第37話イチャイチャしている時は正気を失っている

「ねえ、恭平くん。

 いってきますのキスは必要だよね?」


「それはカップルではなく新婚夫婦のやり取りだ」

 俺はそのまま口付けをしてしまいたい衝動を抑え、どうにかそう答えた。

 姫乃の家に朝のお迎えに来ると、開口1番に姫乃はそう言ってきたのだ。


 ここは姫乃の家の前だ。

 ……そうでなければキスの誘惑には抗えなかったはずだ。


 姫乃の親にはまだ気づかれていないようだが、その親が顔を出したら俺はなんと言えば良いのだろう?


「娘さんをください?」

 姫乃がそう言いながら可愛いく首を傾げた。

 彼女が可愛くてツラい……。


「働きだしてもないのに、娘さんをくださいとはまだ言えないな。

 もう数年だけ待って欲しい」


 待てないと言われれば……、困る。

 社会的な問題がなければ、姫乃の全てを欲望のままに奪ってしまいたいのが俺の本音なのだから。


「うん、待ってる」

「……ありがとう」

 だが姫乃は真っ直ぐに俺を見て笑顔で返してくれた。


 ああ、キスしたい。


 その願望がダダ漏れだったのか、俺たちは自然と人通りの多い大通りから、少し静かな遊歩道のある公園に入った。

 昨日と同じ場所だ。


 キョロキョロと辺りに人がいないことを確認。

 そんな挙動不審な俺を姫乃は黙ってじーっと見上げている。


 周囲を確認して安全を確認して俺が姫乃の目を見ると、はい、どうぞとばかりに姫乃はわずかに口を上に向ける。

 そのまま姫乃と唇を重ねる。


 それから少し早い時間だったので、遊歩道を備えた公園の木にもたれながら話をする。


「恭平くん、私のこと好きなんだよね?」

「ああ、好きだ」

「私も……てる」

 えへへと可愛く笑いながら俺に抱きついてくる。

 小さく、夢じゃなくて良かったと姫乃が呟いた。


 その姫乃を抱き締め返す。


 もう少し時間が経てば散歩する人などに出くわすかもしれないが、いまも周りに人はいない。

 公園の中でも、ちょっとした死角になっているのかもしれない。


 それでも多少は人の目を気にして、2人で手の届く距離にまで離れる。


「恭平くん、結婚してくれる気があるんだね」

「あのとき言ったプロポーズは嘘のつもりなんかないぞ?」


 我ながら重いのかもしれない。

 一般的に付き合う段階でそこまで決めているわけではないようだ。


 俺が30歳童貞だったから、そこまで思い詰めてしまうのかもしれない。

 愛する人はこの世でたった1人居てくれれば、それでいいと思うんだが。


「……やった」

 姫乃は小さく呟いてから、嬉しそうに俺に振り返る。

 その笑顔は闇のほら穴で生きてきたウジムシの俺にはあまりに眩しかった。


「じゃあ、帰りに恭平くんの家に行くから、そこでおかえりのキスをしよう」

「それで止められる自信はないが?」


 暗に押し倒すと言ってしまったが、男と部屋に2人でいる危険性は理解してもらいたい。

 そうやって2人になって寝取り浮気が行われていたのだから。


 ああ、でもそうか。


 2人でいてもなにも間違いではない、そんな関係になったんだな。


「……うん、恭平くんに抱かれちゃうね?」

 姫乃は顔を赤くしてうつむく。

 その返事は明らかに童貞の俺を殺しに来ている。


 そして姫乃はボソリとなおも言葉を続ける。

「いまの恭平くんの童貞は絶対に私がもらうと決まっているわけだし」


 俺は戦慄する。


 童貞なこと、いつバレたんだ?

 言っていないはずなのに!


 そんな俺の動揺を噛み殺しながら俺は別のことを口にする。

「子供ができたらどうすんだ」


 それは自分で言っておいて、失言に気づいた。

 いま口に出すことで姫乃への注意を促したとすれば失言とは言えないかもしれないが。


 姫乃は自分のお腹に触れて、見るからに真っ赤な顔をする。

 だがそんな顔をしながら、姫乃が親指を立てて返した答えは。

「イイネ!」


 それから姫乃の瞳は俺の心を貫くようにしながら。


「……恭平くんに処女を捧げたんだから、童貞もらっていいでしょ?

