23.
大きな水の塊を見たのは二度目です。とはいえ一度目は夢の中でしたし既視の感想を以てしても新鮮に感じました。
石畳の道がわたしのお気に入りの靴からコツコツと気味良い音を鳴らします。白壁に赤屋根を被せた街路は、空気にすでに海の潮の香りを多分に含んでいて、かと思えば屋台からはお芋やお肉の焼ける匂いが、わたしの食欲を突きまわします。一方この誘惑に少し視線を外してしまうと、わたしの前を歩く皆さんを見失ってしまいそうで不安で、気になってしまう心とただただ天秤を揺らすように戦います。
「ねぇねぇ、あれ食べてかない?」
「えっ、いいの!?」
「別に急いでるわけじゃないし。ねっ?」
「問題ない」
ハーツさんが、ちらとこっちを見てウィンクしました。少し恥ずかしいです。さっ、一緒に選びましょ、とわたしの手は美味しい香りの方へと導かれました。
クライストールを発って、お日様が数十回の天頂を繰り返し、途中新たな同行者も加わり、そうしてわたしたちは目的の場所にたどり着きました。
ベリルマリン。街の中のどこからでも、耳を澄ませば心を撫でつける波の音がゆっくりと聞こえて、目を開けば活力と精力にあふれる人の動きを感じられる、波止場の街。海のおしまいまで見えそうなくらいに見渡せる広場の一角、石造りの椅子に座ってわたしは先程買ってもらった、わたしの腕くらい太いお肉を火傷しないように慎重にほおばります。甘いタレの味と肉汁に詰まった旨味がちょうどよく絡んでいて、その味の評価をするのはもはや不要でしょう。両端の串をくるくると回せば、今の幸せをもう一度反対側で楽しむことができます。
「美味しい?」
顎を手に置き屈むハーツさんに、わたしは当然の回答を返します。よかったら、ハーツさんも食べますか?
「いいの?じゃあちょっともらおっかな」
お顔に近付けたお肉を、ハーツさんは一口齧ります。
「ほんとだ、結構おいしいね」
咀嚼し、飲み込み、笑みをこぼしました。美味しい、というのは良いことです。そこに理由を挟む余地すらないでしょう。ウォーレンさんやアルカさんもいかがですか?
「私は結構だ。君達で食べなさい」
「僕はもらっちゃおうかな~」
「あんたまだ食べんの?」
「お肉は蒸し芋とは別腹だからね」
ここを訪れた主たる目的はもちろん、アムシースに関する情報を手に入れるためでした。ただ、大きな港町なだけに情報が集約される場所も存在します。ウォーレンさんは昔この町を訪れたことがあるそうで、クライストールを発つ前にも案内を任せてほしいと、そうおっしゃっていました。
せり立つ大きな船舶群を横目に、青と黄色柄の旗が揺れる商工組合の屯所へ入ります。屯所内の雰囲気はわたしの見てきた光景の中ではそれはそれは新鮮なものでした。鎖に繋がれることを嫌うような大笑いと、己が腕への自信と確信を注いだ飲み物を高々と掲げて、しかしそれは自慢ではなく、この場への高揚感や祝福を下地にしているのでしょう。声の張りは、喧しさよりもむしろ痛快さを抱きます。
「昼間っから馬鹿な連中ねぇ、ほんと……」
ハーツさんは呆れてるみたいでしたが。しかし、わたしたちの目標は彼らの喧噪ではなく、奥のカウンターで常連さんと飲み、駄弁りを積み上げているあの方……。
「主人」
「……お?なんだい、見かけない顔だが」
「今話せるか」
「あぁ、まあ今ならいいが……」
彼はお客に悪い、と断ってこちらの方へ。
「要件はなんだい?依頼事なら向かって左の……」
「アムシースに関して話がしたい」
彼はその都市の名前を伺って驚きを顔に交えます。しかし……。
「おいおいあんた、随分酔いが回っちまったみたいだなぁ!」
ご主人はダハハと笑い、ウォーレンさんの肩をたたきます。
「い、いや私は……」
「まあまあ、俺もしょっちゅうそんなもんだから分かるさぁ!ほれ、酔いが醒めるまでゆっくりしてくるといい」
と言うと彼は鍵を握らせて背を叩きました。
