第167話 実食と想定外

 この場にいるメンバーで今回の本格タルトを食べた事があるのは私くらいだろう。

 いつもなら試作した物をリリも一緒に食べているところだけど、学園にいるから試食は出来ていない。

 アデライト嬢に至ってはそもそもスイーツ自体初挑戦じゃないかな?

 

 みんなナイフとフォークを手に取って御上品に食べ始めたので私も食べる。


 白桃は瑞々しく、自然由来の甘さに溢れている。そしてその下にあるカスタードクリームが、人類の叡智を集結したような丁度よく体に悪そうな甘さをしている。果物や花の蜜からは得られない魂を蝕んでいく様な甘さ。それら二種類の甘味を支えるのがサクサクのタルト生地だ。


 厚すぎず薄すぎず、食べやすくも食べ応えのあるサクサクした生地からはほんのりとバターの香りがたっている。


 試作の段階でも美味しかったのに、ここにきて更に美味しくなってるね。さすがは一流の料理人達が日夜練習に励んだタルト、私の作った物とは格が違う!


 エマちゃんは美味しいと綺麗に微笑みながら食べ、お貴族様組は目を閉じて感嘆の声をもらした。


「ノエルの言っていたナンチャッテタルトがなんちゃってである理由が今、わかりましたわ。本物はこれ程までに素晴らしい物だったんですのね」


「そうね。お泊まり会思い出の味をバカにするつもりはないけど、これは一種の芸術品よ」


 リリとベランジェール様が手放しでタルトを褒める。舌の肥えた二人が美味しいと思ったのなら後は好みの問題だ。

 二人は一口一口味わう様に食べ進めた。静かなイルドガルドとアデライト嬢はどうしているか見やると、イルドガルドは涙を流しアデライト嬢は固まっていた。泣いてるイルドガルドは放っておくとして、アデライト嬢は気絶してしまったのかと思ったけど、よく見ると瞬きはしているから気絶はしてないみたい。


 恐らく未知の甘味に対して脳の処理が追い付いていないんだと思う。意識が飛ぶ一歩手前だった所を見るに、アデライト嬢はあまり甘い物に対する耐性は高くなかったみたいだ。


 私はシャルロットが食べやすいように小さく切ってから手で持って食べさせてあげる。これもタルトのいい所だよね。


 満足そうに食べているシャルロットを眺めているとエマちゃんに手を引かれた。

 どうしたのかと顔を上げると、エマちゃんは目を閉じて口を開けていた。どうやら食べさせて欲しいみたいだね。


「はい、あーん」


 私はシャルロットにあげるのと同じように、小さく切ったタルトを口に入れてあげる。するとエマちゃんはわざとらしく私の指にチュッとキスをしてからタルトを食べた。


「えへへ、今の一口は格別です!」


「ノエルはまたエマの事甘やかして……」


 恥ずかしそうに頬を赤らめるエマちゃんは中々に破壊力があるね。私まで顔が熱くなっちゃったよ。


「ノエル様! 噂のスイーツとはこんなにも美味しいのね!」


「おお。アデライト嬢おかえり。皆もう食べ終わっちゃうよ?」


 固まってたから一人だけだいぶ遅れている。アデライト嬢は遅れを取り戻すように、優雅に、けれど全速力でタルトを食べ進めた。


 次に運ばれてきたのは赤や青が散りばめられたベリーのタルトだ。これはカスタードじゃなくて生クリームを使ってるみたいで、切り分けた断面は白っぽい。

 生クリームの甘さと、ベリーの甘酸っぱさが相まってくどく感じない。これもまた会心の出来だね。


「甘酸っぱい初恋の味って感じだね」


 日本ではよく聞くフレーズだし何となくそう言った。すると、静まり返った室内でお貴族様組が少し驚いた様な顔で私を見ている事に気が付いた。


「どしたん?」


「いえ、ノエルにしては珍しく詩的な表現だったので驚いただけですわ」


 まぁ私が言ったわけじゃないしなんとも言えないけど。そもそも初恋とかよくわからんし。何にせよ、ベリーのタルトもクオリティが高い。単純な甘さの中に酸味が入ることで、甘さも酸味もお互いを引き立てあっている。


