第4話


 五分後。


「ふぅん、実に呆気ないものね」

「うおお、すげえ」

「あっさり倒しちゃった……」


 異世界の凶暴なクマ公と言えど、仮にもバイト掛け持ちフィジカルお化けのわたしには敵うまい。オマケで魔王の要素がトッピングされているとくれば、貴様に勝てる要素など微塵も無いのは明白だろう。


「ありがとうございます、リッカさんのお陰で助かりました!」

「ううん。ハンナちゃんがくれたパンのお陰でパワー百万倍だっただけだよ」

「あの……その」

「うん?」


 レック少年がモジモジしながら俯いている。

 ははん、さてはわたしに惚れたのか? だが生憎とショタ属性は持ち合わせていない。


「ごめん無理だから」

「はあ!? 俺はただ……その、ええと」

「ううん?」

「感謝、してんだよ。俺だけじゃ絶対に……ハンナを守りきれなかった」


 よく見れば薄らと涙を浮かべているではないか。強がってはいるがまだまだ子供、まあこれも当たり前だろう。


「よし!」

「リッカさん?」

「とりあえずクマ食うべ?」

「……え?」

「ちょっと待っててすぐに支度すっから!」

「ひ、ひゃああああ!」


 再びナイフを具現化させると、見事な手捌き(自画自賛)でわたし主催のビッググリズリーの解体ショーが始まった。



 ◆



「……なあハンナ、やっぱりアイツおかしいって」

「何が?」

「何がって……もう全部おかしいだろ?」

「おんや〜? お姉さんに内緒話とは妬けるねお二人さん」

「ちッ、地獄耳かよ!」

「なはは! もうすぐ焼けるから待っててねー」


 二人がイチャついている間に、わたしは颯爽かつ豪快にビッググリズリーの肉を火炙りにしていた。

 これもバイトの経験が生きたと言えるが、そもそもクマの解体を一介のバイトにさせていたのも可笑しな話ではある。


「何が役に立つか分かんないもんだねー」

『おいリッカよ』

「なんだよー。今焼き加減を見るのに必死なんだけど?」

『まさか貴様、それをそのまま食う気ではあるまいな?』

「そのつもりだけど?」

『バッカモン!』


 一瞬、日曜日にやっている某アニメのお父さんが過ったが、何やらグリ助は不満があるらしい。


「おこなの? 激おこなの?」

『当たり前だ! クマ肉をそのまま食うなんて愚行を我が見過ごすとでも思ったか?』

「んん?」


 肉は焼いて食うもんだ。

 いや待て、そう言えばジビエとかって確かーーーー。


「臭みがある!」

『その通りだ』


 なるほど。

 バイトで捌いてはいたが賄いで食べていた時にはしっかりと調理されていた。わたしはその辺の細かい作業はやっていないが、臭み消しに香辛料だとか色々と試行錯誤されていたのだろう。


『血抜きは完璧だがそれでもやはり臭みは残る。臭いを取りたければそうだな……あの辺りに生えている野草を一抱え分摘んでこい』

「草?」

『お前がさっき食べていた草だ。あれはポロキー草と呼ばれ、強い毒素はあるが強力な臭み消しでもある。そして十分な加熱処理をすれば毒素も消えるのだ』

「へえ、詳しいねグリ助」

『伊達に各地を食べ歩いてはおらぬからな』

「え? 魔王なのに食べ歩きしてたの?」

『ふむ、そう言えば話していなかったな』


 〜以下グリ助回想〜


 あれはまだ、我が魔王の座についてすぐの頃だろうか。

 勇者が生まれるまでの間、暇を持て余した我はとある事を思いついた。


 そう、人間の生活を覗いてみようと。


「え、引くわ」

『人の回想に口を出すなバカモン』

「波●キタコレ」

『……続けるぞ』


 なぜ人間共は皆があれほどまでに活気に満ち溢れているのだろうか。いつの時代も、魔族に伝わる文献には人間達の生活が豊かなものだと記されていた。

 歴代の魔王が世界を蹂躙しても何度も立ち上がり復興を繰り返す。普通なら、いつかどこかで心が折られても仕方ない筈だ。

 だが人間は立ち上がり続けた。

 勇者の加護を持たない人間は誰もが脆弱で、我らにとっては取るに足らない存在だ。しかしそんな者達が生きる希望をどこから見出しているのかーーーーただ、それを知りたかった。


