第56話 スイーツの代償

 お母さんに抱き着く私に抱き着くシャルロット。仲睦まじい家族の抱擁にシャルロットも加わっている。新しい家族として無事受け入れて貰えたみたいだね。


「それで? そのシャルロットはなんで連れてきたの?」


 まだ受け入れて貰えた訳ではなかったみたい。


「すまないな。少し森に遊びに行った時にノエルに懐いちまってなぁ。どうしても一緒に行きたいってシャルロットが言うもんだから連れてきたんだ。悪いやつじゃないからそこは安心してくれ」


「はぁー…………。悪いやつじゃないと言っても魔物でしょ? 魔物はどうしても……ね」


 お母さんは理由はわからないが魔物が好きじゃないみたいだ。まぁそうは言っても人にとって危険な存在である魔物が好きですって人の方が少ないだろうし、珍しいことでも無いよね。


 だけど私だって無策ではない。


「シャルロット、例の物をお母様に献上なさい」


 私がそう言うとシャルロットはガチガチと顎を鳴らしてから置き去りにされた荷車まで飛んでいく。シャルロットは荷物をガサガサと漁ってハチミツ入りの小瓶と袋に入った小さなパンを持って戻ってきた。


「お母様、その小瓶にはハチミツが入っています。そしてその小瓶はお母様専用のハチミツで、シャルロットからの贈り物です。どうぞ一口食べてみてください」


 警戒気味だったお母さんは私の話を聞いてから片眉をピクリと動かし、シャルロットから小瓶とパンを受け取った。


 お母さんは袋から取り出したパンにハチミツを少しだけ、ケチ臭くほんの少しだけかけてからパクリと食べると、シワが寄っていた眉間がすぐに解れた。さっきまでの険しかった表情が嘘みたいに明るくなったね。流石はキラーハニービーのハチミツだ!


「お母様、シャルロットに何ができるのか、もうそれがわからないお母様ではないでしょう?」


「えぇ、えぇ。シャルちゃん! 今日からここが貴方のお家よ! それとも専用のお部屋でも作った方がいいのかしら? ハチミツを作るのにはどういう環境が必要なのかしら……」


「おいおい、そんな簡単でいいのかよ……。さっきまで魔物は相容れない存在、みたいな顔してたじゃねーか」


「そしてお母様! シャルロットを家族に引き入れたのはこの私! ノエルです! ノエルですよー!」


 私は手を挙げてぴょんぴょんと飛び跳ねて主張する。自分の成果は自信を持って主張しなくてはご褒美が貰えない事があるんだよ? あー良かった良かった、じゃあそういう事で! みたいな終わり方を前世で何度か見た事がある。


「わかっています。母は貴方ならいつの日か偉大な事を成し遂げると信じていました。貴方は私の自慢の娘よ、ノエル。お説教は取り敢えずナシです」


 取り敢えずか……。でもまぁ帰宅からのお説教コースを回避できただけでも上々だよね! というかまだ何も話してないのになんのお説教が確定してたの……?


「まぁよくわからないが、ノエルは無事に届けたぞ。報告はまた今度ってことでいいか?」


「えぇ、今回は本当に助かったわ。ありがとうね、アレクシア」


「いい、いい。困った時はお互い様だ。何だかんだで私も楽しかったしな! それじゃあ帰るわー」


 アレクシアさんは少し照れくさそうにそう言って後ろ手を振って帰っていく。


「アレクシアさーん! ありがとねー!」


 私も去り行く背中にもう一度お礼を言ってから荷物を家に運び込んだ。アレクシアさん家のお土産はもう置いてきたけど、エマちゃん家や今回お世話になった人にも一応買ってきたからまだまだ荷物はたくさんだ。

 それに何より我が家用のお土産がたくさんあるしね!

 粗方荷物を片付けてからリビングでイスに座る。


「ふぅー、改めてただいま。そう言えばお父さんは?」


「おかえりなさい。アルバンはまだ畑だと思うわ」


「そっか。まぁそのうち帰ってくるか。レオも久し振りだねー! あなたの大好きなお姉ちゃんですよー!」


 お母さんはベビーベッドに掴まり立ちしてあうあう言い出したレオをベビーベッドから出してあげて、椅子に座ってお膝の上に乗せている。数日会えなかった我が愛しい弟は、スクスクと育って……もいないね! 流石に数日じゃ特に変化はわからないが、今も元気いっぱい涎まみれになっている。


