第21話原罪

 姫乃が話してくれたことを、俺はどれほど理解できただろう?


 真幸に謝罪をしたことと、俺との関係は姫乃が自分で望んでそうしたこと。

 そしてどうしようもない深い悔恨。


 それだけはわかった。


 なぜかそれ以外は。

 、理解ができなかった。


 姫乃が時々、近寄ってきたクラスメイトの肩にボディタッチすることがあるが、あれで距離取ってたんだな。


 姫乃テクニック恐るべし!


 本人は必死なのかもしれないけど。

 いま男苦手って言ったし。


 全ての懺悔のあと。

 姫乃は呟くように言った。


「……真幸君には申し訳ないことをしたと思う」


「それは俺も……いや、俺こそが諸悪の元凶だから!」


 寝取りの罪は消えない。

 当人が許してくれても。


「……そうじゃない。

 私、正しく真幸君の彼女だったと言えたかどうか」

「どういうことだ?」


 姫乃は真幸の彼女だった、その事実は何も変わらないはずだ。

 どれほど別のなにかに置き換えようとも……。


 だが姫乃の返事は俺の斜め下を向いていた。


「真幸君とは、キスもおろかハグも。

 実は、手もほとんど繋いだことも……」


 ない、と姫乃は顔を逸らす。

 俺の想像になかった事実に、さすがに俺は思わずたじろぐ。

「おま……それは、いくらなんでも……」


 真幸とも彼氏らしいことをしていなかった。

 なのに俺とはまるで恋人のような関係を。

 なんという恐ろしさ。


「……じゃあ1年近く付き合っていて何もなし?」

 こくりと頷く姫乃。

 中学生……いや、小学生か!?


 瞬間的にそれを嬉しいと思ってしまった俺は致命的に人として終わっている。


 同時にすとんと心が堕ちた音がした。

 イカれた妄執の深い穴だ。


 狂うほどに欲しかったものがそこにあるのだ。

 どうして狂わずにいられよう?


 その妄執ともいうべき狂愛が鞭をふりかざし俺をめったうちにする。


 俺はエムだったのか?

 なら姫乃はエスか!?

 いやいや……。

 

 無理矢理、ボケてみても正気には戻れない。

 俺はそのまま姫乃へ手を伸ばしかけた。


 ──だが、それを内なる自分のナニカが制止する。


『それで彼女と恋人同士にでもなるつもりか?

 生まれながらにしての罪人が?』


 瞬間的に心が冷えていく。


 少なくとも伸ばそうとした手はそれ以上、伸ばしてはいけないと。

 俺では彼女を不幸にするだけ。


 いいや、すでにその不幸への沼に引きづり込んでいるではないか。

 これ以上の罪を重ねる気か、と。


 手を伸ばしてはいけない。

 考えてもみろ。

 チャラ男にハマった女たちはどうなっている?


 少なくとも容易く女に言い寄る男は、その軽い言葉に引きづられた女に対してこう思うのだ。


 ああ、簡単になびいたな。

 だから、この女は適当に扱っていいのだ、と。


 勘違いするなかれ。

 クズはクズだ。

 いつまでも、どこまでも。


 俺はそれ以上一歩も動けなくなり、逆にそれを見た姫乃が俺に近づこうとしたとき。


 チャイムが鳴った。


 おかげで姫乃から目を逸らす口実ができて、俺の俺自身への金縛りが解けた。

 俺は何気ないふうを装い、玄関に向かい扉を開ける。


「よう。

 ……ヒノを迎えに来た」


 少し硬い表情で真幸がそう言った。

 俺はそれにどうにか反応しようと表情を動かそうとする前に。


 真幸が俺の緊張をほぐすように柔らかく笑った。

「イチャイチャしてる最中だったら悪いな」


「俺は……!」

 そこから言葉にならずに奥歯を噛み締めて、俺は頭を下げる。

 すまん、と。


 真幸はそんな俺の肩をポンっと叩いた。


「連れて帰れそうか?

