12.

 体が痛みもなく溶けていく。『コエ』が、あの『コエ』がわたしの内側から鳴り響く。絶えず進むはずの時がこの場では針を動かすのを休め、外界の音は消えました。目を閉じているはずなのですが、視界に周りの景色がありありと見えます。見える、とはまた違うのでしょうか?何しろわたしは小屋の中にいませんでした。ただどこにいると明確に表現できません。小屋を中央に、木々の立つ位置、質感。土の柔かさ、その下に埋まった石、それらすべてを、わたしが無数の手のひらで取って掬って一つずつ確認しているような感覚です。まだ目的はこの付近ではありません。もっと遠く、もっと広く、もっと……。

 意識を研いで腕をどんどん遠くへ伸ばすと、身体を巡る血が焚き木の炎にすり替わったように熱くなり、閉じている眼が瞼を貫いて飛び出しそうでした。けれど今はそれらも全く苦痛に感じません。さらに、さらに遠くへ……樹木は鬱然たり、地は翳り、水が線と流れる。その線を指でなぞるように、たどる。湧き立つ上流へ向かえば、岩は角を張り、流れは直角へ近づく。

 ……見つけた。落水が岩に当たって弾ける場所。ほとんど崖と言ってもよいその場所のひときわ大きな岩の上に、辛うじて引っかかるようにして、その人がいます。強く打ち付けたか頭部から血が垂れており、場面からして昏睡状態で間違いありません。体温も徐々に流水に奪われていると見えます。


 目を開くと、その全てが幻覚と一瞬にして消え、わたしの平衡感覚は再び現実へと呼び覚まされました。溶けていたはずの体も、今となっては固めた泥土と同じくらい頼りあるものとなっています。今見えたものを、わたしは目の前の全員に説明すべきです。そう思い、口を開き、ハーツさんに説明しました。

「な、なに……?……崖……川の近く……?」

 しかし光景情報だけから目的地へのルート説明などという無謀はこうしてすぐに露呈します。ハーツさんはわたしが並べるたどたどしい語彙の列に混乱の意を示します。その一方で、ロッドの彼女はわたしが目を開いたときから頭を抱えていました。

「……今、かろうじて……見えたもの……もしかして、あなたの……?」

 くらくらと、自分の五感を疑うように彼女は問い掛けます。まるでわたしを、有り得ない何かと見るように。

「細かい場所までは見えなかったけれど……川と……何か……うん、カルタ姉が倒れてる場所が……」

 呻くように情報を整理する彼女に、

「カナも聞こえたよ!カルタ姉の場所!カノも聞こえたよね?」

「うん!カノも聞こえた!カナも聞こえたってさ!」

 双子がハキハキと応じます。

「あそこだよ!おっきな崖の川の近く!前にみんなで魚釣りにいった川の先!カノもそう見えたよね?」

「うん!ゴツゴツした岩のさらに先!流れが早いから行っちゃダメってカルタ姉が言ってたところ!カナもそこだってさ!」

 二人の言葉に、『アルちゃん』はハッとします。

「……ひとまず、行ってみる価値はあると思う」

 ハーツさんも、混乱を一度喉奥に飲み下します。

「……オーケー、案内して。一緒に行くわよ」

 わたしも一緒に行くべきです。より細かい場所をお教えできます。ただ足を一歩踏み込むとその考えに反して、視界が急にぐるぐると回りだしました。

「……っ!マリー!!」

 小屋の地面の木板と天井が交互に見えたと思いきや、体全体が重くなっ―――




 最後に見た天井と同じものが見えました。途絶えていた意識がわたしの中に舞い戻ったことを意味します。

「……よかった。目が覚めたか」

 ウォーレンさんのマスクがまず目に映りました。お膝をお借りしていた様子です。身体を起こそうとすると、まだくらりと制御を失います。

「横になっている方が良い」

 頭を撫でられると揺れていた視界が穏やかになります。視界の中には双子の二人と薬瓶を抱えた男の子、最初に石を見せた女の子が残っていました。ハーツさん、ローブの子の二人はいません。身形を確認すると、わたしはわたしが最も恨めしかった外敵と正面接触してしまったことに気づきました。この小屋の造りの粗さは、床板を張らないところまで行き届いています。

「……ああ、せっかくの服だったのに残念だ。事態が収まったら泥を落とそう」

 ただ、先程までのわたしとは打って変わって、自分の服の惨状はそこまで大きな落胆を呼びません。むしろ状況からして、疑問は明らか一つでした。わたしが倒れて、それからどうなったのでしょう?

「ハーツが気にかけていた。だが私が君を見ておくことにして……アルちゃん……だったか?ローブの彼女と共に件の少女の捜索に出た」

 ウォーレンさんは途中、双子さんに確認を取りながらお話してくれました。捜索、というのはわたしの見えたものに従って……でしょうか?

「ああ。彼らの……」

「カナがねっ!カナがねっ!」

 割り込むように、双子のうちの女の子の方が口を開きました。

「マリーちゃん、カナも見えたから、アルちゃんに伝えたんだよ!カノも一緒にね!」

「うん、カノも一緒に伝えたんだよ!小屋から結構離れたとこ、大きめの川の近く!カナも一緒に伝えてくれたんだ!」

 ねっ、と最後にお互いを見合わせます。確かに、最後の方に見た光景でした。

「二人が見た……いや、聞いたと言っていたか。それは……つまりは君が見せたものなのだろう?」

 こんな状況証拠が揃ってなおちょっと自信がなかったのですが、わたしはこくりと頷きました。同じようなものを見たようです。

「加えて、何をしたか詳しくはわからないが無理をしたのだろう」

 もたれた状態では小さい動きですが、首を振ります。しかし、見ていれば判る、とウォーレンさんは続けます。

「倒れたとき、ハーツはかなり怒っていた。君はまだ幼く、無理は大人の仕事だ。私もその点は同意する」

 もちろんわたしは強硬的に行動に出たので、このお叱りも予定に組み込まれているべきだったのですが、いざ予定の時間になると反省の想いが募ります。

「ただその点は、私から既に話を通してある」

 ウォーレンさんは続けます。

「緊急時に、君を除いた私達は確かに無力で、だからこそ君は勇気を持って事を成した。強いられた、という見方だってできるだろう。私はその行いを否定したくない。すべきでない」

 再び頭を撫でてくださいました。

「ありがとう、マリー。よく頑張った」

 その言葉だけで、私の心は羽と軽くなりました。だがしたいことがあるなら言って欲しい、と。この約束は、今度は守らなければいけないでしょう。

 揺れていた頭とまだ少しぐらついていた視界があるべき形に戻ったあたり、小屋に駆け寄る足音はふたつ。しかし扉を開けて入ってくる人は三人でした。ハーツさんが、先程私が見たお姉さんを背負っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る