第44話家族

 夏休みに入って最初の日。

 姫乃の家に挨拶を兼ねて訪れた。

 挨拶をするつもりで緊張して家に入った、が姫乃の親は2人とも留守だった。


 出迎えて誘われるままに部屋にあげてもらい、流れるままに姫乃を抱きしめると姫乃も目を見つめ返してそのまま口づけをした。


 ……初めて姫乃と繋がってしまったのもこの部屋だった。


 本棚がいくつも並び、多種多様の小説や漫画が並んでいる。

 そんな姫乃の部屋へ本を借りるという理由で部屋に訪れたときだ。

 その瞬間まで寝取り浮気をする気持ちなんてなかった。


 ほんの些細な本の貸し借り程度の繋がりを持ちたいと思ってしまっただけで、それ以上踏み込むことだけは絶対にないとまで思っていた。


 借りていた『寝取り浮気の原罪』という本。


 その内容に軽く触れながら、本の中のチャラ男と同じような言葉を姫乃に吐いたとき、姫乃がそれも良いかもと応えた。


 元はネット小説サイトで書かれていた『俺の彼女が親友のチャラ男に寝取られてそこから始まる美少女たちとのイチャイチャな日々』という作品が書籍化された本。


 そのタイトルからしてその内容は簡単に推測できるだろう。


 結局、あのとき姫乃はどこまで本気だったのだろう。

 ……いや、全てがバレたあとに姫乃は自分でそうしたのだと言っていた。

 つまりは全てが本気だったのだ。

 だからだろうか、その瞬間に一切の時が止まる感覚がした。


 理性など残っていなかった。

 ただ凶暴に姫乃が欲しかった。

 凶暴性のまま重ねた唇は、この瞬間に世界が滅びてほしいほどに甘かった。


 そうして俺たちは罪を重ねた。


「……まさか、ここにまた来れるとはね」

 なのに罪を許されて、姫乃の彼氏として堂々とここに来られただけで十分なほどだ。

 その俺の呟きに姫乃はムッとした顔をする。

「来てくれないなら死んでやる」

 なかなかのヤンデレ台詞だが、それに嬉しくなって姫乃を抱きしめるあたり、俺も大概だ。


 姫乃の両親は教師であり、この日は母親だけが昼に帰って来るそうだ。

 普段は休みもなく母親も午前中は部活動に顔を出さなければならないそうだ。


 他の家の子供を見るために、自分の子供がおろそかになってしまうというのは本末転倒ではあるが、職種や職場によってはそれも無理からぬことなのがいまの社会の在り方だ。


 社会は優しくなどはない。


 そんな中で隣の家と家族ぐるみの付き合いで子供を任せていられたことが、逆に姫乃との親子の関係を遠いものにしてしまったのも当然の流れだったのだろう。


 姫乃も幼い頃から春田家に入り浸り、真幸の母親が亡くなるまで料理を教わったそうだ。

 姫乃の料理は春田家の味とも言える。


「……あれから恭平くんのおかげでお母さんとも色々話せるようになってきたんだ」

「……俺はなにもしていないよ」

「恭平くんが存在してくれたから今の私はいるんだよ」


 姫乃の俺への評価が異常過ぎる……。


 顔を隠すように姫乃を後ろから抱きしめる。

「まさか、両想いだったとは思わなかった」

「ずっと愛してるって言ってるのに、ぜんぜん聞いてくれないんだもん」

「……ごめん」


 昼を過ぎ、姫乃の母だけでなく父も帰ってきた。

 姫乃の両親に挨拶に来て、逆に出迎えるのは変な感じだ。


 それでも、おまえに娘はやらん、などとは言われなかった。

 むしろ逆に姫乃の父には。

「恭平くんの話は姫乃から聞いているよ、よろしく頼む」

 そう言われた。


 言葉通りの意味なのかもしれない。

 それでも俺は。


「……いま言ってもなんの信用もないのはわかっています。

 ですが4年後、働き出したらもう1度ご挨拶させてください。

 俺は……僕はそのつもりで姫乃さんと付き合っています」


 姫乃は感極まり目を潤ませて俺を見つめ。

 姫乃の両親は顔を見合わせて。

「……姫乃だけの思い込みじゃなかったのか」


 そう呟いた。

 ……姫乃、なに言ったの?


