第13話遊歩道の影で隠れてキスをしよう

「んっつ」

 姫乃から吐息が漏れる。


 相手の唇の感触を確かめるように深く重ねられたキスから始まり、やがてしがみ付き、ケモノがむさぼるように重ねられた舌どうし。


「恭平、くん。

 ……!

 ……!」


 口を重ねながら姫乃がうわ言のように何度もなにかを俺に訴えかける。

 なにを訴えているのかはわからないが、制止の言葉ではない。


 それは脳髄のうずいを焼き尽くすような懇願こんがんであり、俺を……お互いをあおり立てるものだったのは間違いない。


 舌は互いの口腔を暴れ回り、その間も互いを離すまいと俺も姫乃も両腕で互いをかき抱くように掴む。

 口から身体中に巡る甘い甘い姫乃の味。


 そこに理性などはなかった。


 そんなものがあれば、こんなケダモノ同士の交わりなど起ころうはずもなかったのだ。

 同時に奇妙な感覚がある。

 肌感覚とでもいおうか。

 抱きしめている相手が自分以外の誰のものになっていないのだという確信。

 匂いと触れる感覚に混ざりものがない、そんな不思議な感覚。


 それはより一層、相手への執着の起爆剤となる。


 僅かな隙間も許したくないと、息を吸うために離れた舌が休む間も唇を吸い合わせ、擦り付けあった。

 口と口の間は透明に繋がれたまま。


 互いが正気に戻ったのはどれほどか。

 長いときのようで、2人にそれほどの時間はないのでせいぜい数分というところだろう。


「あっ……」


 唇を離し正気に戻った姫乃は事態の危うさに気付いて、顔を青くさせながら息を漏らした。


 はぁはぁとお互いの口から荒い息が漏れていることも、そのときにようやく気づいたほど。

 それすらも吐息ごと混ぜ合わせたいとさえ思った。


「恭平くん、……!

 ……過ぎて、ダメ、ごめん。

 ……る」


 うわ言のようななにかを告げながら、涙目になっても姫乃は俺から視線を外せずにいた。


 俺はそんな姫乃からも真っ直ぐと目を逸らせなかった。

 姫乃の目の奥にはいまだ情欲の青い炎が揺らめいている。

 きっと俺の目にも同じ色が漂っていることだろう。


 そこで姫乃はなにかに気づくようにハッとする。

 おそらく彼女にとってそれは言ってはいけないなにかだったのだろう。


 姫乃はそこから言葉も発せずに、慌てるように俺に背を向けこの場から逃げ出した。


 それでようやく俺は深いため息と共に空を見上げてから、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「……やっちまった」


 禁忌だとか裏切りの快感などは一切なかったし、考えることもできなかった。

 ただただその存在が愛しかった。


 快感よりも魂が繋がりたがっていたような、そんなよくわからない感覚。


 それでもそれがどんな感情であれ、ここで行われたことはおぞましい裏切りでしかない。

 それが真実だ。


「これはいよいよヤバいな……」


 元々が寝取り浮気の関係だ。

 記憶はなくとも身体は覚えているってか?

 チャラ男の俺も姫乃の身体に溺れていたのだろう。


 触れてしまった唇からは溶けるほどの甘さしか感じない。

 身体に完全に引きづられ、転生した俺まで姫乃との禁忌の関係に引きづられ、逃れられなくなってきていた。


 もう姫乃に対しては愛しさしか感じられない。

 それが恋だといえばそうだろう。

 それ以上のナニカだと言えば……それもそうだ。


 それは一体、誰が感じていた感情なのか、チャラ男の俺か今の俺か、答えは出ない。


 ……だけど。


 姫乃はいつか他の誰かとも同じことをするのだろうか。

 俺がこうして真幸から寝取ったように、また誰かに寝取られるのだろうか。


 そんな女ならイラナイ。

 それは勝手な想像だ。


 同じようにチャラ男に戻った俺は、これほど、愛しい姫乃ではない別の誰かを抱くのだろうか。


 そんな自分ならイラナイ。

 それも全て妄想だ。


 なにを信じて、なにが信じれないのかわからなくなってくる。

 姫乃が本当はどう思っているかなんて、一緒にいられない俺にはわかりようがないのだ。


 いま口付けを交わしたその直後に、真幸と口付けをかわしているの交わしているのかもしれない。

 俺は最低だと分かりながら、それを心の底から嫌だと思ってしまう。


 もしかしたら姫乃はこの罪を快感として味わえる、そういう精神性なのかもしれない。


 俺は口元を押さえ、吐き気を我慢しながら膝をつきそうになる身体をこらえる。

「……きもちわるい」


 裏切りを選んだ俺も、それに惑わされる姫乃も。

 そして信じたいと思ってしまう愚かな自分も。


 そしてとんでもなく怖い。

 信じた人が、自らの心を預けた人が、他の人と再び裏切り行為に走ってしまう。


 すでにその最低最悪の行為を自らが犯しているからこそ、それは起こり得るのだと知ってしまっているから。


 それこそが寝取り浮気という裏切りに潜む罠。


 それでも、それでもなのだ。


 ただの1度。

 もうどうなってもいいから、ただの1度でもいいから姫乃を抱きたい。

 その欲望は日に日に増すばかり。


 もう全ての道理も倫理もなにもかも破滅させて、寝取り浮気の絶望の果てまで姫乃ごと堕ちてしまいたい、そう願いたくなるほど。


 当然、そのただ1度は永遠の破滅を意味する。


 全てが裏切られて、全てが破滅する未来が寝取り浮気だと分かっていながら、それでも。


 ……だからこそ早急に終わらせる。

 そこにわずかな希望を見出してしまうから。


 俺はもはやそれしかないと思うほどに追い込まれていた。


 かつてパンドラが箱を開けて様々な絶望が飛び出して、その箱には希望が残ったという。

 だが、その箱に残った最後の希望というやつは、本当に災厄ではなかったのか?


 その答えを俺はまだ知らない。

 だけどきっと、絶望と共に知ることになるだろう。


「ああ、もう!!!

 やってられるか!」


 俺は愛しさとか、罪悪感とか、こんな気分にさせられる憎しみとか、もう色々限界を超えて頭をかきむしる。


 寝取り浮気している奴らはなんでこんな最低な気分を楽しめるんだ!?

 とても俺には理解することはできなかった。


 なのに姫乃とのキスは、どうしようもないほどに甘かった。

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