25.
わたしの歩調に影響されてか、血の気が引いた顔だったアルカさんも大分落ち着いた様子に戻りました。森は先程までとは比べ物にならないほど広く、本来なら反対側へ抜けているくらいには歩いている頃です。時間をおいてから探しの魔法を使ってはいますが、推測される現在位置は変わっていません。むしろあの森から消えたのはわたし達の方なのかもしれません。
「……たしかに、僕もだんだん違和感を感じてきたかも」
森の景色はずっと同じ。何の変哲もない、何の特徴もない、何もない森です。
「なんというか、普段する匂い……みたいなのがしない。空気、土、木漏れ日……全部が全部何か違う。まるで全部作り物みたい」
特徴がなくても、この異常性をもってしてはわたし達はあらゆる方角に警戒心を払わなければなりません。そうでなくとも、脱出できない森というだけでもその活路を見出すために周辺の細やかな観察は欠かせません。
ただし、この大仕掛けを作った側の意図は、十全には分かりませんがある程度は推察できます。わたしとアルカさんの二人をこんな風に軟禁するということは、まず魔法に関連する何等かの適正を重視しており、加え、追い出そうとしているのではないわけですから歓迎の方針を向いているはずです。
「あっ、ねぇマリーちゃん!後ろ!」
肩を叩かれてわたしも振り向きます。明らかな直進を続けていたはずのわたしたちの背後には、何らかの構造物とその周辺にできた小さな草地の広場が見えましたもてなしの準備が整ったというところでしょう。
「すごぉ……なにこれ」
真っ黒な直方体というのは、絵や頭の中に浮かべるだけならばこれほどの異物感など感じさせません。しかし長らく手入れがされていないようで彫刻された陰影には風で巻き上がった砂が少し入り込み、その線分が意味するところは何らかの文字と、またもや紋章です。
「あの時見たやつとも似てるね、相変わらず僕には意味が分かんないけど」
あの後、アルカさんたちの村にあった紋章をまたみんなで見に行ったのですが、誰もその本意を解読できず、わたしもわたしでもう一度あの魔法を起動させることができなかったので無駄足になってしまいました。今回のアレも、わたしなら動かせるかもしれません。……背が必要ならまた別ですが。
草原の中央に鎮座した黒石はこの場を取り仕切る能力を持っているかのようで、加えてこの構造物の足元には人が二人並んで通れる程度の洞穴の入り口がぽっかりと開いています。彼らの本命はこの中でしょう。何しろ広場にはこの他何もありません。殺風景もいいところです。
「ん?あ、ちょっと待って」
アルカさんは急に反転してロッドを掲げて歩き回ります。空中を飛ぶ見えない糸を探し回っているみたいに。
「なるほどなるほど……そういう感じか!」
濃碧のローブの懐からすっと取り出したメモ帳にアルカさんは何かを書き込みます。見せてもらえず自分の世界に入り込まれたら、見たくなるのが性分です。
「あっ、えっとね。どうやらあの黒石から大きめの魔法干渉が行われてるみたいで。簡単な干渉なら僕もできるんだけど、ここまで自然で綺麗な方法は目からウロコって感じでさぁー」
そこから仕組みについて話していただけましたがはっきり言ってよくわかりませんでした。何かが何かに何かをしていて、何かがうまく何かを……といったあたりでわたしの集中力が切れそうになっていることに気が付いて、
「ひとまず、みんなもここに来れるようにしよっか」
みんな、というとウォーレンさんたちですか?できるのですか、そんなことが。
「まぁね~。仕組みがわかればちょちょいのちょいってね」
アルカさんは再びロッドを構えなおして、細かい詠唱を重ねます。さらに日が傾くまでもの時間などは当然不要で、すぐにでも下準備は終わります。ゆっくりと光彩の粒が束と重なり、アルカさんの身体を包み、ロッドを高く掲げれば、光は瞬時にあたりに散ります。その瞬間から、わたしの周囲の煙は晴れて、今まで見えなかった多様な色、触感、空気感が肌の直ぐ側にまで感じられるほど……。むしろ今までどうしてこの視界の悪さに気が付かなかったのかが不思議なほどです。
考えるまでもなく探しの魔法を行使します。ずっと何かに妨害されていた、それが解かれた今となっては、森の様子がありありと見えます。木々の揺れ、土の感触、そして、今わたしの真後ろにある黒石は無機質に聳え、そして洞穴を入ってそのずっと下には……。
「どう?霧がかかったみたいなのがなくなったかな」
はい!もうばっちりです。視える範囲にハーツさんたちも居ます。
