第41話川野君は寝取られる女が嫌い

 姫乃が俺の彼女になっても授業中にイチャイチャするわけにもいかず、互いに素知らぬ顔をするわけだが。


 その姫乃が視界に入るだけで、どこかほっこりとする。


 じーっと見つめてしまうが、視線というのは向ける側は無意識でも見られている側は刺さるほどに感じるものである。


 チャイムの音と共に困った顔をした姫乃が近寄って。

「恭平くん、見過ぎ……」


 そう言ったあと真っ赤な顔してうつむく。

 あまりの可愛さに無意味に叫び回りたい気分にさせられた。


 放課後。

 文芸部の部室で各々、自由な本を片手に3年組だけが集まっている。

 3年組というか、俺と姫乃、そして部長の千早だ。

 1年は社会見学、2年は修学旅行の代休。


「千早ちゃん、そのごめんなさい。

 この時期から文芸部に入りたいなんて言って……」

 姫乃は申し訳なさ全開の表情で千早に頭を下げた。


「あ〜、まあ姫乃さんも彼氏とはいたいよねぇ」

 すごく微妙そうな表情で千早は本にしおりを挟んで閉じる。


 千早も去年同じクラスだったので、姫乃とはそこそこ話をする関係だが、俺との具体的な関係を知っているわけではない。


 ……さすがに寝取ったとかいえねぇし。


「違うの!

 文芸部には最初から入りたかったんだけど、1年のときは家の用事で忙しいのと2年になってからは……」


 そこでなぜかちろっと俺の方を見て。

 覚悟を決めたように大きく頷いて言葉を出す。


「恭平くんを……なのがバレちゃうと思って」

「あー……」

 なぜか千早も俺を見る。


 俺はよくわからず首を傾げる。

「ごめん、聞こえなかったんだが、姫乃は今なにがバレると言ったんだ?」


「もはやノロケか、こやつ……」

 千早は俺にジト目を向ける。

 美人のジト目はそれでも美人だ。


「恭平くんは気にしなくていいから」

 姫乃がそう言うが気にはなる。

 それを気にする俺が悪いのだろう。


 隠しごとというのは、嘘を吐くこと同様に心に大きなしこりを残す。


 姫乃が隠しごとをしているのだという現状に、俺は自分勝手に不安になってしまうのだ。


 俺自身が姫乃を寝とってしまったのだ、いつか誰かに俺も姫乃を寝取られてしまうのではないか。

 どれほど否定しようとその不安が付きまとう。

 裏切りを行う者は自らが裏切られる可能性を否定できなくなる、永遠に。


 ああ、違う。

 いま考えるのはそういうことじゃない。

 どうにもならない起きてもいない未来を想像したところで無意味なのだ。


 それが黒い何かであれ飲み込むのだ。

 ずっしりと重い何かが俺の心臓を通過し、胃に落ちる。


 ダサいなぁと内心、笑みが浮かぶ。


 ……それでも、だ。

 全て受け入れ、信じようと思う。

 それを思ってしまうダサい自分を乗り越えて。


 思えば、俺と姫乃は互いを信じきれるほど同じ時間を過ごしていない。

 それはこの年代の多くのカップルがそうなのだ。


 だから幼馴染という時間を共に過ごして結ばれたカップルに憧れる。

 相手を知り、相手を知っているから。


 それ以外の大半が付き合い始めてからようやく、本当の相手の内面を知る機会に恵まれる。


 たとえその結果がどうであろうとも、全てを受け入れよう。

 その覚悟をもって、姫乃にあの日想いを告げたのだから。


 いつのまにか思考の渦に飲まれていたらしい。

 顔をあげると姫乃と千早が黙って俺の顔を見ていた。


「あー、どうした?」

 しまったという思いと、俺の黒い内面を知られたくない思いでことさらに明るい声を出す。


 誰もが見られたくないほどのダサい自分を抱えているのだとしても。


 すると姫乃は俺の手を取って。

「……よ」

 なにかを告げた。


 それを聞いた千早が姫乃の方を向き、目を大きく見開いて瞬きを繰り返す。


「……何度もごめん、聞こえなかった」


 俺は歯を噛み締める。

 先程の『バレる』話も、きっと俺の聞こえない何かのせいなのだとわかった。

 それが申し訳なくて、辛かった。


 いい加減怒られても仕方がなかった。

 俺にも姫乃が数度、こうしてなにかを伝えようとしてくれているのはわかった。

 それでも聞こえないのだ。


 だけれども。

 姫乃は優しく笑う。


「大丈夫、大丈夫、私はここにいるから。

 ずっとそばにいるからね?