「そら、悪いがそちらさんたちも見ていてやってくれ。俺も後で水持って様子見に行くからよ!」
場の空気と温度がすべて、撒いて落とされた話の芽を折り取るようです。急かすようにまたウォーレンさんの背を押します。その後の一瞬、ご主人さんの唇が小さく動きました。
「……わかった」
ウォーレンさんは律儀に鍵を持ち直し、告げられたように鍵を持ち、隅の階段の方へ歩みます。
「ちょ、ちょっと!」
これを看過できないのは当然ハーツさんで、
「このバカっ!なに流されてんのよ!」
「確かに場酔いした気がする」
「んなわけないでしょっ!あっ、ちょっと待ちなさいよ!」
指差され、喚かれながらもウォーレンさんは階を登る方へ向かい、ハーツさんはそれを追いながら尚もお叱りの言葉を並べます。
「ひょっとして、ウォーレンさんって僕が思ってるよりだいぶ天然な人?」
外見の無骨さに反して愛らしさのある方です。ただし、今回その類推は的を射てないかもしれません。
結局二階の一室にぞろぞろと侵入したわたし達は、ハーツさんのぼやきから会話の糸口が始まります。
「なんであたし等この部屋にいんのよ……」
「恐らくだが……」
ウォーレンさんは、部屋の扉がキチンと閉まってからこのため息に対するお答えを返します。
「階下は冒険者が多く集まっている。飢えた猟犬よりも鋭い直感を持つ者たちだ。金になりそうな話は公然とするとどうなるか分かったものじゃない」
「……確かに」
ちょっとの間欺かれていたわけですが対応としては自然で、ハーツさんはしかし不満げな顔のままウォーレンさんを睨みます。
「じゃあ小声でも先にこっちに言いなさいよ」
「それは……そうだったか。済まない」
ウォーレンさんが上体をやや傾けて自分の不義理を謝ると、そのあたりで扉をたたく音がしました。音の主はそのまま了解を得たと考えて扉を開け、まさにわたし達の前に顔を見せます。
「さっきはすまんかったね。今ちょうど、血の気の多い連中が集まってて」
「そのあたりの事情はおよそ察した。ここに通されたということは、知っていることを話してもらえるということで合っているか?」
「んー、まぁ半分はそうだな」
ご主人は少し考える様子を見せます。
「実は俺も、噴火前からアムシースに関してちょっと調べててな……こっちの情報と交換できないかと思ったんだが」
曰く、よくここを出入りしていた青年商人が急に失踪してしまい、その失踪前に話していたことが……。
「アムシースとの取引に成功した?」
「ああ、たいそう自慢気にな。交渉は数日後と言って、仲間の商人連中にも上機嫌に話していたんだが……」
真っ赤色の他人から見る限りでは、単に無関係な別件の事故に巻き込まれた可能性もあるとは思えます。
「まぁ確かにそうなんだが、遺体すら見つからん上に、それから先目撃情報がひとつもない。山で熊にでも食われたのかもしれんが……」
結びつけるにはかなり弱い根拠には思えますが、確かに事件性を見出すならばやはりその部分でしょう。
「私達は、あの噴火後の街からここまでやってきた。いくつか彼らの痕跡も知っている」
「あんたらアムシースの生き残りなんか!」
「それは彼女だけだ。私達は彼女を保護し、彼女の要望に付き添っている」
「……なるほど、だとしても随分遠かったろう。聞き伝でしか知らなかったが……ホントに、灰に埋まってしまったのか?」
「ええ。あたしも現地の様子は見てきたわ」
そうか……と、主人さんはひとつ感慨を得た顔をした後、
「実はな、噴火前まで連中、この街に何度か来てたようなんだ」
「それホント!?」
これは大きな手掛かりです。
「知り合いにこっそり連中の行路を調べてもらった感じでは、な。だが……」
ご主人はそこで息を溜めて、
「この街で見かけたという情報が全然ないんだ。加えて連中の拠点になりそうな場所も近くには全くない」
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