第59話 閑話 小さな賢人と恐ろしい計画の一端(エリーズ視点)
私のお隣には小さな賢人が住んでいる。名前はノエル、娘と同じ七歳の綺麗な女の子だ。赤ん坊の頃から付き合いがあったから、娘とは親友と言えるほど仲がいい。
まだ娘が幼かった頃、気が弱かった娘は村の男の子達からちょっかいを掛けられることが多かった。自慢ではないが、私の娘は天使のように愛らしい容姿をしているから糞ガキ共……失礼。村の男の子は少しでも構って欲しくてついついイジワルをしてしまうのだ。それをいつも助けてくれたのはノエルちゃんだった。
時には暴力的に、時には言葉巧みに男子を追い返していた。娘にはそんな彼女が騎士のように見えたことでしょう。狭い世界で彼女だけが自分を護ってくれたのだから惚れ込んでしまうのも無理は無い。娘は母親の私がちょっと引いてしまうくらいには重い愛情をノエルちゃんに向けている。そしてノエルちゃんはそれすら何食わぬ顔で受け止めているのだ。恐るべし。
そんなノエルちゃんは洗礼式の日を境に、特別な子になった。千人に一人とも、一万人に一人とも言われる魔法を発現させたのだ。それこそ誰が見ても特別な存在になった。
でもそれだけではない。彼女に近しい人しか気付いてはいないだろうけど、彼女の中で何かが変わったのを確かに感じた。
そんな彼女がある日突然、私に作りたいモノがあると相談を持ち掛けてきた。
詳しく話を聞いてみれば、今迄にない画期的な物を作り出そうとしていた。彼女は知育玩具、などと総称していたが、それはつまり今は言わないだけで様々な構想は既にあったんだと思う。そうじゃ無ければ商品名だけで良かったはずよ。
そして私の予想が正しかった事を証明するかのようにそれからも彼女は私の実家と協力して沢山の新しい物を生み出し続けた。お金儲けの為と言うよりは必要になったから作っているようにしか見えなかったのが商売人として少し残念。
そんな彼女は、先日街から帰ってくると私達にお土産をくれた。久しぶりの再会に興奮し過ぎた娘は子供が出来たとかなんとか、起きたまま夢を見る離れ技を披露していたわ。
用意してくれたお土産の中の一つに、世界の歴史を変えるほどの物があるとは到底思ってもみなかった。
彼女はそれをクレープと呼んだ。黄色い薄い生地が、果物や白い雲のような物を包み込み、更にはハチミツが装飾として使われていたそのクレープを見た時、私の乙女心が疼いたのを確かに感じた。
彼女はそのクレープを、世界を変える力を持っていると言った。もう歴史は動き出したのだ、後は私の計画に乗るか逃げるかだと。もし目の前にクレープが無ければ大袈裟なごっこ遊びとしか思わなかったでしょう。でも目の前の一皿が彼女の言う事が大言壮語ではないと必死に訴えかけていた。
まだ彼女の目的はわからなかったが、態々私にこのクレープを魅せたのだ、彼女の計画に私の力が必要なのでしょう。王都で受けた貴族からの嫌がらせに辟易してこんな田舎に逃げて来た私なんかの力を欲しがっているのだ。
かつて王都の学院に居た頃は、美しさと頭脳を兼ね揃えた令嬢がいるならばセラジール商会は将来安泰だろうなんて言われていたのに、その全てを投げ出して逃げた。所詮権力の前では、豚みたいに醜く肥えた下級貴族の求婚すら簡単には断れなかった弱い立場の私を彼女は求めている。
大した事など出来はしないけれど、それでももう一度だけ表舞台に立ってみようかしら、そう思ってしまう程の力をクレープから感じてしまった。
それなのに私は失敗をしてしまったの。美味しいと声を上げながら食べる娘を見てそれじゃあ私も頂こうかしらと、今までの覚悟も忘れて卑しく食べてしまったのだ。口にクレープを入れた瞬間、痺れる様な何かが全身を駆け巡り、その正体が一体何なのか考えようとした瞬間私は意識を手放した。
今だからこそわかる、あれは私の防衛本能が強制的に意識を落としたのだ。脳が甘さと多幸感の暴流で焼き切れて仕舞わぬよう、それらを認識してしまう前に……。
目を覚ました私を、彼女は酷く冷たい瞳で見ていた。期待外れだった、その程度の人間だった、と瞳が語っていた。
あの瞳は見た事がある。王都の学院で上位貴族が、失敗をした下級貴族を見限る時の瞳だ。これはもういらない、そう言ってる瞳……。
今まで一度も怒ったところを見せたことの無い彼女に不愉快だと言わせてしまったのだ。その瞬間娘と夫、そしてジゼルさん一家が揃って楽しそうにしている姿を私だけが小さな檻の中から見ている姿を幻視した。
そんな未来は嫌だ、私だけ一人にしないで欲しいといい歳をして泣きそうになりながら、私にはただ謝る事しか出来なかった。言い訳せずに謝ったのが良かったのか、はたまた最初からそのつもりだったのか、彼女は笑って許してくれた。少しの愉悦を含んだ瞳で笑いながら、今回だけですよ、と。
もう彼女の前で二度と失敗は許されなくなってしまった。次に何か失敗をすれば私は容易く切り捨てられるのだろう。今まで私がして来た事を別の誰かが代わりにやるだけ、彼女にとって私はまだその程度なのだ。
私は覚悟を決めた。家族との幸せの為に、輝かしい未来の為に。
そしてその覚悟は私に応えてくれたのだ。クレープから感じた多幸感は脳から全身へ染み渡り、嬌声を上げてしまいそうな程の生きる悦びを、充足感を私に感じさせた。
乗り越える事の出来た私に、彼女また微笑んでくれた。
無事試験に合格した私は思い切って彼女に聞いてみる事にした。これから先、彼女は何を求めて戦うのか、何処を目指して進んでいくのか、それを聞ければ私ももう少し上手に動けると思ったの。
彼女はこう言った、人類スイーツ化計画、そしてそれには魔法袋が必要だと。
魔法袋は王家が管理している、つまり最初の目標は王家になる。
……なんて壮大な計画なのよ……。まさか第一段階から王家だなんて、私に出来ることなんて何も無いじゃない!
