第62話 母娘の話し合い

 レオはお家にたくさんの人が来たのが嬉しかったのか、はしゃぎ疲れて眠ってしまった。


 今、私とお母さんは洗い物を協力しながら片付けている。


「……辺境伯との話し合いはどうするつもり?」


「どうするって?……普通に話すけど」


「誤魔化さないの。ノエルの中ではどうするか決まってるんでしょう?」


「……」


 お母さんがお皿を拭きながらそんなことを言う。私の中で決まっていると言うよりは、そうなるんだろうなぁという予想はある。


「……街で暮らす事になると思うよ」


「……そう。そんな事だろうと思った。なんだか思い出作りみたいに見えたもの。今日のノエルの行動は。昔話なんかしちゃって」


 食器を洗う水の音だけがキッチンに響いている。何をどう伝えればいいのか、うまく言葉が見付からない。


「……どうにもならないの?」


「どうにもならないというか……。後ろ盾になってもらうってそういう事じゃない……?」


 辺境伯に謁見して、後ろ盾になって貰う。そして村で暮らしますは道理が通らないと思うんだ。

 きっと辺境伯は家紋の入った何かを持たせたりこういう人が庇護下に入ったので手を出さないでねと周知するんじゃないかな。その代わり私からもそうするだけのメリットを辺境伯に提示しなければならない。そうでなければ、私は辺境伯の言いなりになるか、辺境伯の人の善さに付け込むゲスになってしまうと思うんだ。


 村で暮らしていては辺境伯が何か用事があっても連絡するだけで時間がかかるし、私が何をしているのか把握もできない。信頼関係なんて何も無いのに善意で家の名を貸すような貴族がいるとは思えないよ。だから辺境伯のお膝元であるティヴィルの街で私は暮らす事になるだろう。


「……そうよね。……大丈夫なの?」


「まぁそこはなんとかやっていくよ」


 私だって前世含めれば二十歳超えてるわけで、家事もできるし何とかなるだろう。話し合い次第だとは思うけど、ジェルマンさんと協力すればお金を稼げると思うし、片手間で冒険者をやってみるのも良い。仮に魔物が倒せなくても、普通の人は危険で立ち入れないエリアの採取とかでも活躍できるでしょう。


 採取専門で依頼達成率百パーセントの美少女冒険者、いいね!


「村でね、養蜂をやって欲しいの。シャルロットにお願いして、シャルロットの配下も森から何匹か連れてきてさ。この村の特産としてキラーハニービーのハチミツを作るの。上手くいきそうなら、例えば薔薇の花だけで作ったハチミツとか試してみてさ、出来れば人気が出ると思うんだよね。そうしたらお母さんだって甘いも」


「今甘い物なんてどうでもいいでしょ!!」


 突然お母さんが声を荒らげて台を叩く。


「養蜂がやりたいならノエルがやればいいでしょ! この村で! あなたが! どうして私がやらなきゃならないのよ! ……いつだってあなたは突然だったわ!! 突然魔法が使えるようになって! 突然商売を初めて! 突然街で暮らすと言い出して……」


 まるで苦痛に耐えるような表情で、叫ぶ様に怒鳴り散らす。お母さんは普段怒る時、静かに怒る人だった。余計な事は言わず、問題点だけを淡々と怒りを滲ませながら指摘する様な人だ。決してこんな感情的に怒りをぶちまける人では無い。


 今回の件がそれだけ許し難かったのだろう。上手く説明できなくて勘違いさせたり突然だったり、いつも悪いのは私だ。

 街で暮らす件だって街に行くって決めた時にはもう決まっていた事だ。それはお父さんもお母さんも理解して、覚悟してたはずだ。


 それなのにこんなに怒っているのは頭では理解していても、心では納得出来ていなかったんだと思う。大きな問題になる前に、まだ対処出来るうちに、街へ行って後ろ盾を得るのが最善だと頭で分かっていても、離れ離れになる事を簡単に受け入れられるほど納得出来ていなかった。

 それを私はしっかりと向き合って、話し合って納得してもらうべきだったんだ。


 レオも産まれて、可愛いざかりでまだまだ手が離せないから、私の事はちょっと怒りながらも仕方ないわねってその程度で終わると思ってたよ。


「……なんとか言ったらどうなの!」


「ご、ごめんなさい。でも……」


 部屋からレオの泣き声が聞こえる。どうやらお母さんの声に驚いて起きてしまったようだ。


「あとはやっておくから、お母さんはレオの所に行ってあげて。赤ん坊は泣いても――」


「わかってるわよ!」


 私は声を荒らげるお母さんにビクッとしながら、台所を出て行く背中を見送った。


 正直言ってお母さんがこんなにも怒るとは思ってもみなかったよ。いつもみたいにため息ついて、たまには顔をみせなさいよって。そんな感じかなーなんて甘くみてたわ。


 でも私だって言いたい事はある。だって街行くのはお父さんもお母さんも渋々ではあったけど賛成したじゃん。動くなら今とか覚悟は決めてなきゃいけなかったとか言ってたじゃん!


