第35話一生別れない
俺は脳が沸騰するような感覚の中、その衝動をこらえる。
腕の中の姫乃をぎゅっと抱きしめる。
正気を保つのにこれ以上ない鋼の精神が必要だった。
それこそ自らに宿る罪すら忘れるほどに。
これほどの凶暴性の前で人の理性などいかほどの役に立とうか。
それゆえに男女が密室で2人きりになってしまえば、不義の行いである寝取り浮気ですら容易く行われてしまうのだ。
それが愛の営みと同じ行為であることが、いっそ皮肉に思えて笑えてしまった。
そのことが俺をなんとか正気に戻す。
「……我慢する。姫乃を誰かに絶対見せたくない」
抱くならば、俺以外の誰にも見られない密室で、だ。
「……ここ、学校だもんね」
そう、散々情熱的なキスをしておいてなんだが、ここは学校である。
若いアレやコレやが暴走して、そういうことをしてしまう人もいるのだろうけど、さすがにこんなところでは無理だ。
万が一にも人に見られでもしたら、それこそ終わりだ。
それだけでなく、ただの1度であろうと俺以外の誰かに姫乃の……そういう姿を見せたくない。
歪んだ独占欲と言って、笑いたければ笑え。
「……我慢するから、もう一度だけキスしていいか?」
「……うん、いいよ」
その返事をもらって姫乃とまた唇を重ねる。
我慢すると言いながら、それはただのキスに留めることは出来ず、そのまま互いの舌も絡めてしまいながら。
不思議と姫乃からも求めてくることに、理由もわからず浮かれてしまい、より一層互いを抱きしめ合う。
……そもそも。
俺が転生してチャラ男の俺と入れ替わっても、姫乃が真幸の彼女だったときも。
どう足掻いても俺は姫乃以外を見ることは出来なかった。
姫乃以外とキスをすることはないし、抱きたいとも思うこともないし、ずっと姫乃だけが好きだ。
それについては俺は迷わない。
そもそも俺が姫乃を好きであることは、最初から
俺がただ一つ、どうしても譲れなかったのは姫乃が不幸になることだけ。
姫乃を俺の道連れで地獄に堕としてしまうことを恐れた。
俺たちの関係が見つかったあの日。
雨の中、姫乃が俺に放った言葉。
『だけど、だけど私と一緒に地獄に堕ちろ。
……ばぁか』
あの瞬間、俺の中にどうしようもないほどの甘く絶望的な……歓喜が沸き起こったことを姫乃は知るまい。
姫乃と堕ちる地獄は俺にとってどこまでも、どこまでも幸福なことだろう。
もう無理だ。
そんなどうしようもない独占欲と姫乃への想いは、他ならぬ姫乃の手で溢れ出してしまった。
これからはもう何をしようと手遅れだ。
キスを止めても、俺と姫乃は抱き締めたままの状態でしばらくそのままでいたが、やがておずおずと姫乃が俺に尋ねる。
「……えぇっと、私もう恭平くんの彼女ってことで良いんだよね?」
「彼女じゃなくて、嫁にしたいんだけど」
俺は不満に口を尖らせかけ……、やめておいた。
それを選ぶかどうかは姫乃に委ねたのだ。
姫乃は俺の言葉を聞いてはにかむようにふわりと笑う。
それは俺が好きな姫乃の笑みで。
嬉しそうに頷いてくれた。
「……俺にとって付き合って別れるとか、ないから」
とんでもなく重い宣言だ。
一時の感情で言っているわけではない。
高校生の恋愛でここまで本気で覚悟する人はほぼいない。
社会に出てどう変わるかはわからない、これは事実なのだ。
それほど高校時代に輝いた青春を送っても人生はそこで終わりではない。
好きです、付き合いましょう、やったぁ。
それで終わりではない、むしろ大切なのはそこから先だ。
大学に受からず、就職もできず、生活にも困難が出てくるかもしれない。
誘惑も山のようにある。
逆に未来への可能性を閉ざすことにもなる。
未来などわかるわけがないのだ。
だからこそ人は学び、努力する。
大切な人と考え、重なり、相手を知り、そうやって共に生きていく。
それが人を愛するということなのだろう。
それは簡単なことではない。
それでも俺は俺自身においては断言できてしまうのだ。
姫乃を生涯において愛せてしまうと。
もしかすると、それはただの意地なのかもしれない。
それでもいい。
それでも良いのだ。
どうせ生まれた命なのだ。
ただ一つの、たった1人。
姫乃だけを愛して終わりたい。
同時に……たい。
ただ、それだけなのだ。
「……うん、私も同じ気持ち。
一生別れてあげないし、恭平くんの子供も私が産むし、同じお墓にも入るし、私たちの灰は混ぜ合わせてもらおうね」
言って姫乃は小指を絡ませ……すぐに離す。
「切った、約束ね?」
残酷な話だが、チャラ男の意識が戻ってしまえば、俺のこの覚悟もどうなるかわからない。
俺が最も恐れているように、チャラ男のよくあるパターンで子供が出来て、飽きたら捨てるなどという極悪非道なマネをしないという保証はないのだ。
それでもこれだけは確信がある。
チャラ男恭平の意識が戻れば、真っ先に姫乃が狙われるだろう。
俺の姫乃への感情は記憶どうこうで変わってしまうほど生温い感情ではない。
……いずれにせよ、俺の心の中はすでに手遅れだ。
どうせ、もうどうあっても姫乃を手離すことなど出来ないのだ。
俺が必死にフタをしていた姫乃への煮えたぎる感情を姫乃自身がこじ開けて、しかも恋人になるという免罪符を与えてしまった。
これでもう、どれだけ姫乃を地獄に堕とそうとも俺は姫乃を手放せなくなっている。
俺は絞り出すような想いでそれだけは告げた。
掃いて捨てられる想いなどではない。
恋人という言葉が恋だけで終われる関係にもなれない。
もっとドロッドロの狂愛なのだ。
「それで姫乃はいいのか?」
「私が恭平くんと付き合いたいんだけど?
それに私はとっくに覚悟してるよ、旦那様?」
そう言って姫乃はクスクスと魅力的に笑う。
そう言われてしまえば惚れた弱みで、ぐうの音も出ない。
それが俺と同じ覚悟なのか、それとも違う意味での覚悟なのか。
真実はこれほど近くにいてもわからない。
「……てるってことなんだけど、聞こえないよね?」
「……すまん」
「……いいよ、今度こそ本当に一生でも待つから。
絶対、別れないからね」
そう言って、姫乃から軽く俺に口付けをしてくれる。
きっと俺にはまだナニカがわかっていない。
そしておそらく。
そのナニカを姫乃は知っている。
知っていて、それでもそばにいてくれると言うのだ。
ならばもういいではないか。
俺が出来ることは、やるべきことはそんな姫乃を是が非でも幸せにすることだ。
たとえそれは今の俺が消えてチャラ男の俺に戻ってしまうとしても。
「……ありがとう」
そう言って俺は再度、姫乃の唇を奪った。
姫乃が垂らした一雫は俺の心の中に広く緩やかに広がった。
それは深く静かで広い大海のような感覚。
その言葉の正体を俺はまだ知らない。
こうして俺と姫乃は付き合うことになった。
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