 結果、我は膨大な力をひた隠し、人間に偽装する事で奴らの生活に溶け込もうと決めた。


 まずは小さな町を訪れた。

 大陸の中央は人間が多く、いきなり向かうのは愚策と考えたからだ。

 まずは小手調べと言わんばかりに町に足を踏み入れてみると、そこは漁業を営む人間が細々と生活をしていた。


「おんや、見ない顔だね」

『う、うむ』


 年老いた女の人間だった。

 腰もひどく曲がっており、動くのも困難と見える。


「他所からいらっしゃったのかい。ご苦労さんだねえ」

『我は別に……』

「ああそうだ、折角だから食べておいき。出来立てのホットシェルのスープだよ」

『ホットシェル?』

「この辺りでよく漁れる貝さね。身は小さいけれど旨味が強くてねえ。これ飲んでればいつまでも元気いっぱいだよ」


 小さな器にスープが注ぎ込まれる。

 それを受け取るが、これまでは人間が口にするものなど価値が無いと思っていた。

 基本的に魔族は食事を必要としない。大地から溢れる魔力を取り込み、己が力としているからだ。


(いや待て、世界に存在する雑多な魔物は人間を襲っているな。もしかすると血肉を糧としている?)


 考えてみれば魔力を取り込むのは上級の魔族のみに許された行いだ。つまり魔族であっても、本質的に命を繋ぐ手段はやはり経口での栄養摂取なのだろうか?


「さあさあ、冷めないウチに」

『う、うむ!』


 人間の行いが理解出来るとは思っていないが、半信半疑のまま、我はそのスープとやらに口を付けた。


『!?』

「どうだい? 身体の芯からあったまるだろう?」

『これは……なんというーーーー』


 口いっぱいに広がる海の香り。

 魔王である自分に味覚というものが存在していたのにも驚かされたが、それより先に出たのはガツンと脳裏を揺らす圧倒的な旨味だった。

 ーーーーただ無意識だった。気が付けば二口目、三口目とスープを飲んでいる。その時は美味いという感覚を明確に言語化できていなかったが、本能がそれを我に訴えかけていた。


「美味しいかい?」

『オイシイ?』

「おんや? 美味しくなかったかい?」

『いや、その……お、オイシイ……んん、美味しいぞ!』

「うんうん、そりゃあ良かった」

『美味しい……これが、美味しい』


 それからの我に迷いは消えていた。

 飢餓の魔王として生を受けたにも関わらず、魔力を吸い上げる事をしなくなった。代わりに人間の食事を好んで摂取し、それを己の糧とするように体が変化した。

 自分でも驚いた。まさか魔族の王である我が、脆弱だと決めつけていた人間共の料理に魅了されるなど。

 街をいくつも転々とし、冒険者の真似事をして路銀を稼ぎ、その土地土地で美味いものを見つけてはたらふく食べ続けた。

 あのスープを皮切りに、肉、魚、野菜、果物。ありとあらゆる美味を堪能しては幸福を感じていた。


 ただ満たされる日々だった。


 今思えば魔力を吸い上げていた時は無の境地であり、自分が魔王としての役目を果たしていたに過ぎない。

 世界を枯らす為に魔力を吸い続ける。飢餓の魔王にはお似合いだろう。

 だが我は知ってしまった。人間の文化をーーーー食という概念を。



 ◆



「ふーん、で?」

『で? とは何だ。我という尊き存在が脆弱な人間の生活を目の当たりし共感した胸打たれる感動的なエピソードだろう』

「でもグリ助死んでたよね? 食べ歩きを極めてる最中に魔王が死ぬ要素なくない?」

『……それはだな』


 なにやら言葉を選んでいるらしく、次の台詞が聞こえるより先にハンナちゃんが駆け寄ってきた。


「リッカさん、焼けました?」

「もう少し待っててねー。ちょっと臭み消すのに草千切ってくっから」

「はーい」


 パタパタ、走る姿もかわゆい。


「……で、何があったの?」

『我は……我はーーーー』


 ジュッと、肉の脂が弾ける音と共にグリ助は切り出した。


『我は自分の側近に……殺されたのだ』

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