第31話高野に見つかった

 正しいことがなんなのかさえわからない。


「あっぐっ……」

 唇を重ね、甘い吐息を漏らしながら、それで姫乃も抵抗することなく。


 しがみ付くように俺の首の後ろに腕を回してくるものだから、そのまま激情に任せて唇を啄み合う。


 2人が1つに溶けてしまいたいもどかしさを繋ぐようにキスの鎖で1回、もう1回と何度も繋ぐ。


 思考などあってないようなものだ。

 互いにしがみ付き重なり合う唇。


 姫乃の未来とか、そのための配慮とか。

 そういうことは頭から一切排除され。


 彼女を誰にも渡さない。

 俺のモノにする。


 頭に過ぎるのはそんな狂愛だけ。


 どれだけそうしていただろう。


 舌を絡め合っていたわけでもないのに、互いの口と口を繋ぐ透明な橋がかかっていた。


 それとも2人して無意識に舌までも絡ませていたのか。


 姫乃に恋心を抱いている奴がこんな光景を見たら、100年先までトラウマを抱えるだろう。


 そんなシーンを演出してしまった。


 姫乃は熱に浮かれる瞳を浮かべながら、俺を見つめている。

 きっと俺も同じ目をしている。


 それから姫乃は俺の首の後ろに腕を回し、しがみ付いた格好のまま姫乃は軽い笑みを浮かべる。


「ふふっ……、美味しぃ……」

 普段の姫乃からは聞けない妖艶な声色で喜ぶ。

 その響きは俺をゾクリとさせて危機感をあおる。


 知識だけのはずのベッドでの記憶の中で幾度か見たそれと重なる。


 その妖艶さで他の男を誘わせたくない。

 その声色で男を誘えば簡単になびくだろう。

 それを生涯ただの1度も他の誰かに見せたくない。


 姫乃は俺を……俺だけのものだ。


 そのドロっとした思考を俺は深く見つめないようにしなければならなかった。

 深く考えるとどうにもならないところまで、堕ちている現実に気づく気がしたから。


 そこでガチャン、と自販機から缶が落ちてくる音がする。


 姫乃と2人でしがみ付いたその格好のまま、ギギギと音がしそうなほどゆっくりと顔をそちらに向けた。


 そうだよね、学校だからね。

 自分たちだけの世界に入り込み過ぎてた。


「あー、終わりましたかね?」

「高野……」


 そこにいたのは栗色髪で、少しはだけたシャツの先に首から下のきめの細かい肌の上に白いハート型のネックレスを付けた俺の文芸部の後輩。


 高野はどこか座ったような目でカシュっとナタデココのジュースのフタを開けて、ゴクリと一口。

 ナタデココをもぐもぐさせながら。


 俺たちは慌てて身体を離す。

 姫乃は俺の腕を掴み、俺の身体を使って顔を隠した。


「あー、はい。

 高野ですよー、チャラ男先輩の可愛い可愛い後輩の高野美緒ですよー。

 チャラ男先輩。

 ついにやっちゃったんですね、寝取り」


 うぐっと俺と姫乃が2人してうめき声をあげる。

 真幸に許してもらったとはいえ、事実だけにどうにもならない。


 すると高野はただのいつもの軽口のつもりだったらしく目を丸くする。


「えっ、マジですかチャラ男先輩!?

 ついにヤッチャッタんですか!?

 その人、よく見ればチャラ男先輩の親友の彼女だった水鳥先輩じゃないですか?

 いつかヤルとは思ってましたが、そうですかぁー……」


 なんとも言えない余韻を残しつつ、グビっと高野はナタデココをもう一口。

 もぐもぐと。


 言われた俺は苦笑いを浮かべ、姫乃は顔を隠したままぷるぷる震えている。


「いやぁ……まあ、良いんですけどね?

 学校であんな情熱的なキスを交わすのは、ちょっとどうかと……」


 ちょっと赤い顔で目線を俺たちに合わさずに高野はなおも続ける。


「いえ、なんというかこの2人……ってるんだなぁと思えるほど、いっそ羨ましくなるぐらい情熱的だったんで、ちょっと声掛けられなかったというかぁ〜」


 わざわざそこで言葉を切りつつ、それでもさらに言葉を続ける。


「でも、知らない人ならそのまま立ち去ったんですけど、よく見れば……よく見なくても恭平先輩だったんで、声掛けないのもなぁ〜とそんなこんなで。

 わかります、私の複雑な気持ち?」


 本当に複雑そうな表情でナタデココを傾け……、それが空になったことに気づいて残念そうにゴミ箱に缶を捨てる。

 その背がどこか哀愁を漂わせるのはなぜだ。


「いやまあ、すまん……」

 素直に謝ると高野はコロッと明るい表情のいつもの高野に戻る。


「あっ、それは良いんです。

 できればまた見たいというか、自分もするならこういう情熱的なキスされたいというか。

 チャラ男先輩、私にも同じのしてみません?」


 俺の方に近づき、自分の色鮮やかな唇を指差し誘ってくる。


 その言葉に姫乃が顔を起こしたが、特に口を挟んだりしなかった。


 高野の方に顔を向けているので姫乃の表情を見ることはできないが、姫乃がどういう表情をしているかは気になった。


 俺を掴んだ腕に力がこもって痛いんだが?


