第25話狂愛(姫乃視点)

「前世……かどうかはわからないけど、俺は30歳でブラック企業勤めの無理が祟って死んでしまって、少し前にこの恭平の身体で目覚めた。

 だから俺は以前の恭平とは違う。

 今後、以前のチャラ男だった恭平に戻らないとも限らない。

 そうなったときにまた迷惑をかける。

 だから……少し距離を置いてもらった方が良いと、思う」


 私たちはすぐに言葉を出せなかった。

 突然、自分は転生者だと言われても、というよりも。


「恭平、なにか変わったか?」

「チャラくなくなっただろ?」


 そう言われても、以前の恭平くんといまの恭平くんに違いが見出せない。

 チャラくなくなったと言われても……。


「川野君、そんなにチャラい?」

「チャラいだろ?

 女にも平気で可愛いとか、デート行こうとか誘ってただろ?」


 それは……それだけだし、ここ最近もクラスで女の子に恭平くんが可愛いとか言ってて、私は密かに嫉妬したりしてたけど。


「そう?

 川野君は私からしたら相談に乗ってくれる気のいい兄ちゃんだけど?」


「それはほら……、相談だろ?

 真剣に話を聞くだろ?」


 美空ちゃんの恋愛相談に恭平くんは親身になって聞いてくれたらしい。


「いやぁ〜、なんというか理想的なお兄ちゃんだったよ?

 川野君、妹いたりしない?」


 美空ちゃんの問いに恭平くんは困ったように苦笑する。

 義理の妹がいると。

 一緒に暮らしたことはないけれど、とも。


 彼と私たちの間に大きな齟齬そごがあるのは感じる。

 でも、それはなんだろう。


 そう思いながら、私には1つ思い当たる症状があった。


 解離性記憶障害。

 一般には多重人格症や記憶喪失のこと。


 そもそも自分自身がおかしいのだと思って、私はその手の専門書をたくさん読んでネットでも調べた。


「恭平くん……。

 身体が痛いとか、昔の記憶で頭が痛くなるとかある?

 あと転生前のことはどこまでわかる?」


 恭平くんは質問の意図がわからないらしく、首を傾げるが素直に答えてくれた。


「転生前のことはほとんどわからない。

 俺が30歳で童貞……ゲホゴホ、ブラック企業で働き過ぎて転生したこと。

 あと恭平としての以前の記憶は……ほとんど全て知識として知っている、という感じだ。

 頭が痛い、とかはない」


 いまの恭平くんは童貞っと。

 心のノートに刻みつけておこう。


 それでも。

 前とは違う恭平くんかもしれないけど。

 私は何度も伝えた言葉をもう一度、恭平くんに訴える。


「それでも私は恭平くんを愛してるよ」


「……ごめん。

 姫乃、いまなんて言った?

 聞き取れなかった」


 これだ。


 転生の話を聞いて、可能性に気づいてようやく私の告白がを気付かされた。


「恭平、おまえ……」

「川野君、いまの……」


 この2人でもハッキリ聞こえる程度に至近距離で口にしたのだ。

 気のせいとか空耳とか、そう思う余地はない。


 私だけなのか、他の人もなのかはわからない。

 恭平くんには愛の言葉が……届かない。


 私は恭平くんと握った手にもう片方の手も添える。

「たとえ聞こえなくても、それでも伝えるよ。

 私は川野恭平くんを愛してます」


 真っ直ぐに見つめた彼の目は、その瞬間だけ虚空を見つめる。

 なにも聞こえていない。


 その彼の目の前で指を一本立て、それをスッと横に動かす。

 彼の目が私のその指を追うことはない。


 でもすぐに目に光が灯る。

 それに私は内心、ホッとする。


 だけど、いまのではっきりとしてしまった。

 そう、彼は……私の愛した人は解離性人格障害。


 それが進行すれば多重人格などに発展する。

 そこまで至っているのか、至っていないのか、今はうかがい知ることができない。


 彼が自分で転生者だと申告するからには彼自身には病気の自覚症状がない。

 現に私のその言葉だけが届かない不自然さに、理解が及んでいないのだ。


 そういう相手に病院に行った方が良いと言っても、そう簡単には通じない。

 逆に信用すら失ってしまいかねない。

 それにこれは長い時間寄り添う必要がある。


 私はこの少しの間で、全ての覚悟を完了させた。


「ねえ、恭平くん。

 以前の恭平くんになると迷惑をかけるというのは確実?」


「あー……、いや、確実かと言われるとそうでもないけれど……」


 少し言いづらそうに言葉を止める。

 その続きを私たちはじっと待つ。


 観念したように恭平くんは続きを言葉にする。

「……また手を出そうとすると思う」


「それって私に?」


 美空ちゃんに手を出そうというならば、おおいに大問題だ。

 永遠にでも話し合いが必要になる。


 その心配は杞憂きゆうで恭平くんは真っ直ぐに私を見て深く頷く。


 ……それってご褒美だよね?


