15.

 音一般に言える当然ですが、向こうはわたしの都合など考えてはくれません。キコエるものはキコエるとしか言えません。そして、一度聞こえだしたものというのは鳴り止んだ後も残響で脳裏を揺らし、思考の全てを奪い取るものです。音が大きければ、尚更でしょう。

 ただ、わたしはすんでの好奇心をなんとか抑え込んで、ハーツさんとの約束を思い出しました。―――何をしたいか、伝えてほしい。緊急性も今はそこまでなく、わたしの心はその約束を守る方へ向かいます。前を往くハーツさんに、呼びかけをしたのはそのためです。

「ん?なぁに、どうしたの?」

 カルタさんと一緒に振り返ったハーツさんに、わたしはコエの感知とその方向を示します。

「また……?というか、今……?」

 うーん……と、唸ったあと、ゴメンだけど今は後回しにしない?と提案を受けます。手がかりとは簡単に消えてしまいかねないですが、かといってコップの水だってこぼさない限りそのままというのもあります。

「えっと……そのコエって何ですか?」

「あぁ、この子がね……」

 説明が必要な二人には説明がなされます。カルタさんは特に、昨日のわたしの魔法を見ていないわけで、加えて根拠や客観性には明らか乏しい話題のはずですが、相手は少なからずその手のエキスパートです。

「昨日の魔法もそうだったけれど、特殊」

「話を聞く限りもの探しの魔法でもないのよね」

「違う。もの探しの魔法なら照準動作が要る」

「うーん……」

 カルタさんは、少し考えて、

「ごめんなさい、コエの方を優先してもらえませんか?」

 わたしとしては少し意外な提案をいただけました。

「この子……マリーちゃんがこのタイミングでそんな超常的な呼びかけをもらった。それはかなり重大な意味があると思います。神託……というと少し大げさですが、お告げや呼び声は、その時、その瞬間に必要だから与えられるものです。私達の魔法とも異なるような特別な力もあるみたいなので尚更です」

 しかし、この論理にはちょっとした穴があります。それはカルタさんも少し考えているようで、この状況でこれから何が必要になるのか、というものです。もしかするとウォーレンさんの方で何かトラブルが……?いや、ウォーレンさんが付いていながら危険な目に遭っているとは考えにくいです。

「カルタちゃんたちも、その、コエとか近いものが聞こえたりはするの?」

「私は全然……。でもカナやカノは、以前家族といたときに二人で聞いたことがあったみたいです。そして……」

 カルタさんの言葉にチェイムさんがかぶせます。

「ラピスは占いが専門。水晶術でそういうの、よく聞いてる」

 でも道具なしでは考えられない、とのことです。

「場合によってはもっと奥深く……真理、原初、みたいな、そういうものからの呼びかけだったり……」

 それは変に壮大な気がしますが、平たく言えば、受けた案内を断るのは罰当たりかもしれない、というのが専門の方々の意見です。ハーツさんは神霊的で幻術的な言葉にどうも頭をかき乱されているようでしたが、

「そういうもん……なのかしらねぇ……」

 最終的には納得した様子です。自分がきっかけでありながらではありますが、思った以上の賛同を得てしまうとドギマギします。



 辛うじての獣道から反れるとそれは道なき道で、背丈の高い草がわたしの目に攻撃を仕掛けてきます。事のきっかけとして先導を任されながらかき分け進むうち、整備のない地面はガタガタで歩きにくく何度か転びそうになりました。

「やっぱだっこしようか?」

 いえ、自分が言い出したことなので最後まで自分でやりたいです。あと二人は無理だと思います。

 コエ自体は定期的に聞こえ、それに従い進めば思ったよりはすぐにたどり着きました。他の木とはもはや区別のつかない特徴のない木。しかし、その幹だけは別です。今回は青白い光を放っていません。そういえば昨日の魔法ではこれを見落としていたということになります。あるいは突然現れたとか?

「見たことない紋様」

「チェイム君も知らないんだ」

「何か強い力のこもった魔法がかかっているのは、わかる。これだけ近づかないと存在すら気付けなかったのが不思議」

 やはり物珍しいもののようでチェイムさんはまじまじとその幹に彫られた幾何学芸術を見つめます。ハーツさんは、何か大事なところだけを欠いたような顔をしつつも、そこを吞み込んで理解を示します。わたしはというと、吸い寄せられそうな、好奇心に近い衝動を懸命に堪えていました。気を抜くと心の中が勝手にこれに手を翳してしまいそうで、でも、事前報告というものの重要さを理解して、その理性がわたしを踏みとどめています。

 踏みとどめのひとつの気の逸らしになるだろうと、わたしは負われたカルタさんを意見を仰ぐように見ました。そういえば、これを見つけてからずっと押し黙った様子です。

「……」

 彼女は、目を忙しく動かして紋様の隅から隅までを深く、とても深く観察しています。その忘我の様にわたしは一瞬、声をかけるのを躊躇います。

「……あっ、えっと、その……」

 わたしが怪訝に見つめていることにようやく気づいたようです。何か、知っていることや分かったことがあるのでしょうか?

「ううん、知っていることは何も……何も、ない……んだけど……」

 カルタさんは、一度落とした視線を再び戻して、

「見た瞬間、どういうものなのかが断片的にわかったの。初めて見る術式なのに」

 カルタさんはより注視しようと身体を乗り出そうとし、ハーツさんはそれを心得てより見やすいよう位置を調整します。

「かなり根源に近い魔法の、けれど、私たちも知らない魔法……の、詠唱、方法?」

 方法、というのはつまり、これも魔法そのものではなく、魔法を教え伝えるための魔法ということでしょうか。

「前の時のもそんな感じだったかしら。つまり、これがマリーの先生役になってるってことなのね」

「はい、そうです。……すごい……発動できれば、魔術教本とかを読むよりも断然早く習得でそうです。こんなものがあったなんて……」

 感心に近い見解のようです。実際、前回の様子からしてすでにかなりすごいものだ、というのは薄々あったわけですが。ところで肝心の中身はよくわからないのでしょうか?

「うん、外見や大まかな構造からそういう推理はできたけど……」

 ならば、物は試しが一番の近道と言えます。わたしはハーツさんに目で許可を請います。これ以上先、観察することもないはずです。ハーツさんは、

「そうね、いいわよ。ただ気を付けて」

 オーケーを頂きました。前回のこともあって危ないものではないとは思えますが、緊張が走ります。ただその緊張も、内在の意思にすべての行いを委ねるようにするうち消えてゆきます。手が、自然と伸び、翳した手がそこからどう動くのかなんてどうでもよく、加えて、開いた口がそこから何を以て空気を震わせるかなんていうのも関心がなく、ただわたしは、強い光がわたしのことを食いつくすのを待つように、息をひとつだけ吐きました。その時わたしは、光ではなく暗闇に、同じように食い尽くされようとしていた夢を思い出していました。

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