第42話それはいつか来ることがわかっていた終わり
玄関で俺と姫乃はしがみ付くように抱きしめ合い、互いの唇を貪るように重ねる。
もちろんそれだけに飽き足らず、互いの口を開き生活の中で触れることのないはずのその舌を必死に絡ませる。
狂うような、その感覚。
……正直に言うと。
俺が愛しくてたまらない姫乃を抱きしめるのはともかく、なぜ姫乃がそれを受け入れるように抱きしめ返しているのか、まだわからない。
俺の気持ちは確かだ。
愛してる、奪いたい、誰にも渡したくない。
真幸にさえも。
それでも俺のようなやつに、その愛しい彼女をその腕の中に抱かせていいのだろうか。
擦り切れる地獄のような感覚と共に理性を働かせて、彼女がいつでも逃げられる程度の力加減で。
彼女がいつでもキスを避けられるスピードで。
それでも姫乃は逃げない。
我慢の限界を超えている中、ついに俺は口に出して忠告をした。
「姫乃、逃げないと逃がせてやれなく……あっく」
最後まで俺に言わせまいとでも言うように、姫乃は自ら唇を重ね、求めるように俺の口の中に舌を伸ばした。
理性は消し飛び、姫乃の口の中を蹂躙し返し抱きしめ壁に追い詰める。
姫乃は逃れる様子もなく、俺にしがみ付くことだけを必死になっていた。
理性が戻ったのはどれほど経ってからだろう。
いいや、理性が戻ったのではなく理性が振り切れたのだ。
俺と姫乃は理性の残らぬ視線を交わす。
手を差し伸べると姫乃はその手を握り返して、引かれるままに部屋までついて来た。
それを止められる者は誰も……。
ガチャッと玄関が開く音がした。
来訪者などいるはずもないと振り返ると、そこにはややくたびれてはいるが美人の部類に入るスーツ姿の女。
「ああ、いたわね」
俺の……生みの親だ。
存在も記憶も消えていれば少しは報われていただろうか。
「おかえり」
おかえりでいいんだろうか。
この家は彼女と彼女の不倫相手が金を出して買ったマンションなので、おかえりでいいのだろう。
「恭平。ちょっと話があるんだけど……」
ちらちらと姫乃を見てくる。
それで俺は話の内容が想像がついた。
いつかはその話をされるとわかっていたから。
恨みなどはない。
今まで顔を出してくれただけで十分だった。
「姫乃」
「はい!
あっ……帰った方が」
「悪い……、先に部屋入って待っててくれ」
「わかった!」
それから母だった人に向き合う。
母だった人は息苦しそうに話し始める。
「恭平には悪いとは思うけど……」
聞かされた話は思ったよりも随分マシだった。
学費は高校までにされるかと思ったが、2人で大学まで面倒をみてくれるらしい。
部屋もこの家は引越ししないといけないが、ワンルーム分は出してくれる。
2人とも金を持っている成功者だから可能な真似だ。
わかっている。
手切れ金ということだ。
今後は親としてではなく、世話になる遠い親戚という扱いにして欲しいというものだ。
苦渋を滲ませたような顔で俺を見るが、この話に俺の遺伝子上の父は同席していないのに1人でも直接話にしに来た。
それだけでも誠意があると思った。
少なからず自分がしている行動に罪の意識は持っているのだ。
……俺には、それで十分だった。
それに遺伝子上の親というだけで今更だ。
「ばあちゃんの墓参りだけは行かせてもらうよ。
……世話になった人として」
俺はそれだけは伝える。
「っつ!
……わかったわ」
そうして母だった人はなにかを堪え切れなくなったように家を出る。
引越し前に1度だけ部屋のこともあるので顔を見せてくれるそうだ。
俺は姫乃のいる俺の部屋に戻った。
姫乃は立ち上がり迷わず俺を抱きしめた。
さすがに聞こえていただろう。
俺の頭を優しく撫でてくれる。
かつて俺の唯一の肉親だった人がそうしてくれたように。
「……別に、大丈夫だよ。
ああ、それより悪かったな。
変な話聞かせちゃって」
姫乃は泣きながら首を振る。
「なんで泣いているんだ?
そんな泣くようなことじゃないだろ。
大学のお金も出してくれるんだ、随分良心的だ」
良心と両親。
同じ発音なのにこうも違う。
俺を抱きしめる姫乃の肩口が濡れている。
「本当に悲しくないんだ。
いや、実感が湧かないだけかもしれないけど、いつか来ると思ってたことだから」
それよりも、なにか大きなものが胸の中を包んでくれているというか。
姫乃と付き合うことができたあの日に感じたたナニカの正体。
それがなにかに思い至る。
ああ、これ愛だ。
かつて祖父母が残してくれた心。
それを姫乃という存在が与えてくれるた。
だからこそ、俺は言葉は飲みかける。
それは綺麗なだけのものではない。
失えば文字通り心を失う。
恋のようにいつか終わる感情とは違う。
愛を失うことは、その心の中心をもぎ取られる。
……だからどうした。
それでも、だからこそ貫く価値がある。
「姫乃、愛してるよ」
「私も恭平くんを愛してる」
「うん」
聞こえなかった声がようやく聞こえた。
俺は逃げられないように姫乃を抱きしめて激しく口を奪う。
姫乃も逃げることなく、むしろ俺にしがみつくように俺を求める。
絡み合いながら、愛の言葉を重ね合う。
「姫乃、結婚して。
ずっと俺のものになって」
「なる。
私は恭平くんのものだから」
「愛してる」
それはどちらの言葉だったのか、繋がってしまった心と身体のせいでどちらが言ったのかわからなかった。
きっと言葉さえも繋がってしまったのだろう。
そうして俺たちは俺が記憶を無くして初めて一つの身体になった。
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