「シャルロットも見てご覧? 弟のレオだよ。仲良くしてね」


 私は抱っこしてるシャルロットに少し離れた所からレオを見せてあげる。近付けないのはシャルロットの為だ。虫と赤ん坊の組み合わせなんて手足がもげる未来しか見えない……。シャルロットは魔物だし弱くないと思うけど精神衛生上良くない。


 シャルロットもレオもお互い不思議そうに首を傾げている。シンクロしてるし案外仲良くやっていけるのかな。


「シャルちゃんは本当に平気なの?」


「平気って危害を加えたりって事? それなら平気だよ。甘えん坊過ぎて少し困ってるくらいだね。見てて?」


 私はシャルロットの口元に指を持っていき咥えさせようとするがシャルロットの十八番イヤイヤが炸裂する。なんだかこのイヤイヤが見たくてイジワルしてしまうけど、それだとダンと一緒なんだよねー。


「ね? 噛んだりしないし、頭も良いよ。何でかわからないけどこっちの言う事はしっかり理解してるみたい。流石にお喋りは出来ないけどね」


「ね、って言われてもノエルの指を嫌がってる事しかわからないわよ……」


「初対面の時にね、魔力をあげようと思って指を加えさせたの。それでドーンと魔力流し込んだらシャルロットゲロ吐いちゃってね。それ以来こうなった」


 指を咥えさせるのは諦めて首周りのファーを嗅ぎながら撫でる。ハチミツみたいな甘い香りがする。ハチミツの濃い匂いって何故か某テーマパークを思い出すよねぇ。チュロスを見かける度に買うのが私のルールだったよ。


「相変わらずノエルの説明じゃ何も分からないわ……。取り敢えずちゃんと面倒は見るのよ?」


「わかってるよぉ。そうだお母さん! 私のこの旅の成果、みたくない? シュガーラスク様は私達の世界に色を付けてくれた大切なお菓子だけど、私はそれを超える物を開発したの! ただね、これを食べてしまったらお母さんはもう二度と、シュガーラスク様では心を満たせなくなっちゃうと思うんだけどどうする? 食べないで見学だけにしとく?」


「食べるわよ。食べ物見学だけなんて聞いたこともないわ」


「そっか。じゃあ作ってくるね! 折角だしお父さんの分も作ろっかな!」


 日持ちしないしパーッと作らないと! でもエマちゃんとエリーズさんにも作ってあげたいからその分は残しておこう。


 私はキッチンへ移動してクレープ作りに取り掛かった。相変わらず冷やす事が難しくて緩い感じの生クリームになってしまうけど、そこはしょうがない。汲んできたばかりの井戸水で多少は冷やせたけど大差は無さそうだった。無い物ねだりしていても仕方がないからサクサク作っていくよ!


 もう二回目ともなると不十分な設備でも案外さくっと作れるもんだね。そこまで時間も掛からずに完成出来たのはやっぱり身体強化のおかげだよ!


 今回作ったのはアレクシアさんにも食べてもらったイチゴのクレープ。合うかはわからないけど折角だしハチミツをお皿に垂らしてデコレーションした。


 お母さんの分としっかり私の分も持ってリビングへ行くとお父さんが帰ってきてたみたいで走り寄ってくる。


「ノエル! おかえり、ノエルの大好きなパパだよ! ママが邪魔するなっていうからずっとここで待ってたんだ! 怪我はしてないか? 大きな問題にはなってなかったか? 寂しくはなかったか? パパは心配で心配で……」


「お父さんおかえり。怪我もしてないし平気だから……。それより今から大事な儀式だから少し静かにして?」


「いや大事な儀式ってまたこないだみたいに何か食べるだけ――」


「嫌いになるよ?」


「パパは静かにしてよう。もう夜だしね! うん!」


 お父さんは自分の過ちに気が付いたようで大人しく席に戻った。私は邪魔者が居なくなったのでお母さんの前にそっとクレープを置き、自分の分を席に置く。ついでだからお父さんの分とシャルロットの分も持ってこよう。キッチンへ取りに行く。


「はいこれお父さんのね。静かに食べるんだよ?」


 私は再度席に座り、お母さんを見る。


 お母さんはただジッと自分の前に置かれたクレープを見つめている。これがお母さんとスイーツの初めての出会いだ。


 きっと今お母さんの頭の中では色んな事が駆け巡ってるんだと思う。この食べ物はどんな味がするのか、一体何で出来ているのか、この白いふわふわとしたものは本当にこの世の食べ物なのか、と最大限脳を稼働させながら食べたい気持ちを抑えて私が戻ってくるのを待ってくれていた。


