第2話


 ▪️闇の中で



 拝啓、何の不自由も無く生きている有象無象の豚共へ。


 すいませんゴメンナサイ。

 ついつい己の不幸に口が悪くなってしまいました。


 何の因果か、わたしはこの満たされた日本において餓死という稀な死に方をした。

 長いようで短かった二十一年の人生。

 親無し家無し。女友達の家を転々としながらバイト三昧な日々を送っていたが、終わり方がこんなにも呆気ないものだとは思わなかった。


 そして今目の前に広がるのは無重力な黒い空間。


 恐らくここでは肉体という概念が無いらしく、意識だけを残して闇の中を揺蕩いながら、死後というものは随分と無機質なもんだなと変に感心していた。


「……あーあ、もっと美味しいもの食べたかったな」


 おや、声は出るらしい。

 誰に言うわけでも無く、ポツリと口を割いて出た一言に、我ながらよくこんな状況で言えたものだと乾いた笑いが出た。


『クク……』

「ん? 誰か笑った?」


 反響した声はわたしのものじゃない。

 脳裏(そもそもこの状態で脳があるかは分からないが)に響いたややノイズ掛かった掠れた声が聞こえる。

 それは間違いなく他人のものだ。他に誰かいる? 寂しいと感じるなんて久しい感覚だが、こんな意味不明の状態だからこそ、わたしはその謎の声の主を求めた。

 無我夢中で、有るのか無いのか分からない腕を夢中で伸ばし続けるがーーーーしかし届く事はない。

 雲を掴む様な動作をひたすら繰り返した後、再びその声はわたしの脳裏に響いた。


『無駄だ。我も貴様も、やがて魂が枯れ果てる死を待つだけの存在でしかない』

「!? やっぱり誰かいるんだ。っていうか、既にわたし死んでんじゃないの?」

『そうとも言える』

「まわりくどい」

『クク、その豪胆さは褒めるべきか』

「…………」


 要領を得ない不毛な問答に、明確な苛立ちを露わにしながら吐き捨てる。


「で、何なの此処は。死後の世界ってやつ?」


 思わず声が強くなる。

 質問しながら自覚しつつある死という概念。黒く深く、まるで水底を彷彿とさせる空間を説明付けるにはそれしか無いのだがどうでもいい。地獄でも天国でも早く連れて行ってくれ。

 わたしは中途半端が大嫌いだ。


 怒気を含んだ声色に反応したのか、声の主は死後の世界というワードに対しハッキリと『違う』と答えてみせた。何だろう、コイツ少し喜んでないか?

