第150話 暇になってしまった

 もし、将来私に子供が出来たなら小さい頃からお料理をさせると思う。何も厳しく本格的に教えるという話じゃないよ? 最初は卵をとくくらいから始めればいい。そこから少しずつ出来ることを増やせばいいと思う。


 どうしてそんな風に思うかと言えば、料理は役に立つけど習得するのは思ってるより難しいからだね。

 例えば、今から私が学園に通ってよくわからない楽器を習い始めるとしよう。最初は上手くできなくても、やっていく内にちょっとずつ上手になることでしょう。それこそ寝食を忘れてのめり込む程に毎日朝から晩まで練習するかもしれない。


 そんな風に毎日毎日寝る間も惜しんで練習すれば、一年足らずでそれなりにお見せできる立派な奏者になってるかもしれない。


 だけど、料理に関してはそうもいかない。当たり前だけど、作るのに毎回お金がかかる。食材だね。だから気合と根性で練習出来るわけでもないんだよ。もしお金がいっぱいあったとしても、次は食べるという問題がある。練習するのに料理をするんだから、成果物のお料理ができる。だけどたくさん練習すれば食べきれないほどの料理ができてしまうわけだ。


 捨てる訳にもいかないし、かと言って食べ切る事は不可能。そうなると、お料理の練習というのは余程特殊な環境でない限り精々一日三回しかできないんだよ。だから小さい頃から少しずつでも良いからやるべきだと思ってる。


 大人になってから遅れを取り戻す為に気合い入れてやるぞー! って思ったってそうもいかないのだ。料理歴十年の人はそれだけの経験があるんだよ。だから習得するのは難しい。


 だけど確実に役に立つ。私は前世たくさんの事を学校で学んできた。ところが習ったことの大半は異世界では直接的には役に立たない。日本の県庁所在地も、地図記号も、歴史の年号も、英語も役には立たない。

 もちろんそういう勉強をする過程で培われる思考力とか、応用する事で役に立つこともあると思う。

 例えば迷子になっても植物の植生なんかから大凡の場所を特定したり、その土地にあった作物の種類なんかを見分けたり出来るかもしれない。でもそんなのは私程度の学力では難しい。


 だけど料理は違う。貧しかろうが、豊かであろうが、海外であろうが、異世界であろうが、生きていれば腹は減る。腹が減るから料理をするのだ。経験があれば初めての食材でもある程度味を整えたり出来るものだよ。毒とかは別問題かもしれないけどね。

 

 人はお腹が減れば辛くなるし、イライラする。逆に満腹なら穏やかになったり、優しくなったりするのだ。そして美味しいものが食べられれば誰だって嬉しくもなる。


 だから生きていれば必ず料理は役に立つのだ。役に立つのに習得に時間がかかる。しかし、それさえも強引に解決する方法もある。それは食べてもらえばいいんだよ。


 自分で食べられない分は、誰かに食べて貰ってどうだったか聞けばいい。それが出来るのがこの辺境伯家の王都邸だ。


 私達はベルも混じえて、日夜スイーツショップの開店に向けてたくさん練習を重ねた。食べきれないタルトやシュークリームはメイドさん達が全て吸い込んでくれる。感想が全部「美味しいです」になってしまう問題もあるけど、それでも試行回数は格段に多い。


 タルト生地の分量、寝かせる時間、焼き時間や綺麗な盛り付け方など試したいこと、練習したい事はいくらでもあったからね。メイドさん達の協力は正直ありがたい。


 そして美味しい物を沢山食べさせてくれる人に、動物は懐くのだ。王都邸のメイドさん達は我先に私の役に立とうと一生懸命働いてくれる。美味しいものを貰った礼、あるいはもっと貰う為に尽くしてくれる。


 その結果、スイーツショップでホールスタッフとして働く孤児院の子達に接客の仕方や礼儀作法を丁寧に教えてくれるようになった。

 スイーツショップのメインの客層は貴族や金持ちだからね。私の『笑顔を忘れずにね』、みたいな大して役に立たないアドバイスとは違い、具体例を出しながら丁寧に教える事ができる。


 言ってみれば接客業の専門家みたいなものだもんね。


 こうしてメイドさん達の協力により、商品の試作は私の手を離れてどんどん進み、ホールスタッフの教育も私からメイドさんへと移行した。

 ……つまり私のする事はないんだよ、もう。店舗の準備とか経営は辺境伯家でやってくれるし、実際調理するのは料理人達だから私が練習したって意味がない。むしろ邪魔なだけだね。

 私はもう名義を貸すだけになってしまった。


 周りのみんなは開店に向けて忙しく、リリ達は学業に忙しい。暇なのは私だけだ。


 私はみんなの邪魔にならないように、庭でシャルロットを抱えてゴレムスくんと並んで日向ぼっこだ。早くも隠居した老人のようになっちゃったよ。

 毎日毎日、日向ぼっこでは流石に飽きてしまう。退屈過ぎて日向ぼっこの『ぼっこ』って何よと苛立ちさえ募る始末だ。


 そんな訳で、私は今日我慢の限界を迎えてシャルロットとお出かけをしている。やってきたのはここ、王都の学園!


