第19話それを人はザマァと嗤うのか

「来てないよ。あれから会っていない」

 俺は枯れた声でどうにかそう返す。


「そうか。ヒノが昨日、様子が変だった。

 夕方に暗い顔でカバンも持たずに制服で出て行ったのを見た。

 朝も見なかったし、学校でも見かけなかった。

 連絡もつかないが何か知らないか?」


 そもそも裏切った相手を気にかける真幸はいっそ呆れるほどに心が広い。


 俺は知らずそれを口にしていた。


「……あいつは彼女とかの前に幼馴染だから、な」


 真幸が様々なものを飲み込み、そう言ったのはわかる。


「すまない……」

 押さえた顔の間から涙が溢れる。

 俺が泣くのはずるい。


「もういいさ、謝罪は受けた。

 ヒノからも。

 幼馴染からいきなり土下座で謝罪されるとか、普通ないぜ?」


 電話口の向こうでさっぱりした声で真幸はそう言った。


 真幸たちはなんであの日、あの場所にいたのか。

 俺から聞けることではないが、真幸自身が気にしていたのか教えてくれた。


「夢野から話があるからって呼び出された。

 なんだか話しづらいことなのか、なかなか切り出されずに街を回っていたら偶然見つけてしまった。

 嫌な偶然だけどな……。

 間違っても俺と夢野がラブホテルに行こうとしたわけじゃないからな?」


 ラブホテルはほんの少し通りから外れた場所だが、裏通りというほどではない。

 学生は通ることはほぼないが、まったく人が通らない場所ではない。


 人生にはたしかに、『よりによってなんでこんなときに!』と、そう思える瞬間がある。


 それでも、それがあの日、あのときだったのは、まるで罪を償えとそう言われているようだ。


「俺も土下座すべきだな」


 あのとき謝罪の言葉を言うのが精一杯で、そんなことにすら頭が働かなかった自分を恥じる。


「やめろ。

 あれはされる方もキツイ。

 ……まあ、なんだ。

 なにかわかったら教えてくれ。

 ヒノに会えたら心配している、と伝えてくれ」

「わかった」


 すぐに翔吾や委員長などのクラスでも仲の良いメンバーに連絡をしてみる。


 姫乃はただ単に、他の友人にところで遊んでいるだけかもしれない

 なにか知ってたら連絡をもらえるように。


 なにもなければそれでいい。

 話を大きくして、と怒られるならいくらでも怒られるし誠心誠意謝罪もしよう。


 やけになって悪いことにさえなってなければそれでいい。


 すでに隣に誰かいたらどうする?


 構うものか、無事を確認するのが先だ。

 そう覚悟して俺は傘と財布だけ持ち、雨の降る外へ出た。


 アテはない。


 姫乃との想い出の場所などないのだ。

 俺たちはデート一つできる関係ではなかったのだから。


 なのに足は自然と動いた。

 どこに行っても同じなのだから感覚だけに全てを任せた。


 電車で移動してみようと最寄り駅まで移動すると、駅の入り口より少し手前の道。


 驚くほどあっさりと。


 端っこの壁に隠れるようにし、ずぶ濡れで制服姿の姫乃を見つけた。


 なんでこんなところにと思えるような意外過ぎる場所だった。


 変な話だが、ラブホテルのある道よりも人通りが少なく、たまに通る人も声はかけてこなかったのだろう。


 姫乃の家はここから2駅向こう。

 学校は反対側。

 繁華街も学校側。


 この駅にはなにもない、はずだ。


 それでもいたのだ。

 全てどうでもいい。


「姫乃!」

 ハイライトの消えた目で彼女はこちらを見た。


 どうしたと尋ねる前に、姫乃のずぶ濡れの身体を構わず抱き締める。

 姫乃の頭ごと抱え、もう逃すものかと全身で。


 わずか2日しか経っていないのに触れたくて仕方なかった。


 でも俺たちはそれすら許されない関係だったのに、それを飛び越えて再び触れてしまった。


 熱に浮かされたように姫乃は呟く。


「……昔の小説でね。

 死神が死者への最期の手向たむけにあの世への案内の間だけ、死者の好きだった人に変身して見送ってくれるの。

 読んだときはそんなのが手向たむけになるんだろうとか思っていたけど、今ならわかるよ。

 これは──こんなにも幸せなことだったんだね?」


 なにを言っているのかわからない。

 どこかここにはいないように、姫乃の存在が希薄になった気がする。

 姫乃自身が生きることをやめようとしているかのように。


 それを振り払うように。


 冷たい雨を溶かすように強く抱きしめると、その奥に柔らかく温かい姫乃の存在が確かにあった。


「私、もっと強くなれると思っていた。

 家を追い出されたけど、想い出だけあれば生きていこうって……でも。

 ああ、無理だって思った。

 だって最期に残ったのはしかないんだから。

 だから、無理だった……」


 姫乃も肩を震わせ泣きながら俺にしがみ付いた。


「……ったく、好きな子がどうにかなってたら永遠にトラウマになるヤツだよ。

 真幸には感謝だな。

 ますます頭があがらなくなった」


 弾かれたように腕の中の姫乃がこちらを見上げるように顔を向ける。


「えっ?」


 俺はその顔を見ないように視線を逸らす。

 触れられるほど近くにいるのだ。

 顔を見ただけで姫乃の唇を奪ってしまう。


 その確信があった。


「いいか?

