第30話その唇を奪う
後日、真幸たちは姫乃の両親の手も借りて、遺産相続の手続きを進められそうだという。
それを人気の少ないナタデココのある自販機のベンチで、姫乃と2人で彼女が作った弁当を食べながら聞かされた。
うん、ちょっと待て。
色々とツッコミどころはあるが、まず状況確認だ。
真幸の家の問題がすぐにでも片付きそうなのは良かった。
俺も貴重な大学資金を投入した甲斐があった。
正直、あれがなくなると俺の大学進学が致命傷なだけではなく、今後の俺の生活にも不安が出てくる。
貯めていた貯金どころか、使える生活費の全てを投入してのお金だったからだ。
あの両親は生活費は出してくれてはいるが、それもいつ止まるかは俺には予想がつかないのだから。
そんなわけでそれは良い。
そのことではなく、俺が姫乃の手作り弁当を食べながら、姫乃の隣で昼食を食べていることだ。
お金を真幸に渡した後。
さすがに節約をしないといけないなぁ、なんて話していたら。
「なら、私が恭平くんの分もお弁当作ってあげる」
そう姫乃が主張したのだ。
姫乃に作ってもらえるのは天にも昇るような気持ちになるが、流石に負担が大きすぎると断ろうとしたが。
それにそんなことをされれば、胃のあたりから姫乃色に染められてしまう。
……魂の中から姫乃色に染まっていることはこの際、おいておくとして。
「とりあえず毎日持ってくるから食べてもいいと思ったら食べて」
そう言われた。
「それはどうあっても作るってことだよな?」
そう返すと姫乃は揺るがない意思を目に宿して、大きく頷いた。
「真幸君と稀李ちゃんの分もあるから、それに1つ加わってもそこまで手間でもないからね」
なので俺は敗北を認めて材料費を渡すことで頼むことにした。
そもそも俺が姫乃の誘惑を断れるはずがないのだ。
どうしてこうなった?
もちろん姫乃が作ってくれる弁当はのどから手が出るほど欲しい。
いまさらな秘密だが、毎日姫乃の弁当を食えていた真幸にずっと嫉妬してもいた。
いずれバイト代がそこそこ入れば別だが、いまは材料費は出せても手間賃として大きなお金を渡すほど余裕はない。
つまり労力に反して、姫乃側のメリットが無さすぎるのだ。
まずもって現状に理解が及んでいないが、姫乃と俺は彼氏彼女というわけではない。
なのにいま2人だけでこうして昼を食べている。
「一緒にお昼食べたいけど、ダメ?」
そんなふうに弁当を渡されながら、姫乃に懇願されては俺に断るという選択肢はない。
たしかに真幸への謝罪も済ませ、姫乃と真幸は彼氏彼女の立場を解消した。
だからといって、はいそうですかと俺たちが付き合うわけではない。
そもそも俺にその権利もなければ、再三姫乃に警告している通りに、俺がいつチャラ男に戻って酷い目に遭わせてしまうのかわからないからだ。
それだけは許されない。
「うんうん、それはわかったから。
それでも恭平くんは責任取ってくれるんだよね?」
「それは……、俺ができることならいくらでも」
その責任がどういった意味合いかはわからないが、それ相応の覚悟はしているつもりだ。
復讐をしたいというならば、そうさせてあげようとも思う。
もっとも俺に1番効いてしまう復讐は姫乃が別の男と幸せになることであり、それが彼女のためにも1番良いことだ。
姫乃ほどの美人なら遠からずそうなるであろうから、俺がどうこうする余地はないだろう。
……その想像だけで気が狂いそうになる。
「じゃあ、指切り」
姫乃がその細い小指を俺の前に。
毎度のことながら、彼女に触れることに罪深さとわずかな興奮を感じることは仕方がないと思う。
俺はその小指に自分の小指を絡める。
「ゆーびーきーりーげんまん♩」
涼やかに染み渡る声で、指をリズミカルに上下に動かす。
俺はその声をいつまでも聞いていたくなって、心の声のままに呟く。
「ずっとこの小指を繋いでいたいな」
「ひょえ!?」
俺は姫乃が逃げないように、その小指にそっと口付けを落としその瞳を見つめる。
半ば本能に動かされ、そこに俺の動揺は一切ない。
ただ静かに赤い顔をさらに赤くして姫乃は口をワナワナとさせる。
手からなんとか距離を取ろうと身体を遠ざけるが、絡めた小指を振り払おうとはしない。
「きょきょきょ、恭平くん!