 ダメと言われても奪うけど」


 心からそう願っているような潤んだ目で微笑まれた。


 これは逆に俺自身の覚悟を問われたようなものだ。


「俺は姫乃を抱きたい」

「うん……」


 たとえばよくあるラブコメならば、ここでへたれて手を出さないという選択を取る。


 相手が覚悟をしているのに、男の方は覚悟を決めていないというのは実に情けない。

 もっと言えば相手の心を無視したものである。


 実際に子供を作るというわけにはいかないので、それは別問題として。


 相手を思い遣って手を出さないことと、自分を優先して相手の気持ちを踏みにじる、それは真逆の行為だ。


 ……あの決別を覚悟したラブホテルと、その後の俺の部屋での姫乃がナニカを告白した日。


 もしかしたら、俺は姫乃にそんなひどい真似をしていたのかもしれない。


 全部壊してでも姫乃を奪った方が良かったのだろうか。


 そうなれば真幸に謝罪することもなく、2人だけの甘美な世界でいつか崩壊を迎えていただろう。

 その崩壊すら、幸福と思えるほどに互いにおぼれている。

 

 しかしまあ……。

 姫乃は男をもてあそぶテクニックをいつのまにつけたんだ?


 俺は自分がどんどんと絡みとられていく気がする。

 それがたまらなく嬉しく思う自分も。


 だが俺の童貞を奪う宣言をした姫乃は、耳まで赤くして顔を両手で押さえてうずくまっている。

 自分の発言で恥ずかしくなったようだ。


「正直、テンション上がりすぎたです……。

 なに言ってんだろ、私……」


 手を差し伸べると、真っ赤な顔で目まで潤んでいる姫乃がこちらを見上げる。


 それがあまりにも可愛かったので、その姫乃を引き上げ、周りから隠すように抱きしめて深く唇を奪った。


 その行為を誰かに見られても知ったことかという気分で。


「んっ!?」

 油断していたのか、俺に唇を奪われて姫乃は驚きのうめき声をあげる。

 口を離すと色っぽいため息を吐き姫乃は呟く。


「私、やっと恭平くんの彼女になれたんだね……」


 そう言って姫乃が嬉しそうに涙を流す。

「……てるよ、……てるんだ。

 恭平くん」

 そう言って泣き笑いの表情のまま。


 頭にモヤがかかったまま、今も彼女の言葉は俺に届かない。

「愛してる、姫乃」

「……てる、恭平くん」


 それでも姫乃を逃したくなくてぎゅっと抱きしめ、俺と姫は何度も言葉と唇を交わらせた。




 何度も口を重ね、それでも名残り惜しく思いながら、姫乃の手を引き公園を出る。


 姫乃は顔を真っ赤にしたまま下を向いてついてくる。


「……恭平くん、恥ずかしくて顔があげれないです」

 俺もきっと顔が赤い。


 そんな俺たちが歩いていた先に真幸と夢野がいて、呆れた顔をしている。

 同じ道を通って学校に行っているのだから、時間によって遭遇するのもある種、必然ともいえる。


 手繋で公園から出てくるところを見ていたらしい。

 ……さすがに公園内でのことは見てないよな?


 そんな俺たちに向けて、真幸と夢野が苦笑い。


「もう見ているだけで、砂糖が口の中でジャリジャリいってる感じだ」


「なんというか、ヒメも良かったよね。

 やっとというか、ようやくというか付き合えることになって」


 砂糖がジャリジャリするとは変なものでも食ったか?

 蜂蜜漬けとか砂糖漬けの食べ物?


「うん、あとは私は恭平くんと一緒のお墓に入れて、恭平くんの子供を産めて、恭平くんが私と結婚してくれればそれで良いから」


「ヒメ……それってほぼ全てだよね?

 お墓に入ることまで言う人はあんまりいないけど」


「それだと俺しか嬉しくないだろ?

 それで良いのか?」

「……良いっす、恭平くん。

 お墓の中で1つに混ざりましょう」


「もう、こいつら置いて行こうか」

「そだね〜、お邪魔様。

 2人でごゆっくり〜」


 2人が颯爽と立ち去って残された俺たち。


 2人が立ち去ったあとで、遅まきながら俺たちは自分たちの発言を自覚する。

 姫乃が自分の発言に身悶えしている。


 俺は赤い顔で悶える姫乃があまりにも可愛いせいで、手を引いてもう一度公園内に入った。


 辺りをキョロキョロと見回し、人がいないことを確認。


 それから優しく触れるようにキスをしてから、手を繋ぎ再度、登校の道に戻った。


「他の女には譲らないから」


 一連の行動の間、無言で俺にされるがままだった姫乃は最後に、今更ながらにポツリと呟く。

「姫乃、それは違うぞ?」

「へっ?」

「それは俺が他の女に目が行く可能性があってのことだ。

 俺は……姫乃しか見ない」


 断言すると姫乃は耳まで赤くして俺の腕にしがみつき、うつむいたまま何度も首を縦に振った。

「私も……恭平くんしか見えないから!」

 うん、でも前は見て歩こうな。

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