29.
現実に引き戻されるのもやはり一瞬で、身体に小さな負荷がかかる程度以外の異常はなく、どうやらお相手していた大魔導士さんは帰りのエスコートまで気配りが行き届いていた様子です。
「マリー、どうしたの?」
ハーツさんが一番で、ウォーレンさんが二番手でした。軽い論駁が続いていたところを見るに、時間合わせまで完璧にエスコートされたようです。
「あっ、もしかしてそれ触って何か感じたとか!?」
見るとわたしの左腕は依然としてこの巨大結晶との接触を試みており、しかし先程の空間転移以外の成果がない様子で、掌からは石特有の硬く冷たい皮膚触覚だけが頭を優しく刺激します。
「再三になるけど、何かするなら先に言ってよね。まぁ流石に触れたくらいじゃ何もなかったみたいだけど」
「やはり、事前の準備や儀式等が無ければこの代物は無用の産物である可能性が高いか」
どうやら行き品の方まで丁重さが現れていたようです。わたしは自分に起きたことを説明する必要を感じました。急務として。しかしそれは、右手に感じた直方体に分類する手触りにすぐに思いとどまらされてしまいます。
「ん?マリーちゃんそんな本持ってたっけ?」
皆さんは集まってそれを注意深く眺めます。この洞穴の探索を開始してから見たこともなかったはずの代物は、良く注目の的となりました。ただ、この本の出所とその如何を、わたしが問う必要はありません。ちょっと気味悪がる程度です。重厚な革の装丁に濃紺の宝石が数個埋め込まれ、紙は年季を吸ってやや黄色い。彼の本です。
「つまり、今の一瞬の間にアムシースのお偉いさんとタイマンで話してきたってこと?」
ハーツさんの再確認にわたしはコクリとうなづきます。
「すごぉっ!魔法反応も一切感じなかったし、こっちから見てる分にはマリーちゃんがちょっと結晶に触ったようにしか見えなかったよ!」
無論わたしではなく彼が凄いのでしょうけど、称賛を浴びせるべき対象が既に今世にいらっしゃらないので代役としてわたしが受け取っておくことにします。
「怪我は無いか。他で精神的に苦痛を感じる言葉を投げかけられた等は」
全然問題ありません。わたしに手を上げるような素振りもなく、むしろ味方と思える行動ばかりでしたし、何よりかなりの気遣いを感じました。
「……ならば良かった」
ちょっと態度が気持ち悪い人でしたが、そのことは黙っておいてあげましょう。
「何でもありな連中とはずっと言ってきたけど、いよいよって感じね……。瞬間移動で誘拐できるようじゃ、対策のしようがまるで無いじゃない」
「攫われる前に実体を叩くしかないということか」
「正気で言ってる……のよねぇ、こいつは」
ハーツさんは一つ息を吐いて、
「ひとまず、えーと、カンランって言った?そこのお屋敷を訪ねればいいんだっけ」
はい、仰る通りです。
「カンラン……名前は聞いたことあるけど、なーんかそんな大事なものがあるって感じの村じゃないのよねぇ〜。アムシースと絡みがあったように思えないし」
「むしろ海を跨いで先の殆どの地域は、アムシースとは縁もゆかりも無いことだろう」
けれど、まさにお偉いさんが名指しで呼んだ場所です。地理的整合を取って導き出した答えすら信頼できた今、この針路には期待が持てます。……どうせなら針路なんてなしで全ての話をここで終わらせて呉れれば良かったのに。
「この本のことも教えてくれるのかなぁ。結局すごく質の良い魔道具ってことぐらいしか分かんなかったし」
「まっ、そいつがマリーの味方だって言ってるんなら、その辺含め全部に考えでもあるんでしょ。死んじゃったから考えも何もありませーん、なんて言ってきたらその時ぶっ飛ばしてやるわ」
気性の荒さは普段通りで、この普段に、わたしは程々の手加減をお願いする処でしたが、今回に限っては彼にも痛い目に遭って欲しいと云う気持ちが上回りました。
「というか、マリー、なんか口調もちょっと変わってない?」
其の様な事は……うっ。わたしは、自分の喉から出てきた言葉を押し戻したくて口元を手で覆い隠します。ちょっと話をするうちに知らず知らず頭に刻み込まれていたようです。
わたしたちの旅における大きな欠陥は主に二つで、一つは目的地や目標の不透明さです。ベリルマリンという最終目的地に到着し、なんとかこの街に隠された大きな秘密を見つけ出しはしましたが、結局あてずっぽうにこの地にふらふらと訪れたことは間違いなく、加えて次なる目的地、カンランへもまた、ふらふらと訪れることになりそうです。アテがなく、確証のない旅、決して旅の最終地点にわたしの望むものがあるとも言い切れない。それは旅として致命的な穴たり得ました。そしてもう一つは……。
