狂愛
第26話この手を離してはくれない
「そんなわけで迎えにきました」
「いや、どんなわけ?」
朝に誰かが来たと思ったら制服を着た姫乃だった。
俺、距離を取るようにと言わなかったかな?
迷わず抱きしめようとする衝動を必死に押し留める。
飢えた狼の前に超高級生肉を放り込む所業だ。
そんな俺の気配に気づいていない姫乃はあざとく下から俺を覗き込む。
「嫌?」
それだけで俺の自制心は吹き飛んだ。
思考を無くした俺は姫乃の頬にそっと手で触れ……唇を重ねた。
まっすぐと目を逸らすことなく、ゆっくり唇を離した。
「嫌なわけがない。
だけど明日からは俺が迎えに行くよ」
「……うん」
……正直、この数瞬の出来事を俺はなにも説明できない。
好きだという感情以外ではなに一つ。
それはとことんまでに身勝手なエゴに過ぎない。
俺はもれそうになる愛の言葉を必死に飲み込んだ。
もしも愛の言葉を漏らした瞬間。
ありとあらゆる凶暴さで姫乃を『いかなる手段を用いても』無理やり俺のものにして、永遠に手離すことができなくなるだろう。
相手の幸せを願うよりも奪ってでも自分のモノにしたいという黒い感情。
これは恋や愛などそんな綺麗な感情ではない。
ああ、そうなのだ。
それでも妄執と執着に囚われた俺が姫乃を本気で突き放すことなど不可能だ。
だから……姫乃から逃げて欲しかった。
もしもそうなれば、俺はもう保たないだろうとわかりながら。
姫乃は俺のこの行為に避けもしなければ、追及もしなかった。
本当なら即座に殴られてもおかしくない行為のはずなのだ。
それにどういうつもりで、朝に俺のところに迎えに来た意図まではわからない。
姫乃は春田家の朝の弁当を作って、2駅先の俺の家まで来たことになるのでだいぶ早くに活動しているはずだ。
ただどんな意図にしろ、俺は荒れ狂う自身に心を抑えることに必死だった。
いますぐ抱きしめ2度と手放したくない。
そんな想いが常に渦巻いているのだ。
そんな彼女に朝だろうと部屋にまで来られたら、いつ細い理性の糸が切れるか。
はっきり言って、次に我慢できる自信はまったくない。
握り拳を上げ下げ、姫乃が気合を入れて奇妙な声をあげる。
「明日からも一緒!
ウシウシ!」
……姫乃ってこんな変な子だったのか。
とにかく喜んでくれているらしい。
「代わりといっては変かもしれないけど、姫乃からお願いしたいことがあれば言ってくれれば叶えるけど?」
もちろん俺でできることならという範囲で、だ。
その言葉に姫乃は即座に反応する。
「結婚して!」
「結婚は働き出してからじゃないと……」
「嘘つき!
でも……!」
テンション高いなぁと見守っていると、次第に落ち着き、いつもの姫乃になった。
「自分でも予想外に表を恭平くんと一緒に歩けるのが嬉しいみたい。
結婚は働き出してから、してもらう約束も出来たしね?」
いまの会話で、いつのまにか俺がプロポーズしたことになっている……だと!?
姫乃はふふふと柔らかく笑う。
それがまた実に可愛い。
「……とにかく行こうか」
「はい、旦那様」
からかうような姫乃の口調。
俺は自分の頬をコッソリとつねる。
俺、まだ寝てるんじゃないかな?
それから、と付け足したように姫乃は呟く。
「とりあえずイチャイチャしたいかなぁ」
それは誰と?
さすがにそれを口にしてしまえば、姫乃であっても大激怒してしまいそうな気がしたので、なんとか口から出るのを抑えた。
教室に入ると昨日と同様の2人、千早と翔吾に詰め寄られた。
だが俺が言える答えは同じだった。
「……わからん」
「わかんないってどういうこと!?」
この2人は俺を監視でもしているのだろうか、とか思わなくもないが通学ルートが同じだけ。
仲良く歩いている2人がよく知っていて、しかも意外な組み合わせなので、気にならないわけがないとごもっともな返事。
意外というか、本来あってはいけない組み合わせだよなぁ。
姫乃は視線を向けた俺に気づくと恥ずかしそうに、昨日と同じように小さく手を振った。
はにかんだ笑顔付きで。
もちろん手を振りかえした。
だって、身体が勝手に動くから。
悪いのはこの身体なんです!
これで偶然、一緒に登校しただけと言うのは無理があった。
だが、千早と翔吾に問い詰められても理由は俺には不明なのだ。
隠しているわけじゃなくて本当にわからないのだ。
結局、俺が困った顔をするだけで2人は察してくれた。
「なにかあったら言ってね?」
「相談乗るからな?」
そう温かい言葉をくれる。
「ぐおぅ……、人の情けが目に染みる」
「そういうのいいから」
千早が冷たく目を細めてそう言った。
「そう?