結婚して!」
「わかっ……おっと。
いやぁ〜、それはちょっと……」
チャラ男のクズと結婚して不幸な目に遭う姫乃とか見たくないし。
そのためにあんな身を切るような真似までして、姫乃まで泣かせてしまったのだ。
今更、そんな俺に都合の良い話などに乗るわけには……。
「なんでよ!
せ・き・に・ん、取ってくれるんだよね?」
姫乃はジト目で問い詰めるように人差し指で俺の胸をつつく。
そんな姫乃に対して、自然と目を細め笑みが浮かぶ。
心の中では、なぜだか泣いて叫び出したい気持ちになった。
「それはもちろん」
「だったら結婚して!」
だから、それで不幸になるのは姫乃なんだが……。
それでも俺の豆腐なメンタルはその言葉の誘惑に押し切られる。
それは俺がなによりも願ってやまないことだから。
「それはほら……お互い生活が成り立つようになって姫乃に他に相手がいなければ」
もしも……あり得ないもしもだが。
そのときに姫乃の隣に誰もいなければ。
俺がそこにいることができるなんて想像……してみてもいいだろうか。
「約束だかんね!
ほら、指切った!
はい、ダメー。
もう約束破れません。
約束破ったら針千本飲むから!」
そう言われて小指が離されたとき、大切な繋がりが切れるんじゃないかと不安と寂しさが俺の胸に走る。
それは随分、自分勝手な感情だった。
「飲ませるんじゃないんだ?」
「当たり前だよ、飲むのは私」
「それは約束破れないなぁ」
軽く言っているが、針を千本飲んだら人は確実に死ぬ。
そんなものを飲すのを認めるわけがない。
それを飲まなければいけないのは、どこまでも姫乃を地獄に引きづり込んだこのチャラ男だろう。
自然となにも言わず、俺と姫乃は見つめあったまま時間が流れる。
笑っていた姫乃だが、そのまま次第に笑みが寂しそうなものに変わっていく。
「……この曖昧な状況って結構辛いね。
……る人に気持ちが届かないの」
そしてついには、いまにも泣き出しそうな顔で。
その理由はわからないのに、その顔をさせているのが俺だということだけはわかった。
それが胸が張り裂けそうなほどきつかった。
なあ、恭平それでいいのか?
自分の中のナニカに問いかける。
答えは……決まってる。
いいわけがない。
姫乃を不幸にだけはしたくはなかった。
そのためなら不幸の素である自分が離れるのが1番だ。
そう思っていて、あの日も終わりを選んだはずだ。
何かが間違っている。
その想いが俺の中を食い破ろうと暴れ回っている。
それでも……答えは出ない。
「一生でも待つ、そう言ったのは私だもんね」
目尻に涙の雫を浮かべながら、それでも姫乃は覚悟を決めた瞳で俺を見て、なにかを耐えながらも笑って見せた。
俺は……。
彼女をいますぐに奪ってしまいたい衝動と、それと反対に俺が触れてはいけないという意思との狭間で。
感情がぐちゃぐちゃになりそうだった。
姫乃がそんな顔までして想う相手が俺だったら良かったのに。
そんな最低であり得ない感情もぐるぐる、ぐるぐると。
ギリギリで踏みとどまっていたはずなのに。
気付いたら姫乃の唇を奪っていた。
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