第28話せめて俺が出来ること

「いや、あの、これは」


 俺が見つめ合っているのは稀李から見れば兄の元彼女である。


 それなのに、こんな場面を目の当たりにしてはなんと言うか。


 稀李に見られてしまったので慌てて離れればいいのだが、心と身体がそれを拒否する。


 フワッフワやねん!

 抱きしめた姫乃から俺の中にふわりと入り込む匂いが頭をとろけさせる。


 姫乃が抵抗すれば、離すのだが逆にもぞもぞとしながら、力を込めてしがみついてくる始末。


 でも半分は正気なので、姫乃を抱きしめながら動揺していたりする。


 なんでこうなったのだっけ?


「恭平さんがそこまで動揺するの初めて見たかも」

「稀李ちゃん、私いよいよダメかも。

 ……スーハー、スーハー」

 姫乃はそんなことを言いながら、俺の匂いを嗅ぎ出した。


 罠にかかったのは俺の方だったのか!?


「あー!

 恭平さんの匂い吸ってる!

 ズルい!!

 付き合ったばかりでラブラブだからって!」


 ズルいってなんぞ?

 それに付き合ったばかりって……どうしてそうなる!?


 稀李は姫乃と真幸が別れたことは知っているらしい。

 それについては稀李はこう言った。


「うちの兄ちゃんも悪いんだよ、ノリで付き合ったりするから。

 もちろんヒメちゃんもだよ!

 自分を押し殺して過ごしたっていいことないんだから!」

「……はい、ごめんなさい」


 腰に手を当て、わざとらしく稀李は姫乃を叱る。


 それに姫乃は素直に謝る。

 姉妹のような幼馴染。


 この子も大概良い子だよな、そう言いながら許してくれようとしてくれているんだから。


「だから1ヶ月ほど前、恭平さんの匂いを嗅いだらヒメちゃんの匂いしたんだね」


 稀李の何気ない言葉に、ビシッと俺と姫乃が抱きしめ合ったまま固まる。


 それは兄の親友から兄の彼女の匂いが移るほどの何かがあったと示しているようなものだ。


 俺たちの寝取り浮気がバレたのはまだ1週間程度。

 つまり、その頃から気づかれていたということになる……のか?


 俺の表情を読んだのか、なんでもないように稀李は言葉を続ける。


「気づいてまではいないよ?

 いま思うと、ああそうかって感じ?

 それに今更、……に割って入るほど間抜けじゃないですから」


 稀李の言葉に姫乃が顔を赤くする。

 赤くなるようなナニカを言っただろうかと姫乃を見るが、姫乃は寂しそうに俺を見る。


「……だったら良かったんだけどね、私フラれてるから」

「それ、現状と合致しなさ過ぎです」


 玄関口でなぜか抱きしめ合っている男女。

 なんでこうなったのか俺もいまいち理解が及ばない。


「恭平さん、本当にヒメちゃんフッちゃったんですか?」

 それっぽくないですが、と呟きつつ。


「フル……とはなんのこと?

 真幸がここでイチャイチャするなよと言った話のことか?」


 付き合ってもいないし、告白されたわけでもないのにフルとはこれいかに?


 あれで突然、姫乃が泣き出して慌ててこうなったのであって……。


「……それはまあ、ウチの玄関でイチャイチャされても困りますけど、そういう意味?」


 稀李が生温なまぬるい目で俺たちを見つめる。

 そうね、人の家の玄関口ですることじゃないよね。


「違うよ。

 でもそっか……、そういえばそうだもんね。

 あとで稀李ちゃんにも教えるね」


 なにかに気づいたという顔をする姫乃。

 なにがそれで、どう我慢しているのだろう。


 そもそも俺が姫乃と付き合えたなら絶対に手放さない。

 そして、行き過ぎた執着が暴走してどうなってしまうのか。


 ……多分、俺は性質的にヤンデレな気がするし。


 それにもしも、俺が元のチャラ男に戻ってしまったら、もて遊んで捨てるなどという非道なことを行うかもしれないのだ。


 その前に距離を置く必要はある……のだが、しっかり姫乃を抱きしめながら言えることじゃないよな。


 自分の意思の弱さに半ば呆れながら、ようやく姫乃を離そうと……、離れない?


 姫乃を見るとぎゅーっとしがみついてくる。


「姫乃、サン?