 おじいちゃん、おばあちゃんになってもずっと」


「えっ!?」

 千早がまた姫乃を驚きの表情で見た。


 俺は姫乃の優しさに申し訳なさと情けなさを感じ、自分の髪をぐしゃりと掴む。

「ありがとう。

 ダサいよなぁ、俺は」

「そう?」

 姫乃は再度、俺に微笑みかける。


 元々、生きているとは言いがたい生き方だったけど、俺はもう姫乃を失えば死ねるな。

 それでも姫乃はこんな俺を信じてくれているならば、俺も命を賭けて彼女を信じよう。


 今すぐ姫乃を抱きしめたくて俺は彼女に手を伸ばし……。


「待って!?

 私を置いて2人の世界に入らないで!?」


 千早がまばたきを繰り返しながら、俺と姫乃を交互に見る。


 置いてきぼりにしたことを謝罪し、俺と姫乃は改めて俺の状態を千早に説明した。

 そうは言っても、説明のほとんどが姫乃からだが。


 そもそも俺は自分になにが起こっているのか理解することができないのだから。


 そんな状態なので、本当をいえば姫乃がいま千早に説明したことの全てを理解するのも難しかったほどだ。


「あー、えー、そうなんだ……。

 まさに真実は小説より奇なりだね……」


 そして話はいよいよ寝取りのことについて。

 正直、そこまで話さなくても良かったのかもしれない。

 それは人にとって気持ちの良い話では決してない。


 それでも1年の頃から友人である千早には話をしても良いと思えた。


 それで非難されても彼女になら仕方がないと、恭吾も含め千早とはそう思える信頼できる友人だった。


「……あ〜〜〜〜。

 わかったかもしんない」


 あごに手を置き話を聞いていた千早は苦虫を噛み潰したような表情をした。


「なにか気づいたのか?」

 本当に我がことながらなにもわからない。

 そもそも俺がそのナニカに気付きさえすれば解決することであろうに。


「聞いたら後悔するかもよ?

 知らずに解決することでもないでしょうけど」


 渋面な表情の千早と対比して、姫乃がより強く前のめりで言った。

「教えて、覚悟はあるから」


 千早はそれでも、あーとさらに悩み……肩の力を抜いて。

「ま、いっか」

 と一言。

 俺たちをしっかり見て。


「川野君はね。

 寝取りが死ぬほど嫌いなのよ」


 そうだろうなと納得する。

 姫乃も納得しているらしく深く頷く。

 俺たちは寝取り浮気の関係で始まっているのにひどくいびつであるといえる。

 深く考えれば考えると自分自身に嫌気がさしてくる。

 だが千早の言葉はさらに続く。


 それはある意味でこの2年間、千早が俺を見てきた印象で……核心だった。


「……そんでね、寝取られるような女も大っ嫌いなの」

 その言葉は皮肉にも俺の心の奥底にあるモヤモヤにストンと落ちてきた。


「あっ」

「あ……」

 顔を真っ青に変え、そうだよね、と姫乃の唇が動く。

 俺は咄嗟に震える姫乃の身体を抱き寄せて、落ち着くようにその背を軽く叩く。


「話は最後まで聞けい!」


 そこに千早の一喝。

 ステイステイと、千早は手で落ち着くようにジェスチャー。


「だからね、そんなに大っ嫌いなはずの相手を自分の記憶を消してまで。

 それでも手にしたいと思っているのが今の川野君の状態じゃないか、と私は思うんだ。

 つまり……、主義や主張や自分の中の根本を捻じ曲げるぐらい姫乃さんのことが好きってことよ。

 わかった?

 ったく、やってらんないわよ。

 このラブラブカップルめ」


 最後は茶化す風に場を和ませてくれる。

 俺も姫乃の背をあやすようにポンポンとしながら、ふっと緊張を緩ませる。


『記憶を消してまで』

 それが俺の身に起こっていることなのだろう。


 どこか遠くにあったチャラ男だと思っていた恭平が自分に近づいている気がした。

 むしろ30歳童貞ブラック企業勤めの自分の方が違和感を感じ始めていた。


 記憶を失っているだけで、自分が自分でしかないというならば。

 それならばもっとも苦しんだのは俺よりも姫乃なのだろう。


 ならばそんな姫乃に別れを告げようとした自分はなんと傲慢だったのか。

 その後悔も積み重なり、2度と手放すものかとぎゅっと姫乃を抱きしめた。


「寝取り浮気も絶対にしない、裏切らない。

 愛していく。

 それを長い時間をかけて証明しよう。

 文字通り互いに灰になった後も」

 俺は決意表明のようにそれを口に出し姫乃に告げた。


 姫乃は声を出さず頷く。

 泣いている。


 それから千早はフッと微笑む。

「……結局ね。

 信用というのは時間をかけて積み重ねていくしかないの。

 水鳥さんはこれからの時間で裏切らないことを証明するしかないの。

 そうしてお互いが裏切ることなく時間をかけて信用を積み重ねる。

 川野君も、ね?」


 俺は力強く頷く。


「でもまず私もそういう相手が欲しいーーーー!!!」

 千早ならすぐにそういう相手と出会えるだろうな。

 そう思えた。

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