第104話 お茶会その一

 皆が慌ただしく過ごしていると、あっという間にお茶会本番は明日へと迫っていた。もう出来ることはやったし、当日の私の役割は不測の事態に備えて会場にいるだけだ。

 

 夜、ベッドへ入ってシャルロットを抱きしめているとリリの動く気配がした。

 リリはベッドを抜けて、窓から外を眺めている。


「眠れないの?」


「起こしてしまいましたか?」


「まだ寝てないだけだよ」


 普段ならすぐに寝付くリリがまだ眠らないなんて、よっぽど明日のことが気になっているんだろう。シャルロットをそっとベッドに置いてから私も窓際に向かった。

 窓から見える景色は月明かりにぼんやり照らされた庭園くらいのもので、後は星空が見えるくらいだ。すぐに興味を無くし、窓枠に寄り掛かるように部屋の方へ体を向けた。


「いよいよ明日ですわね」


「そだね。まぁできることはやったし、あとは気楽に楽しもうよ」


「もう! ノエルはお仕事終わりかも知れませんが、わたくしはどちらかというと明日が本番なんですのよ?」


 私怒っていますと言いたげに、腰に手を当てているが、その言葉に覇気はない。緊張なのか、不安なのかわからないけど、心の中は明日の事でいっぱいなんだろう。


「そうだ、手を貸してくれる? おまじないやってあげるよ」


 リリの手のひらに人という字を三回書いていると、くすぐったいのか、甲高い声で言葉にならない声を発していた。


「はい、最後にパクッと飲むんだよ」


「いえ、飲むと言われましても……。こ、こうですの?」


 リリは言われた通りに、手のひらに載せた飴玉でも食べるようにパクッとする仕草をした。


「それで、これは何の効果があるんですの?」


「侍の国に伝わる古いおまじないでね、手のひらに人という字を三回書いて丸呑みすると緊張しなくなるんだってさ」


「呪術じゃありませんわよね?!」


「さあ?」


 手のひらの真ん中にあるツボが緊張を和らげる、みたいな話は聞いた事があるけど起源はなんなんだろう。考えてみると人を書いて呑むって結構怖いね。

 リリはひとしきり騒ぐと、体の奥底に溜まった緊張を全部吐き出すように、長い長い息を吐いた。


「なんだか騒いだらバカバカしくなって力が抜けてしまいましたわ」


「じゃあ寝る?」


「……そうですわね」


 二人でベッドに横になると、リリは私の手を握った。力が抜けても不安は不安みたい。少しでも不安が和らぐように、お姉さんが一肌脱いであげよう。

 私はリリの上にまたがる様に抱きついたまま、今度は私が下になるようにゴロッと回転した。リリは私の突然の奇行に思考が追いつかず、振り回されるばかりだ。


「な、なんなんですか!」


「いいからいいから」


 リリの顔を私の胸にのせて、私の心音を聞かせる。人は心音を聞いていると、母体にいた頃の影響なのか、落ち着くと聞いた事があるんだよね。


「私の心臓の音聞こえる? なんかこうすると落ち着くんだってさ」


「そう……ですわね。少し落ち着くかもしれませんわ。……いつもありがとうノエル」


 リリはそう言って、しがみつく様にくっついてきた。


「これくらい良いよ。エマちゃんも良く私の心臓の音を聞いてたよ。お揃いにしますね、とか言って息止めたりして鼓動を調整しようとしてたんだけど、心臓すっごく早くなっちゃって全然合わないの」


 私の上でしがみつくリリの姿が、エマちゃんと重なって思い出し笑いをしてしまった。


「ちょ、ちょっとお待ちなさい! 誰ですの? エマちゃんって誰ですの!」


「私の友達だよー。言ってないっけ? あのいつも付けてる銀のリボンはエマちゃんとお揃いなんだよ」


「お揃い? お揃いってなんですか! 一番の親友たるわたくしはノエルとのお揃いの物なんて持っていませんわよ! 今から買いに行きますわよ!」


「もう夜だしお店やってないよ。何で急にそんな騒ぐかなぁ。今日一の声出てるし、落ち着くって全然嘘じゃんか」


 ギャーギャー騒ぐリリがうるさかったのか、シャルロットも起き出して、私とリリの間に強引に体をねじ込んできた。それに対してまたギャーギャー騒いで……私も思わずため息をついた。