 食器を片付けた私は離れた所で様子を見ていたシャルロットを捕まえてファーに顔をうずめる。インセクトセラピーだ。


「ねぇシャルロット、この村でハチミツ作れる?」


 ガチガチ


「じゃあシャルロット作ってくれる?」


 ガチ


「何を言いたいかわからないや……。ごめんね」


 シャルロットを抱えたまま家を出る。養蜂計画の下見だ。家に居づらい訳では無い。下見だ、うん。


 キラーハニービーの巣は木に寄生する様に作られてたから木は必要でしょう? ハチミツ自体はキラーハニービー達が作ってくれるから特にやる事はないんだよね。問題はお礼だ。


「ねぇ、シャルロット。もしハチミツ作りをこの村でやるとしたらお礼は何が欲しい? 魔力?」


 ガチガチ


「じゃあ先払いするからあーんしてあーん」


 イヤイヤしてる。結局魔力払いするなら私がやるしかなくなっちゃうし、その癖私は街で暮らすとか言い始めて……そりゃお母さんもあんたがやれって怒るわな……。お母さん、まだ怒ってるかなー……。


 ぶつくさ考えながら歩いていたら教会のある丘まで辿り着いた。前世の記憶を取り戻してすぐにここで洗礼式を受けたんだよね。あれからまだ二年しか経っていないのに懐かしい。


 そっと教会の扉をあけて入る。礼拝堂のベンチに座ってボーッとする。シンプルで広い礼拝堂には多分女神像が置いてある。興味無さすぎて神様の名前も宗教の名前も知らないわ。


「おや? ノエルちゃんがここに来るなんて珍しいですね。洗礼式以来ですかね?」


「神父様……」


 神父様が通路を挟んで隣側のベンチに腰掛けた。


「何やら悩み事でもありそうですね。この老いぼれに話してみませんか? 心に溜まった澱みは声にして吐き出すと、解決できなくてもスッキリするものですよ」


 昔、世話になった人も言ってたっけ。女はすぐに愚痴を吐くから男より長生きするのよ、だから愚痴を吐かなきゃって。


「……聞いてくれますか?」


 食事会、昔話、街で暮らす事になるであろう事、そしてお母さんが今までに無いほど怒った事、今日あった色々な事を話した。


「なるほど……。そのような事があったんですねぇ。……時として人というのは、誰も悪くないのにぶつかってしまうものです。互いの正義や信仰、それこそ好きな食べ物の話でさえぶつかってしまう事があります。私はそういう時、喧嘩をするのではなくお互いに伝えるべきだと思うのです。相手の考えを否定するのではなく、自分がどう思ったのか、何を感じているのかを。人はそうしなければお互いを知る事ができない不完全な生き物なんですよ」


 神父様は長い髭を撫でながら遠い目で女神像を見ている。


「……ノエルちゃんはジゼルさんにしっかりと伝えましたか? 街での暮らしは楽しみですか? それとも不安ですか? 寂しくはないですか? 今の話を聞いて、私にはどうも街で暮らす事に対するノエルちゃんの気持ちが伝わってこないのです。ただ事実だけを、ただ結果だけを相手に渡して終わりにしていませんか? もしかしたら、ジゼルさんはもっとノエルちゃんの心に触れたかったのかもしれませんよ」


 思い返すしてみると私は淡々と事実だけを伝えていたように思う。家族と離れて暮らすことをまるで業務連絡みたいに伝えてた。それは良くなかったと思う。でも少し大袈裟なんだよお母さんは。


「ほっほっほ。不満そうですなぁ」


「だってね、神父様。お母さんは大袈裟過ぎるんだよ……。街で暮らすって言ったって今生の別れでもあるまいし……。ちょっと行ってきますってくらいの話じゃん。そりゃあ私も伝え方が悪かったとは思うよ? でもそんなに怒らなくたって……」


「それだけジゼルさんはノエルちゃんと離れたくないんですよ。愛されてますね」


「それは嬉しいけどさ……。でもだって会いたくなったら会えばいいでしょ? ティヴィルの街なんて私が走っちゃえばウチからエマちゃんちまで歩くのと大差ないんだよ? それじゃエマちゃん家に遊びに行く度に喧嘩だよ」


「……………………それは伝えましたか? 走ればお隣さんと同じくらいの時間で戻れると」


「ううん? だって言ったら今日内緒で街行ったのバレちゃうじゃん」


「ほっほっほ……。怒られてきなさい」

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