第58話 エリーズ家の初めてのスイーツ

 覚悟を決めて受け取ったはずのフォークを、エリーズさんはクレープに刺すことが出来ないでいた。バンジージャンプと一緒だ。飛ぶ直前まで覚悟を決めて、もう行けると思ったのにいざ最後の一歩を踏み出そうとすると何故かそれが出来ない。心だけ前に行っているのに不思議と体が動かないのだ。エリーズさんはきっと今そんな心境だろう。

 ちなみに私はバンジージャンプをした事がない。


「ノエルちゃん、これ何処から食べればいいですか?」


 エマちゃんはキョロキョロお皿を見回しながら、生クリームでモコモコになったクレープの食べ方に困っている。


「ちょっと貸してごらん、はい、あーん」


 私はテキトーな所をフォークで切ってからエマちゃんに差し出す。こういうのは一度やってみればそんな感じでいいのかとあっさりできるもんだ。


「ノ、ノエルちゃんッ! あ、あーん……」


 クレープに興奮気味のエマちゃんは目を閉じてあーんをする。雛鳥の餌やり気分で可愛らしい。ヒョイっと口に運んであげると驚きでぴょんと跳ねた。


「こ、これ凄く美味しいです! 甘くてフワフワで……なんでしょう! すっごく、すっごく美味しいです!」


 美味しいと大喜びするエマちゃんを見て私は確信した。変な先入観や経験が少ない子供の方がスイーツの暴力に対して一定の免疫があるようだ。


 きっと大人達は甘いお菓子ですと言われて勝手に果物の甘さや砂糖をちょっと舐めた記憶を想起してその程度と考えてしまうんだろう。だが現実は違う。そんな素朴な物でも単純なもんでもない。覚悟が無いくせに先入観で凝り固まった大人は、脳を震わせる程の暴力的な甘さにやられて脳震盪を起こしてしまうのかもしれない。


 現に今エリーズさんは大はしゃぎしながらクレープを食べるエマちゃんを見て安心してしまった。勝手にその程度だと思ってしまったのだ。私はそっと席を立ち、その時を待つ。


 エリーズさんは一連の流れを見ていたのか私がやった一口目をトレースするように動き、大した覚悟もなくクレープを口に運び、そして意識を失った。


 崩れ落ちそうになるエリーズさんをそっと受け止めて支えてあげる。やはりこうなったか。


「ノエルちゃん、お母さんはどうしたんですか?」


「んー? エリーズさんはね、クレープよりも遥かに甘かったんだー。だから寝ちゃった」


「……よくわかりません」


 少し難しかったのかへにょりと目尻を下げてエマちゃんは言った。


「そっか。気にしないで食べてて平気だよ? せっかく作ったんだからどんどん食べてね!」


 エマちゃんは母親よりクレープを優先したようで、一口食べてはほっぺを抑えて左右にユラユラと揺れている。スイーツを美味しそうに食べる女の子の笑顔は素敵だね!


 問題はこの人だ。私の忠告を無視して勝手にスイーツを見くびったエリーズさん。あれだけ注意したのにスイーツを舐めたのだ。ちょっとだけ不愉快。


「エリーズさん、起きて」


 私はゆさゆさとエリーズさんを揺らす。エリーズさんは傷が浅かったのか直ぐに目を覚ました。


「……私は一体……」


「エリーズさんはスイーツを舐めたんだよ。そして私の忠告も甘くみた。エマちゃんを見て勝手にその程度って見くびったでしょ? 私不愉快だよ」


「…………ごめんなさい。返す言葉もみつからないわ……」


 エリーズさんは少し泣きそうに目を潤ませて謝った。……なんだろう。美女が泣きそうになりながら謝る姿にえも言えぬ高揚感を覚えた。……たぶんこれは開いちゃいけない扉だ! て、撤退ー!