 そろそろ離れませんか?」


 俺がそう訴えると、姫乃はにっこり笑顔。

 あら、可愛い。


「やだ」

 そう言いのけた。


 うん、どうしよう。

 これが人の家でなければ押し倒していると思う。

 俺が理性を保てているのがキセキだ。


「なにやってんだ〜?」

 奥から再度、真幸が顔を出す。


 今の有様は困り顔の俺。

 生温い笑みを浮かべる稀李。

 俺にしがみ付き離すまいとする姫乃という混沌たる様相。


「ま、早く上がってこいよ」


 面倒になったのだろう。

 そう言って真幸は顔を引っ込めた。


 ……見捨てられた。


 それから長い時間ということはなく、すぐに姫乃は離してくれた。

 離れてすぐに俺の耳元で姫乃はささやく。

「また抱いてくれる?」


 ……ハグするだけなのを怪しい言い方にしすぎだろ。


 赤くなっているであろう自分の顔を右手で隠しながら、俺は小さく頷いた。

 その返事にご満足いただけたようで、姫乃は花が開くように笑って見せた。


 それを見ていた稀李が心底呆れた顔でボヤく。

「うっわぁ〜、なに見せられてんだろう私」


 ……そうだね。




 ──真幸たちの家に上がり、仏壇に手を合わせたあとに俺は真幸と向き合う。


 なお部屋の隅では、姫乃が先程までの自身の行動を反省して頭を抱えてうずくまり、その横で稀李が笑顔で慰めるように背中をさすってる。


「人前でイチャイチャとか。

 絶対にするわけないと思ってたのに……。

 あれはしちゃう、してしまう……」


「ヒメちゃん、ばっちり重いタイプだったんだねぇー」


 真幸と稀李は小さい頃に母親を亡くし、いままた父親も亡くした。

 温かい家だと思った。

 それがなぜこんな目に遭わなければいけないのだろうとも思う。


 寝取り浮気をするような俺の両親のようなヤツらは、いまも変わりなく生きているのに。


 天罰というのは当たらないんだな、そんなふうに思う。

 俺にも天罰は当たっていない。


 だけど、これはいずれ……。


「恭平!」

 真幸の呼びかけでハッとする。

「ああ、わりぃ」

「ぼうっとしてるからビックリしたぞ」


 ぼうっとしているだけでビックリとは、大袈裟だなとなんとなく思う。


 俺は肝心の用事を済まそうと、リュックサックの中身が無事なのを確認してから真幸に渡す。


「なにこれ?」

 そう言いながら、中を見た真幸が固まる。


「利子もなしで良いから」

「おまっ……、これ!?」

 高校生ではほとんど見ることはないだろうな。

 生の札束って。


「300万円ある。

 しばらくはこれでしのげるだろ。

 落ち着いたら少しずつ返してくれれば良いよ」


 真幸だけでなく、部屋に入ってきた姫乃と稀李も同じように固まる。


「だ……」

 なにかを言おうとする真幸の言葉を遮るように、俺は言葉を続ける。


「弁護士や専門への手続き代、葬式代に墓代、なにより生活費。

 親父さんの預金が解除されるまでに必要な金はいっぱいだろ?

 使えよ」


 親の口座が凍結されなければ問題なく支払えていた、と聞いたからすぐに必要な分があればいいはずだ。


 姫乃と稀李も、真幸が手に持ったリュックをのぞいて絶句している。


 いち早く正気に戻った真幸が、条件反射的にそのリュックを返そうとする。


「いくらなんでもこんな大金借りられねぇよ」


 高校生では大金だよな。

 高校生でなくても大金だ。

 30歳ブラック企業勤めだった俺は、これの3分の1も貯めることができなかった。


 チャラ男の恭平は悪いこともせずにこれだけ貯めていた。

 その点だけは評価できる。


 ま、さすがに将来への危機感があったんだろうな。

 多分だが、大学のための資金だろう。

 それを渡した。


「葬式代安くて100万円、墓代も安くて100万円、専門家への手続きと相談料で20万円前後、生活費は持ち家であることを加味して2人で月10万円、各種税金は容赦なく請求が来るぞ?」


 税金は収入なしということで減額や免除もあるだろうけど、手続きが大変で時間もかかる。


 それを聞いて真幸は黙る。

 必要なものは必要なのだ。

 あとは気持ちの問題だ。


「あと親戚と連絡つかないなら、近所の人で信用できそうな大人を頼れ。

 お金の問題がなければ、安心して親身になってくれるはずだ」


 お金の問題は迂闊には対応できない。


 あかの他人を支援するにしても、お金の問題があるかどうかで対応は段違いだ。


 そこから姫乃の方を向いて。

「姫乃のとこの親に色々頼めそうか?」


「うん、うん!

 私の親も真幸君と稀李ちゃん心配して、私がこっちに送り込まれているぐらいだから」


「そうか、良かった」

 俺は安心して笑顔が浮かぶ。

 18歳が成人となり、俺も真幸も姫乃も法律上は大人だ。


 だけど、それだけでは出来ないことは山のようにあるし、まずその知識が足りない。

 それでもこの社会の中で、生活はしていかなければならない。


 まだリュックを手にして逡巡しゅんじゅうしている真幸に笑いかける。


「あげるとは言ってない。

 貸す、だ。

 ゆっくり返してくれれば良いから」


 俺からしてみれば突っ返されても困る。

 真幸と稀李に金が無いからと高校を辞められる方が嫌だ。


「……わかった。

 借りる、すまん」


 真幸1人のことではない、稀李のこともある。

 なので真幸はそれを受け入れた。

 真幸の肩が震えているので、その肩を気にするなと軽く叩く。

 真幸が俺にそうしてくれたように。


 人との優しさはやがてその人に返る、それだけの話だ。


 そこで稀李が肩を震わせる兄を見つつ、俺に呼びかける。

「あの……恭平さん」

「うん?」

「借金のかたに私をもらいます?」


 うん?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る