だけど彼女は王家なんて障害とさえ認識していなさそうに、自信ありげにクスクスと笑っていた。スイーツは女性を確実に魅了する、そして人類の半分は女性なのだと笑って言ってのけた。
その言葉を聞いて私は身体から力が抜けるのを感じた。
……そう……そういう事だったのね……。私は全てとは言わない迄も、彼女のこの一言で多くの事を察することが出来た。
きっと計画はスイーツという物を武器に人類の半分、つまりは世界の半分を掌握し始める事が第一歩。そして民衆の半分が味方に付けば、現体制に不満を持つ者も味方に着くでしょう。社会的に地位が低いとされる女性も、実は家庭内では力を持っているケースも多い。そうなれば貴族平民問わず、家族も巻き込んでこちら側に着く家も出てくるでしょう。それだけ多くの味方が出来れば、日和見しているだけの愚かな連中も動き出す。これだけでもかなりの力を得ることになるわ。
……だけど彼女がそれだけではない事を私は知っている。村でよく行っていたあの命令ゲーム、途中で名称は変わったけど最初は女王の命令だった……。あれもまた作戦の一部だったのね。
上位者の命令を聞くように訓練し、忠実にこなす者には褒美として地位を与えていた。無論親衛隊など、この村では名ばかりの地位だったが……。今になってみればわかる、あれは女王として命令を下す練習と、軍事教練だったのよ……。
人民の掌握と軍事力、そしてもう一つ大切な物がある。それは民の心を支える宗教。自分達の行いが正義であると植え付け、同じ思想を持って一丸となりことに当たる。
既にこの村では新しい宗教が芽吹いている。きっと誰もまだ気が付いていない、何の気なしにお遊び感覚で言っているだけ。それでももう日常的にも、収穫祭でもそこかしこから聞こえてくるのだ。『女神エリーズに乾杯』と。
どうやら最初から私も計画に組み込まれていたのね……。きっとさっきの見放した様な瞳もどこまで私がやれるのかを試したんだわ。今も娘と楽しそうに笑っている彼女にとって、この村は実験場だった。この村を一つの国に見立てて実験しているのだろう。
先程食べたハチミツにも覚えがある。あれは王都で一度だけ食べたことのあるキラーハニービーのハチミツ。滅多に手に入らず、貴族さえ欲しがる希少なハチミツも彼女の武器になるのでしょうね。
彼女の連れているキラーハニービーがこの村でハチミツを安定供給できるのか、近々新たに実験が始まるのでしょう。
彼女の目指す先はこの国を盗る事なのか、新たに国を興すことなのか、はたまた大陸を手中に収める事なのか……今の私にはまだわからない。だけど彼女は二年も前から着実に準備を進めていた。民衆、軍事力、宗教……。その三つを手に入れる為に動き出していた。後は民衆を率いて最前線で戦う無敗の英雄さえ誕生すれば完璧なのかも知れない。
彼女は少し変わった子供として振る舞いつつ牙を研いでいた。
私は今日、小さな賢人の恐ろしい計画の一端を知ってしまった。
エマ、あなたの好きな子はとんでもない怪物よ。
エマだって十分過ぎるほど賢い子だ。だけど彼女と比べてしまえば親の欲目でみてもかなり劣ってしまう。それだけ彼女は別格なのだ。彼女のする突飛な行動も、誰にもわからないだけで壮大な計画の一端を担っていたのでしょう。もしもエマが望むのならお爺様に頼んで王都の学園へ通わせよう。こんな小さな村に留まっていてはきっと彼女の横に立つことはおろか、ついて行くことさえ出来なくなってしまうから。
そうと決まれば早速お爺様に手紙を書こう。私から計画について話すことはできない。でも彼女が大きな事を企てているとそれとなく伝えよう。お爺様がどういう判断を下すかはわからないけれど、きっと少しは役に立つ事でしょう。
お爺様どうか賢明な判断を……。彼女はきっと神が望んだ、世界に変革をもたらす子です。何故なら彼女が変わったのは、神の祝福を受ける洗礼式の日だったのだから……。
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