「………………ノエルちゃん?」


「はいッ!」


 仄暗い井戸の底から這い上がってくるかのような低い声で名前を呼ばれ、図らずも背筋がピンと伸びる。久しく感じていなかったお母さんに怒られる時のような空気感に息を呑む。近々村に帰ろう。うん。


「初恋って一体何の話ですか……?」


「え? いや何のって……言われても……」


 そう言われても特に理由もなく口走っただけだし困る。だけど前世も含めて考えたくもない年齢なのに初恋すら経験したことありません、なんて少し恥ずかしくて言い難い。


「ま、色々あるよねぇ〜……」


「おバカ! 早く訂正してくださいましッ!」


 珍しくリリの焦った様な声に首を傾げていると、部屋の光の魔道具がチカチカと明滅し始めた。プレオープンしてなければ、開店してすぐ魔道具が故障するトラブルに見舞われる所だったね。


「中古でも買ったのかな? それとも初期不良?」


「魔道具よりエマを見なさい!」


 ベランジェール様に言われた通りエマちゃんを見ると、エマちゃんから黒いモヤモヤしたものが滲み出ていた。


「エマちゃんそれどうしたの!? 何か出ちゃってるけど平気? ダークマター?」


 エマちゃんの身体中をペタペタさわるが、特に異常は無さそう。黒いモヤに触っても痛みはおろか触っている感触すらない。


「ねぇノエルちゃん。初恋は誰なの?」


「え? いやそれどころじゃないよ! 皆これどうしたらいいの?!」


「……初恋について答えてあげたらおさまるかと」


 いつの間にかベランジェール様の前に立っているイルドガルドがそう言った。


「初恋? そんなのした事ないよ! ちょっと見栄はりましたぁ! あ、強いて言うならエマちゃんかな?!」


 私がエマちゃんの体を撫で回していると、初めから何も無かったかのようにモヤモヤが掻き消えた。


「エマちゃん平気!? どこもおかしくない?」


「な、なんか疲れました……」


 エマちゃんはイスの背もたれに寄りかかり、くたびれたような声を出した。怪我が無くて何よりだけど、体から黒いモヤが出るなんて普通じゃない。


「今のは何だったの?」


「恐らく魔法の兆候ではないかと思います」


「魔法による襲撃ってこと? 誰が私のエマちゃんにそんなことしたの?」


「エマ本人ですわね。おめでとうエマ、あなたも今日から魔法使いよ」


 リリが優雅に紅茶を飲みながらそう言った。イルドガルドも危機は去ったと判断したのか席に戻った。


「エマちゃんが魔法を発現して暴走したってこと? それであのちょっと禍々しい見た目のモヤが出ちゃったの? んー……エマちゃんならもっとキラキラした聖なる魔法だと思うけどなぁ」


「どうかしら。その子からは私と同じ様な匂いがするし存外似合ってますよ」


 アデライト嬢がタルトを食べながらそんな事を言う。そもそも私からするとアデライト嬢が結構謎な存在なんだけど、そのアデライト嬢と同じって言われてもわからない。


「エマちゃん平気? 一旦帰る?」


「少し休んだら平気です。手を握ってて貰えますか?」


 それくらいお安い御用だと私は手を握る。

 皆の見立てでは初めての魔力行使で疲れたらしい。思い返すと私も初めて魔法を発現した時は魔力切れ起こして気絶したっけ。エマちゃんはそこまでいかなかったけど、疲れちゃったってことか。


 少し休めば平気だと言っていた通り、エマちゃんは少しずつ元気を取り戻し、私に甘えるようにスイーツを食べ始めた。

 シャルロットとエマちゃん両方に食べさせている大忙しの私に、リリが「仕方ないわね」と食べさせてくれる。


 何にせよ大事にならなくて良かったよ。

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