 無理そうなら、もう少し時間を置くが……」

「いや、上がってくれ」


 そんなふうに真幸は直接会っても俺を責めなかった。

 俺が真幸の彼女を奪ったというのに。


 恋愛ごとだけで俺たちの関係が成り立っていたわけではない。

 少なくとも俺の中で親友という関係はそんな軽いものではなかったはずなのだ。


 ポンっと真幸は再度俺の肩を叩く。

 大丈夫だとでも言うように。


 真幸は気にするな、とでも言うように。


 むしろ俺の腹の中で、黒くどうしようもない重いものがグルグルと回っている。


 吐き出してもいいなら、俺自身の愚かさをこの場で全て吐き出したかった。

 それは罪悪感という自己憐憫じこれんびん以外の何者でもないモノだった。


 それと正反対に、いますぐ俺の前から姫乃を離さないと、俺自身が彼女をどうにかしてしまい、もう2度と手放せなくなる。


 ──そんな徹底的に矛盾した酷い醜態しゅうたいを晒してしまうのだと、自分でもわかった。


 家に上がった真幸は姫乃になにかを話した。

 責めたり、なにかを懇願こんがんする様子はない。


 穏やかに、姫乃が帰って来られるようにと姫乃の親と話をしたと。


 それは望むべき理想の形ではあった。

 俺の中のみにくいナニカ以外は。


「じゃあ、恭平くん。

 迷惑かけてごめんね。

 それとありがとう、何かで必ずお礼するから

 ……また、ね」


「気にすんなよ。

 また、いつでも来てくれていいから」


 その俺の言葉に姫乃は俺の顔をジッと見つめ、それから深く頷いた。


 姫乃も大人しく帰ることにしたようだ。

 そのほうがいい。

 彼女も俺もまだ高校生でしかない。


 18歳で成人したとはいえ、社会はそれで1人の大人としてどこまで受け入れてくれるか、想像するだけで厳しいことがわかる。


 ましてや高校を途中で抜けることになれば、人はそれをさらに偏見の目で見てくる。


 世間とは、そういうものだ。

 そこに救いはない。


 多くの物語のように、ザマァとわらわれるだけ。


 生きにくいそんな世界を俺たちは、どうにかこうにか過ごしているに過ぎない。


 姫乃が手を振り、それに笑顔を作りながら見送る。


 これからは俺と姫乃はただの友達として関わるのだろうか。

 それとも、もう話をすることはないのだろうか。


 真幸が手を差し伸べ誘導し、姫乃はそのあとをついて俺の家を出て。


 ──扉が閉まる。


 姫乃が上手く家に帰れなければいい。

 そうすれば、ずっと一緒に。


 自分の中に湧き起こる醜い感情を、2人が扉から離れるわずかな時間、握りつぶす。


 ……そして。


「ああああぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 行かせたくない。

 そんな感情を塗りつぶすために叫ぶ。


 俺が壊した。

 姫乃の幸せも、未来も。


 俺が手を出さなければ。

 俺がもっともっと早く俺自身の想いを捨てて手放せておけば。

 姫乃はいまでもアイツの隣で、幸せにいられたはずなのだ。


 家なんか追い出されたりすることもなく、あんな悲しい顔をすることもなく。


 俺が、俺が壊した。

 俺が姫乃に浮気をさせて、2度と戻らない関係へ足を踏み入らせた。


 寝取り浮気なんてクソだ。

 そんなものは全ての関わった人を不幸にする畜生の所業なのだ。


 全ては……俺が悪い。


 なのに真幸は俺を責めなかった。

 未来を奪われたはずの姫乃も、自分が悪いのだと逆に自分自身を責めた。


 違う!

 俺が悪い、俺が生まれもっての罪人なのだから。


 高校2年の修学旅行のとき。

 真幸と姫乃が付き合い始めてすぐ。


 俺たちがまだなんの過ちも犯していなかった頃。

 2日目の夜に自販機の横でほんのひととき話をした。


 内容はありふれたこと。

 流行りの曲か、ユーチューブのことか。

 記憶力には自信があったはずだがそれでも思い出せない取り留めのないこと。


 普段見ている親友の幼馴染彼女ではない顔で心からの笑顔を見た。

 なんの曇りもない笑顔を見たのは、あのただ一度きり。


 俺はその笑顔を守りたかったはずなのに。

 それを奪ってしまったのは俺だ。


 全ては俺が生まれてきたせいだ。


 真幸のように優しい人になりたかった。

 誰も傷つけない人でありたかった。

 彼のように怒りで全てを投げ捨てるのではなく、包み込むような温かい人になりたかった。


 やっぱり俺は俺でしかない。

 俺は生まれてきてはいけなかったのだ。


 全て悪いのは俺だ。

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