「今回だけですよー。しょうがないから許してあげます!」


「ありがとう、でも本当にごめんなさいね。エマの喜ぶ姿を見て案外平気なのねと思ってしまったの……」


「今回は仕方がないです。私も気が付きました、恐らく子供の方がスイーツの免疫が高いです。子供の世界は狭いから、新しいものとの出会いに慣れてるんだと思います」


 きっと冒険者も同じだ。彼らは未知との遭遇に慣れている。


「そう、そういう事なのね……。もう一度、私も挑戦してみてもいいかしら?」


「覚悟が出来たならどうぞ、ただ次は助けませんよ?」


 私は席に戻った。


「エマちゃん貸してー、はい、あーん」


「あーん。んーーーー格別です! この一口はやっぱり格別です!」


 そうでしょー? 生クリームはやっぱり格別だ! エリーズさんは胸に手を当てて深呼吸を繰り返している。きっと今、己の固定観念や想像上の敵と戦っているんだろう。イメトレは大事だ。


「ノエルちゃん、あーん」


 エマちゃんが催促してくるのでもう一口あーんをしてあげる。シャルロットも欲しそうな顔をしてる。


「シャルロットはだーめ、昨日食べたでしょ? これはエマちゃんの。イヤイヤしてもだーめ」


「シャルロットちゃんもクレープ好きなんですか? それなら私が分けてあげますよ。パパの所へおいでーシャルロットちゃーん」


 シャルロットはエマちゃんの前まで飛んでいくとテーブルに乗った。


「ふふっ、ちゃんと誰がパパかわかってるんですね。はーいシャルロットちゃんもあーん!」


 もう仲良くなったみたい。誰よりも一番早くシャルロットと打ち解けたかもね!



 そんなやり取りをしてる間に、エリーズさんはクレープを一口食べていたみたい。フォークを咥えたまま両手で自分を抱き締めるようにして必死に耐えている。足をモジモジと動かして必死に耐える姿はその……なんというかえっちぃ。うん、この人スイーツ食べるとえっちぃよ。


「……んっ、はぁ……。どうにか耐える事が出来たわ……。ノエルちゃん、本当に恐ろしい物を作ったわね……」


「無事乗り越える事が出来たみたいですね、おめでとうございます。一口目を乗り越えられればそれ以降は比較的安全に食べられますよ」


「そう、それを聞いて安心したわ。一口食べる度にこの衝撃に晒されてたら日が暮れるまで食べ終わらないところだったわー」


 エリーズさんは一口一口味わいながら食べ進めた。お母さんと一緒でたまにフラッとする事はあるけど、意識を失う程では無い。


 エマちゃんはシャルロットと一緒に完食したらしく、二人で仲良く遊んでる。布を丸めて投げて取ってこーいってやってるけど、それって蜂も楽しいのかな……? ……どうやら私も固定観念に縛られてるみたいだね。今度シャルロットとフリスビーをやってみよう。


「ご馳走様でした……。ノエルちゃん、改めてありがとうと言わせてもらうわ。こんなに美味しい物は生まれて初めてよ。王都に居た頃も味わった事がないわ」


 へー、エリーズさんは王都にいた事があるんだね。


「それで、ノエルちゃんはこのクレープを武器に何を成し遂げようとしてるのかしら?」


「クレープ、というよりそれ以外も含めたスイーツを使って手に入れたい物があるんです。それは魔法袋です! 私の人類スイーツ化計画には必須のアイテムです」


 人類スイーツ化計画、それは……なんだ? なんかノリと勢いで言った。なんでもいいよ。


「そう……。相手は王家よ? 平気?」


「ふふっ、エリーズさん。知っていますか? スイーツは殆どの女性を魅了します。そして男女の出生率はほぼほぼ半々、つまりはそういう事です」


 私は自信満々にそう言い放った。


 国王もお父さんだ、娘が喜ぶとなれば弱いだろうし、王妃様の機嫌も取れるとなれば悪くないだろう。スイーツあげるんで代わりに魔法袋頂戴作戦は成功が約束された様な物だ。スイーツ程度じゃ魔法袋は上げませんなんて言おうものなら家の女性陣から猛反発を食らうだろう。夕飯のオカズが減らされたり、たまの休みにゆっくりしててもまだ居たんですねと厄介者を見るような目で見られるのだ。それはきっと男性の家族にも伝播する。お父さんがいると家の空気が重いんですけど、と最終的に家族全員から嫌われてしまうのだ。


 そうなってしまえば後は簡単、私にスイーツを作らせて機嫌を取るしかない。そしてその為には魔法袋を渡すしかないのだ!


 魔法袋は既に我が手中だ!

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