 姫乃と両親の関係は当初、姫乃が家を追い出された状況から鑑みて酷いものなのかもしれないと思った。


 しかし、今日見た3人の関係はそう悪いようには思えなかった。


 だからリビングで内心で緊張をはらんだまま話を続ける中、姫乃がトイレで席を立った際に姫乃の母から頭を下げられたときは驚いた。


 こっそりと姫乃と別れてくれと言われたら、俺はどうするのか。

 悩みはするが、きっと結論は変えられない。

 記憶を取り戻してしまった俺に姫乃を手離す選択肢はもう存在できない。


 どんなにひどいことを言われようとも、認めてもらうように努力するだろう。

 あの日、心が通じ合った中で身体を重ねてしまった俺の魂に姫乃は癒着ゆちゃくしてしまっているのだ。


 剥がせば激しい痛みを伴うなどではない。

 そもそも不可能なのだ。


 それを瞬時に覚悟した。

「姫乃を支えてくれてありがとう」


 姫乃の母、冬美さんは真幸の母の葉子さんと親友だったそうだ。

 子育てを半分葉子さんに頼っていた冬美さんは葉子さんが亡くなった恩が返せなくなったことに後悔したそうだ。


 姫乃が真幸と付き合うことになり1番喜んだのは冬美さんで、2人が付き合う後押しを常に口にして、そんな雰囲気を姫乃に押し付けてしまったと告げる。


 それを見て姫乃は真幸と付き合うことを受け入れたのは間違いないと。


 それから孫を待つ母親のように2人の関係がいつ進むのか尋ね続けた。

 その度ごとに感情を無くした笑みを浮かべ始める姿に気づかないふりをして。


 冬美さんは姫乃と真幸に、自分と葉子さんの影を重ねていたのだとも。


 そうしてあの日を迎えた。

「あの子に本当はずっと好きな人がいて、その人と関係を持ったと告げられたとき、勝手だけど頭が真っ白になったわ」


 まるで自分が葉子さんを裏切ってしまったような気持ちになったそうだ。

 姫乃と冬美さんが別の人間であることを知りながら。


「でもそれはあの子が自己主張した初めてのことだったと、あの子が出て行ったあとですぐに気付いて……」


 そのすぐあとに真幸が家に訪ねてきて、全ての事情を説明してくれたそうだ。

 2人の関係が幼馴染でしかないこと。

 仮初の恋人同士で、本当は姫乃も別に好きな人がいること。

 姫乃が好きな人が真幸の親友であること。


 まだ俺と姫乃の関係がバレてしまった直後だというのに、真幸はそこまで全てを受け入れて冬美さんを説得してくれたのだ。


 俺の親友が中身イケメン過ぎる……。


「あの子が帰って来たとき、申し訳なくて泣いてしまったわ」

 そこで姫乃がババーンと扉を開けて戻って来た。

 そんな印象を受けるぐらい、どこか得意げな顔をして俺の手を取り隣に座って言った。


「だから言ったでしょ。

 恭平くんのおかげだって。

 恭平くんのおかげで私は私になれたんだよ」


 少し前まではこうではなかったのだとも姫乃は言う。


 お互いにどこか立ち入らないような空気がいつもあって、こうしてリビングで姫乃が両親といる時間もなかったのだと。


 以前を知るわけではない俺はその姿を想像はできない。

 それでも姫乃の両親から否定されなくて良かったとそう思う。


 両親というものを本当の意味で知らない俺は、姫乃の彼氏となった俺に対して彼らがなんと言ってくるのかはわからなかった。


 むしろこんなにも温かく迎えてくれたことに熱いものが込み上げてくるようだった。


 いつか、姫乃と本当の意味で家族になれたらこんなふうにありたいと。


 そう思った。

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