「じゃあ、問題なくない?

 もう手を出された後なんだから」


 愛している人に手を出されて、なにが悪かろうか。

 彼には自覚がないんだけどね。


「いや……、だけどそれは……」


 おそらく恭平くんは私が望んで恭平くんのそばにいることを理解ができない。

 そうなるように、知らずに彼を追い詰めたのは私なのだろう。


 だから本当はそのストレスの発端となった私から距離を置くのが、恭平くんのいまの状況に1番良いのだろう。


 でも、それは。

 それだけはできない。


 どうしても、自分勝手でも私は彼を諦められないのだ。


「恭平。

 もしかしてヒノを俺から寝取りしたとか思っているのか?」

「それは……そうだろ?」


 違う、違うよ。


「違うって言ってるだろ?

 それを気にしているなら気にし過ぎだ。

 俺たちはどこまでも幼馴染でしかなかった。

 おまえは……おまえの両親とは違うぞ?」


「違うわけないだろ!?

 俺は……あいつらの血が確かに流れてる!

 許されない愚か者の血だ。

 それを……それなのに」


 両親のことに触れると恭平くんは語気を強め頭を抱える。

 それこそが彼の急所なのだと私たちにもわかった。


 恭平くんの両親のことは少しだけ知っている。

 ダブル不倫の子であること。

 母方の祖母に小学校の間までは育ててもらったこと。

 以後はずっと1人なこと。


 だから彼は。


 私は握り込んだ私と恭平くんの手を、祈るように私の眼前にその手を持ち上げた。

 そしてその彼の手に触れるようなキスをする。


「それでも私は恭平くんのそばにいるよ。

 それだけ理解してくれればいいよ」


 永遠に。

 その身体が灰になった後も、ずっと。


 たとえそれが狂愛と呼ばれるものでも、ずっと……。







 恭平くんはこの後、バイトがあるそうなので先に帰って行った。

 私の言葉が届いたかどうかはわからない。


 恭平くんが教室から出てから私たちはしばし無言だった。


 やがて美空ちゃんがふぃ〜と息を吐き、机にグデンとした。


「いやぁ、重い。

 重いわ、川野君。

 一緒に暮らしたことがない妹のこととか、悪いこと聞いたわ……。

 正直、歪んでヤリチンのクズ野郎になってもおかしくない家庭環境じゃない?」


「両親ではなく、ばあちゃんに育ててもらったと言っていた。

 それが良かったのかもな。

 それで本人もあんな感じだ」


 恭平くんの両親のことを考えれば、私との関係が恭平くんの心にどれほど深刻なキズを与えたのかわかる。


 その犯した罪の重さが私の心を包む。


 私は最低だ。

 本当は私は彼のそばから離れるべきで……。


「こりゃあ、ヒメもグイグイ行くしかないわね!」

「へっ!?」


 キョトンとしてしまい、美空ちゃんの顔を見るが、逆にキョトンとされた。


「そりゃそうでしょ?

 愛の欠如は愛を与えることで満たされる。

 全ては愛によって支えられているのよ」


 美空ちゃんは立ち上がり、両手を広げ愛を表現する。

 妙にテンションが高い。


 それからストンとまた椅子に腰掛け、美空ちゃんはグイッと私に顔を寄せる。

「好きなんでしょ?」


「うん、愛してる」


 私は断言する。

 それだけは決して譲れない。


 美空ちゃんは額に手を当てて大袈裟にリアクション。


「かーっ、愛してるキタコレ!

 ならばヒメ行くしかないでしょ、愛ゆえに。

 私、バッドエンドって嫌いなのよ。

 だから、ハッピーエンド見せてよね?」


「……うん、ありがとう美空ちゃん」

 彼女は他ならぬ私に全力でエールを送ってくれたのだ。


 それに応えたいし、応援してくれる人が1人でもいる。

 それだけで人は立ち上がれる。


「俺からも頼む。

 変な感じだけどできれば、あの不器用な親友ばかを救ってやってほしい」


 真幸君もなんとも言えない表情で頭を掻きながらそう言った。


 おそらく恭平くんはその生まれと育ちから、自分には存在価値がないと思い込んでいる。

 ……それはちょっと認められないなぁ。


 私が抱いているのは狂愛でしかないけれど。

 それでも……それが愛というならば。


 傷つけたはずの2人の深い優しさに、私は目から流れる雫を止めることができなかった。


「ごめん……、ありがとう」

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