「彼氏としろよ」

「全くもってその通りですね」

 にははと高野は明るく笑う。


「……上手くいってないのか?」

「そんなこともないですよ。

 優しくしてくれますから」


 それをどこか満たされないと思っているのか、そんな表情だ。

 若いうちにはとにかく、優しさの大切さが分からないことがあるようだ。


 それが本当の意味でわかるのは精神が落ち着いて、改めて結婚を考えられるような年になってからなのかもしれない。


 その間にたくさん泣くのだろう。

 そして、その時間は戻らない。


「……心から言っておくが、間違っても俺みたいなチャラ男に引っ掛かったりするなよ?」


 そしてクズ男と過ごした時間は人生でなにも得られない。

 どれほど良い想い出と扱おうとも、冷静になればわかってしまうのだ。

 そこには心が通った関係はなかったのだと。


 そういう間違いを人はしてしまう。


 どんなクズでも良いところがあるから、と。

 大切にしてくれるかよりも楽しいと思えるかどうか。


 判断基準は人それぞれだが、どこまでも人を思いやれない関係は、必ず相手を不幸にするというのに。


 俺はそう心からの忠告をするのだが……。


 高野には『なに言ってんだ、こいつ』と、そんな顔をされる。


「なに言ってんですか、チャラ男先輩」

 口に出して言われた。

 素直な娘だ。


 さらに高野から次に放たれた言葉は、俺の根底を再度揺るがした。


「チャラ男先輩はチャラくないじゃないですか。

 いつからそう思い込んでたんですか?」


「なん、だと……?」


 いやいや俺がチャラ男じゃないだって?

 そんなバカな!

 夢野もそんなことを言っていたが。


「その……あれだ。

 色んな子にアプローチしてだな……」

 お前ともデートしたよな、知識でしか覚えてないけど。


「お互いの合意の上でデート止まりですね。

 それにチャラ男先輩が付き合わないことを了解してますし。

 チャラ男先輩も取っ替え引っ替えしてるわけでもないですし。

 女をやり捨てしてるわけでもない、というか手なんか一個も出してないじゃないですか!

 キスすらないんですよ!?

 そのくせ本気で誘われても彼女どころか、セフレとかも作らないじゃないですか。

 モテるのに!」


 捲し立てられるように告げられた言葉に、俺ってなんだっけと疑問が浮かんでくる。


 チャラ男の身体に転生した30歳童貞である俺は、いまさら転生先の自分はチャラ男ではないと指摘を受けている。


「よく知ってるね?」

 いつのまにか顔をあげていた姫乃が高野にそう言った。


「チャラ男先輩の可愛い後輩ですからね。

 好きだった人の情報ぐらい集めましたよ。

 結局、チャラ男先輩がそんな情熱的なキスしたのは私が知る限り、水鳥先輩だけですよ」


 俺のふわっとした記憶のチャラ男の俺より、高野の方が以前の俺を知っているのかもしれない。


 それでも俺はそんな立派なものではない。


 それをわかったうえで高野なりのエールを送ってくれたのだ。

 勢いよく吐き出された言葉たちから、それがよく伝わって来た。


 あとさらっと告白してなかった?


「あー、あー、言っちゃったぁ〜。

 スッキリした。

 じゃあね、恭平先輩バイバイ」


 そう言って手を振る。

 もう会わないかのような言い方で。


「いや、部活で会うだろ」

 放課後に行ける日は部室で軽く本を読んだり、文章書いたり、そんな感じのゆるい部だけど。


 それとも文芸部にも行かないつもりかと警戒したが。


「……そうでした」

 ただ単に忘れてただけらしい。


「もうー!

 チャラ男先輩!

 こういうのは雰囲気が大事なんですよ!

 青春の1ページにそういうこともあったと、まぶしく思うための大切なメモリアルです!

 そういうところデリカシーとか必要だと思います!」


 もう、もうと頬を膨らませながら、高野は笑ってくれた。


「ごめんな」

 俺は色んな思いを込めて、ただそう告げた。

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