第32話もしもそのときは終わらせるから

 その日の放課後。

 俺は姫乃と一緒に文芸部にやってきた。


「部室内でイチャイチャするのやめてくださいよ〜?」

 思っていることを、そうはっきりと口にするところが高野の良いところだろう。


 ギャルっぽい見た目に反してというか、見た目通りというか、裏表がない。


「よ、よろしくお願いします」

 対する姫乃は借りてきた猫のように萎縮している。


 ああいう現場を見られて堂々としている方が変なのかもしれないが、いっそ割り切った方が面倒にはならないものだ。


 高野の彼氏の霧山夏きりやまなつと1年生の男女で山崎透やまざきとおる原田麻衣はらだまい

 あと部長である千早は今日は来ていない。


 部活動といっても文化祭直前までたいしたことはしない。

 せいぜい好きに本を読んで感想を言い合うぐらいだ。


 いまも好きなように各自、本を読んでいる。


「それで先輩、いつのまに付き合ったんですか?

 ついこの間、寝取ってないという話は嘘だったんですか?」

 高野がすすっと俺に近寄りこそっと尋ねてきた。


 さすがに大きな声で話せる内容ではない。

 なので俺は内心で頭を抱えた。

 キス現場を見られてなんだが、俺と姫乃は付き合っていない。


 昼に弁当を2人だけで一緒に食べるのも初めだった。


「いま、ちょっと微妙な時期だから……」

 それ以外に言いようがなかった。


 俺たちの関係はなんと言って良いか、俺にもわからない。

 単純にいえば寝取ってしまった関係となるかもしれない。


 真幸の方とは話がついて、姫乃が現在フリーで誰とも付き合っていないことはそれとなく伝えた。


 そうかといって、姫乃が他の誰かと付き合うことになったら、俺は耐えられないんだろうな。


「むー、また進行したら教えてくださいね」

 意外にも高野はそれ以上追及して来なかった。

 なんとなくの気配を察してくれたのだろう。


 高野は彼女が中3の学校体験でここに訪問した際に、なぜか生徒会長兼部長の先輩に俺が文芸部に一緒に連れて来られて、それで初顔合わせして以来の付き合いだ。


 俺も高野も生徒会長兼部長の先輩に引っ張り込まれて以来、ずっと文芸部に所属したままだ。


 俺はバイトやデートがあったので、来たり来なかったり。

 半分幽霊部員みたいなものかもしれない。


 だがそもそも今日、文芸部に来たがったのは姫乃の方だ。


「後付けみたいに思われて嫌だけど、最初から文芸部に入りたかったのは本当なんだよ?

 せっかく、ここにきて文芸部に入ってもいいなら、この機会を逃したくないのもあって。

 いたたまれないというか、男目当てとか思われるだろうなとか、空気読んだ方がいいとか!

 わかる、わかってるんだけど。

 それに確かに、どうしても恭平くんから目を離したくないというか、目を離すのが怖いというか、そんな本音も存在しているのは間違いなくて。

 それについて、なんとなくはわかっていたつもりだけど、自分で思っていたより遥かに自分が重い女なんだってわかってへこむんだけど、それでもとにかく!

 そんなわけで今日一緒に文芸部行っていいかな!?」


 ……だ、そうだ。


 よくわからなかったが、文芸部には前から入りたかったと。

 ついでに俺も監視するそうです。


 たしかに姫乃は俺よりもずっと本好きだ。

 彼女が読んだ本の話を聞くのが俺も好きだった。

 しかし、なぜ今になったかといえば……。


「恭平くんとの関係を秘密にしないといけなかったから……」

 少し恥ずかしそうに姫乃は下を向いた。


 俺のせいでした。


 姫乃は俺を監視するようなことを言っているが、俺が手を出したいのは姫乃であって、その姫乃がそばにいるというなら、本末転倒のような気もしなくもない。


 しかもあろうことか、俺は今日、チャラ男に戻ったわけでもないのに姫乃の唇を奪ってしまった。


 だけど普通の顔して俺の横で本を読んでいる姫乃に今更、あのキスのことを今更謝るのも違う気がした。


 部室内は本棚が壁際に置かれて、各種多様な本が置かれている。

 多くは誰かや卒業生の寄付だ。

 なので統一性はない。


 そこから小一時間ほど部室にいたが、特になにもなく時間となり高野たちとも別れ、姫乃を送って家に帰った。


 姫乃の家に着いて、姫乃は最後に言った。

「今日、ありがとう」

「うん?

