第121話 リリとシュークリーム

 完成したシュークリームを何個か持って部屋に戻る。膨らまなかった物も、シュークリームとしては失敗だけど、食べれば美味しいし、屋敷の皆んなでクリーム乗せて食べてって言っておいた。


 そーっと部屋に入ると、リリはまだ勉強していた。結構長い時間スイーツ作りをしていたが、部屋の様子を見る限り休憩した様子もなく、今までずっと勉強していたんだろう。本を読んでいる横顔は凄く真剣で、声を掛けるのは躊躇われた。

 リリの集中力が切れるまでは待っていようと静かにソファに座る。


 学園の試験がどの程度難しいのかは知らないけど、小さい頃から家庭教師を付けてなお、こうして勉強しているのだからそれだけ大変なんだろうな。そう思う反面、アレクサンドル様が合格してるんだからリリなら余裕では? とも思ってしまう。

 何にせよ、余裕ぶって試験に落ちてしまったら世話ないし、少し過剰なくらい取り組んで、なんだあんなに頑張る必要なかったなと笑い話になる方がいいだろう。


 暫くすると、リリが絞り出す様な声を上げながら伸びをしたのでそばに行って声を掛けることにした。


「お疲れ様、随分と集中してたね」


「あら? 戻ってきてたなら声をかけてくださいまし」


 ごめんごめんと謝りながら頭を撫でると、私の方へと頭を傾けてきた。お姫様はもっと撫でろと仰っている様だね。艶のある綺麗な水色の髪は、光の当たり方によって銀色にも見える。私の地味目な茶髪と違って個性的で羨ましいね。


「それで、ノエルは何をしてらしたの?」


「そうだそうだ。頑張るリリの為に、特別な贈り物を用意してきたんだよ! 私に惚れるなよー?」


 私が冗談めかしてそういうと、リリも「はいはいもう惚れてますわよ」とふざけて言ってくれる。

 イスに座っているリリの膝裏に手を入れてヒョイっと持ち上げると、突然の事に驚いたのかリリは小さく悲鳴をあげた。だけど突然の事には慣れっ子のリリは、私の首に手を回ししっかりと掴まったのでそのままソファまで運んでいった。


「じゃじゃーん! 本邦初のシュークリームでーす! 可愛いでしょ?」


「まぁ! クリームが溢れそうな程挟んであるんですわね!」


 リリは両手を合わせてキラキラとした目でシュークリームを見つめている。その表情は、クリスマスプレゼントを前にした子供の様だ。お貴族様が食べるには些か品が良くないかも知れないけど、この場には私とシャルロットといつものメイドさんしかいない。


 リリはお皿の周りを見渡して、ナイフとフォークを探している様だが、上品に食べようだなんてそうは問屋が卸さない。


「リリ、これはガブっといって、中から幸福が溢れるのも含めて楽しむスイーツなんだよ。だからナイフとフォークなんてありません!」


「い、良いんですの? そんな大胆な事をして」


 私もメイドさんも頷くことでリリの疑問に答える。リリは私とメイドさんを交互に見た後、部屋を見渡して誰もいない事を確認すると、手にシュークリームを持った。

 ごくりと唾を飲んでから口元までシュークリームを運ぶが、大き過ぎてどう食べればいいか困っているみたい。口を開いては閉じ、角度を変えてから開いては閉じる。リリの小さなお口には少し大きすぎたかも。

 最初の一歩が踏み出せないリリに焦ったくなった私はアドバイスをする事にした。


「もうガブーっていくんだよ! 溢れたって舐めればいんだからガブーっていきなさい!」


 育ちの違いか、はたまた意外と小心者だからか、中々食べ始められなかったリリ。私の言葉を聞いて意を決したのか、ぎゅっと目を閉じながらかぶりついた。リリの目が開かれるのと同時に、色んな方向からクリームが溢れ出ててんやわんやだ。垂れてしまわないように、色んな角度に変えながらクリームを舌で舐めとっていく。

 そんな様子がメイドさんには少し刺激が強かった様で、上を向いてグーサインを出しているが、私はあなたの欲望を満たす為にシュークリームを作ったわけではない。決してない。