「いらっしゃいませ〜!奥の席どうぞー!」
アルカさんの気持ちの良い呼び込み声が、カウンター裏で懸命にお皿を拭いているわたしの耳に届きます。さっと目を遣ると、給仕服をひらひらはためかせながら、右手にジョッキを3つ、左手にサラダ、持ちきれなかったその他を空中に抱えて床を滑るように移動しています。お皿が一つ置かれるたびに歓声が湧き一夜にして食堂の話題の人となったアルカさんは、今日も天井を衝くほどに宴の席を盛り上げています。
「あ、全部終わった?」
ばっちりです!の意味でわたしは自分の成果物をハーツさんに見せます。丹精込めて磨いたので使われる前よりもピカピカに光っているはずです。
「お疲れ!あたしはちょっとかかりそうだから、座って休んでて」
ハーツさんは木べらで大鍋を軽くコツコツと叩きます。了解です!休憩もまた、厨房を任されたわたしに課せられた重要なお仕事と理解しています。ハーツさんも食堂の方をちらと見て、例の大道芸の様子を見ました。
「また調子に乗ってやらかす前に注意しとかないと……」
そうぼやきつつ、また自分の料理の完成に集中しました。
調理着を身に纏ったまま裏口を出ればすぐ、なんとも上に座ってほしいと訴えてくる木樽たちが見つかりました。そこまで言うならと、わたしはお尻を乗っけて足をプラプラと揺らします。踵が当たれば液体が揺れて木板が震える音がしました。
あの洞穴から戻ったわたし達は屯所のご主人に再びお会いし、ウォーレンさんはそこで橙色のペンダントをお渡ししました。ご主人さんもそれですべてを察したように受け取って、この一件は幕を引き、すなわちわたし達の旅の目的は次の段階へ移ろうという時、
「路銀が厳しい」
というのはウォーレンさんの言でした。
「クライストールの時点で既に厳しい額ではあったが、半年ほどは問題にならない計算だった。……が、海を渡るとなると心許ない」
思った以上の大冒険航路になってしまっただけにウォーレンさんの借りたお金ももう持たないということでした。ハーツさんも少し蓄えがあるらしかったのですが、それをアテにし続けるのも勧められたものではありません。その時に声をかけてもらえたのがご主人だった、というわけです。人手は十分に足りているそうですがご厚意の意味もあるそうです。住み込み、加えて賄い付き……です!
「マリー」
取り出した彼の本を観察するのも飽きて空の雲の数を数えて暇つぶしをしていると、ウォーレンさんの声が聞こえました。ウォーレンさんは荷運びの担当です。そちらのお仕事も終わったのですか?
「いや、もう少しかかる。……ちょっと失礼する」
ウォーレンさんがわたしの座ったワイン樽の隣に腕を回したのを見て、わたしは急いでぴょんと飛び降りました。
「大丈夫だ、一つだけだからそのまま座っててかまわない」
そういわれて図太く座り続ける気持ちになれないのもわたしです。ひとまず壁にでも寄りかかっていようと思います。
「……すまない、マリーも一刻も早く旅を進めたい気持ちだろうに」
それはここ最近何度も聞きました。その度に何度も言っていますが、どこかで直面した問題でしょうし、今ここでこの形で解決に向かえるのはむしろ好都合なほどだったと思います。加えて、聞くところではこれから寒さが厳しい時季が始まるそうです。出航する船も少なくなるそうですしむしろ足止めを受けるべきだったのでしょう。また暖かくなったら旅を始める、それはみんなでも決めたことです。
「……本当に、迷惑をかける」
むしろこっちのセリフです。ウォーレンさんは極度に気を遣う所があります。そこが優しさでもありますが、わたしもこうしてお料理のお手伝いをするのがとても楽し――。
その一瞬、雷が落ちるような音がして、わたし達は二人して会話を中断しました。ウォーレンさんもこの大きな音に反応して動きを止めます。ただ、音の源は簡単にわかりましたので、大きな心配をするほどでもありません。すぐ判ることでした。
「……任せていいか?」
はい!
「では、引き続き頑張ろう」
了解です!ワイン樽を抱えて離れるウォーレンさんに手をわたわたと振ってしばしの別れを伝えてから、わたしは食堂へ戻ります。割れたお皿が少ないといいのですが。
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