 こうしてお茶会前日の夜は更けていったのだった。


 ●


 当日の朝、リリは眠い目を擦りながらメイドさん達に囲まれて身支度を整えている。


「お嬢様、昨夜は緊張して眠れませんでしたか?」


「そうですわね……。あれ? そうでしたっけ?」


 私は違うと思うな。リリはずっと村での暮らしが気になって騒いでたから眠れなかったんだよ。

 リリは夏用の涼し気なドレスを着ている。もっとゴテゴテしたギラギラのドレスみたいなの着ると思ってたけど、そういうのはお茶会ではなくパーティーで着るらしい。

 私はお茶会参加者ではないので、ドレスではなくメイド服を着ることになっている。だからといって練習もしていないので給仕はしないし、会場でぼーっと立っているだけだ。


 お茶会は午後からだというのに、誰もが朝も早くから準備が大変そうだし、私も少しは役に立とうと、色んな人の所へ行って力仕事を手伝った。

 メイドさんなんかは力仕事を変わってあげると凄く喜んでくれたが、男性は顔を引きつらせていた。まぁこんな美少女が自分たちが精一杯運んでいたものを軽々運べばプライドもズタズタになるだろう。


 そして午後になるとお茶会の会場には続々と綺麗な淑女とリトルレディが集まり始めた。会場は庭園のよく見える一階の広い部屋だ。沢山の円卓が並べられ、その上には花が飾られ、利用者の見えない様な裾の部分に綺麗な刺繍が施された真っ白なテーブルクロスが敷かれている。

 

 これからお茶会が始まれば、夫人やご令嬢は優雅にお茶を嗜みながら理性を失い、スイーツを貪るのだろう。いや、何人の人が気絶すること無く貪る事ができるのか見物だな!

  

 会場にやってくる母娘はベルレアン辺境伯家とはそれなりに仲がいいのか、ヘレナ様に会うと嬉しそうにしている人が多い。これが貴族の社交術なのだとしたら、私には到底見抜けないね。


 私はそんな様子を部屋の隅っこに立って眺めているが、気になる点があった。それはリリの表情が誰に対しても固いのだ。この会場にはリリの陰口を言っていた人もいるだろうけど、当然そうじゃない人だっているはずだ。それなのにリリは全員に対して表情が固かった。

 久しぶりのお茶会で、陰口言っていた子もこの部屋にいるのだから胃が痛くなってもおかしくは無いけど、どうせなら楽しく笑ってお茶を飲んで、楽しく笑って仕返しをして欲しい。


 ぎこち無い笑顔を振り撒きながら、お客様を出迎えていたリリは、ようやく招待客が揃ったのかそっと息を吐いてからヘレナ様と席に戻り始めた。その途中で私と目が合ったので、笑顔だよと伝えるために、両手の人差し指でむにっと口角をあげて一瞬だけ笑顔を見せる。流石に使用人がヘラヘラしている訳にもいくまい。


 リリは何故か笑顔ではなく、呆れ顔を私に見せたあと胸を張って席へと座った。


 ヘレナ様が主催者として挨拶をする様で、一人だけ立ち上がり、部屋全体を見渡した。


「皆様、本日はようこそお越し下さいました。我が家でお茶会を開くのは少々久し振りでは御座いますが、是非とも皆様に楽しんでいただけますよう趣向を凝らしております。恐らく、本日のお茶会で皆様は歴史の目撃者となるでしょう。どうか、お気を確かにお持ちくださいませ」


 かくして、ベルレアン辺境伯家のお茶会はお客様の困惑した表情で始まるのだった。

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