「どう? 美味しい?」


「ええ。とっても美味しいですわ! でも見てくださいまし!」


 リリはクリームでベトベトになってしまった指を呆れた様な顔で見せてきた。お貴族様的にはやっぱり食べにくくてダメだったみたい。解決策としては一口サイズにするか、クリームの量をがっつり減らして食べやすくするかだね。一口サイズはまだしも、クリームの量を減らすのは認められない。それならクッキーに生クリームでいいじゃんと思っちゃう。食べにくいからこそのシュークリームだ。


 どうしてくれるんだと言わんばかりに見せつけてくるクリーム塗れの指を、私はパクッと咥えてやった。


「ひゃぁ! な、何するんですの!」


「こほふれふぁ最後まへ食べれるお」


「何言ってるかわかりませんわよ!」


 顔を赤くしてプリプリ怒るリリの指をチュポンと音を立てて離す。


「こうすれば最後まで食べれるよって言ったの。にしても甘くて美味しいね、ご馳走さま」


「はぐぅ……」


 ヨーグルトの蓋を舐める様に、ケーキの周りのビニールを舐める様に、手についたクリームを舐めるのも作法だ。お行儀は悪いし、卑しく見えちゃうけど私は好きなんだよね。なんだか少ししか取れない希少部位みたいな特別感を感じるのだ。


 リリは指に付いたクリームをじっと眺めてからパクッと咥えて、口の中でコロコロと舐めている。その表情は心配になる程真っ赤。お貴族様的には羞恥心が半端じゃないみたい。


「美味しい?」


「わ、わかりませんわよ!」


 そらそうだ、君が舐めてるのは私が舐めた指だからね。その指にクリームはもうないよ。リリはまたじっと指を見つめた後、私の方に手を伸ばす。


「な、舐めますか?」


「別にいらないよ。シュークリームまだあるしね」


 お皿の上にはまだ数個のシュークリームが残っている。わざわざリリの指についたクリームを卑しく舐めとるよりもシュークリームそのものを食べた方が早いし、満足感が得られるだろう。そう思って断ったんだけど、どうやらリリはご不満な様で、頬をぷくっと可愛らしく膨れさせていたが、サッと気持ちを切り替えた。


「このシュークリームはお店で売りますの?」


「んーどうだろう。今のところは考えてないかな」


「あり得ないほど繁盛してますし、わざわざ新商品を出さなくても良いですわよね」


 少し前に辺境伯領でオープンしたスイーツ専門店は大人気になっている。というか大人気になりすぎて少し困った事態にもなっている。遠方からやってきたお貴族様が入り浸るケースがあるのだ。一度帰ってしまったら、再度来るのは大変だからティヴィルの街に引越してきたのかと思うくらい泊まり込んでるらしい。入り浸りの貴婦人の御家族から、ほんのりと返して欲しい的なお手紙が届く事もあって、フレデリック様は頭を抱えていた。なんかまるで人質に取ってるみたいじゃん。むしろ迎えに来て連れて帰ってよ。

 そんな状況の中、新商品を出そうものなら余計に帰らなくなってしまう。新商品を飽きる程食べて、近い内にまた新商品が出るのではと待ち続ける事だろう。


 それでももし仮に商品化して売るとしたら、やはり食べやすさはある程度必要だろうね。お店でこんなベタベタになってしまっては恥ずかしいし、なによりお得意様の貴族達は辛いだろう。


「うん、やっぱりお店では出さないよ。つまり滅多に食べられないって事だね。だからメイドさんもどうぞ」


 本来ならメイドさんが主と同席するなんて以ての外だろうけど、そんなのは今更だ。リリはそんな事気にしないし、それくらいで責めるなら主を見て欲情する事を責める方がいい。


 この日、初めてスイーツを食べた王都の屋敷で働くメイドさんたちの多くが倒れ、お仕事が進まなくなる一幕があった。けれどそんなトラブルにはリリも慣れっこで、そっとため息を吐いて終わりだった。優しい主で良かったね!

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