 そんなわたしを他所に、声の主は嬉々として言葉を続けた。


『実直な娘だ、やはり我が契約するに相応しい魂と確信した』

「は? 契約?」

『娘よ、名は何という』

「……睦月(むつき) 六花(りっか)だけど」

『ではリッカよ汝に問う。新たな生を受けた際、お主が最も望むものは何だ?』

「新たな生……って生まれ代わりかなにかの事?」

『いいから答えろ』

「むう」


 何だよコイツ、変に高圧的だな。

 色々とムカつくけれど、最もわたしが望むものなんて決まりきっている。


「そんなもの一つしか無いじゃん」

『ほう? それは何だ』

「美味しいものを腹一杯たべたい」

『美味しいものを、腹一杯……?』


 反芻する様に呟き、やがて空間を静寂が支配する。

 ドン引きしたかこの野郎。でもわたしは至って大真面目だ。


『……クク、ハハハハハ!!』

「お? 笑ったな戦争すっか?」


 わたしの夢を笑うなら派手にやり合ってやろう。そう思っていたが、声の主は途端に威厳を含んだ声で『合格だ』と呟いた。


「なんだよ合格って」

『そのままの意味よ。さあリッカよ、我と共に世界に再誕しようではないか!』

「はあ? 何言ってんの意味わかんない」

『我が名がグリード。かつてこの世界に降臨した魔王なり!!』

「え……魔王ーーーーーーーー


 刹那、意識は微睡に包まれ、わたしという存在は最後の輪郭を失った。



 ▪️新たな命と



「……む」


 フワフワとした感覚が重みを得て、やがて身体が地面に接するのを感じる。

 いや違う、これは雑に転がされている感覚だろう。ポイっと机に消しゴムを投げ捨てる様なもんだ。


「……そう、わたしは消しゴム」

『おいいつまで寝惚けている』

「お?」


 聞き覚えのある声が頭に響く。ノイズ混じりのあの変な声だ。


「誰だお前は」

『先程契約したばかりだろうリッカよ』

「それクーリングオフでぇ」

『訳の分からん事を言うな』


 そりゃこっちの台詞でして。


「ええと、確か魔王だのなんだの言ってたっけ?」

『いかにも。我が名はグリード。この世界グランシアに君臨せし魔王なり! そしてお前は我の魂と同化して転生したのだ!』

「転生? んん、あー……ごめんね。わたしもういい歳でさ、その辺は卒業したんだよね」


 あの一世を風靡した異世界転生ってやつですね分かります。いや普通に考えて意味分かりません。

 異世界? 

 転生? 

 このわたしが? 

 魔王と同化?


「冗談きっついわー」


 確かに身体は死ぬ前のわたしそのものだ。

 無駄に発育のいい胸と細身ながらの腕っぷし。流石はバイトを三つ掛け持ちしていただけの事はある。

 そんなザ・わたしに魔王の魂がミックスされているなど笑える話だ。

 きっと何かの間違い、そう夢だこれ。


『むう、では現実を突き付ける他に無いようだな』

「え?」

『具現化せよ我の半身!』


 ゴリっと頭と背中、あと尻にとてつもない違和感。何だこれ、身体から何かが生えてきた!?


「え……ちょま、え?」

『これで分かっただろう。既に貴様は半魔王なのだ』


 頭の左片方には角、背中には蝙蝠の様な翼が生えている。更にケツ(正確には尾骶骨)辺りから太い尾が垂れ下がっていた。


「おうおうおう、わたしの身体に何してくれとんじゃいボケ」

『だから言っただろう、お前は既に半魔王なのだと』

「……まじ?」

『うむ』

「うへぇ」


 ダラリと項垂れてみるが、なんか尻尾が良い感じに身体を支えてくれる。さながら座り心地の良い椅子と言えるか。


「えーと、何だっけアンタの名前」

『我はグリード、この世界の魔王にして飢餓のーーーー』

「じゃあヨロシクねグリ助」

『グリ……助?』

「友達のエミちゃんが飼ってた子犬がカモ助って名前だったの。だからアンタの名前は今日からグリ助ね」

『我を何だと思っているのだ貴様ッ! 偉大なる魔王であるぞ!』

「グリ助こそ不敬であるぞ? 日本において◯◯助は偉大な名前のひとつだからね」

『!? そ、そうなのか?』

「うむ」


 間違った事は言ってないナリ。


『グリ助……ふむ、改めてみれば崇高な気がしなくもない』

「そりゃ良かった。わたしの事はリッカ様って呼んでいいよ」

『む!? なぜ魔王である我が貴様に敬称を使わねばならん!』

「だって魂は混ざってるとしてもメインはわたしの身体でしょ? じゃあ主導権を握っている方のわたしがエライじゃん」

『ふん!』

「おごッ!?」


 皮膚が弾けて外殻みたいな鱗みたいなのが生えてきた。

 おいおいマジかよ、これグリ助が本気出せば全身フル魔王になるのかわたし。


「り、リッカでいいよ」

『それなら良いだろう』

「ひぐっ!」


 ヌッと身体に入り込む鱗。これ出し入れするの気持ち悪過ぎる!


「あ、あのさグリ助」

『なんだ?』


 ぐううううう。


「とりあえず……お腹空かない?」

『流石は我が見込んだ魂よ』


 こうして、わたしとグリ助の異世界爆食ライフが幕を開けたのだ。

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