千早ちゃん、そういう目をしても美人度が上がっていいよね、ゾクゾクしちゃう」
微笑を浮かべながら、俺の口から勝手にチャラい言葉が出てくる。
「なっ、ななな、なにを突然!
もういいから!」
顔をわかりやすく赤くして千早は自分の席に戻る。
その動揺の仕方は普段のクールな彼女よりも可愛いものだなぁと思う。
そんな俺に翔吾は仕方のないやつを見る目で俺を見て、のべっと机に半身を倒す。
「どこまでわかってやってる?
罪なもんだねぇ〜」
「どこまでってなにが?」
「鈍感系うぜえ」
俺が困った顔をすると、そう言って翔吾はケタケタと笑う。
なにかをわかっていない俺が悪いのだろう。
ふと姫乃を見ると、極寒のごとく冷たい目で俺を見つめていた。
乾いた笑みが浮かびそうにならながら、誤魔化すように小さく手を振って見せると。
彼女は口を真一文字にムッと閉じて、表情が複雑なものに変わる。
いっそ、ふんっとソッポでも向くかと思ったら、口を膨らませ『私怒ってます』と言わんばかりの表情のまま、小さく手を振り返された。
……可愛かった。
「……なるほど、そっちが本命か」
「ナ、ナニガ?」
翔吾の指摘にぎくりと反応してしまう。
手まで振っているのだ。
誤魔化しきれるなどとは思わないが。
「そのわりには……。
ま、今度事情でも教えてくれや」
そう言って翔吾はその先の言葉を誤魔化すようにふて寝した。
もうじき授業始まるけどな。
授業が始まる。
室内はエアコンが稼働し、外の空気は入って来ない。
密閉された中に人の集団がいて、どこにも行けないような閉塞感がある。
それでも俺は教室のこの空気が嫌いじゃない。
そこに好きな子がいて、皆が真っ直ぐに黒板を見ている中、ときどき窓の外を見る。
そうしてほんの少しだけ俺は存在を許された気がする。
それは人生の中のひとときでしかない。
時間が経てば2度とここに戻ってくることもなく、そうして今度こそ俺は誰もいない1人になるのだろう。
その終わりが来ることを知っていても、いまという時間が大切なことは変わらない。
それはともかく心配はしたが、意外にもその後は姫乃は普段通りに接してきた。
不意打ちでキスをしてくることもなく、特に話しかけに来ることもなく、いままで通りのクラスメイトとの対応。
朝の出来事がなにかの間違いだったのではないかと思うぐらい。
ただ少し違うことがあるとすれば、朝の登校を一緒にすることになったことと。
「メッセージ送ってもいい?」
「それはもちろん」
今日も電話をしながら、そんなやり取りをしている。
以前も些細ながらやり取りしたことはあったが。
寝取り浮気の行動がバレないように、仲の良いクラスメイトの範囲を超えない程度のもの。
「声が聞きたいときは電話していい?」
「そりゃまあ……聞きたいときある?」
俺は毎日でも声を聞きたいが。
「あるよ、毎日……」
毎日あるのかぁ〜。
あるものなのかぁ〜?
俺は毎日でも声を聞きたいとは思うが、それはアレでソレでコレだからであって、姫乃にしたらどういう理由なのか。
チャラくて調子のよい俺との会話を気に入ってくれてるということなのだろう。
「出られるときにはいつでもいいぞ」
もうじきバイトを再開するから出られないことも多くなるだろう。
「そういうこと言うと、ずっと電話されるから気をつけてね?」
姫乃からの囁くような声が脳髄に心地よい。
ずっと聞いていたいと心から思う。
ずっと電話されると嬉しいのだから、どう気をつけたらいいのだろうか。
むしろ狙われて気をつけないといけないのは女性の方なはずだが。
ただそれでも、電話をしても良い関係になったのだと俺は愚かにも嬉しくなってしまう。
距離を置けと言ったその口で、自分から姫乃を突き放すことはできないのだ。
1番突き放してまで守りたい人が1番近づいてくる。
「じゃあ、問題なくない?
もう手を出された後なんだから」
自分と姫乃がすでにそういう関係なのだと、姫乃本人から改めて宣告された。
そこから一呼吸。
小さく呟くように姫乃から言葉がもれる。
「……逃がさないから」
そう告げられ、背筋が震えるほどゾクゾクとした快楽を感じてしまった。
なので、俺はそれを正直に告げる。
「ありがとう」
「……そこでお礼言うの、なにか違くない?」
姫乃が戸惑うようにそう返してくる。
「そうか?
嬉しかったからな、正直に言っておこうと思って」
「でもうん……、私も嬉しい。
ありがとう恭平くん。
また明日……、……てる」
「また明日」
そう言って互いに電話を切った。
最後の会話が姫乃が言ったように、なにかおかしかったような気もしたが。
俺には結局、なにがおかしかったのかをわかることはできなかった。
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