 2度とそんな真似すんな!

 俺への復讐ならなんでも聞いてやる。

 だからこういうのだけは絶対にやめろ、いいな!」


「えっ、復讐?

 えっ?

 それよりさっきなんて……」


「とにかく俺の家行くぞ。

 こんな雨だと話もできない」

「……うん」


 真幸が教えてくれなければ手遅れになっていた。

 それを想像するだけで恐怖でめまいがしそうだった。


 姫乃の手を引き真っ直ぐに家に戻る。

 誰かを俺が家に連れてきたのは、これが初めてのことだ。


 家に入り、風呂場に案内してタオルを渡す。

 それから姫乃の頬にそっと触れる。

 頬を触れられた姫乃は逃げることもなく、じっと俺の目を見つめてくる。


「すっかり冷えたな。

 洗濯機と乾燥機を使ってくれ。

 着替えはすぐに持ってくる」


 視線を絡ませながらそう伝えると姫乃はコクリと頷いた。


 服は母親が置いたままにしている着替えを引っ張り出す。

 見た目フリーサイズな物を見繕い、風呂場に声を掛けて着替えを置いた。


 可能な限り無心を貫くだけで、鋼の忍耐を必要としたことだけは明記しておこう。


 姫乃がシャワーを浴びている間に、探すのを手伝ってもらった人たちに連絡。

 なにより真幸に、無事に姫乃を保護できたこともメッセージで伝える。


 家を追い出された、と姫乃はそう言った。

 そのことをなにか知らないかと。


『ヒノがそう言ったのか?』

『ああ、詳しい話はまだ聞いてないけど』

『わかった、確認してみる』


 そんなふうに真幸とメッセージでやり取りをした。


 それから料理を作る。

 姫乃が食べたくないと言えば俺の晩飯になる。


 ピーマンと玉ねぎを細く切り、それをフライパンで厚手のベーコンと炒める。

 火が通ったら塩胡椒を軽くして、フライパンの半分にスペースを開けるように寄せる。


 空いたスペースにトマトケチャップたっぷりをかけて、火で温めてから野菜と混ぜ合わせる。


 茹でておいたパスタとそれを和えると、ナポリタンの完成。


 ちょうどシャワーから上がり髪を拭きながら、ちょっと落ち着かない様子で出てきた姫乃を座らせて、ナポリタンを出してあげる。タバスコと粉チーズはお好みで。


「すごい……、美味しい……」

 風呂上がりの姫乃が俺の料理を美味しいと食べてくれている。


 なぜかそれに俺の心はいっぱいになる。

 このまま餌付けしてしまうか!?


 ほぼ無言の食事が終わり。

 食後の紅茶を受け取った姫乃はそのカップに両手を添え、うつむき加減に呟く。


「あれだけ来たかった恭平くんの家に、全部、終わってから来れるようになるなんて……」


「また来たらいい」

 そのときは友達としてだろうけど。


「恭平くん、私みたいなのにそんなこと言うと大変だよ?

 住みつかれるよ?」


 住みつかれる!?


 それはなんと恐ろしい誘惑だろう。

 そうして2人だけの世界に閉じこもり、いつか破滅するのだ。


 そんな甘くて猛毒の誘惑に俺が呑まれている中、姫乃はポツリと。


「恭平くん、……よ」

 うつむきながらなにかを呟く。


 その言葉は聞こえなかった。

「ごめん、いまなんて……?」


 姫乃は笑顔で首を横に振る。

「ううん、なんでもない」


「そうか……。

 あの、姫乃。

 なんでこんな雨の中、傘もささずに外へ?

 しかも制服で。

 真幸から連絡もらってびっくりした。

 昨日、様子が変で学校にも来てなかったと……」


 姫乃は俺をじっと見て……寂しそうに静かにうつむいて呟いた。


「家、追い出されたんだ」

「追い出された?

 親と喧嘩とか?」


「喧嘩……なのかな。

 ううん、喧嘩とかじゃないかな……。

 追い出された、あんたなんか娘じゃないって。

 恭平くんと関係を持って、真幸君と別れたから」


 俺と関係を持って、真幸と別れたから。

 俺はその言葉を頭で繰り返す。


 そして……。


「はぁ〜!?」

 その意味不明さに思わずそう言った。


 自分の子供が彼氏と浮気が原因で別れたから家を追い出した。

 それは親になんの関係がある?


「真幸とは、家同士の婚約者か何かだったのか?」


 姫乃はまた俺の顔をじっと見て……なにかを諦めたように寂しそうに微笑んだ。


「婚約者かぁ……。

 親の同意の下と考えればそうなのかも知れないね」


 そして姫乃は語った。

 自分のことを。

 家族のこと。

 どうして俺と寝取り浮気をしたのかを。

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