 母の愛か、作り手への敬意かわからないがスイーツを前に待ってくれていたのだ。よく我慢出来たね。私は感動だよ。


「アルバン、レオをお願い。食べられないわ」


 あ全然違った。レオ抱っこしてたから食べられなかったのね。そそくさとやってきたお父さんにレオを託してフォークを手に持った母に慌ててストップをかけた。念の為、念の為ちゃんと説明しておこう。


「お母さん、食べる前に聞いて。私言ったよね? シュガーラスク様を超えるって。もう二度とシュガーラスク様では心が満たせなくなるって。それくらいこの子は強いよ。これを食べたアレクシアさんは気絶した。街で知り合った冒険者は食べる為に魂を売った。生半可な覚悟では味を知る前に意識を失うよ。冒険者ですら意識を失ったんだから、身体を鍛えてないお母さんはもしかしたら……」


「そう……。それほどだったのね。母は今、何の覚悟もせずに美味しそうに見えるこれを本能の赴くままにただ貪る所だったわ。あと一歩で死ぬところだった、という事ね。止めてくれてありがとう」


「いいんですよお母様。十分な覚悟が出来たら食べて下さい。……どうか、お母様が生クリーム様に負けませぬよう、祈っております。」


「くっ……。生クリーム様……。何故か名前だけで母は心臓の鼓動が乱れたわ……。まだ覚悟が足りないのね」


「ねぇ食べ物だよね? パパついていけてないけど食べ物の話だよね?」


 お母さんは右手にフォークを握り締めたまま心臓の当たりを左手で抑えている。その表情は痛みに耐えているのか酷く険しい。だけどそれでいい、シュガーラスク様をスイーツだと思っているお母さんは警戒しすぎなくらい警戒してからじゃないと生クリームの衝撃に耐えられず、死んでしまう可能性だってあるのだ。


 人は思い込みの力で病が治ったり、怪我をすることがあるそうだ。つまり生クリームを食べた時に天上の食べ物だと思いこんで天に召される可能性だってある。全裸の赤子がラッパを吹きながら天から迎えに来てもおかしくはないのだ。


 前世で幼少の頃から砂糖で鍛えられてきた私とは違って、この世界の人はまだ甘味に耐性がない。白目を剥いて気絶する人やちゅ〇るを食べる猫のようになってしまった人がいた。


 それだけこの生クリームたっぷりストロベリークレープは危険なんだ。


「母は覚悟ができました。アルバン、もし私に何かがあったらノエルとレオを頼みます。ノエル、あなたは私の自慢の娘よ。どうか幸せになりなさい」


 お母さんは一度目を閉じて、深呼吸してからクレープを口へと運んだ。


 ●


 お母さんの身体から力が抜けて、床に落ちたフォークの音だけが部屋に鳴り響いた。


 耐えられなかった……か。あれだけの覚悟を持ってしてもお母さんには耐えられなかった。やはりこの世界に生クリームは荷が重すぎた。私は選択を間違ってしまったのだ。本当はスイーツが食べたかったら人里離れた山奥でひっそりと食べなくてはならなかったのだ。


 ……だけど私は誰かと共有したかった。美味しいねって、いつか生クリームで溺れてみたいねって。誰かと笑いながら夢を語りたかったのだ。そんな私のエゴが大切な母の命を奪ってしまった。


 私はそっとお母さんの傍に行き頭を撫でる。


「お母さんごめんね。私のせいで、私のワガママでお母さんを死なせちゃった……。本当にごめんね……」


「…………まだよ……。まだ……母は死んでいないわ。……久し振りに両親の顔を見たわ。もうほとんど顔も覚えていなかったのに不思議なものね……。ノエル、安心しなさい。母は生クリームを乗り越えてみせたわ」


 そう言って床に落ちたフォークを拾って再びクレープを食べようとし始めた。


「汚いからフォーク洗い――」


「そんな……お母さん! お母さんには生クリームが早すぎたの! もうこんな事やめよう? 私一人で全部食べるよ! だからお母さん無理しないで……? 本当に死んじゃうよ……」


「だからただの食べ――」


「いいえ! ノエルッ! 母はッ! 母は貴方をひとりぼっちになんてしないわ! 一緒に食べて、一緒に笑うのよ……。だからそんな寂しいこと言わないで……? ひとりぼっちになんてならないで……? 私達は家族でしょう?」


「普通に一緒に食べれば――」


「お母さあああああん……!」


 涙が止まらなくなった私をお母さんは優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。私が泣き止むまでずっと……。

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