処に有る」
彼はわたしの頭を撫でて、たったそれだけを伝えました。たったそれだけ……。
「不満か?」
当然です!それくらいの書き置きでもして頂ければ直ぐ分かるような用事のためだけにわたしをここに呼び出したのであれば、徒労も強く感じるというものです。せっかくならもっと早い段階で伝えてくれたなら良かったのに。これでは頭を撫でられても気分良くありません。
「ならば安心して欲しい。当然此れは序でだ。本命の仕事はもう済んで居る。現役の頃は余り話題に為らなかったが、魔法隠しは私の得意分野だったんだ」
その言葉を聞いてわたしは自分の身体を見回します。特に変化があるようには見えない点が、気味の悪さをあまりにも引き立てます。この空間に誘導された時からわたしの身体をこっそりと弄り回されていたみたいに。
「言い逸れていたが、善い服と靴を選んで貰った様だ。似合っている」
普通は誉め言葉ですが、今言われると気持ち悪さに拍車がかかります。
「……賛辞に練習が必要な事迄は見透せ無かった」
露骨に落ち込んだ様子を見せられると、それはそれで困ります。ただこの反応は少しの愛嬌を感じ、寧ろわたしはこの反応の好機を逃してはならない、と思いました。悪いと思っているなら、を枕詞に要求するのです。
「……貴方の事に就いて何か……そうだな……」
話すことを少しは譲歩しても良いのではないでしょうか。少なくとも彼はわたしの味方の筈です、よね?詰め寄る言い方をすると、彼は渋々といった形で口を開きました。
「人も魔法も万能ではない。だからアムシースも消えている。貴方は謂わば、魔法に選ばれた存在だ。白砂の地に咲く一輪の花の様に、貴方の存在は特別で、格別だ。けれど魔法に選ばれる事は生きる事の全てでは無い」
彼はわたしの両肩を掴み、目線を近づけました。
「其の点を誤った私達の様に為って呉れるな」
それを言い放って、彼は背を向けて、歩き始めました。視界に霧がかかり、徐々に濃くなり、それはわたしの意識の追放に直結しているように覚えました。もう行くのですか?
「私が行くのでは無い。貴方が此れから長い旅を往くのだ。善き友人達と共に」
彼の言葉は決意めいていて、しかしどこか寂しさを感じるのはなぜでしょう。
だからこそ最後に、聞かなければならないことがあります。わたしは、立って、呼びかけます。
「何だろうか」
お名前を、教えてください。
「最初に聞かなかった辺り、聞いても無意味だと理解して居る物だと思ったが」
大事なことです。
「成程」
彼はしばらくの静寂の後、ゆっくりと名を口にしました。
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「死人の名に価値が有るとは思え無いが」
それはわたしが決めることです。あなたが決める事ではありません。
「……では、貴方の名前をお聞きしたい」
「そうか」
「最期に聞いて善かったよ、マリー」
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