第30話 緊張

「到着しました」


 馬車が止まり、御者の人から声をかけられる。シアはすぐさま馬車から降り、御者にチップを渡すと、子供達が降りやすいように手を差し伸べた。


「段差に気をつけて、ゆっくり降りてね」

「わ、わかってるわよ」

「お姉様。言葉遣い」

「っ! そ、そうよね。わかってますわよ」


 アンナがセレナを嗜めると、セレナはすぐさま言葉を改める。

 一応セレナも公爵家としての自覚はあるらしく、人前で粗雑なところは見せてはいけないと普段に比べてはだいぶお行儀がいい。

 緊張しているせいかちょっとおかしな言動ではあったが。


 とはいえ、それを指摘するほど野暮ではないので、あえてシアは何も言わず。ちらっとアンナを見れば、彼女も同様の考えだったようで、シアに視線を送ってきたあと苦笑していた。


「ここがディラン伯爵家。……想像してたよりもとても大きいわね……っ」


 セレナは降りてくるなり、邸宅の大きさに感嘆の声を上げる。アンナは元々知っていたようで、「本当、とても大きいですよね」とセレナにニコニコと微笑んでいた。


「どうしよう。緊張してきた」


 フィオナがギュッとシアの手を掴み、珍しく音を上げる。先程までは全く動じていなかった様子から見るに、どうやら本番に弱いらしい。


「大丈夫よ。ただご飯食べて、お話して、音楽を楽しんだりダンスを踊ったりするだけだから」

「それが緊張する」


 急に青褪め、ガチガチに固まり出したフィオナ。こういうところは案外レオナルドに似てるのかもしれない。


「それなら……ちょっと意識を変えてみるとかはどう?」

「何それ」


 シアの提案に、眉を顰めるフィオナ。

 こういうところもレオナルドに似てるな、と内心微笑ましくなった。


「多分だけど、フィオナはあまり経験したことないことに挑もうとするから緊張するのよ。だから、意識を変えてみるの。例えば、ここに来たのはデッサンの参考にするため、とか」

「デッサンの参考?」

「フィオナは絵を描くのだから、使えそうな風景を記憶して帰ってから絵を描くために来たって想定するのはどうかしら? 実際、普段行かないところって新しい発見があるから参考になるし、新たなアイデアも生まれていい刺激にもなって、デッサンの参考になると思うわ」

「なるほど。確かに」


 シアの提案に納得するフィオナ。

 早速デッサンの参考にするために記憶しようとしてるのか、フィオナが邸宅に真剣な眼差しを注いでいる。

 シアが「描いたら見せてね」と言えば、フィオナは「うん」と頷いた。


(緊張が解けたようでよかった。あとは……)


 フィオナは子供なぶん、乗せやすいからさして苦労はないのだが。

 残る問題はただ一人である。


「レオナルドさん、大丈夫ですか?」


 そう言って振り返ると、そこには非常に険しい表情をしたレオナルド。

 まるで苦虫を噛み潰したような顔は、これからパーティーを楽しむような姿にはとても見えなかった。


「あぁ。ミッションをクリアせねばならんからな」

「そう言いつつ今から人一人殺しそうな顔で言われても。もっと落ち着いて、リラックスしてください」

「そんな顔をしているか」

「えぇ。そりゃあもう酷い顔です」


 えいっ、とレオナルドの眉間を指で押す。

 シアがぐりぐりと皺を伸ばすように眉間を指の腹で押しつけると、レオナルドは嫌々そうにではあるが大人しくされるがままになっていた。


「ここに皺を寄せない。最初が肝心なんですから、笑顔とは言いませんがせめて力まずに。無愛想にはならないこと」

「わかった」

「最初の挨拶のあとは私に任せてください」

「あぁ。頼んだ」


 レオナルドに頼られて、満更でもないシアはちょっとはにかむ。頼りにされるとやる気が出てくるタイプなので、シアは張り切ってレオナルドの腕に自分の腕を絡めた。


「シア。人前でくっつきすぎではないか」

「これくらい、夫婦であれば問題ないです。それに、緊張したときにしがみつけるものがあったほうが楽かと」

「そうかもしれないが……」


 何かを言いたげに口ごもるレオナルド。

 すかさず「レオナルドさん? どうかしましたか?」と話すように促せば、レオナルドはゆっくりと口を開いた。


「その、何だ。……シアに頼ってばかりだと思ってな」


 申し訳なさそうにしゅんとするレオナルド。

 その姿は、当主として不甲斐ない自分を責めているようだった。

 だからあえてシアはレオナルドに慰めるようにぴったりとくっつき、陰気な雰囲気を払拭するようににっこりと微笑む。


「何をおっしゃってるんですか。夫婦は支え合うものですから。私のほうがこういうの得意なんですから、得意なほうが頑張ればいいんです。それに、レオナルドさんは昨夜私にダンスを教えてくれたじゃないですか。これでおあいこです」

「持ちつ持たれつと言うことか」

「そういうことです。だから、レオナルドさんが気負う必要は何もありません。ということで、行きましょうか。セレナ、アンナ、フィオナも行くわよ」


 シアは子供達に声をかけると、レオナルドを引っ張るようにしながら、子供達を引き連れてディラン伯爵家に向かったのだった。

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