22.
「そう!それで、ゆーっくり意識を指先まで集中させて……」
アルカさんのロッドを右手に持って、空いた左手をわたしは真剣に見つめます。手のひらは力の集約を受けたように軽い熱を感じ、仄かに明るさを得て、その開放を望んでいるようです。体に流れる液体がうねり、揺らぎ、やがて一つの方向、点へと進んでいきます。
「で、ぎゅーっとしたものをー……ばーっ、と!」
『ぎゅーっとしたもの』は、多分この手に集まってきている光彩集合です。それをばーっ、と……えっと、つまり、このまま解き放ってやればいいということでしょうか。
「そう、ばーっとね!」
これ以上の情報はないようです。ひとまず、やってみるしかありません。わたしの制御下にあるらしいその『ぎゅーっとしたもの』は、軽くその左手を振ると、パチパチと光り弾けて、手の平には……
「おぉー、成功!きれいに燃えてるじゃん!」
さっきアルカさんの手元にも宿ったきれいな赫い色の火が、まるで生きているかのように揺らめいていました。こんなに手の近くにあるのに不思議と熱さを感じない火は、受け皿になった左手を握り込むと瞬時に消えます。お宿でハーツさんが蝋燭の火を消したときもそんな感じでした。
「飲み込み早いね〜、僕も教え甲斐があるってもんだよ〜!」
石造りの段差から、足をぷらぷらと揺らしてアルカさんは自慢の愛弟子を褒め称えます。褒められた愛弟子はといえば、もちろん!この偉業を誇らない手はありません。
「やりすぎてその辺の草木に燃え移らせないでよねー」
「だいじょうぶ!僕が見てるからね」
「その上で心配って話なんだけどね……」
ハーツさんの心配はもっともというか、わたしも初めて扱う炎が、それも焚き火などで熾すでもなく唐突に自分の手の平から湧き出てくるもので。しかし新しい遊びを手に入れた喜びというのは、未知への恐怖心を軽く塗りたくってしまえるものでさっきまでの行程を頭の中で振り返り、自分でもう一度試します。同じことを同じようにすれば同じ答えにたどり着くのは、思えば世界で一番の当然なのですが、これを実際に確認するのとしないのとでは全くの違いがあります。二度目の炎が再び宿り、その火の明るさが心持ちの明るさにも繋がっている気がしました。わたしが、わたしという理由がこの火をともしているのです。
「わっ、ほんとに上手!もう間違いないね!」
こうなると、褒め上手も得意分野の一つに含まれるのかもしれません。わたしはついつい乗せられて左手の上の小さな成果物をさぞ神聖に掲げて、ここから万物が始まったのだという口上を続けるかすら迷いました。しかし、どちらかといえば一つの疑問がわたしの胸元近くにこれも降って湧いて出てきており、それを聞くことが先決であるように思われます。
「……呪文……あぁ、僕が言ってたやつのこと?」
そうです。たしか、
「それはー……えーと、ちょっと説明が難しいんだけど……」
アルカさんはわたしの手からロッドを取り、杖の柄先で土の地面に図を描きます。
「大抵の魔法って段階が二つあって、まずひとつめは、魔法を準備する段階。もうひとつは魔法を実際に発動する段階。えーと、まず魔法の準備段階……矢印より前側、こっちの段階だね。たとえば銃でいえば……ウォーレンさんの何回か見たことあるかもだけど、弾丸を銃身に詰めて狙いに照準を当てるまでの作業がここ。で、矢印の後の段階、こっちが引き金を引いて実際に弾丸を打ち出すまで。魔法も同じで、一度狙いをつけて照準まで合わせる段階に入ってから引き金を引く動作に入るんだ。それで……」
アルカさんは図の真ん中の矢印を挟んでその後の部分の絵をコツコツと指します。
「準備の段階と比べて発動の段階って、実はやることもかなり単純であらかじめ整理整頓しやすいことが多いんだ。だからこの部分を呪文に紐づけてしまえば、集中力を使わず簡単にしてしまえるからいいんだって」
だって、というのは?
「まぁ実際、ママが言ってたことを僕もやってるだけなんだ。こっち側、準備の段階も呪文に組み込もうとすると、そりゃあもうすごいことになっちゃうだろうけど、発動の段階だけをピックアップするだけなら結構シンプルに済むからね」
綜合すると、実は魔法のすべてをつかさどっているように見えたあの呪文は実はその裏で動いているいろんな仕掛けの、最後の発砲部分でしかなかった、ということです。聞いてみれば、なんというかとても味気ない理由でちょっと損した気持ちにもなりました。
「まっ、でもかっこいいでしょ?」
たしかにそれは大事です。わたしも、むしろ紐づけのような意味がなくても言葉に合わせて魔法を使うようにしてもいいかもしれません。
「あっ、じゃあ今度はこっちから質問してもいい?ちょっと関係ない話だけど」
もちろんです。わたしは所有物たる火を惜しむらくもゆっくりと消し、その手を膝に拝聴します。
「ウォーレンさんってずっとマスクつけてるけど、あれってどうしてなの?」
初めて会った時から気になってたんだけど、とアルカさんは続けます。言われてみればわたしも気になります。ウォーレンさんがあのマスクをつけているのは灰の世界を生き残るためだと思っていましたが、場所はもう既にあの真っ白い景色とは無縁です。ずっとあの格好で馴染んでしまっていただけに今まで特に気にかけませんでした。
「あぁそれ、あたしが前聞いたんだけどね」
さっきまで荷馬車の主人と話をしていたハーツさんがこちらに近付きます。
「なんか付けてる方が落ち着くとか適当言って流されたのよね~」
「へぇー」
多分顔見られるとやばい理由でもあるんだろうけど、とのことです。前に、というのは多分、わたしが疲れてずっと眠っていた時でしょう。だからわたしも知らないわけです。顔を隠したい理由、は、ウォーレンさんのことですから、きっとこれまでにいろんなことにも巻き込まれただけに、顔を隠さなければならない理由もあることでしょう。むしろ、謎多き御仁という感じがして素敵です!
「マリーもマリーで大概あいつに甘いわよねぇ~……って、そうじゃなかった」
ハーツさんは、ほらほら、とわたしたちの手を取って、段差から立たせようとします。
「ここでの休憩もそろそろ終わりだってさ。もどるわよ」
「はーい!」
元気なお返事がお隣から聞こえて、わたしもそれに合わせます。石段からぴょんと飛び降りて遠景を見ます。遠くにはもう、海が見えていました。
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