 文芸部のこと?」


 姫乃は穏やかな笑みを浮かべて首を横に振る。

「……ううん、違うよ。

 キスしてくれてありがとう。

 ……てるよ、恭平くん」


 そう言って、姫乃はきびすを返し家の中に入って行った。

 俺はそれを呆然と眺めるしかなかった。


 それほど長い時間、ぼうっとしていたわけでもなかったつもりだが、隣から真幸が顔を出して姫乃の家と俺の顔を見て……。


 にっと笑った。


「うまくやっているようでなによりだ」

 待ち構えてたのかなとも思ったがたまたま見えただけらしい。


 改めて考えてみるが、これが上手くいっていると言って良いのかわからない。


 今日に至っては姫乃の唇まで奪ってしまったが、姫乃が怒る様子はないどころか。

 ありがとう、ってなんだよ?


「いや、俺にはなにがなんだか……」


 真幸は軽く微笑む。

「それでもいいんじゃね?

 ちゃんと向き合ってあげられればさ。

 あと俺、夢野と付き合うことにしたから」


「……そうか。

 良かったよ」


 きっと真幸と夢野なら、良い関係を作れそうだと、そう思う。


 俺と姫乃はどういう関係なのだろう。


 寝取り浮気の関係から、誰かに被害が及ばないように監視対象?

 監視対象にキスされては元の子もなくないか?


 その答えは頭の中にモヤがかかっていて、俺にはわからない。

 だから真幸にそれを尋ねるのは、むしろ当然のことでもあった。


「なあ、俺なにかおかしいか?」


 俺が真幸にそう問いかけると、真幸は息を飲んで言葉に詰まった。


 それから真幸は、ゆっくり言葉を選ぶように言った。

「……気になるところがあるなら病院に行ってみるのはどうだ?」


 俺は軽い笑みを浮かべてそれに問い返す。

「頭の、か?」

「心の、だな」


 真幸のその様子を見ながら俺はどこかで納得した。

 頭の中でモヤがかかったナニカこそが違和感の正体なのだろう。


 ときに軽口で悪気なく、人は『その手の冗談』を言うことがある。

 でも真幸はそういう冗談を言ったりはしない。


 心に触れる部分をむやみやたらに混ぜくり返すようなやつではない。


「真幸から見て俺はお前たちに大きな迷惑をかけているか?

 もし、そうなら病院に行こうと思う。

 そうではなく、まだマシというなら……様子を見てほしい」


 自分勝手なことを言っている。

 友人として関わっている以上、俺がおかしいならば迷惑をかけていないはずがないのだ。


 姫乃に至っては、俺に唇まで奪われるほどの被害を受けている。


 それでももう少しだけ。

 一緒に居させて欲しい。


「どうしてだ?」

 真幸の真剣な目に俺は苦笑いを浮かべる。


「多分、そのとき俺の親は。

 俺を隔離することを迷わないと思う」


 真幸が再度、息を呑む。


 俺が本格的におかしくなって、俺の口から両親の秘密がバレることを恐れるだろう。

 そうなる前に隔離施設に入れて、なにを言ったところで病気のせいにできるように。


 俺が真幸たちから見て本格的におかしくなっているのであれば、高校生という立場上、親にも連絡が行く可能性は十分にあった。


 病院に隔離されれば、なにをどうしたところで家族以外に連絡がいかないようにもできるはずだ。


 そうして俺は姫乃たちと会うことは2度と出来なくなる。

 法律や社会のルールはそんなふうにできている。


「わかった」

 真幸は1度だけ目を閉じ、真っ直ぐに俺を見て頷いた。

 それに俺は頭を下げる。


「すまない。

 そうなったら……ちゃんと終わらせるから」


 真幸は突如、俺の両肩を掴む。

 どこか必死さを滲ませて。


「おまえはっ!

 おまえはおまえの両親とは違う!

 だからっ!

 ……だから勝手に終わらせたりするなよ?」


 いっそ今にも泣き出しそうな顔でそう言った。

 俺はそんな真幸を見て、胸の内から溢れるナニカを抑えるように目元を隠す。

「……すまん」


 真幸は俺の両肩に手を置いたまま、盛大にため息を吐いた。

「……頼むぜ?

 何かあったらマジでヒノも後を追うから勘弁してくれ」


「……すまん。

 変なことを言った」


 なぜ姫乃が俺の後を追うことになるのか、やはり理解はできないが、きっとそれこそが俺のモヤの正体なのだろう。


 そうである以上、俺は自分を勝手に終わらせたりすることはもう考えないと誓う。


「マジで頼むからな」

「……ああ、ありがとう真幸」


 そんな俺たちを玄関から覗く1人の影。


「ま、まさか恭平さんとお兄ちゃんがそんな関係だったなんて!?」


 真幸の妹の稀李だった。


「……違うから」

 稀李は見てしまった、てか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る