「よし、心配させてるはず……。すぐ行こう!」
ロッドは高く掲げたままのアルカさんに対し、わたしは方角を示します。
大人三人の元へ駆け寄った際の反応が、一時遭難者に向けられる憂慮に合致しなかったのは、どうやらあれだけ歩いたにも関わらず実際にはほとんど時間が経過していなかったからのようでした。時間認識までもをかなり曲げられていたということでしょうか。
ウォーレンさんだけは怪我はないか、気分は悪くないか、わたしの無事をかなり安堵した様子で迎え入れてくださりましたが、
「ちょっと目を離した間にすーっとどこか行っちゃうんだもん」
ハーツさんの視線では少しの寄り道程度に感じられていたようです。以後気をつけます、とわたしは型紙的に応じましたが、今回の遭難は予防出来ない部類だと思えます。
「無事でよかった」
いつかのように抱き締められ、頭も撫でられると、むしろ大仰に感じます。
魔法の効力も無くなればここはただ、その深部に秘密を野ざらしにした森でしかありませんでした。黒石の前まで到達したところでアルカさんは掲げたロッドを下げ、一連の見える光景の説明に移ります。
「……で、多分この下が……」
「なるほど」
洞穴の入口はポッカリとこちらを飲み込みたいと待ち構えています。その口元に近寄れば、空洞内の冷たい空気がゆっくりと外の日光に暖められる過程をその肌身に感じることができました。
「二人だけ違う……空間?に紛れ込んだって聞いた時は焦ったけど、間違いなく大手柄ね」
「でしょでしょ〜?ほら、マリーちゃんのこと褒めたげてよ〜」
肩を持たれてずいずいと差し出されたわたしは、アルカさんのご自慢の高級骨董品となってふんすと頭を撫でられるのを待ちます。……うぅ〜〜!何度味わってもこの感覚はやみつきというものです。
「こんなにも街に近い場所にこんな場所があったなんてなぁ。今まで気付かなかったのが嘘みたいだよ」
「無理もない。近隣住民には当然、あらゆる外部の人間に気が付かれたくなかったのだろう。彼らにとって相当重要な地点だったと伺える」
「けど何してた場所かはこれだけじゃ分かんないんだもんねぇ」
わたしの力不足というものです。先程、皆さんが揃ったということで黒石にある紋章を今までの要領で解き明かそうとしました。やはり最大の障壁となった身長を補填すべく、ウォーレンさんに肩車をしていただいて顔を近づけ手をかざしました。が、反応は皆無。思えば今まであったような惹きつけられる感覚もなければコエも聞こえてきません。今までの紋章とはどこか目的も意図も違うような。
「となれば、残る答えはこの中にあるだろう。暗所になるが彼らの整備が行き届いていればそれも気にならないはずだ。しかし……」
「あんたの疑問も分かんないでもないわ」
考え込んで言葉を途切れさせたウォーレンさんに、ハーツさんは同意を示します。
「重要そうな割に、人の気配が全然感じられない。魔法で誤魔化してるだけ、ってのだとあいつら的には不安になりそうなもんなのに」
そこを聞いてわたしははっとしました。クライストールでわたし達を襲った一味はおそらくアムシース関係の残党であり、拠点を持つ程度には集団性を持っているはずです。その彼らが、こんな格好の場所を人の目をつけず野ざらしにしているのは違和感があります。噴火の影響でただでさえ寄る辺もないはずなのに。
「もちろん、洞穴内部にいる可能性もある。慎重に越したことはない」
ウォーレンさんの提案で、自衛手段を持たない主人さんは一度お帰りいただくことにしました。閉所の人数はなるべく最低限にすべきです。わたしやアルカさんももちろん存在として心許ないはずですが、むしろ現場はウォーレンさんやハーツさんの方が不利な場だとも言えます。魔法を扱えないと進めなくなる場面まであるかもしれません。
「私の目が届く限り、君たちには指一本触れさせない」
コツコツと響き渡る足音が、洞穴のひんやりとした空気を感じるごとに大きくなり、外の光が黒に閉ざされていくごとに、黒はだんだん岩肌と木柱の陰影を細かくしてゆきます。いつか見た眩しい白い灰の底、それを孕んだ青い外が、今度は視界の隅へと消えていく。私の後を続くハーツさん、彼女が小さく呟いた声は洞穴内を進む四つの残響にかき消されてしまいましたが、たしかに、たしかにそう聞こえた気がしました。
「あいつも、ここに来たことあったのかな」
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