第45話永遠の愛はないという人はいる、それでも

 次の日。

 姫乃は俺の部屋に来て1枚の紙をバンっと机の上に叩きつける。

「書いて!」

 珍しい命令口調。


 その紙には姫乃の名前と彼女の母親らしきサイン。

 それよりもなによりも、その紙はとても有名なもので。

 恋愛ごとにおける男女が交わす唯一の契約書。


 婚姻届。


「これって……おまえ」

 俺は思わず絶句する。

「名前!

 書いて!」

 姫乃のその瞳には強い意志が宿っていた。


 俺は姫乃に差し出されたペンを手に持つ。

 本当なら……姫乃にどうしても確認しなければいけなかった。

 最後の確認を。

 それを本当に書いて良いのか、と。


 だけど俺はそれを言わなかった。

 俺はもう姫乃を手放す気はカケラもなかったのだから。


 はやる気持ちを抑えながら素早くペンを走らせる。

 俺は水鳥姫乃の名前の隣に自分の名前を書いた。


 それを強い眼差しで見つめる姫乃。

 俺はその強いまっすぐな視線に苦笑する。

 泣きたいほどに嬉しくてそれを我慢するように。

 俺も泣きそうだ。


「……姫乃を誰にも渡さない。

 悪いけど、これを解約する書類にはサインしないから」

「離婚届とか持ってきたら一緒に死のうね?」

 姫乃は見惚れるほどの満面の笑みでにっこり笑う。


「もう1人の同意欄には恭平くんのお母さんにサインしてもらうから。

 そして恭平くんは永遠に私がもらいますと宣言するから」


 特にサインすることに不利益が生じるわけではない。

 母だった人もそれを断りはしないだろう。


 同時に皮肉にはなるかもしれない。

 ダブル不倫で産んだ子が、ダブル不倫をした自分の前で永遠の愛を誓うのだ。

 それは同時に姫乃の決意表明でもあった。


「私は恭平くんと別れないし、ぜーーーーーーーーーーーーーーーーーったいに浮気もしない」


 俺はもう我慢はできなかった。

 姫乃を強く抱きしめ唇を奪う。

 誰にも渡さない。

 渡すものか。


「命尽きても俺は姫乃を誰にも渡さない」

「うん、うん!!」

 感極まった姫乃の唇をそのまま奪い、俺たちは互いをむさぼるように求め合った。


「姫乃は……俺の母のことをどう思っている?」


 答えづらい質問ではあるが、どうしても気になった。


 俺は……恨んでいない。

 きっと俺は母に愛情を求めていなかったのだろう。

 だから、ここまで育つまでに様子を見に来てくれていただけで十分だと、そう思ってしまったのだ。


「人としては認められないけど……うーん、でも恭平くんのお母さんは1つだけとても良いことをしたから。

 それだけで私はなにも言えないかな」

「なんだよ、良いことって……」


 客観的に見ても寝取り浮気で子供まで作った最低女なんだが……。


「この世に恭平くんを産んだこと!

 浮気も不倫も最低だけどね。それで恭平くんがこの世に産まれてくれたというなら、それはもう恭平くんをこの世に産み出してくれてありがとう、それしか言えないかなぁ」


 迷いのない笑顔で俺の目を見て姫乃は告げた。

「そう、か……」

「うん……、だからありがとう恭平くん。

 この世に産まれてくれて。

 私と出逢ってくれて」


「そう、だな……、俺も、姫乃に出逢えて……」

 そこからもう言葉にはならなかった。

 存在を……許された気がした。

 産まれ持っての罪を、原罪を許された。

 俺はここにいて良いのだと。


「愛してる……愛してる姫乃」

「うん、私も恭平くんを愛してる……」

 そうして俺たちはまた唇を重ねる。





 それから……ほぼ1日中、俺たちは部屋でゴロゴロ(イチャイチャともいう)した。


 そんな中、姫乃は唐突にこう言った。

「恭平くんともっとイチャイチャしたい!」

「……現在進行形でイチャイチャしてるけど?」


 先ほどまでは2人でゲームをしていたが、途中でコントローラーを放り投げて、口付けを交わしてベッドに転がって……。

 今はベッドの上で引っ付いたまま、それぞれスマホを見ている。


「もっとしたい。

 ずっと引っ付いていたい、ぎゅー」

 そう言って姫乃は抱き締めてくる。

 嬉しくなって俺は姫乃にまた口付けをする。


 すると今度は姫乃は呟くように。

「……ヤバイ、幸せ過ぎる」

 それを聞くだけで俺の心がいっぱいになる。

「俺もだ……」


 これを聞けば不思議なことのように思う人もいるだろうが、愛し合った人と繋がったとき。


 快楽の真っ最中よりも、そのあとの方が絶大なる幸福感を感じられる。

 ちょっとやそっとではない。

 絶大な、である。


 それは裏切りや寂しさを埋めるだけの快楽のあとに訪れる、絶望感ともいえる寂しさと比べれば圧倒的だろう。


 ……知らんけど。


 そもそも俺は姫乃以外と交わったことがないから、外部からの話しか知らないのだ。


 少なくとも、この幸福感を手離す気には到底なれないし、それ以上の快楽があると言われてもどうでも良い。


 もしもこのまま互いが裏切ることなく、言葉通り姫乃と最期まで添い遂げたならば。

 それは永遠の愛と呼べる。

 俺は勝手にそう思うことにした。


 もちろん、世界にはどうしようもない不幸が突然訪れることはある。

 そうならないように努力し続けるし、仮にそうなったとしても、俺がこの瞬間、姫乃を愛し続けることになんの躊躇いもない。


 そしてどれほどのときが経とうとも、姫乃を愛したことを後悔することだけは絶対にない。


 ……不確かな世界の中で、俺はそのことを確信している。


「愛してるよ」

「私も」

 そう言って2人で何度目かになる口付けをもきゅもきゅと繰り返した。


 ……ぶっちゃけるけど、お互いにおぼれてる。





 バイトに行って、帰ったら新妻のように姫乃がいて、一緒に勉強してイチャイチャして。

 そんな言ってはなんだが、ちょっとアレな夏休みを送って数日。


 母から連絡があった。

 母の不倫相手ではない方の旦那が俺に会いたいと。


 ……まさか、母が旦那に俺のことをバラすとは思いもしなかった。


「私も一緒にいていい?」

「……良いのか?

 ややこしい話になるかもしれないぞ?」

「一生一緒にいるからね。

 恭平くん荷物は半分私が背負う」

 むんっと姫乃は可愛く握りこぶしをつくって気合いを入れた。


 俺は嬉しくなって姫乃を抱きしめる。

「……頼む」


 さて、どんな話をすることになるのか。

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