第16話断罪

 部屋を先に出ながら、そこで一旦止まり……。

 姫乃はなにかを言おうとする。


 だが、それ以上はなにも言わずに部屋を出た。

 俺もその続きを問いかけることはせず、そのすぐ後を追う。

 外はいつのまにか強い雨が降っていた。


 そして……。


「なに、やってたんだお前ら……?」


 もしもその交わりがあと数回見逃されていれば、欲望の果てに子供すらもできていたかもしれない。


 でも、そうはならなかった。


 ただ確かに言えることは。

 俺たちは間違えた。


 その事実が長く2人を苦しめることになるのだ。

 それこそがザマァと誰かが嘲笑うなにかでしかなく、そこになんの意味がなくとも。


 ああ、それはどうでも良い。

 ただそのときが来ただけのこと。


 なにが起きているにかも脳が理解することなく、半ば夢見心地でラブホテルから2人で出たその瞬間。


 肝心の親友に見つかってしまったのだ。


「お前ら……なにしてんだ?」

 再度、真幸はその言葉を繰り返す。


 隣に並んだ姫乃は少し空を見上げる。

 小さく隣にいる俺にすらようやく聞こえるほどの小さく呟く。

「時間、切れかぁ……」


 俺たちを見る様子が人ごとのように遠く感じる。


 ほんと、なにしてんだろ?


 その日は行為はしていなかった。

 そして終わりにしようとしていた。

 それでもそれはもう手遅れで。

 出てきた場所があまりに悪かった。


 もしも俺が記憶を取り戻すのが、事が起きる前なら……ああ、それでも手遅れか。


 間男であるチャラ男と幼馴染彼女の醜くもえげつない饗宴はすでに数回に渡っており、今更なにを取り繕えようものか。


 これが世に氾濫してしまった倫理観の崩壊したラノベならば。

『ゲヘヘヘ、悪りぃな親友であるお前の彼女食っちまった』


 そう言って下品な高笑いでもって全てをぶち壊し、やがて壮大なるザマァにより破滅への道をまっすぐ歩んだことだろう。


 むしろチャラ男ならば、そうすべきなのかもしれない。


 息が苦しい。

 罪悪感と自分が悪いことがわかっているから言葉が出ないのだ。

 それでも言葉を出さなければならない。


 それが罪なら、なおのこと。


「俺は……」

 なにかを言おうとしてそれが無意味だと悟る。

「すまない」

 俺はただ深く頭を下げた。

 それ以外にどう言えよう。


 謝罪。

 それだけで全てがわかってしまう。

 この場所、このとき、この状況で。


 それで許されるものではないことはわかっている。

 それでも最初にやるべきこと、言うべきことはそれだった。


 真幸とそのすぐそばにいた夢野が息を呑むのがわかる。

 夢野まで、なぜここにいるのか。


 ここでなぜ2人が、と追及するべきだったのだろうか。


 いいや、ここに2人が通りがかったことと、俺たちがすでにそういう関係であることはまるで違う話だ。


 仮に彼らまでもそうだったとしても。

 もう終わりにすべきことには変わりがない。


 そして、隣から誰かが、ぐいっと俺の腕を掴む。


 当然、それは姫乃だった。

「こういうことだから!」


 俺と腕を組み、真っ直ぐにはっきりと姫乃は言った。

 それが俺たちの意思の結果なのだと伝えたのだ。


 それがどれほど重い罪であろうとも、はっきりと。


 姫乃はそのまま引きづるように俺を引きながら真幸たちに背を向ける。


 おい、と止めようとした。

 いま向き合わなくていつ向き合うのか、そう思った。


 ……だけど。


 その姫乃の顔はもう涙であふれていて、その雫が雨の雫と混ざり流れる。

 それを見て俺は言葉を止めた。


 そして、置いていかれる真幸たちに。


「必ず説明する。

 ……だけど、すまない」


 それだけ言い放ち、俺と姫乃は傘もさすことなく、その場を後にした。


 真幸たちは……追いかけては来なかった。




「……」

 姫乃が俺に何かを呟く。

「ん?」

 尋ね返したが、泣き顔のまま無理な笑顔を見せつけながら姫乃は俺に告げる。


「ちゃんと自分で、ケリはつける。

 だけど、だけど私と一緒に地獄に堕ちろ。

 ……ばぁか」


 そう言って姫乃は俺の腕を掴み、背伸びしながら唇を重ねた。


 喜んで、という言葉と地獄に堕ちるのは俺だけでいい、という2つの言葉を飲み込んだ。


 目尻に涙を浮かべ、それでも姫乃は笑ったから。

「バイバイ、恭平くん。

 ……よ!」

 そうして、俺にさよならを告げ、濡れてしまうことに構うことなく駆けていく。


 姫乃と最後に重ねた唇は、こんなときにでも気が狂うほどに甘かった。





 姫乃が走り去った後。

 俺はきびすを返して、すぐに真幸たちのところに戻った。


 真幸たちはまだ呆然と立ち尽くしていた。


 俺は静かに駆け寄り……頭を下げた。

 即座に殴られはしなかった。


 真幸はなにも言わない。

 頭を下げている俺にはどういう表情をしているかはわからない。


「……俺は命を賭けてもいいほど姫乃が好きだ」

 俺はまずそれを告げた。


「悪いのは全部俺だ。

 姫乃に甘い誘惑を仕掛け、真幸を裏切らせたのも俺が最初に言ったことだ」


 もちろん、その誘いに乗ってしまった弱さも大きいだろう。

 だが、そうなるように誘導したのは俺なのだ。


 記憶のないチャラ男の俺だとか、そんなことは一切関係がない。

 少なくとも、それを言って姫乃を地獄のレールに乗せた記憶はあるのだ。


 そこからなにを言ったかは覚えていない。

 どんなことでもするし、殴ってくれていい。

 すまなかった。

 俺は絶対に許さなくてもいいから、姫乃だけは許してほしい。


 最低限、これだけは言った。


 ついには正直に打ち明けるつもりだったこと。

 今日、こんな場所から出てきたのは、その話をしてただけで誓ってなにもしていないことまで。


 そんなことまで言った気がする。

 こんな場所から出てきておいて、それを謝罪の中に混ぜてなにを信じろというのか。


 自分で言っておいて、自分の言葉がバカバカしいものだと思った。


「わかった」

 そう言ったが、真幸は最後まで殴って来なかった。


「……血、出てんぞ?」


 そこで俺が両手を握りしめすぎて、手のひらに爪が刺さり血が出ていたことに気づいた。

 軽く手を振ると血が飛んだ。


「いや、これは……ははは」

 誤魔化すように渇いた笑いは笑いにならなかった。


「……そっちじゃねぇよ、口」

「えっ……?」


 言われるがままに口元に触れる。

 ぬるっとしたなにかがあり、視線を向けるとそれは赤かった。


 黒くも緑でもなく赤かった。

 悪魔や化け物でもなく、人の血だった。


 いつのまにか唇を噛み切っていたらしい。

 痛みはなかった。


 真幸は大きく息を吸い込み……静かに吐き出した。


「またな」


 そう言って、俺たちのやり取りを黙って見ていた夢野を促し、真幸は帰って行く。


 俺は振り返ることがないだろう、その背中にもう一度頭を下げ……。


 誰も居なくなった後。

 ラブホテルのコンクリート壁を真っ直ぐに殴った。


 1番、自分を傷つけたかった。

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