 一定の速度で飛びながらも手足をバタバタ動かして必死に走っている様な演技をしながらリリの教室前に着いた。そろそろ終わる頃だろう。


「やっほー。暇だから来たよ」


 綺麗なフォームで走っているのに、歩く様な速度で近付く私をメイドさんや執事さんが気味の悪そうな表情で見ていた。その中でたった一人呆れ顔の、いつものメイドさんに声をかけた。


「…………申し上げにくいのですが、気持ち悪い移動方法はやめた方がよろしいかと」


「スイーツショップ開店の準備で試作と試食の日々だったから運動しないと何か気持ち悪くてさぁ」


 その瞬間、静かだった廊下が不思議と更に静かになった。おかしな表現だと思うけど、呼吸さえ忘れてしまったかのような静けさだ。


「…………その話はしてもよろしかったのですか?」


「ん? スイーツショップの話? まぁ良いんじゃない? どうせいつかはわかることなんだし。まだ場所とか時期はわからないけど、開店したら皆さんも是非来てくださいね」


 情報漏洩してしまったかもしれないけど、宣伝をしたと言い換えればなんとかなるでしょう! それに元々いつ開くんですかーみたいな話が多かった訳だしさ。

 少し異様な空気の中、タイミング良く授業が終わったようで先生が出てきた。メイド服を着ている以上、今の私はメイドさんだ。主家の恥にならないよう、私もしっかりと頭を下げる。


 教室からは続々と生徒が出てきて、リリもお友達と楽しそうに笑いながら出てきた。学園生活が楽しそうでなによりだよ。昔の様子を知ってるだけにホッとしてしまう。


「あら? ノエル来てくれたんですのね!」


 リリは目が合うとそう言って私に抱きついた。


「うん! 暇だったから会いに来たよ」


「あら、久しぶりね。ノエル」


 リリを抱えてクルクル回っていると、ベランジェール様が声をかけてきた。すっかり忘れてたけどリリと同じクラスなんだっけ。周りの皆が頭を下げるので、私もリリを下ろしてから頭を下げた。


「ベランジェール様久しぶりー。元気してた?」


「貴様ッ! 王女殿下に向かって何て無礼な!」


 護衛騎士の人がまた突っかかってきてしまった。ベランジェール様とはお泊まり会での印象の方が強いから、この人の存在は忘れていた。


 言い方自体は若干イラッとするけど、ベランジェール様から普通に接していいよって言われてるなんて傍から見てもわからないから仕方がない。少し私の配慮が足りなかったのは事実だろう。


「申し訳ありませんでした」


 怒っている護衛騎士に謝るべきなのか、無礼を働いた事になってるベランジェール様に謝っておくべきなのかわからないけどとりあえず頭を下げて謝っておく。私の謝罪が必要な人、受け取ってくれ!


「何だその謝罪の仕方はッ! 宙に浮いたまま謝るなど、貴様は人間の作法がわからんのか!」


「ッ……! エドガールやめなさい!」


 私は頭を下げていたから何が起きているのかわからないが、ベランジェール様の焦ったような声が聞こえて頭を上げる。すると私が飛んでいた位置がズレてる事に気が付いた。

 たぶんシャルロットが何かを避けてくれたっぽい。


「……え?」


 そんな声が聞こえて振り返ると、見知らぬ派手なご令嬢が驚きの顔をして、地面に落ちた手袋を見ている。沈黙が支配する中、リリがボソリと呟いた。


「……決闘ですわね」


「リリ、どゆこと?」


「手袋を相手にぶつけるのは貴族間での由緒正しい決闘の申込みなんですの」


「でも代理人とか立てられるんでしょ? ご令嬢に決闘とか普通は無理じゃん」


「……由緒正しい決闘なので当人のみですわよ」


 ベランジェール様の護衛騎士が、私の後ろにいたご令嬢に由緒正しい決闘を申し込んだらしい。

 いや本当は私に申し込んだんだろうけどシャルロットが避けちゃったから見知らぬ派手なご令嬢が受けた、という事だね。


「どうすんの? やっぱやーめたってできるの?」


「できない事はないですけど、一般的には恥とされますわ」


 申し込んでおきながら、相手が『やったろうじゃん!』って身を乗り出したら、『いやでもやっぱ辞めときますかー』なんてキャンセルするのと同じかな? そりゃ貴族じゃなくても恥だわ。


 ベランジェール様も、護衛騎士も困惑顔だ。申し込まれてしまったご令嬢に至っては青い顔で震えている。どう考えても自信は無さそうだね。

 決闘のルールをしらないけど、もし剣とかだったら普通のご令嬢じゃ勝ち目はないだろうしそうなるのも仕方がない。


 根本的に悪いのは護衛騎士だと思うけど、王女様の護衛騎士に『何してくれてんだふざけんな』とも言えないんだろう。それこそ『じゃあ決闘で』って話になってしまう。


 でも見知らぬ派手なご令嬢は被害者だ。私自身も悪いとは思わないけど、巻き込まれ系派手令嬢よりはよっぽど当事者だよね。ここで助け舟をださなきゃ女が廃るよ。

 

 その方法としては私が護衛騎士に決闘を申し込んで、勝った報酬としてご令嬢への決闘は恥だろうが何だろうがなかった事にしてもらえばいいと思う。


 私も護衛騎士にならって手袋を投げようと思ったけど、手袋なんて付けていない。メイドさんは水仕事もあるんだからそんなの付けない。


 誰かに借りて投げつけてもいいけど、万が一手袋の持ち主が決闘を申し込んだ事になったら余計ごちゃごちゃになっちゃうし……。

 

 しょうがない。代用品で我慢してもらおう。私は靴下を片っぽ脱いで護衛騎士の顔にぶつけた。


「決闘じゃい!」

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