10.
夜はゆっくり眠りました。本当は、
「夜襲があるかもしれない」
と寝ずに番をするウォーレンさんの体調が気になりはしたのですが、隣のハーツさんの寝かしつけが段階を追ってわたしのまぶたを下げていくもので、結局は不可抗力に流される形です。起きてから聞きましたが、ハーツさんもずっと起きてたそうです。
前日の交渉が突然白紙になるような時世では流石になく、翌日、日が昇って少しの頃にわたし達は荷馬車に、骨董、果物、数名の人間と相席してこの街を発ちました。膝を抱えて足先が顔に近くなったわたしは、昨日のドタバタもあってしかと観察できなかった自分のアイデンティティ、ブラウンの光沢を放つその靴の革を指でなぞりました。ツルツルの表面から生物的な温かみを覚えます。焚き火の火とはまた違う、火傷のないぬくもりです。
「気に入った?」
小さく丸まったわたしを膝の上においたハーツさんが、顔を覗かせて尋ねます。揺れた髪が肩に当たりました。わたしが至極当然な答えを返すと、ゆっくりと微笑んで、わたしの頭に手を置きました。
「よかったじゃん」
昨晩もハーツさんとウォーレンさんの靴論争は少しありましたが、見る限り、結局ハーツさんも納得したようでした。ガタッ、ガタッ、と周期に揺れる荷馬車の中は、景色の目新しさも面白い事件もそうは起こりませんが、わたしは自分の身形があってさして退屈しませんでした。
舗装された石畳が禿げ土の除け跡に切り替わってから幾刻か。視界は郊外の並道から林間の抜け道に変貌し、車輪の運びは度々泥を跳ねさせ鈍く重くなりました。自分の着物と履物を汚す虞を考えると、荷馬車の外は焼けた石の騒ぎではありません。当然の防衛体制を敷き、周囲を伺っている中で、
「靴、膝に抱えてちゃ意味ないと思うんだけど……」
とのハーツさんの、珍しく事態を理解していない楽観を他所に、わたしは自分の洋服と靴とその外敵に一切合切の神経を払いました。すると、案の定か外敵はごく簡単に現れたのです。
「そこの馬車、停止ーっ!!」
荷馬車の車輪は回転を止め、籠の中のりんごがふたつ転がりました。何事か、その疑問は乗員全員の共通認識です。馬車の屋形から前へ乗り出す人の隙間から、わたしとウォーレンさん、ハーツさんは現場の様子を確認することにしました。女の子が一人、突っ立っていました。
私より年上なのは間違いないとして。長い髪は後ろで結って、どうやらこちらに異議申し立てがあるようです。金属装飾のついた木杖を、やや不慣れに突き出して言いました。
「積んでる食べ物ちょーだい!えーと……オマケして半分ね!」
物乞いか物乞いに関連する語で表現可能なようです。察するに余りある事情が裏に見えて同情の心がまずは沸き立つものの、褒められる行動ではないのは確かで。御者さんは鬱陶しそうに今すぐ払いのけたい感情を言葉も交えて示します。よくあることのようです。
「うぐっ……僕だってこんなことしたくないんだけどさ。あの、ほら、なんというか……お互いのためだと思わない?」
かなり自棄になっていることがわたしには伝わってきます。言葉の圧の差を明白に感じたいなら、この場を見せれば済むでしょう。無理な提案をしどろもどろにする彼女はあまりに論駁上不利でした。
最後、やや面倒になった御者さんがお付きの護衛をちらつかせると、蜘蛛の子を散らしてどこかへ行ってしまいました。置き土産的な柔かい恨み節を残していましたが。
「あんな子にあんなことさせるとか……ほんと、親の顔が見たいわ」
ハーツさんはというと、結構お怒りのようでした。膝に抱えた靴よりも、隣に転がったりんご一つがよっぽど大切な人もいるのです。それならわたしは一つ手に持ってお渡ししたいです。
「うーん……まあ、そう言った手前、あたしが今買ってあげるのが良いんだろうけど……」
ハーツさんは、わたしの両手からりんごを取り上げて籠に戻しました。
「気持ちはわかるんだけど、優しさも優しさで、なんというか、使い所みたいなのがあるから」
いわく、私のこの優しさは、最後にあの子を幸せにする優しさかわからない、のだそうで。
「私はマリーの気持ちを優先したい」
「ややこしくすんじゃないわよ」
ガタガタッ、と荷馬車が揺れて、車輪が再び推進力を作ります。りんごが名残惜しそうに一つ、籠からこぼれ落ちました。
林道を抜けてすぐのあたりで中継点たる村落に落ち着きました。まだ日は高いのですが、次の中継点までがかなり遠いようで、馬を休める時間とこの村での取引の時間も兼ね、数日の滞在になるそうです。ペースも早いそうですから、かなりゆとりを持った行路計画なのでしょう。
わたし達はといえば、しばらく待ちぼうけなわけです。滞在中も寝泊まりは荷馬車でよいとのことなのでそこは問題ないのですが。
「……そうか。感謝する」
ウォーレンさんは頭を下げて村民の方にお礼を述べました。この前のこともあって集団行動です。
「どおだった?」
「遠回しにだが、腫れ物扱いされているように感じる。情報はあったにはあったが、手応えのあるものは……」
「まっ、そうよねぇ〜」
わたしは靴とお洋服が汚れないか気が気ではないのですが、それはそれとしても、やはりわたしの出自を掴めそうな要素は全く無いようです。
「ちなみに、手応えのなさそうなのは?」
「先刻のあの杖持ちの少女のことだ」
「あぁ〜さっきのあの子」
「村はずれに、最近になって住み着いたらしい。見た目だけなら魔法使いだ」
「そういえばロッドも持ってたっけ?ならワンチャンなんか関係あるんじゃない?」
「盗品という線が強いらしい。でなければ、とっくに金を稼いでもっといいところに住んでいる」
「そっかぁ。じゃ、他には?」
「他は……」
そうしてその話題は、あまりにも自然に空気に溶けてなくなるはずでした。ただ、わたしは少し引っかかりを感じてそのことを進言してみることにしました。
「……あの子のことが気になるの?」
これはもう、気にならないといえば嘘になります。
「でも、さっきも言ったけど、お情けとかそういうの、あんたが感じる必要はないのよ?他にもいくらでもおんなじような子はいて、キリが無いんだから」
もちろん、その気持ちもなくはないのですが。とはいえ、それ以外の気持ちがあるのかと言われれば、思い直せば完全な心配でした。ただここで感じたことを無碍にしたくはなく、わたしは手足を振り回すように言い訳、もとい説得の術を考え、巡らせました。わたしと関係あるかもしれない、その論理をわたしは組み立てることにしました。すると、とっつきの良いロッドがすぐそこに転がっています。
「ロッド?……でも盗品だってさっきも話したじゃん」
でも、食べ物に困っているのなら、真っ先に売りそうなものなのに、そうしないのはなんだか気になります。ええ、とても!
「……確かに。よく考えてみればなんか気になるわね」
ハーツさんは顎に手を当てました。
「あのロッドを結構頼りにしてた感じだし、むしろ魔法使いと考えたほうが自然なのかも……」
かなり苦し紛れに自分の口から出たものでしたが、なかなか説得力はあったようです。おまけに時間もあると来ています。
2024.07.14.一部改稿
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